83 じゅ ~ しゅ くんしん 儒教 ( じゅきよう ) 孔子によってはじめられた教え。君臣の 道 , 父子の道など , 人間が守らなければならない道徳を説い かんぶてい たもので , これによって国はよく治まるとした。漢の武帝の ときに国教に定められ , 専制政治の理論化に大きな役割を果 たしてから , 長く支配階級の指導原理となり , 中国だけでな くんこ く , 朝鮮・日本にも大きな影響を与えた。学風によって訓詁 學 , 朱子学 , 陽明学 , 考証学などがある。 宿場町 ( しゆくばまち ) 宿場をもとにして成立した町。宿場 は鎌倉時代以後 , 交通の発達にともなってその近くに市場や 寺院などが設けられ , " 集落として発展した。江戸時代には しよはん いると幕府や諸藩が , 整備確立したため , いよいよ発達し都 みしまかなや 市化してきた。代表例は東海道の三島や金谷などである。 守護 ( しご ) = 鎌倉・室町時代 = 幕府の地方制度上の職 よりとも よしつね 名。源頼朝が , 源義経をさがすために地頭とともに朝廷に願 いでて設置したもの。国ごとに 1 名を配置し , 軍事・警察の ごけにん ことをつかさどらせた。御家人のうち , とくに東国の豪族が せしゅう 任命されたが , 特別の失敗がない限り , 世襲を認められた。 南北朝から室町時代にかけて , しだいに権限を強化し , やが しようえんおか りようしゆか て荘園を侵して , 領主化し , 守護大名に発展していった。 守護大名 ( しゅごだいみよう ) = 室町時代 = 南北朝から室 町時代に , 封建領主化した守護をいう。戦国大名や江戸時代 の大名と区別してこういう。斯波・畠山・細川・山名・大内 おうにん の諸氏が代表例で , 応仁の乱後 , その大部分は没落した。 そうしゆき 朱子学 ( しゅしがく ) 中国宋の朱熹 ( 1130 ~ 120 のが大成し じ、よう た儒教の一派。理論的で , また君臣の道を強調したので , 江 戸幕府はこれを正学として採用した。 しば ばつらく
0 ) ぎり ~ きり しよみん しようれい 設けて庶民の意見を聞こうとした。⑤新田の開発を奨励し , さいばい さつまいもの栽培をすすめた。⑥大名から上米をとった。⑦ キリスト教に関係のない洋書の輸入を認め , 実用になる学問 しようれい を奨励した。く結呆〉このころは , 幕府のゆきづまりが , あ まりひどくなかったので , 一応の成功をおさめた。 1 7 1 6 ーー非難いろいろ享保の改革 ( 享保の改革 ) ギリシア文化 ( ぶんか ) く特色〉①オリエントやエーゲ 文明の影響を受けて生まれた。②紀元前 5 ~ 4 世紀にもっと も栄えた , 人間を中心とする文化で , ョーロッパ文明のみな もとになった。く文化遺産〉① 4 年ごとに , 全ギリシアの人 々の共同でオリンヒ。アの祭りが開かれ , 競技が行なわれた。 てつがく ②ソクラテス・プラトン・アリストテレスが現われて晢学の 基礎をつくった。③ホーマー ( ホメロス ) が英雄たちの詩をつ くり , またベルシア戦争の歴史も書かれた。④建築では , バ しんでん ほうりゆうじ ルテノンの神殿が有名で , その柱には法隆寺の柱と同じよう なふくらみ ( 工ンタシス ) がみられる。 あづちももやま キリシタン大名 ( ー一一だいみよう ) = 安土桃山時代 = キリス ト教を信仰し , その教えを広めるのに努めた大名。九州の大 ともありまおおむら 友・有馬・大村の 3 大名は 4 人の少年をローマに送った。 キリスト教 ( きよう ) 紀元前後のころ , ノヾレスチナのニ ダヤ人の間に生まれたイエス = キリストは , 「神は愛である」 はくがい と教えた。ローマ皇帝は , はじめ信者を迫害したが ; ・ローマ 貴族のなかにも , 信者になるものが多くなったので , 4 世紀 にはこれを認め , のちには国教にした。また , 中世の西ョー コッパでは , キリスト教が , 人々の精神を支配した。 キリスト教の禁止 ( きようのきんし ) ①豊臣秀吉は保連 しんでん あげまい
ふせ ~ ふつ のうゼい 168 た , 納税しているいないに関係なく , 平等に選挙権を与える ようにしようとする運動である。イギリスでも , はじめは身 せいげん 分などのちがいで選挙権を区別する制限選挙であったが , 1918 年はじめて普通選挙となった。わが国では , 大正時代に なってこの運動がさかんになり , 1925 年に普通選挙となった。 = 1928 = 第 1 次世界大戦後に 不戦条約 ( ふせんじようやく ) パリでイギリス・アメリカ・日本など 15 か国の間に結ばれた 条約である。国と国との争いを解決するのに戦争という手段 に訴えないことを約東した。のちに 60 余の国が参加した。 蕪村 ( ぶそん ) にデ P. 211 《与謝蕪村》参照。 語代大名 ( ふだいだいみよう ) = 江戸時代 = 江戸幕府を開 みかわ いえやす いた徳川家康は , 大名の統制に苦心し , 家康が三河 ( 愛知県 ) にいたころからの家来を譜代大名として , 国内の要地に配置 けらい C けにん した。外様大名を監視する役めを果たした。 とぎま この金額はしだいに減らされ , ことに大正時代にはいって普 いなければ選挙権が得られない制限選挙であった。その後 , せいげん 憲法の制定によってできた選挙法は , 直接国税 15 円を納めて * 普通選挙法 ( ふつうせんきよほう ) = 大正時代・ 1925 = 明治 し , ロシア文学をほん訳して , 日本の近代文学に貢献した。 こうけん 小説家。坪内逍遙に影響されて言文一致体の「浮雲」を発表 つばうちしようよう げんぶんいっち う、ぐも ニ葉亭四迷 ( ふたばていしめい ) = 明治時代・ 1864 ~ 1909 = 人は , 蔵元とよばれた。 くらもと った。江戸の蔵前に店をかまえていた。大阪のこのような商 くらまえみせ て手数料を取った商人である。また , 米を担保に金融も行な たん一 : きんゆう えられる米を , その代理として受け取り , それを売りさばい れ差 ( ふださし ) = 江戸時代 = 旗本や御家人が幕府から与
たい ~ たい * 大宝律令 ( たいほうりつりよう ) おさかべ 114 もんむ = 奈良時代・ 701 = 文武天 ふひと 皇の命令で 701 年刑部親王・藤原不比等らが編さんした。唐 もはん の律令を模範として律 6 巻 , 令 11 巻がっくられ , 官制・身分 へいせい 制度・土地制度・兵制・司法制度が定められている。 7 0 1 〔亟〕名は人も知る大宝律令 ( 大宝律令の制定 ) 大名 ( だいみよう ) = 江戸時代 = 将軍の直接の家臣で 1 万 石以上の領地の支配を認められた者。大名は徳川氏との関係 ふゼい こくだか とざま しんばん ふだい により親藩・譜代・外様に分けた。譜代は石高は少ないが幕 政にあずかり , 外様には大きな大名が多かった。幕府は武家 さんきんこうたい しよはっと 諸法度や参勤交代などによって大名の統制につとめた。 太陽暦 ( たいようれき ) 太陽の運行をもとにしてつくられた こよみ 暦。太陽の周期が 365.2422 日であるところから , 1 年を 365 日とし , 孺数は 4 年で 0.9688 日となるので , 4 年ごとに 366 日のうるう年をおぐ。ローマ法王グレゴリー 13 世は , 400 年 に 3 回うるう年を除いて誤差を直した。 平清成 ( たいらのきよもり ) = 平安時代・ 1118 ~ 1181 = 平 うりよう 氏の棟梁・政治家。 36 歳で平氏一門をひきいて , 1167 年には 政大臣に , また皇室の外戚となって政権をにぎった。全国 の半分以上を占める平氏の勢力をきずき , 宋との貿易もさか んにした。 1180 年に源氏が兵を挙げると討伐軍を送って勢力 の回復をはかったが , 1181 年 , 熱病のため病死した。 平将門の乱 ( たいらのまさかどのらん ) = 平安時代・ 935 ~ ちょうてい たいらのまさかど 940 = 平将門が関東各地を占領して朝廷に反抗した反乱。 ひたらしもつけこうづけこくふ 一族との領地の問題をきっかけに , 常陸・下野・上野の国府 たいらのさだもり しんのう せんりよう を占領して勢力をふるい , 自ら新皇とよんだ。のち , 平貞盛 によってしすめられたが中央の貴族に大きな不安を与えた。 とざま がいせき
せき ~ せつ 104 * 関が原の戦い ( せきがはらのたたかい ) 秀吉死後の 1600 年 , いえやす 徳川家康の軍と徳川に反対する諸大名の連合軍とのあいだに さいこ・くだいみよう いしだみつなり 行なわれた戦い。西軍は , 石田三成を中心として西国大名 とよとみ の大部分を味方にし , 東軍は徳川家康が豊臣氏に関係のある 大名 ( 加藤・福島 ) までを味方にした。これは全国の諸大名 とよとみ を二分した大決戦であったが東軍の快勝に終わり , 豊臣氏の 力はそがれ , 徳川氏の天下となった。 1 6 0 0 ユ匯〕一路雄々しく関が原 ( 関が原の戦い ) 関所 ( せきしょ ) 旅行者を検査し , 戦争のときには防衛上の 要所となった。大化の改新後に整備されたが , 室町時代には のぶなが かんぜいちょうしゅう ここを通る者から関税を徴収した。このような関所は信長・ ひでよしはいし 秀吉が廃止するまでつづいた。江戸時代には全国 50 余か所に いりでつばうでおんな けんさ おき , とくに関東では「入鉄砲に出女」を検査した。このた め , 交通の発達をさまたげたが , 幕府の維持には役だった。 関孝和 ( せきたかかす ) = 江戸時代・ 1642 ~ 1708 = 数学者。 はつびきんばう いえのぶ 6 代将軍家宣に仕えた。 1674 年の「発微算法」 , 、 1685 年の はつびさんばうえんた・んげんかい ひっきん 「発微算法演段諺解」で , はじめて筆算式の代数を発表した。 その 1 派は関流といわれ , たくさんの門人がいた。 * 摂関政治 ( せつかんせいじ ) = 平安時代 = 藤原氏が天皇の かんばく ようしよう 幼少の間摂政となり , 成人してからは関白となって行なった よしふさ せいわ 政治。藤原良房が外戚の立場を利用して , 858 年に清和天皇の 摂政となり , その子基経が宇多天皇のとき関白となった ( 887 ) せつしようかんばく のがはじめである。その後 , 藤原氏が摂政・関白の地位を独 みちなが よりみら 占し , 律令政治のしくみや内容も変化した。道長・頼通父子 いんせい のときが全盛時代で , 1086 年の院政の開始で衰えた。 8 5 8 一塰」山小屋で摂政やるか良房どの ( 藤原良房摂政 ) ほうえい がいせき もとつね
きん ~ さん せい 参勤交代 ( さんきんこうたい ) = 江戸時代・ 1635 = 幕府の 重工業におよび , 資本主義をいちだんと発展させた。 糸業などの軽工業で , やがて日清・日露の両戦争をはさんで ( 明治 2 のころからはじまった。そのはじまりは紡績業や製 ばうせき 《日本》イギリスより 100 年以上もおくれて , ほば 1887 年 と。④鉄や石炭の資源が豊富だったことなどがあげられる。 たこと。③植民地を建設し , 広大な海外市場をもっていたこ のやり方が変わり , 多くの農民が労働者として都市にでてき 手工業が発展して , 資本のたくわえが多かったこと。②農業 リスにはじめておこった原因は , ①羊毛工業を中心に工場制 ようもう リスにおこり , 半世紀以上もおくれて , 各国におよんだ。イギ をさしていう。《ヨーロッパ》 18 世紀の中ごろから , イギ が増大し , 人々の生活や社会のしくみが大きく変わったこと 産業革命 ( さんぎようかくめい ) 機械の発明によって , 生産 ーわが国の人歯くいしばる三国干渉 ( 三国千渉 ) 1 8 9 5 おいにしげきし , のちの日露戦争の遠因となった。 えんいん ことをいう。日本はやむなくこれにしたがったが , 国民をお 和をみだすもととして , この返還を強く申しいれ , 干渉した へんかん たとき , ロシア・ドイツ・フランスの 3 国が , 東アジアの平 の結果 , 日本が清国から遼東半島をゆずり受けることになっ りようとう - * 三国干渉 ( さんごくかんしよう ) 1895 年 ( 明治 28 ) , 日清戦争 通がさかんになった。徳川家光のとき , 正式の制度となった。 み , 大名統制の効果があがった。またこのため交通 , 商品流 制度化されたものだが , この往復の費用で大名は財政に苦し 名が江戸に 1 年 , 領地で 1 年すごす制度。人質のならわしが ひとじら 大名統制策の 1 つ。江戸の屋敷に , 妻とこどもを置いて , 大
かい ~ かす 貝原益軒 ( かいばらえきけん ) じゅんあん 24 = 江戸時代・ 1630 ~ 1714 = じゅがくしや 木下順庵について朱子学を学んだすぐれた儒学者。たくさん の本を人々にわかりやすく説いたので , 広く読まれた。「益 じゅっくん 軒十訓」などは特によく知られている。 懐風藻 ( かいふうそう ) 奈良時代に編集された日本で最初の きぞくそう こうぞく かんししゅう 漢詩集。皇族・貴族 , ・僧などの作品が 120 編集めてある。つ おうみのみふね くった人は , 淡海三船というが , はっきりしない。 柿本人麻呂 ( かきのもとのひとまろ ) = 奈良時代・ 7 世紀後 半 ~ 8 世紀初 = 役人としての身分は低かったが , 力強い気 迫と格調の雄大なすぐれた和歌を多く残した。「万葉集」の そんけい 第一人者とされ , のちの世まで歌聖として尊敬された。 = 明治時代・ 1872 = 明治政府が定めた最 学制 ( がくせい ) 初の近代的な教育制度についての法令。中央集権的なフラン スの学制・アメリカの学校教育を参考にして , 大学・中学校 ぎむきよういく ・小学校の制度が設けられ , やがて義務教育制度がつくられ る基礎になった。 学問のすすめ ( がくもんのすすめ ) 1872 年 ( 明治 5 ) から 4 年 ふくぎわゆきら 間にわたって出された福沢諭吉の代表的な著書。人間は自由 ・平等であり , 実際に役だっ学問がたいせつだと説いた。多 くの人に愛読され , 日本の民主主義の発達に大きく影響した。 りようち 掛屋 ( かけや ) 江戸時代に , 全国の大名が , 領地の米を大阪 の市場で売るとき , その代金や送金などをまかされた商人。 かけや のちには , 大名に金を貸すようになり , 大名はしだいに掛屋 こうのいけかしまや かけや に頭が上がらないようになっていった。掛屋は , 鴻池・加島屋 りようがえしよう などの大阪の代表的な大商人 ( = 両替商 ) がこれをつとめた。 カースト制度 ( ーーーーせいど ) 40(Å) 年以上も前に , インドに侵
157 はん ~ はん 建時代の末に商業がさかんになってできたもので , 強い海軍 をもち , バルト海や北海沿岸の貿易を支配した。 14 世紀の中 ごろには 80 あまりの都市が加盟してもっともさかんであった が , その後はしだいに衰え , 17 世紀には解散した。 藩政改革 ( はんせいかいかく ) = 江戸時代 = 19 世紀にはい はん って , 諸大名が藩の苦しくなった財政を立て直すために行な さつま ちょうしゅう った改革である。多くの藩では失敗したが , 薩摩藩・長州 藩などではある程度成功し , 幕府に対抗する実力を養った。 * 版籍奉還 ( はんせきほうかん ) = 明治時代・ 1869 = 明治維 はん せき 新のとき , 諸大名が治めていた土地 ( 版 ) ・人民 ( 籍 ) を朝廷 さつま ちょうしゅう ひぜん に返したことである。まず , 薩摩・長州・土佐・肥前の 4 藩が行ない , ほかの藩もこれにならった。政府はもとの藩主 はんちじ をそのまま藩知事に任じ , 藩主は政府の役人になったが , も との領地を治めたので , 領民とのつながりは切れなかった。 はいはんちけん そこで中央集権をさらに強めるために , 2 年後には廃藩置県 を行なった。 1 8 6 9 奉還はいやとむくれる諸大名 ( 版籍奉還 ) 班田収授の法 ( はんでんしゅうじゅのほう ) = 大和・奈良時 みことのり 代 = 646 年 , 大化の改新の詔によって定められ , 701 年の たいほうりつりよう 大宝律令によって完成した土地制度である。唐の制度をまね たもので , 土地を国有とし , さらに人民に分け与える方法で 6 歳以上の男子に 2 反 , 女子にはその 3 分の 2 を与えた。こ はんでんしうじゅ れを口分田といって , 家を単位に 6 年ごとに班田収、授を行な そ った。税 ( 租 ) として , 収穫の一部を納めさせ , 死ぬと国へ くふんでん かいこん 返させた。奈良時代の中ごろには , ロ分田が不足して , 開墾 さんせいっしん を奨励するために三世一身の法が出されると , この制度はし くぶんでん いえ しようれい
19 1867 = おう ~ おお 律令のむかしにかえって天皇が政治をとることを宣 よしのぶ せいけん 言した。 1867 年に 15 代将軍徳川慶喜が , 政権を朝廷にかえす ことを願ったので , 朝廷はこれを許して , 宣言を発した。こ の結果 , 38 年近くもつづいた江戸幕府の政治は終わった。 * 応仁の乱 ( おうにんのらん ) = 室町時代・ 1467 ~ 1477 = 8 よしまさ しゅこ・だいみよう 代将軍足利義政のとき , 将軍や守護大名の相続争いが直接の きっかけになって起こり , 全国の守護大名が 2 派に分かれ , 京都を主戦場にして戦った。く影響〉①室町幕府の力はまっ たく弱まった。②荘園はすべて武士のものとなり , 公家の支 配力はなくなった。③都の文化が地方へ伝えられた。④下剋 じようふうちょう 上の風潮が強くなった。⑤戦国時代となった。 1 4 6 7 人の世のむなしさ応仁の乱 ( 応にの乱起こる ) 大岡忠相 ( おおおかただすけ ) = 江戸時代・ 1677 ~ 1751 = 江戸の町奉行。もと伊勢山田の奉行であったが , 8 代将軍徳 よしむね えちぜんのかみ 川吉宗に認められて , 江戸町奉行に任命された。越前守とい い , 名奉行としてたたえられ , のち 1 万石の大名になった。 おおむらじ、 大臣 ( おおおみ ) = 大和時代の官職 = 大連とともに大和朝 かばね かばね 廷の最高の姓である。この姓をもつものは , 朝廷でもっとも おおおみ 重要な地位についた。大臣としては , 蘇我氏がもっとも有名。 大鏡 ( おおかがみ ) 平安時代の末ごろに書かれた国文の歴史 物語。ふたりの老人が昔を語りあう形で , 850 ~ 1025 年まで の歴史を , 藤原道長の栄華を中心に書いている。作者不明。 大久保利通 ( おおくばとしみち ) = 明治時代・ 1830 ~ 1878 = さつま とうばく 薩摩藩の倒幕運動の指導者。のち明治政府の中心人物となっ はんばっ て富国強兵をおしすすめた。代表的な藩閥政治家。征韓論を さいこ・うたかもり 唱える西郷隆盛と対立し , 西南の役をしすめるのに努力した しようえん みらながえいが せいかん せいなんえ、
うえ ~ うち 上杉謙信 ( うえすぎけんしん ) 14 = 戦国時代・ 1530 ~ 1578 = かんれい ながお 代表的な戦国大名。もとは長尾氏を名のったが , 関東管領の えらこ・ かんれいしよく のりまさ 上杉憲政を助けて管領職をゆずられ , 上杉氏といった。越後 たけだしんげん ( 新潟県 ) 地方をまとめ , 武田信玄をはじめ小田原の北条氏な どと戦って勇名をとどろかせた。のち , 京都にはいって天下 に号令しようとしたが , 出発まじかに病死した。 ふうぞくが 浮世絵 ( うきよえ ) 江戸時代に発達した独特の風俗画。その ころの町人生活などに題をとって , やわらかい線で歌舞伎役 にカくお 者の似顔絵や美人画や風俗・風景などを描き出した。元禄時 ひしかわもろのぶおこ はるの米 代に菱川師宣が興し , のち鈴木春信が美しい色をつかって錦 絵をかきはじめた。 浮世草子 ( うきよぞうし ) 江戸中期に町人の作者によって書 かれた小説の一種。町人の生活に題をとって人間のありのま いはらさいかく まの姿を描き出そうとした。元禄時代に井原西鶴によって始 められ , 広く大衆に愛好された。 氏 ( うじ ) 古代社会で血のつながりや住む土地のつながりで 1 つの氏の名のもとにまとまっていた集団。氏のかしらは氏 うじがみ のかみ 上とよばれ , 氏人をひきい , 氏の団結の中心である氏神の祭 うじのかみかんとく りをつかさどった。部は氏に属し , 氏上の監督のもとに田畑 をたがやしたり , 必要な品物をつくるなどの労働にしたがっ た。また , 部の下にほとんど人格を認められない奴婢がいた。 やまと 大和朝廷が日本を統一すると , 中央の氏は朝廷をかたちづく うじくにのみやっこあがたぬし り , 地方の氏は国造・県主などになった。 氏神 ( うじがみ ) 、 p. 14 《氏》参照。 打ちこわし ( うちこわし ) 江戸時代 , 町人を中心にして起こ った暴動。たいていは , 凶作やききんのときに商人が米を買 げんろく うじびと きようさく ほうどう