じこめたとしても、長い交際と友情を思ったならばじゃ、 しようおう こうしゆくざ ひそかにあの公叔座が商鞅にいうたように、誠心誠意を つくさなくてはなりませんぞ。それもせすに、ただただ えいたっ 一身の栄達とか利益だけに気が向いているというのは、 あまこ ふうぎ 武士としての風儀がないことしゃ。これは尼子家全部の 家風かもしれませんな」 さもんじようぜっ 左門は饒舌さわやかに論していくのであった。 ゆえ 「それ故に、兄者もこんな国にはとどまろうとはしなか ったのしゃ。私奴も、いま兄者の心に報いるために、わ ざわざこの出雲の国にやって来たのしや」 さもん 左門は、次第に激しい声音になってきたのだった。 おめい 「お前は、また此処の場で、不義の男としての汚名を残 せばよいのしや」 しい終る前に、ばっと斬りつけたのだった。 たちあ 丹治は、どっと一太刀浴びて倒れた。 「や、や、なに者 ! 」 くせもの 「曲者 ! 」 この物音聞きつけて家来たちが騒いでいる隙をついて、 くえ さもん 左門は、さっとその場から逃れ出て、行方をくらませて しまったのだ。 そうえもん あまこつねひさ 尼子経久は、この事件を伝え聞いたが、宗右衛門と左 もん まじわ 門が誠意こめて交りを厚く深くしていたということを聞 き正して、 「も、つ、ト 6 いわ」 さもん おって と、追手を左門に向けなかったのだった。 けいちょうふはく アア、友人関係ハ軽佻浮薄ノ人トシテハナラナイトイ ウコトダ。 たんじ こわれ
老母 ついには兄 と互いに感激し、意見の一致を喜び合い かわ 弟同士の約束まで交したのだった。 あかな さもん 赤穴は左門よりも五歳年長であり、義兄弟の兄として さもん の礼儀をもって年下の左門に向っていうのだった。 「私は幼い時に父母に死にわかれました。義兄弟の誓い をした現在、あなたの母上は私の母上ということです。 はいがん 故に、母上に拝顔したいものです。母上は、私奴の心を 汲んで下さって、この幼稚な愚かな気持を受けとって下 さるでー ) よ、つか」 「いや、それは当然のこと。当然しや」 さもん 左門は喜んで、 「いつも母は、私が孤独なのを案しているわけですが、 兄者の今いわれた誠意ある言葉を聞けば、母も喜んで、 寿命が延びることじゃ」 さもんあかな 左門は赤穴を連れて、わが家へと帰ったのだった。 あかな 老母は喜んで赤穴を迎え入れて、 むすこ さもん 「よう来て下すった。息子の左門は、これといったオ能 もなく、勉強しております学問も時流に乗らぬもので、 そのため世に出る機会がございませんのじゃ。わしの願 いは、この子を見捨てす兄者として指導してやって下さ いませ」 きようしゆく あかな 赤穴はこの老母の言葉に恐縮して深々と頭を下げ、 たっと 「男というものは、義を尊しとします。名誉とか地位、 あるいは財産があるというのは、問題ではありません。 じあい 私奴は幸福な男です。今、お母上の慈愛をこのように受 けんめい け、また賢明な弟に私奴は兄者としての尊敬を受けてお ります。私奴に、これ以上の望みがあろう筈はない」 こどく ようち とどま あかな 喜びは尽きす、赤穴はまたこの母子の家に滞ったのだ かこがわ 昨日か今日咲いたと思っていた尾上 ( 兵庫県加古川市 ) の 桜もいつの間にか散ってしまって、凉しい風に吹き寄せ なみ られる海辺の浪にも、誰に問うまでもなく早や夏の初め のきざしが見えた。 あかな さもん 赤穴は、左門と母に向って、 おうみ 「私が近江から逃げるようにして西へ下ったのも、実の ところは、故郷の出雲の様子を見ようと思ったからで、 これからひとます出雲の国へ下り、様子を見定めてから まいもど また舞戻ってまいります。帰って来たからには、貧しい かく′」 ながら、心を傾けて、母上に孝行する覚悟です。しばら ひま くお暇を下さい」というのだった。 「兄者は、何日頃にお帰りになりますか」 さもんたす と左門が訊ねると、 「月日は、あっという間に経つものだが、 遅くとも、こ の秋には帰ってくるつもり。秋が過ぎてから帰ってくる とい、つことはないだろ、つ」 「秋の何月何日と日を決めて待ちたいものしゃ。兄者、 その日をはっきり決めてほしいなあ」 らようよう せつく 「そうか。それなら九月九日。菊の節句、重陽の日に帰 ってくると約束しておこう」 「ほんとうですな。兄者、この日を間違わんで下さい 九月九日、私は、一枝の菊に、気持だけの酒を用意して待 っておりまするぞ」 と左門は念をおし、お互いにかたい約束をし、別れが あかな こい別れを惜しみ合い、赤穴は故郷の出雲に向って、西 さもん おのえ
やっかい 「いや、生活のことで人の厄介になる気はありませんの 贈られる物を受け取ろうとはしないのだった。 もと なにがし さもん ある日、左門が同し里の某氏の許を訪問して、古今の 物語りを話し合って興にのってきた時、壁ひとっ向うの うめ 隣りの室から、苦痛に呻く人の声がする。 「どうしたことしゃ。あの哀れな声は : と主人に訊ねると、 「いや、隣りの部屋にいる人は、よくわからんのしやが、す っと西の国の人らしい。お連れに遅れたとかで一夜の宿 ふうかく しょーもう を所望されたんじゃ。見たところ風格ある武家の出の人 じんびん らしく、人品もいやしくないのでお泊めしたんしやが、そ の晩からどうも悪性の病気に罹られたらしゅうて、寝起 きするのも自分のカではどうにもならない有様なんで、 三日四日とお泊りにな こちらとしてはお気の毒に思い って下さいと日が経ってきたわけしやが、どこの国の方 かもわからす、弱っておりますのしや」 とう・わく と、主人も思いがけないことに当惑しているのだった。 「ほう、それはお気の毒な話ですな : ・ さもん とう・わく 左門は聞いて、主人の当惑もよくわかるといし 「それにしても知人一人とていない旅先での病気で心細 いことでしような。気苦労もありましよ、つし : ようだい 一度、容態を見ましようと立ち上りかけると、 主人は彼をおしとどめて、 はやり 「いや、流行の悪病なら大変なことになりますぞ。家の 者も、あの部屋には行かぬようにいっておる次第で。あ でんせん なたも近付いて伝染したなら大変しやから、やめておい というのだった。 左門は、この主人の危県を一笑に付して、 かか さもん
あまこつねひさ 尼子経久像 じがい は自害し、今夜、冥土から吹く風にのって、約束のため にやって来た。どうか、この私の心を汲んで哀れと思っ てほしい・ といって、涙をはらはらと流すのだった。 「これで私たちは永の別れ、母上によく仕えてほしい」 と、席を立ったかと思うと、かき消えるように見えな くなってしまったのだった。 「待ってほしい さもん 左門はあわててとめようとしたが、あの世からの風に 目がくらみ、何処へ去って行ったのかわからなくなった。 つまず 追いかけ出て、なにか ( 星 こ研貝き、ばったりと倒れ、非し みの声あげて、ただ哭くばかりだった。 おどろ 老いた母は、この物音に目が醒め愕いて、 さもん 「左門 ! 」 むすこ さかどくり と捜すと、息子は客間の酒徳利や皿に盛った食べ物を あわ 並べた真ん中に倒れているのだった。母は慌てて抱きあ げて、 さもん 「左門、どうしたのしゃ : さもん おえっ とたすねてみたが、左門は嗚咽するばかり、なにもい おうとはしない あかな さもん 「左門、兄者の赤穴さんが約束を破ったのを恨みに思う あかな のなら、明日に赤穴さんが来られた時には、 ) し、つべき一一一一口 葉もないしやろう。お前は、まるで子供のように、なに もわかっておらんのしや」 むすこ 老いた母は、言葉強く息子こ ) 。しし聞かせると、ようや さもん く左門はロを開いて答えたのだった。 さが 「兄者は今夜、菊花の約束を守ってわざわざ来て下すっ しゅこうきよう たのしゃ。そこで、かねて用意しておった酒肴を供じて お迎えをしたところが、いくらすすめても食べようとは なさらぬ。そして : : : 」 か さもんあかな と、左門は赤穴と交わした話をし、自害のはての魂が ふゅう 浮遊してきたが、それが消えてしまったのだといったの 「それで寝ておられた母上を起してしもうたのしゃ。び つくりさせて、すみません : ・・ : 」 またもさめざめと泣くのだった。 「そ、フしやっこ、 ろうごくつな 「牢獄に繋がれてある人は、夢の中でも釈放されるのを のどかわ 夢に見るというものしゃ。喉の喝きを覚えるものは、夢 の中でも水を飲むということじゃ」 というのだった。 「お前も、それらの夢と同し類の夢を見たのではないか。 ふきっ 会いたい会いたいと念しておったので、そのような不吉 な夢を見たのではなかったのかえ」 「いやいや、そうではないのじゃ、母上。これは決して、 えそらごと 夢のような絵空事ではないのしゃ。来られた兄者は、間 違いなくここにおられたのしや」 と、またも大声で泣き伏すのだった。 さもん 母はもう疑うこともせすに、左門と共に泣き、その夜 は泣きあかした。 さもん 翌日、左門は母に礼正しくい、つには、 ししなか、ら 「私は幼い時から学問一途にやって来たとは、、 たぐい しやくほう
さも人 とみた 0 富田城の攻防疫病に倒れ左門に看病され あかなそうえもん た武士は出雲の軍学者赤穴宗右衛門であった えんやかもんのすけ とみた 赤穴は富田の城主塩冶掃部介の命令で近江 あまこつわひさ へ行っていたが富田では元の城主尼子経久 やまなかしかのすけ が山中鹿之介を味方にして城を奪回していた えきびよ、 がんえん 「いや、論語の中、顔淵もいうとるじゃありませんか。 てんめい 人間の生きるか死ぬかは天命の定めるところである、と。 天命であるなら、どんな悪病も伝染することはありませ ん。これを伝染するというのは、世の中の愚かしい俗人 の言葉しゃ。私は、そんなことは信しませんのしゃ : というか早いか、戸をあけて隣りの部屋に入って、人 ようだい の容態を見たのだった。 うじすじよう じんびん 主人の言葉どおり、人品すぐれ、氏素姓正しい人なの だが、病気はかなり進んでいると見えて、顔色は黄色く 皮膚は黒く、痩せ細って、古蒲団の上で苦し気に横にな っていた。 ふるぶとん かすがごんげんれいげんきえことば 病気で苦しむ人春日権現霊験記絵詞高階隆兼筆 さもん あお 左門をなっかしそうに目細めて仰ぎ、 「どうか、一杯のお湯を下さらんか : というのだった。 さもんまくらべ 左門は枕辺に近付いて、 「心配なさいますな。私がかならす苦しみをお救いしま すから : さっそく しよほ、つ といい、早速主人と相談して薬草を選び、自分で処方 ないふくかんばうやくせん を考え、内服漢方薬を煎して服用させ、そのうえ粥を食 かんびよう べるようにすすめ、看病する様子は兄弟のようであり、 実際、はんの少しも病人を捨ててはおけないといった献 身ぶりであった。 さもん この武家の出らしい病人は、左門の情深く手厚い看護 ぶりに涙を流して、 「私のような見す知らすの旅人に、これほどまでに親切 にして下さるとは : 私がこのまま死んでしまったと しても、死んだ後にかならす御恩返しをいたします」と いうのだった。 さもん 左門は、そんなことをいいなさんなと諫めて、 はやり 「気弱なことをいうてはなりません。流行の悪病という のは定った日数を過ぎれば治癒するもので、その日数さ じゅみよう えもちこたえれば、本来の寿命になるわけですぞ。私が かんびよう 毎日やって来て看病いたしましよう」 と誠意の約束をし、この約束を心身ともに尽したので、 さわ 病気の方もやや際復にむかい、気分の方も爽やかにな 0 てきたのだった。 「いや、御主人、もうなんとお礼を申せばよいやら : 旅人は鄭重な言葉を述べて、左門の人に知られない隠 しん ていらよう さもん かゆ
番大の遠くで吠える声も、夜の静けさのために意外に 近く聞え、やがて、月も山の端に入って光が暗くなった のだった。 「ムフ日はも、つあきらめるとい、つことしゃ : 戸を閉め、家に入ろうとすると、ふと目についたもの があった。 た虐よ おばろげに、人影らしいものが、風に漂、フよ、つに近付 いてくる。 「隹しゃ : あかなそうえもん とすかし見たなら、なんと赤穴宗右衛門ではないか。 さもん こおど 左門は喜び、雀踊りする気持で、 「私は、朝早うから待っておりましたのしゃ。今の時刻 まで待っておりましたのじゃ。や、やア、約束どおり帰 ってこられましたな。さ、さ、入って下さい」 あかな というと、その赤穴らしい人影は、ただ頷いているば かりで、なにもいわないでいる。 あかな さもん 左門は歩んで、南側の客室の窓の下に赤穴を迎え、坐 ってもらい 「いや、兄者の来られるのを、老いた母も待っておりま したのじゃが、明日はおいでになろうといって寝たとこ ろです。母を起してまいりましよう」 あかな といえば、赤穴は首を左右に振って、やめておくよう といい、なおも言葉を一言たりとも口にしないのだっ 「遠い出雲の国から、日に夜を継いでお越し願いまして、 : 。ほんの 心労も体の疲れも大変でございましように : 一口めしあがって、心ゆくまでお寝みになられたならよ ばんけん 一三ロ
おかまでん 吉備津神社御金殿阿曾女と呼ばれるニ人の のりと 巫女がいて神官が祝詞を奏すると釜が鳴り 響くようになっているこの釜鳴りの大きい きつらよう ときは吉兆であるが正太郎と磯良の結婚の 占いにはまったく釡鳴りがなくて凶であった 当一 両親は、これが心配でたまらない。ある日、ひそかに を寄せて話し合ったのは、 きフ 「ああ、なんとかして、ちゃんとした家柄の、器量のい い娘さんを正太郎の嫁にしたい。そうすれば、あの子の 道楽も自然におさまるというもんしやけ」 ということで、ひろく国中を歩きまわり、嫁さがしを はしめたのだった。 ちょうど すると、度いい具合に良縁をもってきてくれた人が 道さおう酒き あ の将るよ文さそっ 名軍。ば字んれた 門のもすどの 、お娘備 と流と 縁れも和り御中 組をと歌のはの 結ひ香かも才ミ んく央上色生の だ名家手兼れ宮 な門はに備びつ らし大詠ょのき ばや吉きめ娘上備び に備びばさ品津 そよ津、んで神 りつ彦琴し美社 やてのもやしの く神 も、異ま うあ母た親教主 えん弟上孝養さ えたに手行もん はあの のあに と家た弾ひいる香 ががりきうと央 、四なに あ びっちゅう かさだみ 88
病床の旅人 や ( を 春先になると青々と茂る柳の木は、邸内に植えてはな らない この中国の小説の書き出しは、軽薄な人とは友人関係 になってはいけないといっているのだ。 卯はすぐに青々と茂るけれども、初秋の風がひと吹き すれば、葉を落してしまう。 軽薄な人は簡単に交友関係に入るが、なにかのきっか そえん けで交際が途切れると疎縁になってしまうものだ。 柳の方は春が巡ってくると新緑の葉に染めあがるが、 軽薄な人は疎縁になれば、二度と訪問して来ないものだ。 はせべさもん かこがわ 磨の国 ( 兵庫県 ) の加古の宿 ( 加古川市 ) に、丈部左門と いう儒学者かいた せいひん 清貧に甘んじて、書物を唯一の友とし、家財道具があ 菊花の約 じゅ ちゅうごく ていない 、きくかのちぎり れこれあるのをわすらわしいとして、質素に暮していた ものだ。 はせべさもん この丈部左門に老いた母がいた 一も、つし ちゅう′」く 中国の賢母といわれる孟子の母にもおとらない賢母気 質の母親であった。 いとつむ こ - 莠ぎしつらね いつも糸紡ぎをやり、織物をつくり、息子の志を貫か せてやりたいと願う母であった。 さもん 左門には妹がいたが、彼女は同じ里の佐用家に嫁いで この佐用家は大変な金持・こっこゞ、 オオカ母と息子の賢い人 よめ 格に愡れて、貧富の差など問題にせすに娘を嫁に迎えた のだった。 佐用の家は丈部の娘を嫁にしてからというもの、なに かにつけて、時折物を贈って、母と息子の生活の一助に なればとしたのだが、 はせべ しっそ むすこ とっ かた
おうさか 0 逢坂の関九月九日重陽の節句に赤穴との 再会をかたく約束した左門は朝早くから酒 の用意をしながら待った外は道ゆく旅人の 群れが多く馬方などが足早に通っていくが 赤穴はなかなか来なかった石山寺縁起絵巻 らようよう さけ ろしかろ、フ」 さもん といって、左門は酒をあたため、肴を並べてすすめた あかな のだが、赤穴は、また頭を左右に振って、袖で顔を覆い、 その酒肴の匂いを避けるふうなのだ。 「いや、ほんの貧しい料理で、十分におもてなしは出来 ませんが、これは私の心づくしなのです。そんなに厭な 顔をせずに食べて下さい あかな いぜん 赤穴は依然として黙りこくっていたが、ふーむと長い たんそく 嘆息をして、しばらくしてからいうのだった。 「あなたのような賢い弟が、誠意をこめてつくってくれ たこのもてなしを、私がいやだといえる理由はない。あ なたを欺す言葉のもちあわせがないわけだから、では、 あや 本当のことをいおう。必すや怪しみおどろくなよ」 と一氏ノしし しりよう 「私は、この世の人ではないのだ。死霊が人の姿を借り しゅこう だま さかな おお かつらうそうめん 甲冑の総面 て現われたのだ」 さもんぎようてん 左門は仰天して、 「な、なんと。ど、どうして兄者はそんな奇怪なことを おっしやるのしゃ。 え、私は、夢だという気は さらさらにありませんぞ」 あかな というと、赤穴は、 「あなたと別れて故郷に戻ったものの、故郷の人々の大 えんや あまこつねひさ 半は尼子経久の威勢下に従い、旧主の塩冶氏の恩義をか あかな えりみる者は一人もなかった。そこで、私は従弟の赤穴 たんじ とみた 丹治が富田城中にいるのを訪れたところ、彼は、この世 でどうすれば得するか、或いは損をなすかと説明した上 たんじ うわべ あまこつね」 で、私を尼子経久に紹介したのだ。私は、表面だけ丹治 つねひさ つねひさ に従うように見せかけて経久と対面し、経久のなすこと すべてを詳しく観察した。その結果、なるはど万人に匹 さくりやく ゅうもう 敵するぐらいの勇猛な精神があり、思いきった策略をや とうそっ り、部下もうまく統率はしているものの、智者を用いる 場合に疑い深い気持があって、これがため、主君のため に手足になって働こうという家臣がおらんのだ。私は、 こんな所にいても仕方がないと思い、あなたと九月九日、 むねつねひさ 菊花の日に約束した旨を経久にいって去ろうとしたとこ たんじめ つねひさ ろが、経久は恨みこめた表情をして、丹治奴に命して私 なんきん を城の外に出さすに軟禁し、ついに今日に到ったのだ。 もしも今日の約束を破ったなら、あなたは私をどう思う かと、ただそれだけを考えていたのだが、逃げ出す方法 がわからないのだ。古人の言葉にーーー人は一日に千里の 道を行くことが出来ないが、魂は一日に千里を行くこと が出来る というのがある。私はこれを思い出して、私 てき こじん とこ ひっ
がっさん 富田城 ( 月山城 ) 赤穴の死霊と別れた翌日 しんぎ 左門は義兄弟としての信義をまっとうするた あかなたんじ め富田へ向かった左門は赤穴丹治の邸へ直 行し武士としての信義をわきまえず尼子に へつらった丹治を斬り倒した月山古城絵図 「いや、武士という者は、その身分が富んでいるか、 たまた貴いか、あるいは盛衰のことをとやかくいう者で はありませんのしゃ。ただ、誠を通す心を重んじるもの あかなそうえもん でありますのじゃ。兄上の赤穴宗右衛門殿は、私と交わ ばうれい した約束を重んしられて、それを亡霊となって守り、百 もと 里の遠い道を私の許にまで来て下さったのじゃ。なんで、 この心に黙っておれましようぞ。私もこの兄上の心に報 いんものと日に夜をついで来たわけです」 いったん と一旦、言葉を切って、 「私が常日頃学んでいることについて、あなたに一寸聞 いてみたいことがありますのしゃ。お願いですから、明 白に答えてもらいたいもの : : : 」 さいしよう こうーくざ 「昔、魏の宰相であった公叔座が重病になって床につい ぎおう こうしゆくざ た時、魏王が毎日のように見舞っては、公叔座の手をしつ かと握ってーーーもしも万が一お前が死んだとしたなら、 誰を次代の宰相として国の政事を任せたらいいであろう こう か。どうか私のために教えてくれぬか A 」い、つをス八ム しゆくざ しようおう 叔座がいうにはーーー商鞅はまだ若年だが、大変にすぐれ た才能をもっておりまするぞ。もし王がこの男を有用と を 2 い まつり′」と ちょっと おばし召されすとも、この男を国の外に出してはなりま せんぞ。たとえ、その男を殺してでも国の中にとどめお かれますように。もしも他の国へ行かせますると、きっ わぎわ とこの後々になって、この魏の国の災いとなりましよう ぞーー・ーーと、こんこんと教えて、王が帰った後に、ひそか しようおう わしはお前を に商鞅を呼び寄せていったそうしゃ。 すいきょ 王に推挙したのだが、どうも王はあまり気が乗らない様 子が見えた。そこで、それならお前を殺してしまった方 かよいと教えた。これは、君を先に考え、臣を後に考え る君臣の道であるぞ。さ、お前はすぐさま、この国を去 ればよい。他の国へ逃げて、この難をのがれたがよいぞ といったとい、フことじゃ。この話をあなたはひとつ、 あかなそうえもん 御自身と赤穴宗右衛門に当てはめてみれば、如何じゃ」 といったのだった。 たんじ 丹治は、胸抉られたか、ただ黙って俯いたままだった。 たんじ 「さあ、丹治殿」 ひざ 左門はさらに膝乗り出していうには、 そうえもん えんや 「兄者の宗右衛門が、塩冶氏の恩を感して尼子の方に仕 えん かん 官しなかったのは、義士だからで、あなたは、旧主の塩 冶氏に愛想つかして尼子の家臣になられたのじゃが、こ ふるま れは武士としての信義を知らぬ振舞いじゃ。兄者は菊花 の約束を重んしなさって、生命すててまで遠い路を来ら れたが、これこそ誠意のもっとも誠意なるものではなか あまこ ったかということしゃ。あなたは今、尼子氏に甘えて、 ひ ) 」う そうえもん しんせき 親戚筋の宗右衛門を苦しめ、今回のような非業の死に追 いつめたのです。それは友人としてやってはいけない不 つねひさ 信というものですのじゃ。たとえ経久が無理に兄者を閉 さもん あまこ うつむ あまこ いかが