118 オムツの使用者は百三十人のうち五十人、夜間だけの使用が七人。真愛病院では、オムツ は百四十四人のうち百十人以上、それに夜間だけつける人が五人ほど。しかし、これで真愛 病院のほうが重い人が多いと即断するわけには、、 真愛病院は、入院前はオムツをしないですんだ人でも、トイレ誘導に手間がかかりそうだ と思われると、入院したその日からオムツをつけさせる。一方、サンビレッジは、オムツを つけて送られてきた人でも、はすせるものははずしてしまう。これは良心的な老人ホームや 老人病院では当たり前のことなのである。 二年前、オムツ随時交換の元祖として有名な大分県の特別養護老人ホーム「任連荘」を取 材したときの話だが、そこでは、入ってくるお年寄りの三分の二はオムツをつけていた。し かし、お年寄りを寝かせきりの状態におかす、排尿のペースを観察し、上手にトイレ誘導す る。こうすることで、オムツをはずせる人が出てくる。その結果、私の訪ねた時点で、オム ツを常時つけている人は五十人のうち十一人しかいなかった。これでこそ介護のプロである。 サンビレッジには、ポケの強いお年寄りが比較的多く集まっている棟がある。ほうってお けばトイレにいけす、漏らしてしまう人たちばかりである。でも職員がトイレに手を引いて 、けば、出すものを出してくださる。 「鈴本さん、おトイレいいですか ? 」と寮母に聞かれて、「は、、 ちょうだいしました」な んて答える方たちだが、 トイレ誘導することでオムツはしないですむ。その排泄の記録をみ
360 ( 人口十二万人 ) の八六年の精神科関係の入院はたったの四十二件。うち、強制入院 一一件、患者の自由意思に基づく入院四十件。その入院期間も平均十五日、いままでの最高が 十五カ月で、これは住むところが見つからなくて延びてしまったのだという。 この入院数は、世界的に見てもべらばうに少ない。 これは、恐ろしくきめ細かな住宅ケア なしにはとうてい、達成できない数字である。 第二十三には二十五戸、五十人分のケア付き住宅 ( 十五戸はアパート ) が用意され ていた。一戸当たりの入居者は最大三人。以前は十人以上のものもっくってみたのだが、ど うも施設くさい雰囲気になるのが避けられないため、小人数のものに切り替えたのだという。 県内のほかの四つのも似たような住居を用意している。 日常のケアは、訪問看護婦のほかにホームヘル。ハ ーも加わり、程度に応じて、いろいろな 援助のプログラムが組まれる。これまで、いちばん手のかかったケースでは、八年間、毎日 二回ナースが訪問、という記録がある。また興奮した患者さんにナース二人、ドクター一人 が、付きっきりになることもよくあるという。 第二十三のスタッフは、精神科医師七人、心理療法士一人、ソーシャルワーカー四 人、作業療法士六人、ナース二十人、ほかに病院勤務のナース三十五人。これで年約千件の ケースをこなす。 精神衛生センターは二十四時間オープンで、夜九時から朝の七時までは看護婦が二人勤め、
123 頻繁にコールを押す人は決まっていて、せいぜい二人くらいである。ポケの人が多い老人病 院ではナースコールを置いても意味がないという病院長がいるが、それはウソ。お年寄りへ の医療サービスは無駄だと思っているだけのことである。 ーとほば同じだ。 老人ホームでの働き手の主力は寮母と呼ばれる。仕事は老人病院のヘルバ いわゆるお素人さんであるところも似ている。しかし、 公式にはなんの専門性も問われない、 その人数は大変な隔たりがある。 サンビレッジは百三十人の入居者に対して四十二人 ( これに徘徊者の目配り役でさらにパ バーしている。そ ートが二人 ) の寮母がいる。いちおうの定数は二十八だから、大幅にオー れでもあの夜勤者の忙しさをみれば、 一一は子人手は十分とよ、 ~ ( の智 一一一る美長石原苑長はよくオーストラリアへ勉 一て込石苑強に行く。向こうの老人ホームは、お ナ 閉い新年寄り一人に看護職一人。日本の実情 をとジ とい , っ ツは恥すかしくて話せない、 老対レ 呆反ビ真愛病院は二階百四十四床の夜勤に 痴対ン ー二人。四人なら 「絶サ看護婦一一人、ヘルバ サンビレッジ以上だ。しかし、看護婦
344 とすると、老人を縛る可能性のあるのは、あと精神病院か。 オーデンセ市やポーゲンセ村のあるフィン県には、県立のミッデルファート精神病院があ ホケのお年寄りが長く留め置かれるケースはなくて、精神科 た。ここもたすねてみたが、 : ナーシングホームに移されるという話だった。 この国では、老人用のナーシングホームは市町村立だが、精神科のナーシングホームに限 っては県が責任を持つ。フィン県にはそれが四つ。うち三つに、県内でも最も手のかかる老 人が集まっていた。その一つ、県南部のコリントという町にあるホームを訪ねた。 経済大国ニッポンがなぜ : 住宅地の真ん中にあるレンガ造りの一部二階建て。四十八人しか入居していないにしては、 巨大な建物である。日本の特別養護老人ホームの五十人用と比べて五倍以上はある。建物は ロの字形になっていて、中庭は広く、庭本の手入れもゆきとどいている。 四十八人の入居者のうち、二十二人が老人だった。そのうち二人は精神病で長く精神病院 に暮らしていて年とった人、あとの二十人がいわゆる痴呆老人であった。老人ではない二十 六人は、精神病で病院から移されてきた人。ここを足場にして、社会に旅立っていくのだと いう。他の精神科ホームもこんなものだという話だった。 ホームは本来の精神病の人のいる部分と痴呆老人の部分の二つのゾーンに分けて運営され
せんね ( 機械は一台で同時に二人までしか監視できない ) 。昼間、婦長が一時間ほどの間に 十人分もの監視をしたように格好をつけて、事後承諾でドクターが指示簿にサインしてます ね。 吉田看護婦は勝手にやりません。必ず指示があってからです。 大熊何年か前、埼玉の三郷中央病院でカルディオでの不正請求があって、詐欺罪で院長 が逮捕されてます。こちらのやり方はあの事件に似ているので注目しているのですが。先生 は、正しく使われていると断一言なさいますか 黄ばくは正しいと思います。乱用してないと、全く乱用してないといえます。 大熊十人、十一人と、あの重症部屋のほば全員に使ってますが。 吉田あのお、重症室ですから、これは : : : それでも毎日はできないでいますが、なるた け全員についてみるようにという指一小は出してあります。 大熊婦長が、午後一時から二時までの間に十人分の心電図をとってカルテに張りつけ、 それで一人四時間監視したことにしていませんか。一人一分少々機械を動かして、それで四 時間請求するのはおかしくありませんか。 吉田でも、実際は請求以上のことをやっているんです。 大熊機械を短時間動かしただけで十一人について一人四時間監視しましたというふうに 請求してませんか、とうかがっているのです。
全面介助。点滴しながら看護婦さんがスプーンでロに配り回る。あっちのロ、こっちのロと 目まぐるしい。介助を受けている人でお茶までありつける人は幸運である。 ーき、んが これが特急で片づけられて正午。職員は一時間の休憩に入る。午後一時、ヘルバ オムツを交換する。 担当看護婦はバルーンカテーテルといって尿道から膀胱へ直接、管を差し込んで排尿して いる人の尿量を量る。検温・検脈をする。点滴が二本、三本と続いている人の針を差し替え る。点滴が終わると床すれのある人の体位を交換する。 時間水を飲めぬ人もいる といったって、あれほどの点滴ぜめで体の動きを封じられていては、少々の体位交換をし の ちたところで床すれは冶りにくいだろう。もしこれで床すれが治るのだとすれば、この重症部 打 屋へくる前の処遇によほど手抜きがあって、かなり元気な人までが床すれをつくられていた 置 のだろう。 午後三時ごろ、担当看護婦は記録を書くためナースステーションの机に向かう。 吸 四時前にはタご飯が上がってくる。昼食と同じせわしげな光景が繰り返されて、四時十分 丿ノーがオムツを交換する。 には終わる。ヘレ。、 その間、 一人ぐらいはカルディオ・スコープで心拍を監視されている人がいる。ただしそ
116 けないくらい重い人をかかえている。とはいっても真愛病院と比べて、病状、ポケの度合い 体の不自由度にどんな差異があるのかを私が見極めるのはむずかしい そこで、真愛病院を知る看護婦さんに、両方の施設のお年寄りを見比べてもらい、併せて その介護力の違いを検討しようというのが当方の狙いである。 池田町は東海道線の大垣から電車で二十分ほどのところにあって人口二万一千五百。サン ビレッジはその町のほば真ん中に位置している。首都圏のはすれの山の中にひっそりと建つ ている真愛病院とは大変な違いである。 面会者は入居者一人に週四・四回、出入りするボランティアは年に延べ二千五百人。この 数字は、老人ホームが土地の人々の間にしつかり根を張っていることを物語るに十分である。 広い食堂がある。正午、そこに百人以上のお年寄りが集まって寮母の給仕で食事していた。 車いすに乗ったままの人ざっと四十数人、歩行補助具をそばに置いている人二十数人。その にぎやかなこと。見恝れていた同行の看護婦さんは、こんな感想を発した。 「これが老人の病院や施設の本来の姿なのでしようね。真愛病院には、この車いすの中間層 がほとんどいなくて、多数の寝たきりと少数の自分で歩ける人のどちらかだけなのですよ 真愛病院では、昼ごろに玄関を入っても、入院者が居るのか居ないのかわからないほど、 しーんとしていた。
くなってたのかな、それがあの人が来てから三、四人ぐらいになったんですよ。看護態勢は、 ま、数は足りないことはわかっていましたけど、あの人が来てまあまあの医療になっている な、と思っていたんですけどね。とにかく見舞いに来させること、それから熱いタオルで清 拭することを心がけたのが、死亡数を激減させた理由でしようといってました。私も老人病 院の知識ございませんから、それも正しいのかなと : み 中の下ぐらいと思ってます 仕 . 〔二百十九人の入院者の中から毎月二十人近い人が死ぬ、そんな病院が放置されていたと ウ なぜ、その時点で厳格な調査をしなかったのか。死亡退院が三、四人に減ったのは結 す構なことだが、理由は見舞いが増えたからでも熱いタオルで拭くようになったからでもない。 を今も昔も見舞いは極端に少ない。清拭も、重症部屋以外はほとんどやっていない。創設期 嗷 ( 相模湖小津久病院といった ) はいまよりもっと看護者が足りなかった。 百四十四床の病棟に夜勤看護婦はたったの一人だった。床ずれの処置も器具の消毒も、ヘ の 宀兀、レ。、 ーと呼ばれる素人がやっていた。点滴もいまよりはるかに多くて処理に手が回らないた ーもいる。つまり看護が極端に貧弱 め、中身の入ったポトルを捨てた、と証一言する元へルバ だったし、いまよりもっと濃厚な診療が行われていた可能生もあった。開院当初だからべッ -0 ドを埋めるのが先決で、入院者を選ぶゆとりがなくて死期の近い人が多く入ってきたのかも 0
190 より介護に重点を置いたものを」・ : と厚生省が考え出したのが老人保健施設だった。 百床の特例許可老人病院の場合、医師は三人、看護婦十七人、介護職員十三人が基準であ る。それが同じ百床の老人保健施設となると、医師一人 ( 常勤 ) 、看護婦七 ~ 十人、介護職 員十五 ~ 十八人。ちなみに特別養護老人ホームだと、医師一人 ( 非常勤も可 ) 、看護婦三人、 介護職員二十二人だ 手能訓練や食堂など、老人病院には義務づけられてなかったものが老人保健施設には付、 ている。こうして見ると、老人病院よりは老人ホームのほうにより近く感じられたのも当然 である。 南小倉病院で感心させられるのは、このような基準で満足せずに人手をかけ、実にきめこ まやかなアイデアにみちあふれていること。さながら老人医療・福祉のデパートといった趣 である。 本館の隣には「託寿館」と名づけられたデイケア施設がある。つくられたのは一九八三年 で、病院としては全国で初めての試みとして注目を集めた。 鉄の町の孤独老人を救え , 体操、作業療法、機能回復訓練、レクリエーション、食事サービスなど多彩なメニューが 用意され、朝八時からタ六時までお年寄りを預かる。送迎は、自前の送迎車を使わす、契約
大限に尊重される国柄なのである。 どの部屋にも、ヘルバーやナースを呼ぶための「緊急アラーム」の装置がついている。ト イレ、シャワー 、ずれも壁の上のほうからひもがたれていて、それを引く と、ヘルバーの持っている小型受信装置がピッビッビッと音を発する。 受信器に表示された数字で、どこからの信号かが一目でわかる。たとえば「 6 0 3 1 」と表示されると「一階三号室の寝室」である。これは半径二十五キロ以内なら伝達可能 で、だから、このアパートに限らす普通の家に住む老人にも重宝に使われている。しかも夜 中だろうが明け方だろうがオーケーの二十四時間態勢であるところがすばらしい 町人口十七万五千のオーデンセ市には、二万五千人の国民年金受給者つまり六十七歳以上の ンお年寄りがいる。そのうち五千人がホームヘルバーの介護を必要とするほどの障害を持って いる。中でも約千人はナースのケアが必要な人々である。 ン ホームヘルバーは、総勢千四百人。これは週三十九時間フルタイムで働く人に換算して約 ア む 千人に相当する。ほかにホームナースが二百二十人、フルタイム換算で百三十五人。この 人々が、主に孤独なお年寄りを支えるため、市内を六地区に分けての二十四時間オープンの 齢ネットワークをつくっている。 一方、緊急コールのできる小さな発信器を持った在宅老人は、三百人弱。これが電話会社 のコンピューターを通してヘルバーの受信器に「助けて ! 」の信号を送ることができる。ま