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検索対象: メッタ斬りの歌
18件見つかりました。

1. メッタ斬りの歌

と笑い声をつけ加える。その「オホホ」はそよ風のように軽いが、光代さんの耳には軽い 分、どこか小・ハ力にしているような気配が感じられるのである。 「実はお電話しましたのは、ご迷惑をおかけしたお詫びを、と思ったからなんですけど、 もうひとっ : : : ご迷惑っいでにお願いがありますの」 「お願い ? 何かしら ? 」 「ほんとに申しわけない、厚かましいお願いなんですけど、ほかにこんなこと頼める人は いないものですから : : : 」 「何かしら ? おっしやって」 「申しにくいんですけど、お金を少し、ご用立て願えませんかしら ? 」 「お金 ? 」 「ええ、二十万ばかり」 「二十万 ! 」 「ええ、急ぐんですの。明日の三時までに」 「三時 ! 」 三時までに二十万を用立ててくれとは、いきなり、何ということをいい出す人だろう、 と光代さんはムッとした。二十年前に四年間部屋を貸しただけの間柄で、それはよく出来

2. メッタ斬りの歌

登 ム ン勝子さんの事情というのはこうである。 ぼんと 勝子さんは今、京都の先斗町に近い旅館に、橋爪という男性と泊っている。橋爪はもと、 勝子さんの夫の家業である松の江酒造の経理部の社員だったが、辞職後東京に出て不動産 125 た娘さんだと認めてはいたが、その後は年賀状のつき合いだけである。いきなりやってき だま て、亭主を欺す嘘をいわされたと思ったら、今度は金を貸せというー あまりのことに思わず絶句した光代さんの耳に、優しげに粘る勝子さんの声が流れこん できた。 「こんなこと、いきなりお願い出来る筋合じゃないことはよくわかっております。お腹立 ちでいらっしやることもよくよくわかります。けれど : : : それがわかっていながら、こう してお願いしなければならない事情がございますの、明日、うちへ帰りましたら、間違い なく三日後にはお返しいたしますから : : : わたくしが帰ってからでは、間に合いませんも のですから : : : 」 勝子さんの声は優しげに粘りつつ、細く高くなっていき、ふとと切れたと思うと徴かな すすり泣きが聞えてきた。

3. メッタ斬りの歌

怒ってるってことがわからないの。もしかしたら、面白がってるんじゃないかと思うくら い。その鈍感さといったら : : : 」 いいつづけようとする光代さんを、勝子さんは笑顔で遮った。 「あのう、わたくし、間もなく失礼しなくちゃならないんですけど」 「えつ、まあ、ゆっくりしてらしてよ。わたしは泊ってもらうつもりをしてるのよ」 「ありがとうございます。実はわたくし、お願いがあってお邪魔しましたの : : : 」 「何でしよう ? 勝子さんの頼みなら、何でも。わたしに出来ることなら : : : 」 光代さんの上機嫌はまだつづいている。 「実はわたくし、今日上京して : : : 今夜はこちらさまに泊めていただく : : : そういうこと になっているんですけど : : : 」 「ええええ、ですからどうぞ。遠慮なく何日でも泊ってちょうだい」 で 直「ありがとうございます。でも」 まゆ 人勝子さんはなだらかに手人された薄い眉の下の切長の目を伏せた。 で「わたくし、これから箱根へ行きますの。そして箱根に一泊するつもりなんですの」 悧「箱根 ! 」 「ええ」 さえぎ

4. メッタ斬りの歌

% 「ご家庭」とか「お躾」とか、言葉に敬意を持たせるのも、頼子さんへの深い好感のため なのであった。 ーー・間崎さんは口先はお上手だけど、油断ならない人だわ : と光代さんは思っている。光代さんはゴマ煎餅ひとつにも、人間観察をゆるがせにしな い人なのだ。 さて、そんなふうにして光代さんの気に人りであった島頼子さんだが、この頃時々、光 代さんは彼女について「アラアラ」と思うことがある。そのひとつは頼子さんが思ったほ ど勉強家ではなく、遅くまで電気スタンドが点っているのは、マンガ本を読んだり、時に は『メンズモロア』などという男性向きのファッション雑誌を開いているらしいことであ る。 チリ紙交換が来たらお願いします、といって頼子さんが置いていった雑誌の中から『メ ンズモロア』を取り出してみて光代さんはびつくりした。どの頁を開いても若い男の写真 が出ている。 「・ハッグと靴はこう選ぶ」 「薄手カーディガンを着こなす」 「グレーのスーツをモノにする」

5. メッタ斬りの歌

光代さんは、ロうるさいばあさんだといわれて今日まできたけれども、自分はいつも正 直だという自負だけは高く掲げてきた。誰が何と悪くいおうとも、だから平気で自説を曲 るげずにきたのだ。光代さんは自分がトクをするために嘘をついたことは一度もない。いい 人だと思われようとして、巧妙に立ちまわったことも一度もない。自分に対しても他人に 対しても常に情熱的だった。正直、誠実だった。だがそんな光代さんの真情は誰にもわか らない。 「それほどロうるさくなければわかったかもしれないが」 からだと私は思います。 どうか目を醒まして下さい。あなたは世間知らずの『お嬢ちゃん奥さん』ですよ。どう かご主人には何もいわず、すべてを忘れて仲よく添い遂げるよう努力して下さい。私の心 からのお願いです : : : 」 速達で投函したが、光代さんの不安は消えない。会ったこともない野々宮氏が夢に出て うら とどろ きて、「米山さん、お怨みしますよ」といって消えた。目が醒めた後、心臓の轟きがいっ までも消えなかった。

6. メッタ斬りの歌

126 会社の経理に人った。二十万の金の人用は、彼が使い込んだ会社の金の穴埋めのためであ る。明日の三時までにその金を人れておかないと、彼は犯罪者になってしまう : 勝子さんはそう説明すると、 「ですから、人一人を助けると思って、どうか、どうか、お願いします」 と声を慄わせたのが、いやらしい : : : と光代さんは思う。 だいたい、その橋爪なる男と勝子さんの関係を、ことここに至っても明らかにしないの が光代さんには面白くないのである。 「で、その人との勝子さんの関係は ? 」 と何度訊いても、 「ですから、もとうちの会社で経理を見てくれてた人です」 というだけである。勝子さんにしてみれば、夫に嘘をついて箱根や京都に泊っているの だから、いわなくてもわかるでしよう、という気持かもしれない。勿論そんなことは光代 さんにだってわかっているが、ひとにこんな頼みごとをするからには、すべてを明らかに 告白するのが礼儀というものではないか、といいたいのである。肝腎のところはご想像に 委せます、で、頼みごとだけは厚かましくしてくるなんて、勝手きわまるわ、というのが 光代さんの気持である。 ふる

7. メッタ斬りの歌

174 そんなこと、わたしが知るわけないでしよう、と怒鳴りたいのを我慢して光代さんは、 「ねえ、お食事終ったら応接間へ来て下さいな。お願いするわ。あなたに会いたくてわざ わざ、松江から出て来られたんだから」 そういうと応接間へ戻った。はてさてカオルさんと勝子さんと、どっちの味方をすれば もなか いいのか、光代さんは決めかねる。お茶の支度をして貰いものの最中と一緒に運んで行く と、カオルさんがやってきた。 「わたし、立花カオルですけどオ・ 胸もとにヒラヒラのついたプラウスに着替え、あの自信たつぶりの、 ( カオルさんが一 番チャーミングだと信じている ) 目をクルクルさせるあどけない表情で可愛らしくいった。 そのカオルさんに、勝子さんは落ちついて気品あるおとなの徴笑をさし向け、 「はじめまして、野々宮でございます。突然、お呼びたていたしまして申しわけございま せん」 丁重に挨拶をする。 「ではわたしはあちらにおりますから」 本当はこの場に立ち会いたいのだが、年輩者の礼儀常識としてはそういうべきであろう。 光代さんは心残りながら会釈をして応接間を出た。

8. メッタ斬りの歌

光代さんはまだ事態が呑み込めない。夫に向って嘘をついてまで箱根へ行こうとしてい るのが、あの宮本勝子さんだということが信じられない。これがカオルさんや頼子さんな ら、すぐに信じて怒ることが出来るのだが。何かこみ人った事情があるのだろうか ? 「申しわけありません : : : 」 勝子さんは畳に手をついて頭を垂れた。地味な束髪のヘアスタイルが地味な分、却って 魅惑的である。 、お願いします : : : 」 「どうかこれ以上はお聞きにならないで。どうか : 「そういわれても勝子さん、二十年ぶりに突然来て、いきなりそんな : : : とにかく事情を 話して下さいよ」 「申しわけありません : : : 」 畳に手をついて頭を下げたまま、じっとしている。 で 直「今日のところは何もお訊きにならないで。そのうち、きっとお話ししますから : 人がわたくしの一生の分かれ路なんです。それだけ申しておきます。それだけで今日はお許 でし下さいませ」 はず 悧上品で、礼儀正しくて、悧ロで、美人で、素直だった筈の勝子さんに、こんな身勝手さ が隠れていたのか。身勝手なばかりじゃなく、剛情でもある。俯いた白い細面には、優し みち うつむ そおもて かえ

9. メッタ斬りの歌

目を伏せたまま勝子さんは徴笑している。 ういうい 二十年前の初々しい女子大生だった頃も勝子さんは徴笑を絶やさない愛想のいい娘だっ た。しかし今のこの徴笑は同じようでどこか違う。あれから勝子さんが経てきた二十年の あか 歳月の垢のようなものが、その徴笑に附着している。それは中年の落ちつきであり、そし てふてぶてしさだ。それは透明ではなく、膜に蔽われている。その徴笑の下にいったい何 が隠されているのか ? そう思わせられる徴笑だ。 「それで、今夜、松江からこちらに電話がかかるかもしれませんので : : : もしかかってき ましたら、雨に濡れて風邪気味なのでもう休んだとおっしやっていただきたいんですの 光代さんはわけがわからぬままに、勝子さんを見返して眉を寄せた。 「ごめんなさい。突然来てこんなことお願いするなんて、非常識だということはわかって おります。でも、東京にはこんなことを頼める知人は一人もいませんし、昔、可愛がって いただいたことを思い出して、奥さまなら : : : と思ったんですの」 だま 「するとつまり、ナンなのね。松江のお宅の方々を欺すってこと ? 」 おお

10. メッタ斬りの歌

くらいの挨拶をしてほしいのである。・ハラの花一輪でもオレンジ二個でもいい、感謝の 印を貰いたいのである。 貸すのがイヤなのではない。いや、むしろ「貸したい」。貸して、カオルさんに「礼儀 正しく感謝」されたいのだ。本音をいえばその上、何くれとなく世話をやき、人生の先輩 として後輩を指導したいのだ。 ーー宮本勝子さんがそうだったわ : 光代さんは二十年前の女子大生を思い出さずにはいられない。あの勝子さんに今の娘た ち、カオルさんのことを話したら、何といって呆れるだろう。勝子さんならきっと、わた しの気持をわかってくれるわ。勝子さんのことを好きになった大の学生。大久保何トカ というヒョロヒョロと痩せた長髪の青年だったけれど、その大久保が勝子さんにつきまと やっき うのを、躍起となって追払ったのも懐かしい思い出だ。その頃は下宿人の部屋に電話なん 「かなかったから、朝に夜にかかってくる大久保からの電話に光代さんははりきって応戦し コたものだ。 日「宮本勝子さん、お願いします」 誕と大久保がいうと間髪人れず、 「勝子さんは電話に出たくないといってます ! 」