くすし、 へどうところげ落ちる。とこんどは左右に わかれて泥合戦。藻くす、泥っち、たまり砂、手あたり こんき たしに才けかけ、つかみかけ、とめ手のない根気のく しまがみごおリたかっき らべとはなった。ちょうどその時折も折、島上郡高槻城 しゆっとうおぐりはちゃ の家来で、お小姓立ての出頭小栗八彌という若侍が、御 はおりわかとう 代参りのために馬にまたがり、そろいの羽織の若党した がえ、先払いの奴が「はいはいま、 ーし」と声かけながら通 し日 一三ロ ) かかった。そんな声をもきかばこそ、與兵衛かすくい あわせ かけて投げつけた泥砂が、出会い拍子に馬上の武士の袷 かみしも つ上下から馬具にまで、ざっくとかかったのも運のわるさ。 栗毛の馬はおどりあがり、馬上の人も安らかではない 馬もなかなかしすまらぬ。與兵幃かはっと驚くところを から 「それのがすな」と徒十の衆。はらはらと取り巻くうち、 お・日 さんけい あいづ 相手の会津者は川を渡って向う岸。小菊もおかみも参詣 かちがしらやまもともりえもん 丸客にまぎれこんだ。徒士頭山本森右衛門、與兵衛の両すね ひざ 甥すくってぎやっとのめらせ、膝で背骨に押さえつけた。 「ア、お侍さまあやまちでございます。おゆるしを、お じひ 「無礼者めが、お小袖 慈悲を」と泣き面かく與兵偉に おもて 馬具に泥をかけて、あやまちというてすむものか。面を あげい」と首をねじあげれば、「ヤ、森右衛門どの、伯 父しや人」「ムム與兵衛めか」と互いにはっと驚いたが、 森右衛門すぐさま「ヤイお前は町人。どんな恥をうけて もきすにはならぬ。ご主人よりご扶持をいただき、二字 無礼者をとって押さえ、それ の実名を名のる森右衛門、 が甥だったからとて助けはならぬ。討ちすてる立ちませ い」と小うでをとってひきたてると、馬上の主人、「ヤ さやぐら イヤイヤイ、森右衛門。見ればその方の刀の鞘ロ、詰め さむらい こしよう やっこ こそで
やいば まぶ 門限すぎてとささやくは女郎の自腹の間夫の客。親抱え ー ) んオい 主もわすれて遊女が打ちこむ客。身代はたいて打ちこむ 客。金の手はすのくいちがう客。ましりゆきかい道の間 をしばらくもだまっているのは恥かしく役者の声いろ、 ものまね 」唄しようるりしようだんロ、西と東の 芝居の物真似。、 大門ロ、ロぐち歌いざわめいて、ゆくもかえるもさわり あか なきこのにぎわいは、治まる御代の証しかや。さてここ やまもともりえもん に山本森右衛門、與兵衛が身持ちの知らせにおどろき、 いとまご おおさか しばらく主人に暇乞いして大坂へかけつけたが、女殺し て金盗った犯人も、たしかにそれとは知らないか言 せんぎ がみるところ與兵衛のしわざ。詮議しようにもよりつか ぬので、さきざきたすねて新町の、東の大門ロできいた ところ、そこらあたりだとは教えてくれたかいすれも びゼんや 教えられた備前屋はここか、 同しな女郎の部屋づく それともあっちかと迷いたたすみいる折柄、西の方から 手にかさ高な文もったかむろがやってきた。「これこれち よっとおたすね申す。備前屋と申す傾城屋はいすかたか、 そのおうちに飃と申す城、御存しならば教えていた だきたい。われらは当所に不案内者。ひらに頼み入る」 ふんべっ かたくるしい一一一口葉っかいにかむろは「フウ分別くさい牛 のいいよう。備前屋はこの家。西のはしに戸をしめて、 客のある部屋が松風さまでござんす。コレお侍さま、左 の足あげさんせ。ソレ / , \ また右の足もあげさんせ、よ うあげさんした、はいご苦労さま」となぶってひんしゃ んゆきすぎる。「所柄とて人に馴れ、気かるい奴め」と うちわらい教えられたに立ちよると、内に灯かげはあ りながら戸口はびったりしめてある。「さてこそ客は與 あわれ與兵衛が刃にかかりタベのつゆと消えた命 ゅ - フド ) し ふみ じよろ・フ しん 107
0 0 4 るのがお気の毒。それに向い同士ではつつけんともでき ませぬ。茶屋のなか借りて汚れをすすいで進ぜましよ。 顔もあらってとっとと大坂へ帰って、これからは気をつ けしゃんせ」とまた「ここ借りますお清、ととさまが見 よしず えたら、かかにしらしや」とふたり葭簀がこいの奥へ消 ひる てしまや えた。はやながい陽かげも午にかたぶき、豊島屋の七左 衛門。さぞや妻子が待ちくたびれたであろと、弁当さげ た片手には姉娘の手をひきひき、のどがかわいても呑む 間もおしく、茶店の前までさしかかると、中娘が「あれ ととさまか」とすかりよった。「オオ待ちかねたか、か かかはここの茶屋のう かはどこしや」とたすねれば、「 かわちゃ おびと ちに、河内屋の與兵衛さまとふたり帯解いて、べべもぬ かわちゃ いでござんす」「ヤヤ、何と、河内屋の與兵衛めと、帯 解いてはだかになってしや、エ工、口惜しいめくらにさ れたわい、そうして、あとは、どうしやどうしや」「そ うして鼻紙でのごうたり洗うたり」ときくよりせきたっ かどぐら 七左衛門。顔色かわり眼もすわり門口にたちはだかり、 「お吉も與兵衛もこれへ出よ。ただし出すばそこへ踏込 よ し 「こちの人か。子供がおひるの時 むそ」とよばわるに、 土 6 進分もわすれ、どこになにしていやしゃんした」とお吉が で 出るあとから、與兵衛「七左衛門どの、面目ない。ふと す けんか す した喧嘩で泥にはまり いろいろお内儀さんの世話にな を れ った。これも七左衛門どののおかげかたしけない」見れ 汚 こびん て ば、小鬢さき、髪のまげまで泥まみれ、体もぬれねすみ。 昔 七左衛門腹がたつやらおかしいやら、與兵衛へのあいさ の しい , かけ ) ん」 2 ー ) つは何もせす、「これお吉、人の世話も、 屋 茶 たがよい。若い女が若い男の帯解いて、そうしてあとで めんばく の
おもは りははっと目をみあわせ、ただはすかしい、面映ゅげに 涙をうかべ、さしうつむくしかなかった。表では忠太夫 「アレ父様 が待ちかねて、なおも荒々しく戸をたたく。 どう にみられては死なねばならす、何しよう」とここかしこ に這いかくれ、下女の寝ている夜着の中へうろたえ入れ ば、下女はとびあがり、丸はだかのまま「のうかなしや、 ぬすびと うらが寝たふところへ盗人がはいって雪の肌を荒らすわ」 あんどん とわめきまわる勢いで、行燈を蹴ころがしたのであたり うたざい は真っ暗となった。八恋路の闇のくらが りになどと歌祭 もん 酔文にもうたわれるが、これどころではない大変なことに なってしまった。それというのも、もとはといえば、つ まらぬことから起った心の迷いというものだ。表ではし きりと声をたて、「あけよあけよ」と戸をたたく。お種 も男も気をとりなおして外へ出る。お種はうしろ手に男 の袖をひいて門の内側、わが身で男をおしかくし、かけ とっさま ま金あけて「父様、さあおはいり」と戸をひらくと、こは いかなこと、忠太夫とばかり思ったのは床右衛門。顔を かくし手をさしのべて、両人がたもとを一つにしかとっ かんで、「さあ不義者、証拠をとったぞ」と声かける。し まったとばかりに内からくぐり戸をしめたが、床右衛門 は、とったたもとをはなさばこそ。しかたなしに源右衛門 わきざし そで 凶第 , 峯「一、 ~ 種腰の脇差をするりとぬいて、ふたりの袖下を切りはなし て、門の戸をひきあけて一目散にわが家をさして逃げ去 った。床右衛門は、手にのこった袖下を中へねしこん で、戸をこしあけて内に入り、「さりとて、お内儀あん したひも せっしゃ まりな。人には下紐ときながら、なぜ拙者にだけつれな しぞ。このことかくしてくれとい、つことなら、こよいの そで 力いらゆう とっさま 125
ろけん なむさんばう 0 「南無三宝すっかり露見か」鼠が落とし わりつけ た一枚の割附から下手人は判明與兵衛は番 所へひきたてられて処刑場行きの身となった な。おのれはここへ縛られにきたか。のがさぬぞ」と棒 そこっ ふりあげる。「アア七左衛門粗忽するな。しておれが殺 のざき しうないうな、野崎参りの割附。 したとの証拠は」「 ) かきつけ 十匁一分五厘という書附。ところどころに血がついて、 おのれが手跡にまちがいない このほかに何の証拠がい る。同行衆とらえて下され」とっかみつこうとするいき なむさんばう ろけん おいに、「南無三宝、すっかり露見か」とっきあげる動 にがわら 悸をじっとおさえて、苦笑い、「このひろい世門 のざき くたりも似た手があるまいものでもない。野崎参りの 入費は、なるはどおれ一人でうけもったが、割附はなん にもしらぬ。よい年してばかなまねはやめてくれ。同行 衆、おのれらまで同しように立騒いで何とする」「こう してやる」と七左衛門がっかみとろうとするをとって投 げ、よれば蹴たおし踏みころがし、一世に一度のくそ力、 棒ねしたくって、一ふりふればわっと逃げる。すきをう かかい逃げんとすれば、「そりや逃がすな」と追ってと りまく 小庭のなかを追っつかえしつ二三ど、四五ど、 すきを見て、 戸ぐわらりとあけて逃げだした。と 門の前に二三人の者が立っていて「どっこい押えた」 まちぶぎようしょ と胸ぐらっかんでねしすえたは町奉行所の役人。あとに つづいて伯父森右衛門が、 「さいぜんより表口に役人方 のたっておられて、家内のいちいち残らす聞きとどけら ぜひ れたぞ。女々しい申しひらきは無用にせよ。是非もなや な。世間のうわさは十人が九人おのれを名ざす。聞くた びにこの伯父が心中よく推量せよ。事のあらわれぬうち おんごく じ力い に遠国へ落すか、さもなくば自害をすすめて、恥をかく そねざき してくれようと、新町曾根崎と行くさきざきをたすねて しようこ しん ぢから どう もあとへまわりあとへまわり、出会わぬはおのれが運の つき。それ太兵衛、その袷をこれへこれへ。これは五月 あわせ 四日の夜に着て出たおのれが袷、ところどころ目立っし ぶぎようしょ み。こわばりについて、奉行所より御不審あり、たたい ま証拠の実否たしかめる。おのれの命が助かるかどうか の境なるぞ、たれかある酒、酒」「あっ」というより人 かんなべ 人は、てんでにちょろり烱鍋さげてすすみ出て、さらさ あわせ らとこばしかければ、かけるにしたがい袷のしみは、酒 あけ らしお 塩変して朱の血汐。森右衛門太兵衛と顔見あわせ、「あっ」 とよりはかことばはなく、あきれはてるほかはない。す べてを覚悟した與兵衛、ここではじめて大声あげ「一生 はうらっ 不孝放埓のかぎりつくした自分だが、ついぞ一紙半銭盗 ちややじよろうや みということはしなかった。茶屋女郎屋の払いは一年や 半年おくれたとて苦にもしないが、新銀一貫匁の手形で なんぎ 借金し、一夜すごせよ見こ隹義ゞ ( 辛 : 01 カかかる。・不岦卞の科 9 もっ たいないと、そのことばかり思いつめ、人の難儀という ことにちっとも気がっかなかった。思えば二十年来の不 あく ) 」う 孝無法の悪業が魔王となって與兵衛か一心の眼をくらま げしゅ し、お吉どのをころして金盗んだる仕儀となった。下手 ) まは同 人は河内屋與兵衛。お吉どのとは仇同士だが、し じひ しく仏の慈悲により、お救い下され、なむあみだ仏」と いわせもあえすとってひっ敷き、ぐるぐるまきにしばり ばんしょ あげれば、はや町衆がかけつけ、かけつけ、すぐに番所 へひきたてて、しらべられた果ては、千日寺の処刑場 うわさはすぐにひろまって、万人きけば十万人。のこる 人なく世のかがみ、きよからぬ名をのちのちまでも残し たとい、つみにくさよ かたき とカ 112
ーいー第 「こちらに紙屋治兵衛はいませぬか」 お待ちしております」もそこそこに、くぐりを入るとあ くろろ とはことりと枢のおちる音がして、物音もなく静まりか えった。治兵ー 、まそのまま立帰る顔にみえたが、また忍び やまとや り、なかをのぞく 足でひきかえし、大和屋の戸にすが と、どこからか人影が近つくのでびつくりし、向い家の物 こやまこえもん かげに身をひそめた。人影は粉屋孫右衛門で、弟のこと さんごろう かんたろう でっち あん が心配のあまり、丁稚の三五郎に勘太郎を背負わせ、行 どん 燈めあてにかけてきて戸をたたき、「ちと、おたすね申 す、こちらに紙屋治兵衛はいませぬか。ちょっと会わせ て下され」とよばわれば、さては兄貴かと治兵衛は、身 うごきもせすじっとしている。うちから男の寝ばけ声で 「治丘 ( 衛さまはちっとさきに、 ~ 星へのばるとて〕師りなさ オたここにはござ、らぬ」と大口、疋たきり、あとは亠日がし 〉右衛門は一眠をはらはらなかし、「「市ったなら途 がてん 中で逢いそなもの。京へとは合点がいかぬ。アア気つか いで身がふるえるわい、さては小春といっしょではなか ろうか」と思わす胸にどきりときて、不安にたえかね、ま た戸をたたけば「夜ふけて誰じゃもう寝ました」とそっ 「まこと申しわけないかし ) まいちどおたすね 申す。紀伊国屋小春どのはお帰りなされたか。もし治兵 衛とつれ立って行きなされはせなんだか」「ヤャ何しや、 小春どのは二階へ寝てしや」「アます心が落ちついた。 しんしゅう 、い中の、い配はな、 治丘 ( 衛め、どこにかくれてこんなに 苦労をかける。一門一家親兄弟が、息もつまるはど、い配 しているとはよもや知るまい。舅へのうらみからわが立 むふんべっ 場をわすれ、無分別もしでかそうかと、意見のたねに勘 太郎をつれてたすねてきたかいもなく、今まで逢わぬと しゅうと
られるのも口階しいと、ここは一つ色しかけでだまして くれようと思いめぐらせ、「ム、それは真実か」「オ、 かんどう もしこれが嘘なら殿様の勘当はもちろん、名もない小兵 ど戸 に首とられてもよい。お誓い申す」「さてもうれしき御 しんてい 心底。何しておろそかに思いましよ、つ。けれどもここは 連親の家。いま忠太夫殿にもどられてはいかがなもの。明 日の夜にでもわれらが内へ、そっとしのんで下さるなら ば、、っちとけて田 5 いをはらしましよ、つ」とやさしく一眉たれ かかるしぐさに、無智無学の床右衛門、この一言ではろり となり、「 かたじけないお情。この上はあっかましい言い 分ながら、いっそのことにいまここで、ちょっと、ちょっ と」とすがりつくのを、お種は「エ、聞きわけなや」と ふすま 逃げまわった。とこの時、襖のむこうで源右衛門、鼓を つるぎ じゃいんあくき 打って声はりあげ、八邪婬の悪鬼は身を責めて、剣の山 の上に恋しき人は見えたり。嬉しやとてよじのばれば、 つるぎ 剣は身を通す磐石は骨をくだく、こはそもいかにおそろ しゃ。お種はすかさす「のうおそろしや、おそろしゃ。 それ人がきいた、それやそれや」とおどされて床右衛門 「今のは何もみなしようだん、うそじゃうそしや」とい い捨てて走って表へ逃げていった。むざんにもお種は気 もおちつかす、はすかしゃ。京の客はいまのあらましを ききなされ、だましていうたとは知らす、心の中はいか ばかりさげすみ思うことだろう。そればかりか、御家中 ひろく出入りする人のことゆえ、その口からこのことが、 どうき 世間にしれたらどうしよう。胸の動悸にたえかねて、下 聞女よびおこし、酒の燗させ、「おもてを閉めてもう寝や ひとり酒を酌んでうさつらさを忘れようと 、れ」 ) いし ロ一 -0 よすま ばんじゃく かん 123
を打って、「ム、これは珍事をきくものかな。その源右 衛門とやら、話にはきいたれど面は見す。ついぞ家内に 出入りしたこともなし。なんの証拠あって言うことか」 「オ、三五平ほどのものが、証拠もっかます一言うはすが ほうばいいそべゆかえもん ない。すなわち傍輩磯辺床右衛門、様子を見てとり見舞 そで にかこつけ訪れて、両人がしのび会うた夜の両袖切って とりざた 取ったるが、御家中取沙汰する上は、かくしてもかくさ ほう・ば、 れす、とはいえいかに傍輩同士の親しい間でも、しきじき ひこくろう っ彦九郎に打ちあけるわけにもいかす、夫の三五平どのに 注進された。これ御覧せよ」とふところから二人のたもと を投げ出し、「これでも、何と疑われてか。サ、どうしや」 けっそう 血相かえてつめよれば、彦九郎とりあげてみて、「男の そで 袖は知らぬが、女の衣裳には見おはえがある。ウム、こ りや妹、たった今その方の恥をすすいでとらせよぞ。こ ざしき なたへ来れ」とゆらをつれ奥の座敷へ入っていった。家 内一同これを聞き、鳴りをしすめてひっそりする時、主 い人彦九郎すこしも騒がず、「女どもこれへ参れ。せがれ 騒文六も来い」とことば少なによべば、いすれもすわや大 事ぞとそろそろ彦九郎の前へ出て頭を下げる。だれもか れも、身も冷えたましいも哨え、息をころす、っちに、お 種はあわれにも、わが心からすすんでたくらんだわけで さび もない不義のあやまちとはいうものの、身から出た錆、夫 かく′」 の刀にかかって死ぬるは覚悟の上ながら、やがて逢える ながるすしんばう えど と長の留守を辛抱してきたかいもなく、去年江戸へ向け て立つ前夜枕ならべたが最後とは。殺されようとするい まのいままで思いもしなかったと思、つにつけても、ど、つ かもう一どだけ、夫の顔を見たやとは思うけれども、涙 なぎなた 投げ出した たね きた まくら おとず 132
たへえ うかぬ顔してやって来た兄の太兵衛 しあん 思案をせねば、このままでは刀はさされぬ、との文面で ひざ ございます」いわれて徳兵衛はっと膝をうち「やつばり どこぞで大事件しでかしそうだと思っていたが、そのと なんぎ おりしゃ。おまけにおかちかわすらい、伯父の難儀、ま むすこ だこの上にどら息子めがなにをしでかそうやら、見当も つかぬ」と頭をかけば、「イヤ分別もなにもいらぬ。お おやじ つばりだしてのけさっしゃれ。いったい親仁さまは手ぬ るい、わたしと與兵衛めはお前のたねではないとて、あ えんりよ まり遠慮がすぎます。腹に宿った母じや人とつれ添うお むこ 前。真実の父と存じます。もうすぐ婿とるはど背丈のの びたおかちはぶちたたきなされても、あのどらめにはこ えんりよ ぶし一つあてすあまえさせて、万事に遠慮なされたがか えってあだ、たたき出してうちへよこさっしゃれ。どこ もと はう・」う ぞきびしい主人の許へ奉公させ、きたえなおしてくれま むわんがお しよう」といえば、親は無念顔して「エェロ惜しい せつかん っとも、まま父でも親は親。子を折檻するに遠慮はない だん はすなれど、そなた衆兄弟はわしが親方の子しゃ。親旦 那が亡くなられた時は、そなたが七つ、のらめは四つ。 坊ちゃま兄さま、徳兵衛どうせい こうせいと云うたを きやつもきっとおばえている。かかもはしめはおかみさ ないぎ すんの、お内儀さまのというた人。伯父森右衛門どののは ろとう からいで、お前が家を見捨てては後家も子供も路頭にま よう。とかく森右衛門のいうなりになってくれ、と折入 ってのたのみゆえ、親方の内儀とこのように夫婦になり、 親方の子をわが子として守りたてたかいあって、お前は かせ 自分でひとりだち稼ぎなされる。こちらは與兵衛めに商 いもひろげさせ、手代もおき、蔵の一軒もたてるように てだい ふんべっ あきな 86
せんりつ おこされている事実に戦する。そうして、その しかし、その父親は実父ではなく、もと 者だが、 場のない荒れぶりがあって、そういう若者でも、 男が、捕まった時、他人のことは何も気にしてな 番頭としてつかえていて油屋の主人が死んだため 心よく迎え入れられる遊里というものがあり、そ せんりつ かったというくだりに、また戦慄する。おお、こ 二人の男の子の養父として、後妻とつれ添って店 こではうき川竹の流れ身の妓が待っていたことで おこ のかわりない人間業の織りなす地獄。近松は、さ を興してきた実直な男である。ところが生来のひ ある。與兵衛は、母によりも、養父によりも、親 ちぎよね はどにも強くそのことを云いはりもしないて、し ねくれ者で、遊び好きの與兵衛は兄がすでに独立 切にしてくれるお吉によりも、遊女の里で契る妓 ふうらいばう からだ すかに、冷たくお吉殺しをえがいて、與兵衛を囲 しているにかかわらす、自分だけはまだ風来坊で、 らの胸に驅をうすめておれば幸福な男であって、 ゅうかく しんち む河内屋の家族中心主義の生き方を冷たくみてい 悪友達と夜な夜な遊廓狂い。新地の小菊に惚れこ したがって、ここには、家をおこすだの先代の店 る。親と子。幸福に一家が団欒であらねばならな んで、そこらしゅうに借金し、父母をてこずらせを守るだのといった義理もっとめもない いという考えは、真の愛情をも生んでいると同時 ししたいこともいえす ている。その與兵衛に、 日が楽しければいい。 その男を改心させようと、 に、恐ろしい利己主義をも生む根になっている。 ひたすら、養父の立場で一人前にしようと気を病 兄、叔父森右衛門、妹、実母、養父がからんで同 , 言力しったこと力もっ 家庭の幸福諸悪の基とよ隹ゞ ) む男と、その夫への義理と、出来のわるい次男坊へ じ苦しみを苦しむが、もっともかかわりがなくて、 の愛情で苦しむ女房。この油屋一家を中心にすえ もっともこの風来坊に同情をよせていたお吉が殺とも、與兵衛の生来の性格も問題になることなが きち ちかまっ ら、どこか、そこいらの家の中をのぞかせられた て、近松は、同業のもう一軒の油屋の若女房お吉を されてゆく。われわれは、今日新聞でみせられる ふめつ もんらやく 薄気味わるさがこの作品にはある。不滅の作品で 登場させる。河内屋の悶着たえない事情に比べて、 三面記事の、血なまぐさい事件に似た人間劇とい ちかまっ ゆえん ある所以だが、私は近松作品中でこの作品がもっ 働き者夫婦と二人の子の幸福な商店の生活を描き うよりも一社会劇をここで見るのだ。お吉は殺さ みじん 出す。そうして、事の起りを、お吉夫婦が子をつ れねばならぬ動機を微塵も生んでいない。與兵衛とも好きで、第一等の作とする。 のざきかんのんまい れて野崎の観音参りする日に、與兵衛が、友達と は、しかも、養父、実母への恩愛の義理は知って あいづ いろいろと勝手な私感をのべてみてみたが、要 つれだって小菊を一人しめして遊山している会津 いて、お吉殺しが露見して捕えられてゆく時に、 ちかまっ だいじんけんか ほうらっ するに、近松は人間悲劇を描いて、生涯を閉した。 大尽に喧嘩をふつかけ、そのさいちゅうに與兵衛 「一生不孝放埓のかぎりをつくした自分だが、つ おうか か おじもりえもんしたが その作品から、封建制への告発、人間性謳歌を嗅 が叔父森右衛門が随う主人の裾に泥をかけたこと いぞ一紙半銭盗みということはしなかった。茶屋 ぎとるのは現代人の自由だが、しかし近松はその から討ち首になりそうなところをお吉に助けられ女郎屋の払いは一年や半年おそくなってもかまわ る。またこれが森右衛門の進退の問題に波及し河 よ、つな理屈はひとこともいわす、ただしすかに、 ぬが新銀一貫メの手形で借金し、一夜すごせば親 内屋へとばっちりがくる。與兵衛はさらに金に窮 人間の織りなした悲劇をさし出してみせただけで に難儀がかかる。不孝のトガもったいないと、そ みそか ある。そこのところが重い。そこのところを味わ し、あすに迫った借金返済を、晦日迫った一日に のことばかり思いつめ、人の難儀ということにち のざきまい 愛想よくしてもくれ、野崎参りでは助けられてい うのが近松文芸への一つの入り方だと思う。 っとも気がっかなかった。思えば二十年の親不孝 た恩義もあるお吉の一人居のところへ入りこんで の悪業が魔王となって與兵衛の心をくらまして、 私は今回の訳を、岩波版古典文学大系により、 借金をたのみ、ことわられただけのことでお吉を 同書による訳註を活用させていただいて自分流に お吉どのを殺して金をとる始末となった」 ざんさっ かいこん 惨殺し、金をうばって逃げる。やがて、それも一 現代文としてみたが、わからないところは、高野 と悔恨させている。與兵衛の勝手な理屈だが、 枚の紙切れから露見して、與兵衛が捕われ、森右 しかし、人の難儀に思いをいたさす、身内の難儀に 正巳氏の訳書に教わり、あわせて、河竹繁俊氏、 いってみれ 衛門の義が立っところで終幕となる。 だけかかすりあう人びとは今日も多いのである。 諏訪春雄氏、広末保氏の諸著をも参考にさせてい さくそう げんろく ば、ここにはなさぬ仲の錯綜した恩愛の義理にく ひったくり、押し込み、殺人強次皿は、元禄の時代 。諸先輩先生方の立派な訳業と研究書が くられる親子の世界があり、與兵衛というひねく なければ、私などには近松はまだまだ遠かったと どころか、今日もあって、われわれは、凶暴な若 がんぜ れた、一と筋縄ではゆかぬ断絶した若者の、やり 妻殺しが、頑是ない子らの寝ている枕もとでひき 思う。最後にあっくお礼を申しのべる次第である。 すそ よね まくら ) 一う だんらん 147