茶屋 - みる会図書館


検索対象: グラフィック版 心中天網島
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1. グラフィック版 心中天網島

りではほめられぬ。男の性わるいのはみな女房が油断か しんだい らしゃ。身代破って夫婦別れする時は男ばかりが恥しゃ ない。ちと目をあいて、心をしつかりもちゃいの」とい えば、孫右衛門「叔母さま、そりや無理というもの。こ の兄をさえだます不心得者が、女房の意見などへいこら きいているものか。ャイ治兵衛。この孫右衛門をぬくぬ きしようもん くとだまし、起請文までかえしてみせ、十日もたたぬに また請け出すんしやと。工工、うぬのいまのそろばんも こはる 小春の借銭の算用しくさったか」とそろばんとりあげ庭 めいわく へからりと投げ捨てる。「これは近ごろ迷惑千万。先だ ってから後、今橋の問屋へ二ど、天神さまへ一度まいっ たほか外出したことないわたくし、請け出すの何のと、 思いだしもしませぬ」、と叔母が「いやんな、いやんな。 そねざき 昨夜お十夜の念仏講での人の話に、曾根崎の茶屋紀伊風 はくじん てん 屋の小春という白人 ( 公認以外の里の遊女をいう ) に、天 だいじん はかの客をおしのけ、今日 満のふかい馴染みの大尽が、 明日に請け出すとのうわさ。物価高い世の中でも、金と たわけはたんとあるものかと、いろいろと評判。うちの ござえもん 、 0 つれあい五左衛門どのはつねづね名をきいて知「ていた きのくにや てんま から、紀伊国屋の小春に、天満の大尽とは治兵衛めにき まっている。女房には甥なれどこっちは他人。娘が大事。 じよろう このままにしておいたら、女郎を請け出して、かわりに くりきすつけら 女房を茶屋へ売るやもしれぬ、着類そっ くっぬ れぬまに、取りかえしてくれようと、沓脱ぎ半分下りら れたを、のうさわがしい、おだやかにはなしてすむもの を、事情をはっきり聞いてからでもおそくはあるまいと おしなだめ、この孫右衛門にも一しょにきてもろうた。 「のう旦那どの起きさしゃんせかかさまと伯父さまがつれだってござるげな」 てんさく といや しよう

2. グラフィック版 心中天網島

あるじ しか さまはまだ見えす、なぜ見届けてこなんだとひどう叱ら れます。失礼ながらちょっと」と武士の編笠をおしあげ て顔をしらべ、 「ムムそうでないそうでない気つかいな し、それではあすの朝までしつばりと小春さま。かわい が「てもらいなさい。花車さまさらばあとでの浸物」。 し ) 」く しゃれをとばしてひきあげる。さて侍は至極のかたぶつ らしくて腹をたて「コリヤ、なんしゃ。人のつらを目き きするとは、わしを茶入茶碗と心得たか。わざわざここ へなぶられにきたわけではない。 こちらの屋敷はひるさ そとで え出入りはやかましく、一夜の外出も留守居役にことわ むね り、その旨帳面につける、きびしい掟なれど、紀伊国屋 小春の評判をきいたればこそやってきた。かねてから恋 慕うたお女郎を、どうにかして座敷へ招き、一生の思い 出にと、心だのみして、使もつれすに先刻まいって茶屋 と約束しておいたに、女郎はとみると、なんとにつこり ともせす、一言のあいさつもなく、まるでふところで銭 よむようにうつむいてばかり。それで首すじかいとうは さんじよ ならぬか。なんと花車どの、茶屋へ来て産所の夜伽ぎは これがはしめて」とぶつくさいう。花車もだまっておれ のす、「お道理、お道理、わけをご存しないゆえ御不審は ごもっとも。この女郎には紙治さまと申す深い仲のお客 がござんして、ヘコ日 9 も紙さま、明日 9 も紙払さまと、わ きからは手だしもならす、外のお客は嵐の木の葉でばら ばらばら、のばりつめてはお客にも、女郎にもあやまち はあるもの。第一つとめのさまたげゆえ、双方逢わせぬ ようにするのはどこしもの親方のならい。それゆえお客 ぎんみ の吟味がきびしくなり、おのすと小春さまも気の浮かぬ ニ = ロ じよろう おきて

3. グラフィック版 心中天網島

かわしよう そわざきしんち 河庄の段 こは大坂の色まち曾根崎新地 きのくにや 紀伊国屋かかえの遊女・小春は妻子もある御 ちぎ 前町の紙屋治兵衛と深く契りすでに心中の 約束までかわしてある今宵はめすらしく侍 かは ) しよう の客によばれて茶屋の河庄へとやってきた はる 一第ー第ー第を画一 その橋の名も、田橋に桜橋、花をそろえているよう どうとんばり に、美しい妓がたくさんいる。その中でも、道頓堀の風 ゅな くらカ 呂屋で湯女だったのが、つい先頃新地へ鞍替えして来て きのくにや じへえ 遊女になった。紀伊国屋の小春という。この十月治兵衛 うきな と心中して、浮名を流すことになるのだが、今宵はその あんどん ト春が、誰によばれたかおばっかない足どりで、行燈の かげをよって歩いてゆく。とすれちがった妓がふりかえ ざしき 「や小春さまどうなされた。おたがい一つ座敷によば れなかったで様子もわからず案じていましたが、気分で もわるうござんすか。顔もほっそりとやつれさんした。 ぎんみ 誰やらさんの話だと、治兵衛さまのことで、客の吟味も きびしゅうて、め「たなことでは屋 ~ 出られないとか。 たへえ いや、太兵衛さまに請け出されて、在所とやら伊丹とや らへゆかんすはすだとも聞きましたが、どうでござりや す」といえば、「ああもう伊丹伊丹というてくだんすな。 頭痛がするわいな。お気の毒に、飃さまと私のなか、 さほどにもないことを、あのほら吹きの太兵衛さまが浮 き名をたてて云いちらしたゆえ、客という客は寄りつか なくなり、親方からはこれもみな紙屋治兵衛ゆえだと逢 ふみ わせて下さらぬゆえ、文も便りもかなわぬようになりや かわしよう した。不思議なことに今宵は侍衆のお客とて河庄へ送ら れるところしやが、もしゃ途中で太兵衛に逢いやせぬか と心配で、まるで商もちのような身の上、なんと、そこ らに見えやしませぬか」「おおそんなら早ようにかくれ なされ。あれ壱丁目からなまいだ坊主がおどけ念仏いう たかまげ てくる、其の見物衆の中に高髷ゆった伊達男がやってく る。あれはたしかに太兵衛さん。あれあれここへ」とい よね こはる さむらい よね たみ

4. グラフィック版 心中天網島

梅田橋周辺の茶屋で遊ぶ町人たち 浪華曾根崎図屏風 ( 部分 ) ンー ) 弋 5

5. グラフィック版 心中天網島

き お 書 る れ ら え 云 寺 大 カ え衛 、兵 ニ人を祀る大長寺の地蔵塚 れるのであるが、『曾根崎心中』では、徳兵衛のせ松町に飾磨津屋というふとん夜具の貸物屋を渡世 としていたが、曾根崎新地万屋のかかえお高とふ ふのなかにさらりと説明するだけで、すぐに、 ちょうりよう かいなじみとなっていた。さて、中巻、茶屋明石 九平次の悪魔のような跳梁ぶりに脚光をあててい る 屋の場面で、親方にせかれて弥市郎と逢う手段の 手代の身分で遊女にかよいつづけ、をまね絶えたお高は、気のきく粋人の明石屋内儀おっげ に頼み、茂助という百姓を侍にしたてさせ、親方 いた男徳兵衛の追いつめられた死を観客に納得さ ふせき せるために仮構された布石が、この九平次という夫婦の目をごまかして、弥市郎と逢うことに成功 かたき役の登場であった。 この『梅田心中』の明石屋の場面は、この侍扮 装の趣向だけではなく、全体の筋の連びが、 最高傑作『心中天網島』 中天網島』の上之巻河庄の場面にヒントをあたえ にまいえぞうし ている。 『曾根崎心中』以後、近松は、『心中二枚絵草紙』 いくだま かさねいづっ 茂助を客にしたてたお高が、明石屋の座敷で、 『卯月紅葉』『心中重井筒』『心中万年草』『生玉心中』 弥市郎の現れるのを待っていると、弥市郎の悪友 といった多くの秀作を世に送り、近松以外の浄る てんまや り作者にも、・『心中涙の玉井』『心中抱合河』天満屋和泉屋多助という者が来て、弥市郎の悪口をいし うめだ しいかえし、武士 ちらす。立腹したお高はこれに、 心中』『梅田心中』などの心中物の作品がある。 こうした多くの心中物のあとをうけ、最高傑作すがたの茂助がおどしの擬勢でこの多助を追いは きようまう らう。この多助は、近松作の太兵衛とみてさしつ として、享保五年 ( 一七二〇 ) 、近松六十八歳のと しんじゅうてんのあみじま かえないし、茂助は孫右衛門の役の原型とみられ きに書かれたのが『心中天網島』であった。大坂曾 こはる る。 根崎新地紀伊国屋抱えの遊女小春と天満御前町の かみやじへえ 近松作中之巻のおさん、治兵衛、五左衛門の役 紙屋治兵衛とが、網島の大長寺で情死した事件を どころの原型も『梅田心中』にみられた。 しくんでいる お高になしんで、かねに困っていた弥市郎は、 『心中天網島』は心中物の集成として、他の先行 他家へ縁づいた姉のお千代から三十両のかねを融 作によっている占 ( か多い 上巻飾磨津屋の場面で、神 上之巻河庄の場面で、孫右衛門が武士に扮装し通してもらっていた。 明参りにかこつけて、お高は弥市郎に逢いにやっ 、、、、、こくる趣向かある。これ て小春の心底をうカカし ( てくる。お千代もきあわせ、父与右衛門の口から、 と似た趣向は、歌舞伎の方で、前述の『河原心中』 お千代が衣類をすっかり質入れしたために、嫁入 の第一場但馬屋久右衛門宅の場面に、町人が武士 りの方では、 先を離縁となったことが告げられ、お千代は、父 に扮して登場する例がある。また、 せつかん きのか、おん からはげしい折檻をうけるが、弟思いのお千代は、 5 一六 ) に上演された紀渺音 年中 ( 一七一一 弥市郎をかばいとおす。このお千代がおさんであ 作の『梅田心中』が、近松作とふかい関係にあっ り、弥市郎が治兵衛、与右衛門が五左衛門である ことは確実である。もっとも、近松自身も、宝永 播州 ( 兵庫県 ) 飾磨の津の出身弥市郎は、大坂老 ばんしゅう しかま りつぶく 157

6. グラフィック版 心中天網島

てんのうじゃ 0 天王寺屋小菊の一行を見とめた與兵衛たち 前方にたちはだかったがさすが小菊は馴れ たものびったり抱きよせ甘い言葉で喜ばす 茶店の盆 ってくどきごと、うちの七左衛門どのからもきかされた ことであろ。さだめしこなさまの、いには、場所もあろう のがけ いれこばら に野掛の茶屋で、若い女のくせして、入子鉢のような顔 した子供らの世話でもやいておれば、 しいものを、出すぎ さんけい たことをとにくかろか、この大ぜいの参詣人のなかを、 はんてんま つきのけおしのけして目立っ風俗。あれが本天満町河内 やとくべえ 屋徳兵衛という油屋の二番息子。茶屋々々の払いもろく にせす、あのざま見よと指さしするのが気の毒な。堅い あだ 兄御を手本にして、商人というものは一文銭も徒にはっ かわす、雀もわすかなものをくわえてきて巣をつくる。 せっせとかせいで親たちの肩だすけになろと、今日はぜ しんがん ひとも心願たてさんせ。他人のためではないみな自分の 市ちゃ、お 仕合わせ、ハア気にいらぬやら返事かない安 いで、早よ詣ろう、與兵衛さま道でうちの人に会わしゃ んしたら、本堂で待っているというてくだしゃんせ。茶 たもと 屋どの、お世話さま」と袂から八九文の茶代をおいて、 足もともかるかるしく與兵衛に別れて通りぬけた。と、 一あ′、しよう かいしゅ 悪性では一枚うわ手の皆朱の善兵衛「あの女は與兵衛が 筋向いの内儀ではないかい、牛 勿腰もどこやら色つばく 美しい顔で、さてさて堅い女房しゃな」「されば年もま しょたい だ二十七。色艶はあるがたくさんな子をうんで、世帯じ かたぶつ みてこちこちの堅物。よい女には大きな欠点。みかけば あめざいく かりで味のない 飴細工の鳥じゃ」と與兵衛らは大笑い てんのうじゃ した。かくとは知らす天王寺屋の小菊は、田舎の客に揚 げられて、あるしの後家らと連れだちて、ちんっ節も国 じんざえもん こうざえもん しあん なまり 「やっしは甚左衛門、幸左衛門が思案事、四郎 あい 三か、つオし 、事。ちんつ、ちんつ、ちんちりってって」会 0 すずめ いろつや かわら まわ 津の客がうまくもないどら声でうたえば、廻りの者らか 「日本一の名人さま、やっちややっちゃ」とはやしたて るのも金の力は諸芸にまさる。「そりやそりや来たぞ」 と三人が手ぐすねひいて待ちかまえれば、遠くからその かしゃ 顔いろを見とめた小菊が、「申し花車さん。同し道ばか ) ではたいく っする。さっきの舟にのりましよ」と裾か いとって立止ると、その前方に與兵衛が立ちはだかり、 じよろうだんばん におうだ うしろに二人も仁王立ち。「與兵衛せくな。女郎と談判 ろうそく して男をたてい、会津の鑞燭めがいばりだしたら、こち ぞうり さ ら二人が踏み消してくれる」と草履を腰に腕まくり。 ぎようてん く ) 天。おかみも下女もうろたえ あ客はこれみてびつ 「小菊どの借りた。馴 て小菊をかこんでふるえだした。 じ もんく かわよ 染みの河與が借りるからは文句は云わせぬ」と茶屋の床 ばいた やすじよろう のざき 几にひきすりすえ、「これ売女さま、安女郎さま、野崎 は方がわるいどなたの御意でもまいらぬと、この河與と す し好いた客とまわれば方もかまわ つれになるのをきら、 ぬか。そのわけきこう」と與兵衛が理屈をこねる。鬼門 やくびようがみ の厄病神のような眼ににらみつけられて小菊、しかしな かど れたもので、「これ河與さま。角がとれぬお人やの。 菊という名が一つ出りや、與兵衛という名が三つ出るは ど、ふかいふかいと云いたてられた二人の仲。つれ立っ てまいらぬのもみなこなさんのいとしさ故。人におだて られけしかけられて何じゃいの。わしが心は神に誓って こうじゃ」とびったり抱きよせてしみしみささやく。そ えっき そう ) 」う れとは云わねど河與の喜。工ありがたやと相好くすす あいづ その顔つきに、会津の客はたまらすどうと腰をかけ、「ト いかなる縁にか会津 菊どの、そなたはわからぬ人しゃ。 づ すそ きもん しよう

7. グラフィック版 心中天網島

0 0 4 るのがお気の毒。それに向い同士ではつつけんともでき ませぬ。茶屋のなか借りて汚れをすすいで進ぜましよ。 顔もあらってとっとと大坂へ帰って、これからは気をつ けしゃんせ」とまた「ここ借りますお清、ととさまが見 よしず えたら、かかにしらしや」とふたり葭簀がこいの奥へ消 ひる てしまや えた。はやながい陽かげも午にかたぶき、豊島屋の七左 衛門。さぞや妻子が待ちくたびれたであろと、弁当さげ た片手には姉娘の手をひきひき、のどがかわいても呑む 間もおしく、茶店の前までさしかかると、中娘が「あれ ととさまか」とすかりよった。「オオ待ちかねたか、か かかはここの茶屋のう かはどこしや」とたすねれば、「 かわちゃ おびと ちに、河内屋の與兵衛さまとふたり帯解いて、べべもぬ かわちゃ いでござんす」「ヤヤ、何と、河内屋の與兵衛めと、帯 解いてはだかになってしや、エ工、口惜しいめくらにさ れたわい、そうして、あとは、どうしやどうしや」「そ うして鼻紙でのごうたり洗うたり」ときくよりせきたっ かどぐら 七左衛門。顔色かわり眼もすわり門口にたちはだかり、 「お吉も與兵衛もこれへ出よ。ただし出すばそこへ踏込 よ し 「こちの人か。子供がおひるの時 むそ」とよばわるに、 土 6 進分もわすれ、どこになにしていやしゃんした」とお吉が で 出るあとから、與兵衛「七左衛門どの、面目ない。ふと す けんか す した喧嘩で泥にはまり いろいろお内儀さんの世話にな を れ った。これも七左衛門どののおかげかたしけない」見れ 汚 こびん て ば、小鬢さき、髪のまげまで泥まみれ、体もぬれねすみ。 昔 七左衛門腹がたつやらおかしいやら、與兵衛へのあいさ の しい , かけ ) ん」 2 ー ) つは何もせす、「これお吉、人の世話も、 屋 茶 たがよい。若い女が若い男の帯解いて、そうしてあとで めんばく の

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女泚地獄ー 上の巻 しんぞ 八舟は新造の乗りごころサヨイヨ工。君と我と、我と君 とは図に乗った、乗ってきた。しっとんとんとんしと さかずき おうせ とん / \ しっとと逢瀬のなみまくら。盃はどこ行た。八君 むさしの がさかすきいつも飲みたや武蔵野の、月の、月の夜すが らたわぶれあそべ。きこえるは、はやりの踊歌。はしゃ りようり そねざきしんち ぎ踊る大騒ぎだ。この舟はとみれば、曾根崎新地の料理 ぢややはなや 茶屋花家の後家のお亀が借りたもの、客の名は鑞九でと おうー・うあいづ たいじん おる奥州会津のお大尽、金づかいも無理がなく、この頃 蠍洳へやってきて早々、殪屋の遊女小菊にひと目惚 なまずえ のざき れ、思われたさに鯰江川からゆらゆらと、野崎参りの屋 うるう かたぶね ことしは閏の年ゆえ夏のあっさもくり下げられ、 四月半ばも春のうちだ。まだ肌寒い川風を、酒でしのい りようじゅせんはつけ で浮かれてゆく。むかし霊鷲山で法華を説かれたお釈迦 あみだ しやば かんぜおん さま。 いまは西方で阿弥陀さま。娑婆世界では観世音。 りやく おとと 所がかわれば名もかわるが、仏の利益は三世三年。去々 なち 力いちょう 年っちのえいの春は、那智観音の御開帳。裏屋すまいの じゅずぶくろ 衆までが、針箱、櫛箱、数珠袋に、へそくっていた銭ま さいはう かめ ろう しやか

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、わさ 孫右衛門の話では、今日の治兵衛は昨日の治兵衛ではな そねざき 曾根崎との手も切れて、真人間になった、聞いたあ とからまたぶり返すのは、 ) しったいどうした病気か。そ りんしゅう なたの父御は叔母が兄。その兄の臨終のときの言葉は、 まくら いまでもはっきりおばえている。枕から顔をあげ、治兵 衛はそなたの聟でもあり甥でもある。どうぞ頼みました ぞ、といわれた一語はわすれないが、そなたの心がけ一 つで、頼まれた甲斐もないわいの」とうらみ泣きにむせ よこで ぶのである。すると治兵衛がはたと横手をうち、「ハア さわかった、わかった。噂になった小春は小春にちがいな だいじん 青ナ出す大尽は大ちがい。兄じゃもご存しの、ソ たへえ けんぞく レ先日あばれて踏まれた身すがらの太兵衛、妻子眷属も たみ たぬ奴。金は在所の伊丹から取りよせる。ところが、こ の治兵衛におさえられて請け出すことかかなわなんだ。 このたび、時節到来と請け出すにちがいない。わたしの じ台 知ったことではござらぬ」とい、えばおさんもほっとした。 「たとえ私が仏でも、信した夫が茶屋女を請け出すのを、 りはこちの人に こればか そのひいきしようはすはない。 嘘はない母さま。証拠にわしがたちます」と夫婦の云い ぶんはびったり合うので、さてはそうかと手をうって、 叔母甥ともに安心はしたが、「ム、それでは物には念を ) っそのこと 入れるが大事じゃ。ますますうれしいかし に心をおちつけるために、頑固ものの五左衛門どのが疑 いの念もたぬように紙を書いてもらいたいが、 承知し 「はい結構、千枚でも書きましよ、フ」と治 てくれるか」 兵衛がいえば、「いよいよ満足、途中でもとめてきた」 くまの と懐中から熊野神社の護符を取り出す。この護符には七 せ、、し 一三ロ カカ むこ

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でも貸してやるわい、こっちも商売。一貫匁や二貫匁は いつでも用立てる。その男気を見とどけた」と首しめる ようなことばをのこして、綿屋小兵衛は帰っていったが、 與兵衛はみごとな請けあいぶりに請けあったものの、一 銭だってあてがあるわけではない。茶屋のはらいは一寸 のがれ。ぬきさしならぬこの二百匁。あるところにはあ い、たれぞ落しそう ろうがな。世間はひろい二百匁くら こぢようちん なものしや、と、つしろをふりかえれば、 月提灯の影がさ おやじ なむ し、河という字がちらりとみえる。「ヤ親仁しゃ。南無 じよう さんばう 三宝」錠しめた店さきにびったり平ぐもみたいに身をへ てしまや とくべえ ばりつかせていると、徳兵衛は気づかす豊島屋のくぐり をそっとあけて、「七左衛門どの御用はおすみか」っつ と入れば、お吉が「これはこれは徳兵衛さま、こちの人 てんま はまだしまわす、天満のはてまでまいりました。わたし せつ はとりまぎれお見舞も申さぬにようこそ、ようこそ。節 句まえに與兵衛さまのことでさぞ御心労なことでござん 「さればこちらさまでは幼 しよ」と蚊帳から出てきた。 い娘御たちのお世話。われらは大人の與兵衛に世話を焼 きばね めんどう いすれの道にも面倒で気骨を折るのは親の役。苦労 とも思いませねど、手放さす一しょにくらしているうち むはうものかんどう は気もおちつく。が、あのような無法者。勘当すればや けをおこして、明日は火へとびこんでもかまわない、謀 かね 判にせ判で一貫匁の銀を借りるに十貫匁の手形を書き、 そのため一生首につなのかかるためしもあることと思い ながら、うみの母が追出すのを義理の父親のわしが、追 ち従からひきとめもできす、聞けば順町の兄方にいると 途やら、もしこのあたりうろついて姿をみせましたら、あ たちざけ