かどうかはわからないけれど " 今どきの三十女。であることは確かですよ。なにしろ私は 〃ムフどきのばあさんみだそ , つですから」 「うーん。 " 今どきの三十女〃ね : ・・ : 」 言われてみれば確かにそのとおりだ。判断計の針が左右に揺れたのも無理はない。娘の 価値観にも、今どきの初老 ( 失礼 ! ) である佐藤さんの価値観にも、すつばり身を埋める ことができない私は、まぎれもなく " 今どきの三十女〃なのである。 そう思って読み返してみると、この「今どきの娘ども」という本の中には、娘どもだけ ではなく、 ジョンがい 独身女性やキャリアウーマン、中年、若い男などの今どきバー い登場している。 つまり佐藤さんは " 今どきの娘。を中心にしながら、あらゆる年代、あらゆる職業の今 どき族を、この本の中で描いているのだ。 あどけない少女のような容姿をもちながら、大胆奔放な性生活を展開させているヒロミ。 頭の中で描く空想の恋愛の中だけに生きている、恋愛病患者のような尚子。「ウッソオ ! 」 説「イヤツダー」などという一一 = 〕葉が操れず、かわいい女になりきれないが実は面喰いのキョ子。 今どきの三人娘は、佐藤さんを驚かせたり憤慨させたりしながら好き勝手をして行く。 あぜん 解 けれども佐藤さんを唖然とさせるのは、そんな今どきの娘どもだけではない。 見た目はなかなかだし、一応力ッコもつけているのだけれど、自主性のカケラもない軟
神津カンナ 読み始める前に私は、机の上に本を置いたまましばらくの間、考え込んでしまった。 タイトルの「今どきの娘ども」という一一一一口葉にひっかかったからである。 はたして私は〃今どきの娘〃なのだろうか、それともそんな″今どきの娘〃の生態を嘆 どっちであっても、あまり喜ばしいことではなさそうだ。 く側のほうなのか : ″今どきの娘〃であれば、きっとこの本の中で佐藤愛子氏の。ヘンでこっぴどく叱られるの であろうし、〃今どきの娘〃を嘆く側にいることを感じたとしたら、それはまさに私が若 くない言拠となってしまうからである。 ( なるほど、これは私にとって一種の踏み絵のようなものらしい ) 説私はそう納得し、殉教を覚悟したキリシタンのような気分で、恐る恐る本に手を伸ばし て読み始めた。 解 ところが、ページを繰るごとに私は、自分が″今どきの娘″なのかそうでないのか、ま すますわからなくなってしまった。登場する娘どもの行動が理解できたりできなかったり、 刀串・
心の中の判断計の針が左右に首を振りつばなしで全然、答えが出せないのだ。 仕方なく私は、本を閉じて机の上にのせた。 我が家は、東京にしては珍しい大世帯で、明治生まれの祖母から、大学受験を控えた弟 まで、構成メンバーもバラエティーに富んでいる。それで私は思いきって、自分が″今ど きの娘〃なのか否か、家族に判断してもらおうとタ食の席で質問を試みてみた。 その時、まっ先に口を開いたのは八十三歳になる祖母であった。この祖母は、若い頃は モガで鳴らしたハイカラ明治女で、数年後には米寿のお祝いだというのに、短かい髪を薄 いグリーンに染め、やまもと寛斎のファッションに身を包む、ちょっと不思議な老人であ る。 彼女はチラリと私を見ると箸を置き、こう一言ったのである。 「今どきの若いモンとか、今どきの子供はなんてばやくのは大人に限ったことじゃないの よ。私はこの前、入れ歯の調子が悪くて歯医者通いをしていたけれど、その時に地下鉄の 中ですごいことを一言われましたよ。大学生くらいの男の子に。何て言われたと思う ? 〃ま ったく今どきのばあさんてのは、何を考えてんだかわかんねーな。って。私はムッとしま したけどね、よく考えてみたらそうかもしれないって思いましたよ。江戸時代の老人から 見れば私なんそ、とんでもないばあさんには違いありませんからね。つまり、今生きてい る人はみんな、″今どきのナントカ〃ってことなんでしよう。あなただって〃今どきの娘〃
今どきの娘ども
弱な立花。工 リートではあるけれど、無骨で不器用で、思い込みの激しいおべんとさんこ と桂川。ニヒルを気どり、他の価値観をまったく受けつけようとしない宮本。 " 今どきの若い男ども , もなかなかのものだ。そして決して若くはない世代の中にも、今 どき族はちゃんと存在する。 理知的な独身編集者でありながら、劇団の演出助手をしている若い男に熱をあげるハイ ふる ミスの神田。ローラ化粧品のセールスレディーとして腕を揮い、夫や子供がありながら若 い恋人作りに精を出す柏崎。そして、文句を言ったり嘆いたりしながら、彼らに翻弄され る初老の佐藤愛子さん。 この本の中に出てくる人々は、多かれ少なかれみんな " 今どきのナントカ…なのである。 そんな今どきの人々を縦軸にしながら、佐藤さんは同時に、女たちの結婚観や、恋愛に おける女性心理を実にうまく横軸に織り込んでいる。 「七人の男とネマシタ」とか「相手の男がテクニシャンだったのでヤバイと思ってやめま した」なんて言ってのけてしまうヒロミが、好きになった男との結婚のためには、処女膜 再生手術までしようと決心する心理。いつも聡明な神田咲子が、インチキ臭い小劇場の演 出助手の前では、彼の意見に迎合して骨抜き状態になってしまう様子。六年間、連続一位 の販売成績を上げているセールスレディー、柏崎の若い男への激しい欲情。頭の中で夢想 する恋愛ばかりでいつも現実が伴わない尚子が、周りの連中の現実の恋愛に対して向ける、
集英社文庫 今どきの娘ども 佐藤愛子 集英社
集英社文庫 今どきの娘ども 佐藤愛子 集英社版
287 解説 佐藤さんのように潔く、そして痛烈に小言を一一 = ロう人は、今や珍しい。貴重な存在だ。何 としても、この方のお小一言だけは、やめさせてはいけないと私は思っている。ところが佐 藤さんは、本書の中でこんなふうに書いているではないか。 " だが今の私はただただイヤミで憂さ晴しをするばあさんになり果てている。それは私の エネルギーが涸渇したためというよりは、あまりにも激しく急速な価値観の変化、生活感 という絶望感が胸中 何をいってもシカタない , 情の格差に毒気を抜かれたためだ。 もや に靄のごとく漂っているのだ。〃 恐しいことだ。最後の砦でもあった佐藤さんに見捨てられたら、若者の今後はいよいよ 危うくなってしまうではないか。 何を言ってもシカタないと思わせ これ以上、佐藤さんに絶望感を抱かせてはいけよ、。 今どきの娘ども , と佐藤さんの間に位置する、 " 今どきの三十女。である : などと思いつつ、はて 私の役目は、もしかしたらそんなところにあるのかもしれない : どうしたものかと思い脳む日々が、このところすっと続いている。 ( この作品は一九八七年一〇月、小社より刊行されました。 )
強烈な嫉み。思慮深く育ったはすのキョ子が、案外とつまらない男にひっかかってしまう 事実。 いすれも〃今どきのナントカ〃である彼女たちだが、その女としての気持ちの揺れや動 きは、どれもみな何となく理解できるのだから面白い。女としての普遍性と、時代が作り 上げる女たちの意識の変化とが、微妙に重なりあいながらこの物語は作り上げられている のである。そのあたりが「今どきの娘ども」を、ただ単に面白い読みものに終らせずに、 厚みのある物語にしている大きな要素だと私は思う。 佐藤さんの作品を読んでいると、世の中や人々に対する厳しい目が、いつもどこかに存 在し、それがまた佐藤愛子ファンにはたまらない快感となっているのだが、この本の中に もあちらこちらに、そんな佐藤さんの目が感じられる。本来ならば、若者にとってそのよ うな箇所は、説教じみたオバサンの愚痴や小言にしか思えないところなのだが、佐藤さん の手にかかると、不思議にそれらがオバサンのヤダヤダ節に聞こえないのが面白い それはどうしてなのだろうと、私は長いこと不可解に思っていたのだが、今回、この本 説をとおしてはんの少し、そのヒントを手に入れたような気がする。 佐藤さんは説教をしながら、また別のところで、ちゃんと自己反省もしているのである。 解 ″母親がフツーでないための、欠点はいろいろあるにしても、暴力にも走らず、テテなし 子を産むこともなく、どうにかここまで母娘二人無事に生きてこられたということは、や
どをのビを さ品今どきの娘ども 9 7 8 4 0 8 7 4 9 6 4 8 2 I S B N 4 ー 0 8 ー 7 4 9 6 4 8 ー 1 C 01 9 5 p 4 1 0 E ああ、男の気概、女の自立 はどこにワ " 愛の夢に憧れ続 ける小説家志望の尚子さん。 1 91 01 9 5 0 0 41 0 7 大胆な性生活を楽しむ女子大 生のヒロミさん。潜伏性恋愛 定価 4 田円 病、実は面喰いな愛子センセ ( 本体 88 円 ) の娘、キョコさん。彼女が知 解説・神津カンナ り合った純朴な青年をめぐっ てくり広げる今どき三人娘の 恋愛大作戦のゆくえは・・・ 目まぐるしく変わる現代の風 潮を怒りと嘆きと笑いで綴る 痛快無比な物語。 ( 何卒モデ ルのごせんさくはご無用に。 ) 集英社文庫 佐藤愛子作品 鎮魂歌 天気晴朗なれど 赤鼻のキリスト 女優万里子 娘と私の部屋 娘と私の時問 女の学校 男の学校 坊主の花かんざし (—) 国 男の結び目 愛子の日めくり総まくり 父母の教え給いし歌 丸裸のおはなし 娘と私のアホ旅行 あなない盛衰記 幸福の絵 愛子の獅子奮迅 女はおんな 娘と私の天中殺旅行 男たちの肖像 男友だちの部屋 男はたいへん 花は六十 古川柳ひとりよがり バラの木にバラの花咲く 幸福という名の武器 娘と私のただ今のこ、意見 ひとりばっちの鳩ポッポ 今どきの娘ども 佐藤愛子一 ) 佐藤愛子 一九二三年一一月五日大阪生。甲南 高女卒。処女作「愛子」。六三年「ソク ラテスの妻」が芥川賞候補となり文 壇の注目を浴びる。六九年「戦いすん で日が暮れて」で直木賞受賞。七八 年「幸福の絵」で女流文学賞受賞。 佐藤愛子 集英社文庫☆ 集英社文庫 カバー・峰岸達 \ 4 1 0