とリくびたら 熊野権現速玉大社の宝物鳥頸太刀 ( 国宝 ) 「ま、それはこちらに任して下さいまし。あたしは不束 とよお ながら、豊雄さんの言分を聞き出してみましよう」とい ってくれたのは、太郎の妻、つまりは嫂だった。 とよお あによめ 豊雄は嫂と対した。 「いすれは嫂さんに相談してカになってもらおうと思う とったんしやが : といいながら、彼は嫂の表情をい、女児との一件 を詳しく話したのだった。 「そう : あによめほほえみうか 嫂は微笑泛べて、 とよお 「豊雄さんが独身でいるのをあたしはかねがね不思議に 田 5 っていた。いい 相手が見付かってよかったしゃないの」 といってくれたのだ。 そして「あたしからうちの人に説明してとりなしても らうから」と元気づけてくれた。 その夜、嫂が夫に義弟の一件についていうと、太郎は、 はず カナ 国守の下役人に縣のなにがしという男は、なかった筈し さとおさ やと首をひねり、自分の家は里長の位にあるのだから、 ・一 / 、しゅ そういう名の国守の下役人がいたならばすぐに知ってい るわけじゃとなおも首をひねり、件の太刀を妻にもって ノ \ るよ、つにム叩じた。 太郎は、妻の持ってきた太刀をつくづく眺め、ふうッ たんそ′、 と嘆息ひとっすると、 「いや、これは大変なことに巻き込まれたものじゃ」と いうのだった。 「あんた、なにが : ・ : 」と訊ねる妻の手を制して語ると きドんじようじゅ ころによると、最近、都の大臣が祈願成就のお礼にと権 あによめ あによめ ふつつか 現様に数多くの宝物を御奉納になったが、その宝物が御 たらん、ら だいた、うじ 宝蔵の中から消えてしまい、その事実を権現様の大宮司 から国守に訴え出たという。 「そこでじゃ、国守はこの盜人を捕えるべく、次官の文 ひろゆき ア、′、・フドし 屋の広之を大宮司の屋敷に使わし、今のところ、その盗 せんぎ 人は誰かと詮議なさっていると聞いておるのじゃ」 「それでは、この太刀は : 「うむ。これはどうみても下役人の佩くものではないか おやじ らのう。親父に見せた上 : ・・ : 」 太郎は、父の竹助にことの事情を話すと、父はまっ青 になって、 「なんということをしてくれたのじゃ。 いつも他人のも のは毛一本なりとも盗ってはいかんといってあるのに。 一体、なんの因果でこのような悪心を起しおったのか。 おおや もしも、このことが他人の口から洩れたなら、大宅の家 も断絶ということになるだろうし、御先祖にも申し訳な く、また子孫のためにもためにならん。この際、恥を忍 明日になっ んで不孝の子を一人捨ててしまうしかない。 たなら、こちらからお上に申し上げるしかない」という のだった。 ′、よノド ) 太郎は、夜明けを待ち、大宮司の屋敷に出向き、こう こうしかしかでございますがと件の太刀を見せると、大 ″、・フじ おどろあわて 宮司は愕き荒て、 これはたしかに大臣殿が献納なさった太刀 ! 」 ひろゆき これを聞きつけた次官の広之も、 「この太刀以外の紛失したものを追及しよう。おい、こ や いんカ たけす かみ ー・・フの・フ ぬすびと けんのう ぶん 114
とよお 0 鯨の寄る浜辺豊雄の家では長男の太郎が この日も漁師を呼び 家業に精を出していた 集めて仕事に就かせるために朝早く起きたが 何気なくのぞいた豊雄の部屋に灯火に光る立 派な太刀のあるのを見つけた捕鯨図屏風 くまのさんざんほんぐう 熊野三山・本宮 とよお 豊雄は目の前にいる兄を見て、なにか用かといい、不 満を示した。 「こんな立派なものを、枕許においているのはどういう わけしゃ。こんな立派なものは、漁師の家には似つかん おやじ もんしゃ。親父が見たなら、なんというて叱りつけるか とよお わからんぞ、豊雄 ! 」と威丈高にいうのだった。 「いや、兄さん、これは金を出して買うたもんやない - まくら・り - 昨日、さる人が下さったもんしゃ。それを大事に枕許に 置いたまでのことで : : : 」 「なにを吐かすか。こんな立派なもんをどこの人がくれ るもんか。そんな人はおらん。おれはな、お前が常日頃 あっ から、色々と難しい漢字の並んだ本を買い蒐めていたの が不愉央しやった。あれは金を捨てるようなもんしやと おやじ 思うとったんしゃ。ま、親父がなにもいわんのでおれも 黙ってはおった。が、この太刀は許せん。これを佩いて、 ーし・た、 - フ 新宮の里の祭の行列にでも加わるのしやろう。自慢気に ねり歩くつもりか。お前のやろうとしているのは、気狂 沙汰とい、つもんしゃ。も、つええ加減に陸根を入れろ , ・」 とよお 太郎の大声に、父の竹助は豊雄がなにかくだらんこと を仕出かしたと思い とよお 「お大良 ! 豊雄をこっちに連れて来いツ」 と、奥の間から叫んだのだった。 りよ・つし 太郎もまた漁師特有の大声で、 おやじ とよお 「親父さん、豊雄の奴が、将軍様でも佩くような輝きま ふしい立派な太刀を買いよったんじゃ、ほんに馬鹿な奴 しゃ。一度、とくと意見をしてやって下さい。おれは、 師の監督に浜に行くから : しようね といいおいて、出て行ったのだった。 とよお この声を聞きつけて、母が豊雄の部屋にやって来た。 「ま、お前は、こんなものをなんのために買いなすった んしゃ。米にしても銭にしても、家のものは全部太郎の 甲斐性であるものしゃ。お前のカで得たものは、なにひ とっとしてないんしゃ。 いつもは、お前のしたい放題に させてはきたけれど、こんなもの買い込んで兄さんの怒 の りを買うたなら、お前は自分の立場が失うなってしまう がなあ。お前はいつも聖者賢者になるための本を学んで おるというのになんという阿呆な買物をするんしや」と いうのだった。 「いや、これは買うたんやない。貰うたんしゃ。貰うに は、それ相当の理由があったんしやが、兄貴が勝手に買 うたものとしてしもうて : : : 」 と言訳すると、父も威史高になって、この言葉を認め ト小、つとはせ亠 9 に、 てカら 「一体、お前になんの手柄があったというのしゃ。どこ の誰が、お前にこんな立派な太刀をくれるのしゃ。さっ つじつま ばりわからない。辻褄の合わん話をするな。さ、どこの誰 がくれたというんしゃ。どんなわけがあってくれたとい 、つんしや」 ともう一方的に怒っているのだった。 「いや、その理由は、今、ここでは申し上げられません。 いすれ、然るべき人を介して申します」 とよお と豊雄がいうと、父はますます怒り狂って、 「親や兄にいわれんことを、一体どこの誰に打ち明けし ようというのしや」と声を荒げるのだった。 わ もろ 113
の太刀をもっておった男を即刻召しとれイ」と命じたの 太郎を先頭に十人ばかりの武士がつづく とよお 豊雄は、事態がこうなっているとは露知らす、自宅で 書見をしていた。 その中に、だだッと武士たちが踏み込み、有無もなく 縛りあげよ、つとする。 「一体、この私をなんの罪で捕えるのですかツ」 さから と抗ってみたが、武士たちの耳にはこの叫びが入らぬ 様子で、たちまち縛りあげられてしまった。 この様子を見ながら、両親や太郎夫婦も、 「情ないことじゃ。情ないことしや」 と、どうすればいいのか迷うだけで、ただ悲嘆に暮れ るばかりたた 熊野権現速玉大社の宝物桐文蒔絵平胡 ( 国宝 ) 「役所からの命令しや」 「さあ、とっとと歩け、歩かんか ! 」 とよお 役人たちは、豊雄を真ん中に囲むようにして国司の屋 敷に引立てて行った。 とよお 次官は、豊雄を引きすえ、きっと睨みつけると、 「お前が国宝を次皿みとったのは、前例のない国賊の罪、 重罪を犯したことになるのしゃ。なお聞きただすが、こ の他の国宝は一体何処に隠しておるのしゃ。さあ、洗い きつもん さ、らいし え ! 」と詰問したのだ。 とよお 豊雄はようやく自分がなんのために捕えられ、引立て られたかを知ったのだった。 「私は、決して盗みをしたのではない」 彼の頬をとめどなく涙がった。 いきさっ 「実は : 」と太刀を手に入れるまでの経緯を述べて、 はお ・りもんまをえひらやなぐい 115
: 近藤啓太郎《編集部だより》 ①古事記・ * 第七回配本の『雨月物語』をお届けします。原作者上田秋 : 邦光史郎 私見・古事記 成は日本人の心の底に流れてきた異への危風、好奇心を格 : 池田彌三郎 2 万葉集・ 調高く文学にまで昇華させています。『鬼の詩』で直木賞受 ・ : 岡部伊都子 3 竹取物語 賞、一躍脚光を浴びた藤本義一氏初の本格的古典ものをお楽 : 中村真一郎 伊勢物語 しみ下さい。豊富なカラーで紹介した幽霊絵も広重、応挙な : 田辺聖子 0 枕草子 : ど江戸期の画家たちが想像力をめぐらせた一級の名画です。 : 竹西寛子 蜻蛉日記・ 《次回配本》 3 太平記 : 円地文子 3 源氏物語 は、約六百年程前に * 戦記物語の名作の一つである『太平記』 : 古山高麗雄 ⑥今昔物語・ 小島法師という人が書いたといわれています。後醍醐天阜は : 野坂昭如 宇治拾遺物語・ ようやく鎌倉幕府を倒し皿の中興を実現しますが、足利尊 典 : 瀬戸内晴美 第平家物語 氏らによって再び政権を奪われてしまいます。公家政権と武 ⑧徒然草 : : 島尾敏雄家政権との間に展開されるめまぐるしい抗争、そのなかでの さまざまな人間の生き方など : 堀田善衞 方丈記 : ク を作家・山崎正和氏が執筆し : 山崎正和 ☆ 3 太平記・ ています。楠公桜井の別れ、 : 吉行淳之介 ・ : っレ」・つのた・いー」 - ったよしさた ⑩好色五人女 : ~ 本 新田義貞と勾当内侍との恋、 おおとうのみや : 山本健吉 日ロ奧の細道 : 大塔宮の最期、盆台」 上冫半の悲 : ・水上勉 心中天網島 : 劇など、かって私達の父母が 囮仮名手本忠臣蔵 : : : 戸板康ニ 「涙した名場面の数々を現代訳 で味わうことができます。図 ・ : 藤本義一 雨月物語・ 版の方でもめったに発表され 囮東海道中膝栗毛 : : : 安岡章太郎 たことのない太平記絵巻が、 けんらんごうか : 杉浦明平 田南総里見八大伝 : 随所に絢爛豪華な戦争場面を ・大岡言 別巻百人一首 : 【繰り広げています。 白抜き数」は既 ☆印は大回配本 全 17 巻
プい気 : イ当 ? をいしい、 「これは死んだ夫が家宝として大事にしていた太刀でご ざいます。これを、あなた様の腰に佩いて下さいませ」 というのだった。 いっぴん 古代の逸品である。 ためら とよお い。が、婚約の儀の 豊雄は躇った。あまりにも素晴し はじめに断るのもなんだと思って、そのまま貰っておく ことにした。 「さ、今夜はここで泊って行って下さいませ」 とよお たっての願いと真女児は引きとめたが、豊雄は、外泊 よ見ゞ 明日は、つまい口生大 ( 辛カかりでは許されませんといし かわ をもうけてきっと来ると約束を交し、真女児の家を去っ その夜も妙に目が冴えて眠りに入ることが出来なかっ ふち 夢が現実になり、そして夢を見る眠りの淵に入るこ とも出来ない奇妙さを彼は味合ったのだった。 盗まれた太刀 りよ・つし 早朝、太郎は漁師たちをたたき起し、漁に追い立て、 とよお なに気なく弟豊雄の寝室の隙間からのぞいてみると、消 まくら え残った灯の光をうけて、きらきら輝く見事な太刀を枕 ー 0 し」 許に見たのだった。 「おかしい。変だ : : 」と律儀者の兄が思うのも当然で ある。一体、あんなものをどこから手に入れてきたのか と不思議に田 5 ったのだ。 とよお ガラッと戸を開け、豊雄の目を醒まさせようとした。 りちぎもの は りよ・つ ・ ) ・フド ) っ 112
蛇性の婬、 0 阿須賀神社 ( 和歌山・新宮市 ) 豊雄は紀 さき あみもと 伊の国三輪が崎の大きな網元の息子で生まれ つきやさしい性格であった毎日新宮の神官 もと の許へ勉強に通っていたがある日先生の所 で雨傘を借りて阿須賀神社のあたりまで来た とよお しんぐう りよ・つー - 不意の雨 これはもう、ずっと昔の話だが : さき おおや わかやま しんぐう 紀伊の国 ( 和歌山県 ) 三輪が崎 ( 新宮市 ) に、大宅の竹助 という男が住んでいた。 あみもとがしら この男は、漁業海産物でおおいに儲け、網元頭として 、、いぎよ 漁師を沢山丸かかえにして、魚は大魚、雑魚にかかわら すに獲り、家は豊かそのものだった。 この男には、男の子が二人、女の子が一人いたものだ。 長男の名は太郎。陸格はというと純朴で、父親の片腕 かげひなた むすこ となり蔭日向なくよく働く孝行息子であった。 やまと 娘は大和の国 ( 良県 ) に嫁いでいった。 とよお この子は生れつ 次男坊はというと、名は豊雄といし きやさしい性質で、常日頃から都から伝わった風流なこ とに気をひかれ、兄のように働いていこうという意欲は とっ じゅんほく たけす みられなかった。 父の竹助は、どうもこの次男坊が気懸りだった。 「あの子には財産を残してやっても、すぐに他人に取ら れてしまうのではないか : しあん と思案し、かといって、他家へ養子縁組でやったとし ても、その家を継ぐようなことをせすに他家の財産を食 い潰してしまって、養子先から苦情がもち込まれるのも 目に見えている。 「ま、あいつの好きなようにさせてやるのが一番いいと ・フち いうことしゃ。したいことをさせてやる裡に、自分の人 生の目標も定めるだろう。学者になりたいというなら学 : フりみ 者になるのもよし、僧侶になりたいと希望をもったら仏 の道に入って行くのもよし : とよお と考え、豊雄が自立の気概をもつまでは、長男の荷物 になっても仕方あるまいと考えていた。だから、あまり き力、 100
うねめ 0 紀州へ帰った豊雄は采女として都へ奉公に いっていた富子と結婚した結婚ニ日目の晩 豊雄が新妻に話しかけると返事をした声は真 女児であった豊雄は恐怖のあまりうろたえ るだけでその場に気絶したまま夜を明かした 男と女 7 なっていたのしゃ。今後はよくよく慎まねばならぬのう」 とよお 老人は豊雄に告げたのだった。 とよお いきさっ 豊雄は、額を地につけて、今までの経緯を述べた。そ いのち して、生命を乞うた。 ようかい おろら 「あの妖屋はのう、年を経た蛇じゃ。あの妖怪の本性は いんらん まじわ りん 淫乱そのもので、牛と交っては、麟なる動物を生み、馬 りゅう と交っては、竜を生むといわれておるのしゃ。あの妖怪 ゆえじようよく がそなたをたぶらかしたのも、そなたが美男子故に情欲 しゅうねん をほしいままにしたと思われる。あの妖蚤は執念ぶかい のだから、十分にお慎みになった方がよいのしゃ。でな ければ生命はないぞ」 とよお きようふ 豊雄はじめ一同は恐怖のどん底にたたき込まれて、た オただ、老人を尊敬するばかりであった。 「この方は、人間の域を越えられた尊い生神様に相違な がっしよう 一同は合掌し拝みつづけた。 おおやまと 「いや、わしは生神様などではないのしゃ。大和神社 ( 奈 きびと たをま 良県天理市 ) の神官をしておる当麻の酒人という老いばれ しゃ。さあ、これからの道を送ってさしあげよう。さあ、 さ、参ろ、つかの、つ」 つばいち といって先に立ち、一同はこの老神官の先達で石榴市 の家に帰って来たのだった。 とよお おおやまと 翌日、豊雄は大和神社に行って老神官に会い、あらた めて因 5 をうけた礼をいい せめてものお礼にと岐阜産の まわたしきん 上物の絹六反と九州産上物真綿四斤を差し出し、 よう力い っ 「これからも私奴に妖怪が憑かないようにお祓いして下 さいませ」と申し出たのだった。 し」 てんり ひたい め へ せんだっ 神官は、この贈物すべてを他の神官に分け与えて、自 とよお 分はなにひとっとらす、豊雄に向っていうには、 め まつわ 「あの妖怪奴がそなたに纒りつくのは、そなたが美男す ぎるからしゃ。そなたも美人に化けおった妖屋にうつつ うわき ぬかして俯抜け同然今後は、男らしく振舞って、浮気 心をおさえることじゃ。そうすれば、なんのこれくらい ようかいへんげ の妖屋変化を追い払うのに、こんな老いばれの力なんぞ は必要ありませんのしゃ。くれぐれもその気でな : とさとすのだった。 さ とよお 豊雄は悪夢から醒めた心地に、お礼の言葉をいいつく せぬほどに感謝して、帰って来た。 「義兄さん、この歳月、あんな妖怪にたぶらかされ迷っ ておったのは、私の性根が腐っていたからです。親や兄 やっかい に仕えないで、義兄さんの家に厄介になっておりますの は、筋道のちがったことだと気付きました。御親切は、 きしゅう こ 9 もど ) り・ ほんとうに感謝しております。これから紀州。 立直った姿で、また、きっとやってまいります」といい 残して故郷へ帰ったのだった。 やまと 両親や太郎夫婦も大和の国での恐しさを聞き、やはり とよお とよお ふびん 豊雄があやまちを犯していないことを知り、豊雄は不憫 しゅうねん ようかいへんげ な子供だと思う半面、なんとも執念深い妖屋変化につい て、恐怖の念を新たにした。 とよお 「こういうことが起るのは、豊雄を独身でおいておくか にようば、つ らじゃ。女房をもたせれば ) しいじやろ、つ」とい、つ案が纒 両親は嫁さがしをはしめた。 むろ くるす わかやま なかへじ 芝の里 ( 和歌山県西牟婁郡中辺路町栗栖川あたり ) というと おか くさ まとま 128
図版目録 ・赤間神社蔵源平合戦図絵・ ・天理図書館蔵秋成自画像 : た彼の画法は、洋画的な手法をさえ加 の絵師ごけに、人物の表情など島躑絵 の影響を強く受け、 味して、〈復占大和絵派〉と呼ばれた。 いささかューモラ・東京国立博物館蔵風俗図屏風菱胆大小心録 : すとく 川師宣筆・ 無腸居士肖像 : いかにも容斎らしスである。 崇徳上皇の絵には、 ・幽霊絵■ ・大倉文化財団蔵重陽の節句酒井海老上田秋成筆 : し躍動感があるか、『女の雲』のような 春雨物語写本・ ・葛飾北斎宗谷真爾氏蔵 : 抱一筆 : 幽霊画や、地獄絵なども遺している。 ほくさー 北斎筆と伝えられるこの幽霊画は、 ・石山寺蔵石山寺縁起絵巻 : ・円山応挙・ ・早稲田大学演劇博物館蔵東海道四 らみつ CV . 8 . 4 ・ . 0 っこ . LD きわめて緻密な筆致で描かれた肉筆画 ・七難七福絵巻円満院蔵・ に 0 戸 0 谷怪談歌川国貞筆 : : である。マルセル・プリョンも幽霊か ・松江市洞光寺蔵尼子経久像 : : : ・幽霊全生庵蔵 : 娼妓小夜衣歌川国重筆 : おう 世に円山派の創始者として名高い応きの名手と絶讃したように、北斎には ・国立国会図書館蔵播磨国名所図絵怪談牡丹燈籠豊原国周筆 : 挙は、また幽霊画の大家としてもきわかなりの数の幽鬼妖怪画がある。彼が : ・岩藤の亡霊歌川豊国筆 : C.D 8 . つ」 . っ 0 8 伽婢子 : めて著名である。遠近法と陰影法によ熱心な日蓮宗の信者であった点などか 小幡小平次の亡霊歌川豊国筆 : る洋画技法との出会いを契機とし、実ら考えあわせて、幽霊画もすべて彼の英草紙 : ・加具波志神社蔵秋成愛用の硯 : ・ 信仰にねざすものであったろう。 ・広瀬町城安寺蔵月山古城絵図・ : 証主義的な傑作を多くうんでいったが、 ・月林美樹雄氏蔵源氏物語色紙 : ・真正極楽寺蔵真如堂縁起 : ・長沢芦雪宗谷真爾氏蔵 : 幽霊も単なる空想ではなく、「見た」も ・鈴屋遺跡保存会蔵本居宣長像 : ・サントリ ー美術館蔵四条河原風俗 のを写したのだと言われる。ここにの 水辺に坐した老婆の幽霊は、そのた ・河澄清氏蔵秋成自作の炉 : 絵巻・ せた幽霊も、多くの他の幽霊画のようれさがった乳房ひとつを例にとっても ・大徳寺真珠庵蔵百鬼夜行図土佐 しルうかい ろせつ に醜怪ではなく、よく街ですれちがう醜屋この上ないかいかにも芦雪らし近江名所風俗図屏風・ 光信筆・ 雨やどり風俗図屏風高嵩谷筆 : よ、つなふくよかな美人でさえある。ま い感覚がある。応挙門下十哲のひとり ー撮影・ しようはく た人間の七難七福をかいた画巻も、人で、覇気の強さでは蕭白と一対をなす ・宮内庁蔵春日権現霊現記絵詞高牛尾喜道 / 小西晴美 / 坂本一夫 / 牧直 CD . 9 ) 階隆兼筆・ 物の動きや姿態が写生的で、その上き と言われたが、その線には一種特有の 視 / 食良隆英 / 清水実 / 吉越立雄 / 市 師草・紙 : わめてサディスティックな無絵とし鋭さがあり、また老醜を扱った怪奇画 ・瀬進 / 木下猛 / 坂本進 / 関孝 / 世界文 をいくつかものにしている。 三熊野の那智の御山山口蓬春筆 : て完成し、後世の芳年や絵金につなが 化フォト / ュニ・フォトス ・渡辺省亭全生庵蔵 : ・成田史料館蔵鴻の台とね川図 : る血脈を有するものといえよう。また、 ・編集協力・ わたなペせいてい ながさわろせつ 渡辺省亭の幽霊は、煙のなかに淡く その弟子には、奇才長沢芦雪がいる。 ・リッカー美術館蔵鯉前田青邨筆岡山県立博物館 / 粕三平 / 河澄清 / 菊 ・雨月物語版本挿絵・ 浮び、その面差を見せないのに、異様 池明 / 金刀比羅宮 / 京都市西福寺 / 坂 ・吉田幸一氏蔵 : ななまめかしさと恐ろしさをたたえて・歓喜光寺蔵一遍上人絵伝 : 出市教育委員会 / 新宮図書館 / 鈴木重 . フー L.O . に 0 フー 7 ー いるあたり、、い贈いものがある。 0 乙っ 0 ・ ( 0 8 三 / 妹尾豊三郎 / 宗谷真爾 / 高橋誠一 ・谷文一全生庵蔵 : ・西本願寺蔵慕帰絵詞 : 黒い情念を内に秘めた『雨月物語』 郎 / 中村保雄 / 那智大社 / 成田図書館 あんえい の版本が世に出たのは、安永五年のこ ・柳孝氏蔵酒飯論 1 ー・ 8 / 速玉大社 / 広瀬町城安寺 / 広瀬中学 ・松本楓湖全生庵蔵 : とであった。半紙本五巻五冊にまとめ ・箱根美術館蔵琴高仙人図尾形光校 / フジアート出版 / 藤井駿 / 藤浦富 ・その他■ ・渡辺昭氏蔵西行法師行状絵詞俵琳筆・ られたが、それぞれの物語に見開き二 太郎 / 松江郷土館 / 松江市洞光寺 / ・藤井駿氏蔵吉備津神社之図 : ペ 屋宗達筆 : ージの挿絵が一葉すつついている。 孝 / 安田建一 / 吉川観方 / 渡辺昭 しかし比較的長い「蛇性の婬」ごけは ・白峯寺蔵白峯山古図 : ・上田堪一郎氏蔵源氏物語色紙・ : ■地図作製・ 特に二葉あって、総計十葉になる計算 ・宗谷真爾氏蔵雨月物語玉村方久蛭間重夫 ・ポストン美術館蔵平治物語絵巻 である。絵師は秋成の友人で、大阪に ■図版監修・ 斗筆 : ・宮内庁書陵部蔵天皇摂関大臣影 かつらびせん すんでいた桂眉仙と推定される。上方藤原為信筆・ ・ : 引中村溪男 / 宮次男 ・智恩院蔵法然上人伝 : まるやま さしえ はくさー 167
芝居の怪談ばなし ようじゅっ 播州皿屋敷〈ばんしゅうさらやしき〉 日丸 ( 徳兵衛 ) にがマの妖術を授けて自 にんイようじようるり しんしゆっき 人形浄瑠璃。時代物。三巻。通称「皿 殺する。徳兵衛は妖術を使って神出鬼 あさだいっ・う ばっ 屋敷」。為永太郎兵衛・浅田一鳥作。 没、さまざまに姿をかえ将軍を狙うが、 かんばう そろ み 寛保元年 ( 一七四一年 ) 七月、大阪豊竹 巳の年月の揃った生まれの女の生血に 座初演。青山鉄山らお家の横領の悪事 よって術が破れ、失敗に終る。早替り かるわざ をたまたま腰元のお菊が立ち聞いたた や軽業的演技が見どころで、とくに水 じうほう め、鉄山はわざとお菊の預かる重宝の 中の早替りが評判となった。 彩入御伽草〈いろえいりおとぎぞう 皿をかくし、その紛失の罪を着せてお ざんさっ し〉歌舞伎脚本。時代世話物。九幕。通 菊を惨殺して井戸に投げ込む。お菊の こわたこへいじ つるやなんばく ばうれい 称「小幡小平次」。四世鶴屋南北作。文 亡霊は鉄山をさんざんに悩まし、鉄山 化五年 ( 一八〇八年 ) 六月、江戸市村座で らは自滅する。この作を劇化の最初と おのえ強ツ、ごろう 初世尾上菊五郎 ( 小平次はか五役 ) により して、のち歌舞伎に入り、明和一一年 ( 一七 めおとばしあうよの 初演された。 小幡の百姓小平次は主家 六五年 ) 秋、江戸市村座で「女夫星逢夜 ほたる 小町」となり、さらに嘉永三年 ( 一八五〇再興のため、螢ケ沼で悪人の密書を奪 にようばう みのリよしこがわの当く ったが、女房おとわと馬士の多九郎の 年 ) 九月、江戸中村座上演の「実成金菊 ひ ) 】う せがわじよこう 悪計で非業の最期をとげる。小平次は 月」となった。作は三世瀬川如皐。四世 ばうれい 亡霊となっておとわと多九郎をとりこ 市川小団次のお菊が大好評で、これが あさやまてつざんひがしやまよしまさちょうぶく かきか・えもの ろす。また浅山鉄山は東山義政を調伏 現行脚本となっている。ほかに書替物 さいざき しんさらやしきっのあまがさ かわたけもくあみ のため乳人幸崎を堺川の辻堂におしこ として「新皿屋敷月雨暈」 ( 河竹黙阿弥 おかもとき め、毎日その指一本すっ切って土とま 作 ) や新解釈の「番町皿屋敷」 ( 岡本綺 どう ぜ土器を作り、幸崎をさいなむ。幸崎 堂 ) がある。 は弟三平に浅山の悪事をつげて死ぬ。 天竺徳兵衛韓噺〈てんじくとくべえ 三平は浅山の家に下郎となって住みこ いこくばなし〉歌舞伎脚本。時代物。五 つるやなんばく ぶんか み、幸崎の亡霊の助けをかりて鉄山の 幕。四世鶴屋南北作。文化元年 ( 一八〇 かや おのえ 悪事を見あらわす。小幡小平次の蚊帳 四年 ) 七月、江戸河原崎座で、初世尾上松 ゅうれい てんじく の怪奇、幸崎が本水から幽霊となって 助 ( 徳兵衛 ) により初演。天竺 ( インド ) しかけもの 宙乗りになるなど仕掛物の工夫、菊五 帰りの船頭の聞書「天竺徳兵衛物語」 郎の演技の凄さが評判となった。 などの伝説から取材した作。すでに宝 れき てんじくとく 東海道四谷怪談〈とうかいどうよっ 暦七年 ( 一七五七年 ) 並木正三の「天竺徳 かぶき せわもの べえききがきおうらい やかいだん〉歌舞伎脚本。世話物。五 兵衛聞書往来」以来いくつかの先行作 ぶんせい つるやなんばく よしおかそうかん 幕。四世鶴屋南北作。文政八年 ( 一八二 がある。吉岡宗観しつは朝鮮の臣、木 えど いちかわだんじゅう そうかん 五年 ) 七月、江戸中村座で七世市川団十 曾官は日本をはろばすため、わが子大 づき ためながたろべえ かえい か ろう おのえ強 , 、ごろう ックなど写実と の大道具の巧妙なトリ 郎 ( 民谷伊右衛門 ) 、三世尾上菊五郎 ( お こばとけこへえ さとうよもしち 岩・小仏小平・佐藤与茂七 ) 、五世松本幸超現実が巧みに融合され、単なる怪談 なおすけ′えべえ ではなく江戸末期の実社会を写し、人 四郎 ( 直助権兵衛 ) らにより初演された。 せわ当ようげん 間性を描いている点など世話狂言の代 塩谷浪人民谷伊右衛門は内縁の妻お岩 あさくさたんば 表作とされている。 の父親四谷左門を浅草田圃で殺した上、 東山桜荘子〈ひがしやまさくらぞう お岩に愛想をつかし隣家の伊藤家の娘 さくらそう′」 し〉通称「佐倉宗吾」歌舞伎脚本時 と縁組を承知する。お岩は伊藤家から か せがわじよこう 顔面の腫れ上る毒薬を与えられ、伊右代世話物。七幕。三世瀬川如皐作。嘉 飛四年 ( 一八五一年 ) 八月、江戸中村座で、 衛門と伊藤家を恨らみながら死ぬ。伊 ばんどう 四世川小団次 ( 浅倉当吾 ) 、四世坂東 右衛門はまた自分の所持する妙薬を盗 おりこしまさともわたしもりじんべえ もうとした小仏小平をも殺害し、二つ彦三郎 ( 織越政知・渡守甚兵衛 ) 、領主織 ほったまさのぶ しがい 越政知 ( 惣五郎伝説では堀田正信 ) の重税 の死骸を戸板にうちつけて川へ流す。 さくら に苦しむ農民のため、浅倉当吾 ( 佐倉 が伊右衛門は死霊のたたりで伊藤家の そう′」ろう おんばう 惣五郎 ) は将軍に直訴を決意し、妻子に 娘を殺し、さらに砂村の隠亡堀で流れ ばうれい 別れを告げに雪の中を故郷に向う。途 ついた戸板のお岩と小平の亡霊に悩ま いんばぬま 中印旛沼の渡しにかかったが、渡し守 せられ、のちのちまでもお岩の霊につ くさリ の甚兵衛は当吾の決意を知り禁制の鎖 きまとわれる。これを中筋にお岩の妹 4 わ袖 A 」、、 を切って舟を出す。当吾はわが家へ帰 ししなすけの佐藤与茂七が悪人 とう るてん り妻子との別れをつげたあと、上野東 直助権兵衛にだまされて、薄幸な流転 じきそ えいざん の道をたどる筋がからみあう。伊右衛叡山の将軍参詣の折直訴する。しかし ざんにん 門の残忍さ、お岩の悲惨な死、亡霊出現 当吾夫婦は捕えられて、領主織越政知 1 谷 庵 生 全 の ん え う 洋第 さ え、 ぜんしようあん 140
はうげん すとく つ崇徳上皇像菊池容斎筆保元の乱に敗れ だ、、じようきよう さぬき て讃岐に流された上皇は五部の大乗経を写 しんせい 経するが都に届かす信西のために送り返さ れた上皇はこの恨みを晴らすため自分の がんもん 血で願文を書き魔道に生きようとされた 崇徳上皇所用の鍔 ぎしんほう 議親法という法令があって、天皇の五等親、太皇太后・ 皇太后の四等親、皇后の三等親までの親族が減刑される という特別の処置があるというのに、その法令をも無視 して、兄の筆蹟すら都の中に入れないというのだ。この 限みは死んだ後もまだ解けていないのだ : すとくいん 崇徳院様の目に恨みがこめられたのだった。 まどう しやきよう 「よし、それならば、これを魔道への写経としてやろう さまた しようば、つ てんぐ と思ったのだ。正法の妨げをする邪道、天狗道の方に、 しゆとく くどくそそ この写経をもって得た己の修得の功徳を注ぎ込んでやろ うと思ったのだ」 一途にそう思いつめた院様は指を切ってその血で願文 きよう を書きつらね、経と一緒に志戸の海 ( 坂出市の北の海にある 大椎、 小椎島間の椎途の海 ) に投げ込み、沈めてしまった後 は誰にも会わす、ただひたすら魔王にならんものと大願 がんじようじゅ をつづけた結果、果して、その願が成就して平治の乱が しんぜい ふじわらののぶより このえだいしよう 起り、藤原信頼が近衛大将の地位を望んで信西と争い 殺されるということになったというのだった。 ) 」うまん のぶよりやっ 「あの信頼の奴ばらが高位高官を望みおる傲慢な心を利 みなもとのよしとも 用して、源義朝と手を握らせたのだ。あの義朝こそ、憎 ためよし ほうげんらんじようこう みてもあまりある奴。父の為義は保元の乱で上皇方につ いて敗れて首を斬られおったのをはしめとして、兄弟の はうげ - ん らん 武士たちもいすれも保元の乱で生命を捨てて自分のため に働いてくれたというのに、あの義朝だけが敵にまわり ためよし らんぜいはらろうためとも おったんだからなあ。鎮西八郎為朝の勇猛さと、為義、 ただまさ 忠正の軍略に勝利の色濃く見えていたのに、不意に吹き しらかわでんきよっと 荒れた西南の風に本陣としていた白河殿 ( 京都市中京区丸 、つ あ 太町、元・白河法皇の御所 ) が焼き討ちの悲運に遭い、敗退 て さかいで らん やかた を余儀なくされ、自分は白河殿の館をのがれ出てからは、 みねきようとひがしやま 如意が嶽 ( 京都東山の一番高い峰 ) まで逃げのび、あの嶮し ふとん きこり い山で足を痛め、あるいは椎夫、漁師の椎柴を蒲団がわ りにして雨露をしのいだりして、苦労に苦労を重ねて、 ついには囚われの身となって、この島に流されたのだ。 しわざ おらい ああいう羽目に陥ったというのも、すべては義朝の仕業 う・ なのだ。あいつが焼き討ちをかけなければ、あの苦しみ おらい こュよ々旧、ら 。あの時の仕返しをするため なかったのに : ばうぎやくざんにん には、自分の気持、心、魂をも暴虐残忍な鬼と変えて、 いんばう のぶより 信頼の陰謀に加勢させたのだ。その結果、義朝の奴は、 てんし 天子に弓ひく国賊となり、武略なんぞはからっきし出来 たいらのきよもり ぬ平清盛に追いつめられてしまったのだ。その上、父の ばうさっ 為義を殺したがあらわれて、家来に謀殺されてしま しようなごんしんぜい 、天罰を己の死で知ったのだ。そしてまた少納言信西 の奴は、いつも己は学者なりと博学ぶっての他人の気持 を汲むことをしないねしれ心の持ち主だから、この男を のぶより じやどう 邪道の願かけで誘い出し、信頼・義朝連合軍の敵にまわ してやったところ、こやつも追いつめられて家を出て逃 うち げ隠れしている裡に、宇治山 ( 宇治市田原 ) のかくれ穴に入 ろくじよう っていたところを、ついに見付けられて、六条河原で首 しやきよう をさらされたのだ。これは、自分が京に送った写経を送 おもねり り返した罰を下してやったのだ。諛言の罪とでもいうも おうはう のだ。この勢いはますます力を得て、応保 ( 一一六一年から いのち びふくもんいん 六二年 ) の夏には、あの恨み重なる美福門院の生命をちぢ よう・りつ ごしわかわ らようかん め、長寛二年 ( 一一六四年 ) の春には、後白河天皇を擁立して ふじわらのただみちのろ ほうげんらん 保元の乱には天皇方についた藤原忠通を呪い殺し、自分 も同じ年の秋には世を去った。しかしながら、死後の世 ためよし とら