のも同じ秋であったと思い出でて、しみしみとした文を 寄せた あきこのむちフぐう 秋好中宮の御文には、 枯れはつる野辺を憂しとや亡き人の 秋に、いをとどめざりけむ ( ものみなが枯れ果てる野辺を嫌って、あの方は秋に心を寄 せられなかったのでしようか。 ) と書かれている。昔、六条の院で春秋の優劣を競いあ ちゅ、つん、 - フ ったが、紫の上は春を愛し、中宮は秋を好むと定めたこ とを思い出されての歌であった。 ~ " を決要のことはすべてタ霧が引き受けて準備した。氏 あかしの は悲しみにれて、はかばかしい指図もできない 明石 ちゅ、つ、 - っ 中宮も、亡き養母の上ばかりを恋い慕っていられる。 つに気ⅷ幻 年があけて春がめぐ「て来たが、氏の心は少しも慰 まない。 春をめでた紫の上を思うにつけて、悲しさは深 まるばかりである。年賀に参上する人にもたれこめて逢 おうとはしなかった。 螢の宮が来られた時だけは、内々に部屋で逢うが、そ れにつけても、春を愛した紫の上のいなくなったこの家 ないしのかみ あさがお 既づきょ はさびしい。思えば腑月夜の尚侍とのいきさつや、朝顔 つど の宮への片思い また三の宮のご降嫁などで、その都度 むらさき 紫の上はどれほど心を痛めたことか。今更、後海される。 その折のことを知っている人々が今もお側にいる。その むらさき まばろし むらさき むらさき げ ふみ 106
Ⅷ野分。 豺 ( ー」第発物当をコ一を黛第 ~ をを一ダダ ~ ド第ふ あきこのむちゅらぐう 今年の秋は、六条の院の秋好中宮の庭さきには、秋草 . っゅ・つを、・フ そろ の花がとり分け美しく咲き揃って、中宮もそこで眺めを ちゅ・つれ、・フ のわき 楽しんでいられた。一夜激しい野分が来た。中宮は花が ど、つなるかと気がかりでたまらないと嘆かれる。 南の御殿でもちょうど植込みの手入れをしたばかりの ありさ - ま こよぎ 所で吹きすさむ野分に、小萩もみな折れ返る有様である。 ゅうぎり むらさき 紫の上は端近に出て、庭先を眺めている所に、タ霧が野 つまど わたどの 分の見舞いに来る。渡殿の小障子の上から、妻戸の開い わつさき まぎ のぞ すきま ている隙間をふっと覗くと、紛れもない紫の上の姿を かばぎくら 見てしま「た。職の間から見事な樺桜が咲き乱れている すきみ つや ような美しさで、隙見している自分の顔にもその艶がう つって来るようである。 これでは父君が、自分をこの継母の側に近付けまいと もっと なさるのも尤もだ、こうして見る人の心をただではすま されない気持にさせるようなご器量だものと、急にうろ あかし 恐しくな「て、立去ろうとする。その時、氏が明石の 姫君の方から戻って来た。そして、「何という風だろう。 男どももそこいらにいるだろ、つに」これでは内がまる見 えではないかと、注意している。 ゅ・つ、り せきばら タ霧は今来たように咳払いなどして案内を乞うた。 源氏がどこから来たかと尋ねるので、三条の宮から来 おおみや たが、祖母の大宮が風におびえて子供のように心細がっ ことづて ていたと話すと、源氏も同情して一一口伝を頼むのだった。 ゅ - つぎり タ霧は風にもまれながら、健気にも両方の御殿を往き
ふな 0 胡蝶紫の上の御殿での船楽の催管絃の 宴に集まった公達の中には玉鬘にあこがれ るものも多い源氏は玉鬘にくる文の応答を 指図するが自分も親心以トの態度をとった りゆうとうげさしゅ 0 貝合せ龍頭鷁首の船も仰々しい船楽の催 初音 4 すみつ などとある。見事な墨継ぎである。虔ましくやおらにじ 、わ・フ おんなぎみ り出た女君は、昨今いよいよ﨟たけて美しし : 姫君を儲 げんじむらさき けた宿世も浅からす、ものなっかしいので、源氏は紫の おもわく 上の思惑も忘れて、その夜はこちらに泊った。翌朝、早 げんじ じようむらさき 早に立ち帰った源氏を迎えて、案の定、紫の上は機嫌を 損ねているが、今日は臨時客とて人々の立ち混むのに、 とかく紛らわしてしまった。 げんじ 源氏は、六条の院の賑わいをよそに、所在なげな東の すえつむはな 院の女君も心にかけて、見舞うことを忘れない。末摘花 は、それだけが取り柄の、豊かな黒髪も薄くなり、例の げんじ 鼻ばかりが寒々と赤らんでいる。さすがに見かねた源氏 きちょう が几帳を引きつくろって顔をそむけるのを、それとも知 すが らす、ひとえに君に縋っているのも、却って哀れをそそ げんじ うっせみ る。最後に源氏は、尼姿の空嬋のもとをおとすれた。今 ごん工う は部屋もすっかり仏に譲って、勤行にいそしむ明け暮れ げんじ も奥ゆかしく、源氏はふと涙ぐまれる。田 5 えば不思議な 縁であるが、憂さもつらさも、この歳月に洗い流されて、 しめやかな物語に時を移すのだった。 うち おとことうか 今年は男踏歌が催された。内裏から朱雀院を回って、 六条の院に来る頃はもう明け方近い。薄く降り積った雪 てんじようびと に月影の映える庭に、殿上人の吹く笛が美しく澄み昇る。 たいのやわたどの 紫の上に招かれた女君たちも、左右の対屋や渡殿で見物 たまかずらしんてん の興に入る。玉鬘は寝殿の南に席をしつらえ、この時は むらさき あかし じめて明石の姫君や紫の上に対面した。夜も明け離れて なごり ろくちょうだい から、人々は禄を頂戴して退散したが、興の名残はなお ことふ・ん も尽きない。チ 琴・笛・舞の道にも、昨今は不思議に名手 の輩出する御時勢である。 ろう つつ カ・え す ん 霧し むらさき 三月の二十日過ぎ、六条の院の紫の上の御殿は春の花 ひかるげんじ か・らふ - フ 盛りである。光源氏は、かねて造らせて置いた唐風仕立て カくにん の船を、この日はしめて池に浮べると、楽人を召してはな ふながく かんだちめ やかな船楽を催した。親王たち上達部も打ち連れて興を あきこのむちゃっぐう さとさカ 添える。折から秋好中宮も六条の院に里下り中であるが、 ちゅうぐう 中宮ともなれば気軽にお招きするわけにもゆかない。せ ちゅうぐう にようほ - フ めて中宮方の若い女房たちをと、お迎えの船をさし向け ちゅうぐう つきやま 池は小さな築山を隔てて中宮の御殿に通じている。 ちゅうぐう やがて中宮の女房を乗せた船がゆるやかに池を漕ぎめぐ る。中島の入江の岩のたたすまいはまったく絵のようで、 あおやぎ かすみ 霞の間には色を増した青柳がしだれ、遅咲きの桜は今が 盛りである。岸辺には山吹が咲きこばれ、つがい離れぬ 水鳥も田 5 うことなげに遊んでいる。日の暮れがた っワどの 深い楽の音とともに船は釣殿に漕ぎ寄せられた。待ち受 むらさき よそお にゆうわん けた紫の上方の女房は我劣らじと粧いを凝らし、入念に まいびと 選ばれた舞人たちが手の限りを尽して、舞を披露する。夜 かん 力がり・び 御前の庭に篝火をともし、管 に入っても興は尽きない 絃の宴は明け方まで続いた。この日の客の中には、西の きんだち 4 」↓ 6 かヤ、ら 対の姫君玉鬘にあこがれる公達も多かった。実の姉と知 かしわぎ らぬ内大臣家の中将 ( 柏木 ) もその一人だが、なかでも年 け墨、う ひょうぶきよう ごろの北の方を失った兵部卿の宮の懸想は並々ならぬも のがある。 あき一のむちゅうぐう ど、まう げんじ み 翌日は秋好中宮の御殿で定例の御読経が始まる。源氏 を始め昨夜の客も、こぞってそちらに参上した。紫の上 胡蝶 こちょ、つ おまえ むらさき おもむき
0 御法ニ条の院で行われた法会で舞を見る むらさ、 人々かっての重病以来紫の上の衰弱はい ちじるしい この世にもはや未練はなく出 げんじ 家を志すが源氏は許さない死を予知した紫 の上は桜の盛るころ念願の供養会を催した 励御法《。。 明石中宮 紫の上はいっぞやの重病以来、すっかり体が弱ってし まった。年月はたっても全夬のきざしさえない 。後世の ′、よ・フ ためと熱心に仏事供養を営んではいるものの、何とか出 げんじ 家したいと願っている。しかし、源氏は年上の自分を置 いて出家しないでくれとばかり言って、容易に許そうと はしない らさき 三月半ばの桜の盛りに、かねて紫の上が発願して書か せた決華経千部の供養が二条の院で行われた。そのため さしず の用意がすべて法にかなっていて、女の指図としてはま げんじ むらさき ことに行き届いている。源氏は改めて紫の上の教養の深 さに感、いした。 とうぐうちゃっぐう 帝、東宮、中宮をはしめとして、六条の院の女君たち きよう くもっ ふせ も、御言経の御布施や仏前の御供物などを、見事に整え てれるばかりに捧げられる。花散里、明石の御方もこ ′、よ・フえ しんてん の供養会に参列した。紫の上は寝殿の南東の戸を開けて 坐る。 むらさき 夜一夜、奏せられる楽の音を聞くにつけても、紫の上 はこれが聞きおさめ、見おさめであろ、つかと思、つと、ひ としおあわれも深い ほ - フ・ん はなちるさと 法会が終る頃、紫の上は、花散里へ、 絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる 世々にと結ぶ中の契りを ( これが最後と存しますが、御法を御縁にあなたとはまたあ の世でお目にかかれると存します。 ) むらさき みかど ・フえ みのり むらさき はつがん おんなぎみ と詠んで届ける。返事は、 ちぎ 結びおく契りは絶えじおはかたの みのり 残り少き御法なりとも ( 私は行く末短い身ですけれども、あなたとの御法の縁はい つまでも絶えないでしよう。 ) とあった。 夏の暑さに紫の上の病勢は進み、どこがどう苦しいと あかしの いうこともなく、ただ衰弱か増して行くのだった。明石 . っゅ・つれ、 - 「′ 中宮も宮中を退出して来られた。紫の上は、改まった遺 あかしのちゅうぐう ごん 一一一口ととられないように、さりげなく明石中宮に、仕え馴 れた人々の後事を託すのであった。 ちゅ、つな、 - フ : お・つ みや 中宮の三の宮 ( の宮 ) にも、人のいない時に、「私 むらさき むらさき こ一三ロ 104
に奥ゆかしい げんじ あきこのむちつぐう 歓を尽して早朝人々は退出したが、源氏は秋好中宮の 御方に行って、しばらくお話申上げる。そのついでに、 . っゅ・つ、 - フ 自分の亡きあとの一門のこともお願いする。中宮は亡き みやすどころ もの しレぐフそ 母御息所の霊が、今も物のとなってさまざまな障阻を 与えていると聞くのがまことに心苦しく、せめて自分が もうしやっ 出家して母上の妄執を晴らすよう祈りたいと言われる。 げんじ 源氏はそれを宥め、お互いに急には出家のできない身の 上を嘆きあうのであった。 ちゅうぐうれいぜいいん 中宮は冷泉院がご退位の後は、並みの人のようにお二 そろ 方お揃いで暮していられるので、はなやかにお遊びなど もお催しになるが、六条の院への里帰りということは難 おんかた トもラ ~ 4 れ = 倥のな一へ かん なだ ・とばいき 鈴虫詢書 しじゅう しく、氏にはかえ「て始終会えな〔のであ「た。出家 のお志は深いが院が、とてもお許しになりそうもないの ついゼんくよう で、出来るだけの追善供養をなさって、信仰心を深めて げんじ みやすどころ いられる。源氏も同じ心で、亡き御息所のために、 みはこう 御八講などを催された。 タ霧 かたじん ゅうぎり 堅人という評判のタ霧は、一条の宮に住む落葉の宮へ、 ゅ - つぎり みやすどころ 。宮の御母の御息所は、タ霧の だんだん心が傾いてい 訪れを喜んでいたが、病のために小野のあたりの山荘へ 移っていった。 ゅうぎり みやすど一男 八月二十日頃、タ霧は口実を作って、山荘の御息所の 病気見舞いに行く。孝心深い宮は、母君について山荘に 来ておいでになる。お見舞いしているうちに、日も入り ゅうぎり 方となり、霧が軒近く迫って来たので、タ霧は、 山里のあはれを添ふるタ霧に たち出でむ空もなき心地して ( 山里の淋しさを増すタ霧にたちこめられて、私は帰る気に もなれません。 ) と詠んで、泊めて頂きたいと頼んだ。 し」ぐフえん ま ~ ゝ 0 家来たちは近所の荘園にやって、馬に秣を飼わせ、近 侍の者だけを残した。 ゅうぎり タ霧は機を見て、御簾の内に入り、三年この方の思いの ゅ - フぎり たけをのべるが、宮は受け入れない。タ霧はこのような 忍び歩きは日頃したこともないので、人一倍、気苦労が おり こ - フじっ ゅうぎり ははぎみ おちば 100
ー ( いイ かいなくなりましたら、宮さまは田 5 い出して下さるかし たず ら」と尋ねる。 ちゅうぐう しゅじよう 「恋しくってたまらないでしよう。私は主上よりも中宮 さまよりも、お祖母さまが一番好きだもの。いらっしゃ らなかったら、きっと御機嫌が亜 ) くなると思、つ」といっ らさき て涙をためている。紫の上も涙をこばして、成長された 5 、ら ら、二条の院に住んで、この紅梅と桜とを忘れないで眺 めて下さいといい残した。 ようやく待ちわびた秋が来たが、一保しさかかえって、 ちゅ、った、 - フ 衰えた身体にはこたえるようである。中宮も宮中へ帰る むらさき のをのばして付添っていられた。紫の上は、あるかなき かにやせ細っているか、それがかえって限りなく高貴に ちゅ・つた、 - フ ふぜい なまめかしい風情である。秋の夕暮れ、中宮と二人でい げんじ るところに源氏も来て話し合う。そのうちに紫の上は、 気分が悪くなったと横になったと思うと、あっけなく息 を引きとってしまった。誰も彼も夢かと呆れ、とまどっ てうつつともない きよう げんじ ばうゼん 源氏は茫然としてなすところを知らないネⅱ言糸な しるし 一夜が明ける時刻になった。タ霧も軅 どの効験もなく、 げんじ けつけて、万事の世話をしていた。その暁、源氏は燈火 むらさき ゅうぎり をかかげて、あらためて紫の上の死顔を見た。タ霧が近 付いても、もはや隠そうとはせす、このように生前のま まなのに、死相が現れて来たと袖を顔に押しあてて泣く 紫の上の死顔はなく美しい。あのの朝の、風の髜 れに垣間みて以来、あこがれつづけて来たのであったが、 ゅ - フぎり これが最後のお姿であろうかと、タ霧は身も魂も死に入 りそうに思われる。御葬送は翌日行われた。 ゅうぎワ のわき げんじ しゆっ 源氏は出家を決意し、タ霧は野分だっ風にも、あの折 むらさき の紫の上の姿を見出して心を痛める。 ちょうもんしき 宮中をはじめあちらこちらから、ご弔問が頻りである。 ゅうぎり ちじ あおい 致仕の大臣は、昔、タ霧の母である葵の上の亡くなった そて あき むらさき 105
のわき ゆうぎり 野分庭先を眺める紫の上を覗き見るタ霧 のわさ 激しい野分のために六条の院の秋の草花も荒 ゆうぎりむらさき れてしまった見舞いに訪れたタ霧は紫の上 げんじ の姿を垣問みてその美しさに驚き父源氏 が自分を近付けまいとするのも尤もだと思う レらさき 6 タ霧 ゅうぎワ もっと おおみや 来して、また大宮の所へ戻ると、たいへんに喜ばれる。 朝になると風は静まったが、雨か烈しく降り出した。六条 の院では離れた建物が倒れたとの知らせが入る。人少な ゅうぎワ んがし な東の御殿など、い細くおいでになろうと、タ霧はまだ明 けきらない頃に出かける。車の中にまで雨が吹き込んで 来た ゅうぎり はなちるさとおび 花散里が怯えていたので、タ霧は慰め、人を呼んで毀 れた部分の修理をさせる。それから南の御殿に回ると、 あいず みこ - フし まだ御格子もあげていない。咳払いして合図をすると、 げんじ むらさきうえむつ じようだん いいなから、源氏が起き出て 紫の上に睦まじげに冗談を あきこのむちっぐう 来て、秋好中宮の御殿へ見舞いにいくように命した。 ゅうぎりちゃっぐう めのわらわ タ霧が中宮のもとへいくと、朝霧の庭に、女童たちを むしかご 下ろして、虫籠に露を移させている模様が何とも美しく ゅうカ せいそ 優雅である。南の御殿も見事であるが、こちらは清楚で オカし ゅうぎり げんじ ちつぐう タ霧は源氏に、中宮が一夜中、心細く思っていたが、 むね 今、お見舞い頂いて心がしすまったと仰せられた旨、復 げんじ 命した。源氏は大いそぎで支度して御見舞いに参上する。 ゅうぎり そのとき、タ霧があまり思い入った顔をしているので、昨 のわき むらさき 日の野分の中で紫の上の姿を見たのではないかと眼ざと く源氏は気づいた ゅ - フぎワ あかし げんじ ちゅ・つ・ル、 - フ タ霧は源氏のおともで、中宮の御殿から明石の方へい そ・フ あかしおんかた きん く。明石の御方は箏の琴を弾いていたが、先払いの声に とっさに小袿をはおり、けしめを見せた姿でお出迎えす る。、い贈いはどの用亠思である。 げんじ たまかず . っ 源氏は風の見舞いだけして、すぐ西のの玉鬘のもと そして、今、起きたばかりの美しい姫君に例の冗 0 0 ひ おお 炎をいいながら寄り添っている。あまり手間どるのでそ 一三ロ ゅうぎり いくら親子といっても、 っと覗いてみて、タ霧は驚いた。 もうあの年頃の姫君をに入れぬばかりに親しくなさる あき とはと呆れる。しかし、見ると、兄妹でなかったら、自、分 むらさき も、い得 ( 理いを起しそうな美しさである。昨日、見た紫の やえやまぶき 、こしても、八重山吹のようなはなやかな 上には及ばなし ( ふぜい 風情である。 あかし ゅうぎり 気の疲れるお伴をすませて、タ霧は明石の姫君のもと すずり しし硯を / 見舞いにいく。 雛の御殿のお見舞いなど、 むらさき 借りて、手紙を書いたりしている所へ、紫の上のほうか のぞ ら姫君が帰って来た。覗いてみると藤の花のようなみや ふぜい びやかな風情である。こんな美しい方々を朝晩見て暮し たいのにと羨しく、それにつけても父君が自分にはやか ゅ - フぎり ましくそれぞれ隔てを置かれることよと、タ霧は限めし おおみや ごんぎよう 大宮のもとに帰ると、静かに勤行していられる。盛り すま の六条の院に比べてここは実にもの静かで、寂しい住居 ぶりである。 ひかるげんじ 4 - まかず、ら 光源氏は玉鬘のために万事よかれと思案しているもの たまカヤら わん の迷うことが多い。紫の上の懸念どおりに玉鬘をはんと うの愛人にするようになったらば一大事である。あの何 れば ないだいじんむこ 事にも一癖ある内大臣に婿扱いをされるのも芳しくない と自省している。 行幸 ひとくせ むらさきう・ん ふところ
″いろごのみの生涯 ーー光源氏と一一十一人の女性たちーー 、て 数知れぬ恋の相手 ひかるげんじ 光源氏がその生涯に恋の対象とした女性の数を 数えてみると、少なくとも二十一人いる。中には ひかるげんじ あさドお 光源氏の求愛を最後まで拒みとおした朝顔の姫君 ひかるげんじ あきこのむちゅ・つぐう のような人もいるし、秋好中宮のように 、光源氏 あわ が淡い恋愛感情をもちながら一歩を踏み出さすに 終った人もいる。そういう一一、三の例外はあるが、 ひかるげんじ 二十一人の女性の大半は光源氏と深いかかわりを もち、男女としての愛欲を経験した人々である。 そして、その数が「少なくとも」二十一人いる なかっかさ ちゅうなごん と言う理由のひとつは、中務とか中納言の君とい にようばうな う女房名で呼ばれている人で、時を隔てて登場 するのが同し人物か、別の人物か、判断のつかな い場合があるからである。それがそれぞれ別の人 物だということになれば、もう二、三人ふえるわ ひのるげんじ けであるが、大体それくらいの数の女性が光源氏 の恋の対象として物語に登場している。 ひかるげんじ もちろん、作者はこれだけの人数が光源氏の恋 の対象のすべてだとは言っていない。「少なくとも」 と言う第二の理由はそこにあるが、物語のあちら ハるげんじ こちらで光源氏の忍びの通い所がたくさんあると か、夜毎の通い歩きのためにひまがないとか、作 ひかるげんじ 者は意識的に、光源氏の恋の相手がまだまだたく さんいると思わせるような書きぶりをしている。 つまり、二十一人のはっきりと知られた女性のほ かに〃その他大勢″の存在を想定しているのであ る ひかるげんじ 光源氏と言えば美男の代表であり、こうしてた くさんの女性にもてはやされたことが当然のよう に田 5 われている。けれども、作者はいったい、 ひかるげんじ ういうつもりで光源氏のそんな生活を書いている のであろう。昔の人たちもそういう疑問をいだい たので、古来いろいろなことが言われている。作 むらさきしき 、、 - うげんきご 者の紫式音が狂一言綺語の罪によって地獄におちた とい、つ一ム " 配もあって、これは匕肥にしくまれて「新 ~ じくよう 氏供養」という作品になっている。紫式部は仏の じゃいん 戒める邪淫の生活を書いたのだから、当然そのむ くいを受けるだろうと昔の人は考えたのである。 あるいは、源氏物語は「誨淫の書」であるとい うような考え方も根強く続い ている。「誨淫の書」 というのは、みだらなことを教える本、いわば春 本のたぐいだとい、つことである 源氏物語のテーマ 源氏物語のテーマは何か。源氏物語は作者が何 を書こうとした物語なのか。源氏物語を愛する人 もとおりのりなが 本居宣長 たちも長くその説明には苦しんでいた。 は「もののあはれ」の論を唱えて、四季おりおり 0 西村亨 0 154
ひげ ( ろ 髭黒の大将 ひげくろ たまかずら 乱雑にしてある。髭黒が弁解しながら玉鬘のもとにい の方は気がおかしく うとするのを手伝っている内に、ヒ ひげくろ なり火取りを髭黒の後からさっと浴びせたりした。 父宮はとうとう北の方を邸へ引き取った。 長女の十二、三歳の姫君が名残りを惜しんで、常に寄 りかかっていた居間の東面の柱に、 今はとて宿離れぬとも馴れ来つる 真木の柱はわれを忘るな ( 今日限りこの家を去りますが、真木の柱よ私を忘れないで下 ひわ と書いて柱の干割れにさして行ったのもあわれである。 ひげくろ 髭黒はこのことを聞いて急いで宮邸にいく力、北の もちろん 方は勿論、姫君にも会わせない 。宮も病気と称して面会 ひげくろ 謝絶である。髭黒はすごすごと小さい男の子ふたりを連 れて帰る。 このような騒ぎで、玉鬘の参内が遅れた。帝も快から おばしめ おとこと - フカ す思召すので、男踏歌があるのをしおに、新年に参内す みかど たまかずら る。帝は玉鬘の美しいのを見とれて心を動かされる。 ひげくろ たまかずら 髭黒は踏歌が終えるや否や、玉鬘を退出させ、自分の げんじ しようちゅう 邸に迎えいれる。源氏は掌中の環を奪われた思いで気が ふさぎ、時斤、消自 5 して、いを慰めていた。 きんだち 玉鬘は、継子の公達をも可愛がり、次の年十一月には、 自分も男の子を生んだ。 近江の君は相変らす騒々しく、女御の前でお遊びのあ ゅうぎり よ ったタ暮、人もあろうにタ霧をとらえて、堂々と歌を詠 ゅうぎり みかける。タ霧は手きびしい返歌をする。引っこみのつ かないことであった。 たまかずら おうみ たまかずら にようご げんじ 和の姫君の裳着の準備に源氏の君は一方ならず心遣 げんぶく いしている。東宮が二月に元服されるので、引きつづい て姫君が入内することになるのであろう。 こうあわ その支度の一つとして香合せをし、すぐれたものを入 内の折に持参させることになった。二月なかば、今日明 もぎ 日に迫った裳着の祝を控えて、ちょうど六条の院を訪ね はんじゃ ひょうきよう た兵立ロ卿の宮が判者の役を引受けた。 そこへ散り過ぎた梅の枝に鬼をつけて前斎院、朝の げんじ 宮からの使いが来る。源氏が頼んだ薫物をよこされたの である。 こうあわ げんじ 源氏は宮に、ふたりとない娘なので、香合せにもひと ちゃっぐう 、 ) しゅ、 りこうして大騒ぎし、腰結の役も中宮にお願いしてある ちゅうぐう と話すのだった。宮は、それは中宮のご幸運にあやかる ためにもぜひそうなさるべきだと答えた。 こうあわ あさお げんじ・ くろばう . レじやフ、 さて香合せでは、朝顔の宮の「黒方」、源氏の「侍従」 よなも・るさと むらさきう・ん くのえ かよう、あかしおんかた 紫の上の「梅な」、花散里の「荷葉」明石の御方の「薫衣 ひょうぶきよう 香」など、それぞれにすぐれていると螢の兵部卿の宮が げんじ ほめるので、源氏は「気の多い判者でいらっしやる」と笑 「た。それからを催して一夜を尽した。 裳着の式は翌日、めでたく終った。紫の上はこのとき あかしおんかた あきこのむちゅうぐう 初めて秋好中宮に対面した。明石の御方は気の毒にも、 らな この式にはダることは出来ないのである。こんなことで げんじ うわさ も実母の身分についてとかくの噂など立ってはと源氏が 配慮したからである。 梅枝 じゅだい うめがえ むらさき みづか じゅ
めのわらわ おんなぎみ お て、思わす息を呑む。この美しい女君を措いて誰があろ あさがお う。そう思うと、積り積った朝顔の宮への未練も、おの むらさき げんじ すから溶け去るのだった。源氏は、紫の上を相手に、亡 あさがお ふじつば き藤壺の宮の素晴しかった人柄について語り、また朝顔 さいいんおばろづきょ はなちるさと の斎院や朧月夜や花散里などの批評にも及んだ。だが、 ふじつば 落ちゅく先はやはり、藤壺の思い出である。 むらさき げんじ ゅめまくら その夜、紫の上と共に寝ている源氏の夢枕に、恨めし ふじつば げな藤壺の宮の姿が見え、「浮き名の世に流れたのが恥す かしく今も浮ばれすにいる」と訴える。うなされて目ざめ げんじ た源氏は、夢の名残りも悲しく、まどろむ暇もなく朝を ふじつば ひとこと 迎えた。藤壺の宮が、あの一事ゆえにこの世に執が残り、 ゅうめい 幽明の境にさ迷っていられると思えば、お似わしく、源 じ みず ~ “う 卩甬釜をさ 氏は諸所の寺々に命じて、誰のためともなく行言糸 せるのだった。 ⅷ乙女 色の喪服に包まれた諒闇の年が改まり、藤壺の女院 の一周忌も終ると、世の中は明るくよみがえった。もっ かわ あさがお ふくろ げんじ : こナは相も変らぬ袋 とも、源氏の朝顔の宮に寄せる思しオ ( ト路に氏していた。 げんぶく ゅうぎり あおい その頃、葵の上の忘れ形見、タ霧が十二歳で元服した。 ゅうぎり げんじ 、立にとどめ、大学に 源氏は思うところあって、タ霧を六イ 学ばせることにした。親の威光で官爵をほしいままにし むざん うしろだて ても、その後楯を失った後は、無漸なものである。それ よりも、当座は下積みに甘んじても、身についた実力こ の ・フえ なるげんじちヤ、なん そ将来の保障となろうというのである。光源氏の嫡男の おおみや しょた、 - フ 司はいぶかり、祖母の大宮も不満に田 5 った。 処遇を、世ド ゅうぎり あさぎ そうめい だが聡明なタ霧は、一時は、六位の浅黄の袍を纒う屈辱 やがて心を取り直して、よく源 に父親を限みもしたが、 じ 氏の期待に応えた。 たいなごん ちゅ、つ″、 - っ . 折から宮中では、中宮の地位をめぐって、大納言の娘 - う うめつほ みやすどころ こきてん 弘徽殿の女御と六条の御息所の娘梅壺の女御、それに兵 立ロ卿の宮の姫君王女御が、それぞれに鎬を削っていた。 こきてん ゆいしょ じゅだい 弘徽殿の女御は一番先に入内し、王女御は由緒正しい宮 げんじ きさき 家の出である。打ち続いて源氏から后が立つのも如何で あろう・・ 政界の行くえと絡んで思惑は入り乱れたが、 ふじつほ おもむ しよせん 所詮は時勢の赴くところ。藤壺の宮の御遺志もあり、源 うめつば あきこのむちゅうぐう じ によう ~ 」ちゅう″、 - フ 氏の推す梅壺の女御が中宮に立った。すなわち秋好中宮 げんじ だじよう である。この御慶事にともなって、源氏は太政大臣に、 大納言は内大臣に昇進した。 こきてん りつ、フ 弘徽殿の女御の立后に失敗した内大臣はひどく残念が しフル、 - っ・ り、せめて末娘の雲井の雁を東宮にと、ひそかに思いめ ぐらすのだった。 だが伏兵は田 5 わぬところにいた。 おんなぎみ あぜちだいなごん この雲井の雁は、按察大納言と再婚した女君との間に儲 おおみや けたもので、早くから内大臣が引き取り、大宮に預けて ゅうぎり いたのである。従って、タ霧とは同し屋根の下で育った つついづっ ことになる。二人の間に筒井筒の恋が芽生えたとて不思 ~ し従姉弟同士は何時しか慕い合う仲になっ 議はない。 ていた おおみや 一日、三条邸の大宮をおとすれた内大臣は、雲井の雁 おおみや に琴を弾かせ、大宮としめやかに語り合う。たまたまそ ゅうぎり こにタ霧が来合わせ、笛を吹いて興に入り盃がめぐる。 0 0 っ さかず、 大体、