三日 - みる会図書館


検索対象: メッタ斬りの歌
120件見つかりました。

1. メッタ斬りの歌

世話を感謝し、不束な子供が御迷惑をかけているのではないかと心配していたものである。 その頃の学生の中には、結婚後も年賀状を欠かさない人がいる。生れた子供の写真が送 られてきたこともある。 「あの頃の学生には人間味がありました。今とちがって心というものがあったわ」 少くとも週に一度、いや三日に一度、多い日は一日に三度、四度、光代さんは「あの頃 の学生」を懐かしまずにはいられない。 「ところがこの頃ときたら : : : 」 それが始まると夫の孝造さんは横を向いてテレビに見人る格好になった。 孝造さんは今は週に三日だけ顔を出せばいい閑職に身を置いている。食品会社を停年退 職した後、娘の葉子さんの嫁ぎ先の、洋菓子店の経理をみているのである。その点から思 うと、光代さんが立てた「老後の設計」は賢明だったといえるのである。 「そうらごらんなさい。こうしておいてよかったでしよう。なのにお父さんたらあの時、 なんていって反対した ? あの時お父さんは部長に気に人られてたけれど、わたしはあの 部長がいなくなったら、あとはオチメとにらんでました : : : 」 それは確かにその通りなので、だから孝造さんは、一言もない。従って万事につけて寡 黙になっているのである。 ふつつか

2. メッタ斬りの歌

んが留守だったのでホッとして、赤福餅だけを置いて行った : まったく何という男だろう。 光代さんは赤福餅を台所の床にほうり投げて、そのままその日は寝てしまったが、翌朝 起きてそれを拾い、三時のお茶に間崎夫人を呼んで食べたのだった。 間崎夫人といえば、夫人の方はあれ以来、間崎氏と冷戦状態に人ったままである。夫人 に人歯を隠されてカオルさんとのデイトに行けなかった間崎氏は、その翌日、夫人から取 り上げた人歯を人れて東北地方の講演旅行に出かけて行った。一一泊三日の講演旅行を終え て帰宅したが、むつつりしたまま夫人と口を利かない。 「食事の支度が出来ました」 「うん」 「お風呂が沸いてます」 「うん」 「お先に休みます」 「うん」 昨日など、一日にしゃべった一一一口葉はそれだけですのよ、ホ・ホ : : : と間崎夫人は鯉がふ を食べるようにロに赤福を人れて含み笑いをした。 こい

3. メッタ斬りの歌

を見てると、いったい何のために大学へ行ってるのか、目的を見失ってるんじゃないかと いう気がするのよ」 カオルさんは困ったように首をかしげた。 「そうですか」 「そうですかって、不服なの ? 」 「いえ、不服だなんて、そんな : : : 。考え方は各自の自由ですから」 「あなたはそう思わない ? 」 「そうですねえ : : : 。特別に考えたことないから : : : よくわかりませんー 「よくわかりませんって、カオルさん ! あなた : : : 」 絶句した光代さんを残してカオルさんは、 「じゃちょっといってきます」 軽い靴音を立てて玄関を出て行ってしまった。 代その日から三日経った。例年にない冷夏のせいか、庭のヘちまが花を咲かせそこなって 倫いる棚の下で、光代さんがカビのきたそうめんを広げていると、間崎夫人が息を切らせて 不 走ってきた。 「奥さーん」

4. メッタ斬りの歌

面倒くさそうにいったきりだった。それが一昨年の六月五日。 だから去年の六月五日は、もう何もせずにほっとけばよかったのだが、それが因果な性 分で、光代さんはついまた、世話をやかずにはいられなくなったのである。 というのはこうだ。その三日ほど前に、光代さんは台所の床下に三十個ばかりのじゃが 薯が芽を出してしなびかけているのを思い出した。そのじゃが薯は春頃、向いの間崎さん から貰ったもので、 ( 間崎さんは年の暮に北海道の知人から送られてきたじゃが薯が芽を 出しはじめたので、あわてて光代さんにくれたもので、その時、光代さんは「こんなにな ってからくれるのなら、どうしてもっと早くくれないのか ! ケチ」と腹立たしく思った ものだった ) 気になりながらも夫婦二人暮し、おまけに孝造さんは薯嫌いのため、食べき れずに残っていたのだった。 これを使ってコロッケを作ろうー たちま その思いがひらめくと、「何もせずにほっとこう」という決心は忽ち吹き飛んだ。光代 さんという人は、芽を出してしなびかけているじゃが薯でも、そのまま捨てるのは「勿体 ない」と思う人である。 「お母さん、そんなお薯、捨てればいいじゃないですか ! 」 あき 丁度来合せていたヨメの里子さんに呆れたような声を出されると、よけいに捨ててはな いも もったい

5. メッタ斬りの歌

162 「今朝、表へ出たら間崎先生が立っておられて、カオルさんのこと、いろいろ訊かれまし た」 という時は、愉快げな顔つきになっている。 カオルさんは橋爪と三日にあげず会っているらしい。それを聞いた光代さんは、橋爪が どういう男であるかをカオルさんに知らせなければ、と思う。間崎夫人は、 「ほっとけばいいじゃありませんか ! 」 と簡単にいうが、光代さんとしては若い娘がみすみす悪い男にひっかかっていくのを、 黙って見ているわけにはいかない、それはおとなの義務だと考えている。娘の葉子さんに いわせると、それは義務というよりおせつかいよ、ということになるが、光代さんは日本 の若者がダメになってきたのは、年寄りがおせつかいをやめたためだとかねてからいって いるのだ。 明日の土曜日はカオルさんは橋爪とドライプをするらしい。だから今日のうちにカオル さんに注意をしておかなければと考えて、光代さんはカオルさんの部屋へ上って行った。 「ごめんなさい、カオルさん : : : ちょっといいかしら : : : 」 ドアが開いてカオルさんが顔を出した。

6. メッタ斬りの歌

せいするわよ。いつも日曜日だといっても家でゴロゴロしてるでしよ。たまにはいいもん よ、静かなみどりの中を歩くのは」 いつになくしつこいのは、孝造さんが家にいると、皿やコップをカオルさんに貸すにち がいないからである。 「それなら向いの奥さんでも誘って行ってくればいいじゃないか。オレは留守番をしてい るよ」 それが困るというのだ。 「あなたって冷たい人ねえ。たまに、二年にいっぺんか三年にいっぺん、わたしが一緒に 出かけましようといってるんでしよう。それを留守番してる、だなんて。わたしと出かけ るのがそんなにイヤ ? 」 光代さんは語気も鋭く詰め寄った。 六月五日は日曜日である。結局、光代さんは孝造さんを引っぱって、茅ヶ崎にいる長男 の一郎さんの家へ遊びに行くことになった。一郎さんのところには小学校一一年の登と、幼 稚園へ行っているさくらの二人の子供がいる。孝造さんが出かける気になったのは、その

7. メッタ斬りの歌

笑い声におびえるオジ、オ・ハ予備軍にとって、『メッタ斬りの歌』のヒロイン、米山光代 さんは心強い存在である。彼女の「ポンポン時計や手風琴など、昔のものはステキだと言 って大事にするくせに、じいさんばあさんは大事にしない」という怒りには、思わず拍手 をして、同感 ! と叫びたくなるにちがいない。 ハタリアンであ さて、米山光代さんは六十一歳、立派なオ・ハタリアンーーというより・ハ る。 夫の孝造さんは、週に三日だけ顔を出せばよい閑職に身をおいていて、長男の一郎さん は大手スー。ハーマーケット第三支店の店長、長女の葉子さんも洋菓子店に嫁いでいる。 その上、光代さんは四十代の時に、間貸しを目的とした二階一一間、階下一一間の建増しを した。生活に不安はない。 その光代さんが、 「ああ、もう、メッタ斬りに、斬って斬って斬りまくりたいわねえ」 と、口癖のように言う。 原因は、若い間借人の言動であった。 たとえば、腰まである長い髪に黒い瞳、花びらのような唇をもったチャーミングな女子

8. メッタ斬りの歌

152 胸に沸くメタンガス 冷夏がそのままなしくずしに秋に紛れていって、気がつくと勝子さんに二十万円を貸し たあの日から、はや一二か月以上が経っている。 光代さんの預金通帳からは二十万円が引き出されたまま、まだ埋まっていない。光代さ んはムッとして毎日を送っている。 あんな人とは思わなかったわ ! 孝造さんのいない時に、吐き出すようにいっている。いない時にいうのは、二十万円を 貸したことを孝造さんに内緒にしているからだ。孝造さんが昔の部下の結婚祝いの祝い金 はず を弾み過ぎたといって、光代さんが怒ったのは三か月前のことである。光代さんの留守中 に来た歳末助け合いの寄付金に近所の倍も出したというので喧嘩になったのは去年の暮の ことだ。孝造さんが知人に泣きっかれて十万円の金を貸し、ドラヤキの六ツ人り箱で利息 なしのまま、一年後に返ってきた時、釣銭を間違えて少く受け取ってきた時、あの時、こ

9. メッタ斬りの歌

登 ム ン勝子さんの事情というのはこうである。 ぼんと 勝子さんは今、京都の先斗町に近い旅館に、橋爪という男性と泊っている。橋爪はもと、 勝子さんの夫の家業である松の江酒造の経理部の社員だったが、辞職後東京に出て不動産 125 た娘さんだと認めてはいたが、その後は年賀状のつき合いだけである。いきなりやってき だま て、亭主を欺す嘘をいわされたと思ったら、今度は金を貸せというー あまりのことに思わず絶句した光代さんの耳に、優しげに粘る勝子さんの声が流れこん できた。 「こんなこと、いきなりお願い出来る筋合じゃないことはよくわかっております。お腹立 ちでいらっしやることもよくよくわかります。けれど : : : それがわかっていながら、こう してお願いしなければならない事情がございますの、明日、うちへ帰りましたら、間違い なく三日後にはお返しいたしますから : : : わたくしが帰ってからでは、間に合いませんも のですから : : : 」 勝子さんの声は優しげに粘りつつ、細く高くなっていき、ふとと切れたと思うと徴かな すすり泣きが聞えてきた。

10. メッタ斬りの歌

153 胸に沸くメタンガス の時、金のことで孝造さんのお人よし加減を罵ったのは二度や一二度ではないのだ。 だからこの二十万円のことはロが腐ってもいえないのである。光代さんは勝子さんへの 失望と怒りをじっと胸の奥深くへ押し込めている。押し込めたものが沈澱してプスプスと メタンガスを沸き立たせている。 「なんですよう。ものを食べるとき、カチカチ音を立てないで下さいよう。キモチ悪い と孝造さんにツケッケいうのも、その毒ガスのせいである。カチカチ鳴るのは人歯が合 わなくなっているためで、新しく作り直せばカチカチは鳴らない。しかし新しくすると五、 六十万はかかると思うと、光代さんは、 「べつに痛むわけじゃないからねエ・ 曖昧にいって、カチカチを気に止めないようにしてきたのだ。 夫の人歯代を惜しんでおいて、勝子さんに二十万貸した・ 三日で返ってくると思うから気にもとめなかったことが、今になると悔やまれる。悔や みつつ孝造さんに八ッ当りをするのは、胸に沸くメタンガスのためだ。しかし孝造さんは、 「なにをまた機嫌悪くしてるんだろう」くらいに思って、平気でカチカチ音を立てながら、 好物の芋の煮ころがしを食べている。光代さんの不機嫌やにくまれロは、もう馴れつこに あいまい ののし