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検索対象: 仏事のイロハ
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1. 仏事のイロハ

す人生を歩むのか門徒です。報恩講はそうし た私たちにとって、何よりのご勝縁となる法 要なのです。 ところで、この報恩講は本山をはじめ、全 国のお寺、一般家庭でも勤められます。 本山では、毎年、聖人の御正忌 ( 一月十 六日 ) に合わせて一月九日から十六日までの 七昼夜、勤められます。御正忌に勤まるとこ おしっちゅうや ろから「御正忌報恩講」と言い、「御七昼夜」 とも呼んでいます。 各お寺や家庭では、一般に、本山の法要に 先立って、年内に勤めるならわしで、そのた め「お取り越し」とか「お引き上げ」と言っ ています。 これらの報恩講のお飾りは、もっともてい ねいに行い、法要後は、精進料理のお斎を出 したりします。 す いずれにしても、努めて報恩講のご縁を持 よち、お参りをしましよ、つ。 ト◎報恩講は、親鸞聖人のご恩に感 のイ謝するもっとも重要な法要。 山 ◎何はさておきお参りすること。 本 とき 123

2. 仏事のイロハ

を受けて、お寺が開く法要が「永代経法要」 であるわけです。 したがって、「、代経を上げる」とい、つ昜 合の " 永代経 ~ は「永代経懇志」のことです し、「、水代奴社が勤まる」とい、んば「、水代奴社〕法市女」 をさしています。 この法要は、「報因 5 講法要」〈ページ参照〉 に次いで盛大に勤めるお寺が多く、おおむね 年一、二回、春や秋に行われます。 また懇志については、故人への追慕から納 められる場合がほとんどで、表書きには「永 代経志」などの文字の右肩に、故人の法名を 言したりします。これは " 故人のために納め äる ~ というのではなく、故人の「永代にみ教 えが伝わるように」との遺志を受けた施主が でにた経心など果でれ たさ下ぐ故 励ごもでく そん先台すて永せらされ人 永で祖な も代たに ◎◎代、のしとちれ な 私寺経慶遺で話やをとい が永院とび徳すしん納考 つ人代 聞代護いをを。てとめえた 法経持え子偲物みいおまるん のつ し懇とる孫び教ま経しの納追て て志みのに えしをたもめ善納 教で伝何をた上の困て供め そをえすえよ私がげでりし養る の納繁。てりに まま て ″め盛 い私伝こ下おすえ 永よを く自えれさ参。 代う願 身てでるりあ 解で が下はのにる責 て こ聞さ永で行方任 な れ法つ代安かなが く 137

3. 仏事のイロハ

門徒の心得 とでも思っているのでしようか お寺で勤められる法要・行事は、住職や一 部の門徒さんだけのものではありません。縁 もんぽ・つ あるすべての門信徒さんがお参りし、聞法し ていただくために勤められるのです。他人事 と思わず「私のために勤められる」と思って 下さい。 お寺で法要の勤まる日が、たまたま故人の 命日に重なった方は、法要が勤まる時間には 都合をつけてお寺へお参りし、家では改めて 家族そろってお勤めすればよいでしよう。命 日にお寺で法要が勤まるのを、むしろ慶びと していただきたいものです。 さらに言えば、お寺はいうまでもなく、ご 卩徒か力を合わせて建立し、護持されてきた 「聞法の道場」です。数多くの先輩たちが、 ご本尊をご安置した本堂で仏法を聞き慶んで きました。その慶びを家庭でも身近に味わい たいということで、お仏壇が安置されるよう になったと一三ロってよいでしよ、つ。お仏壇の構 造は、本堂の " ミ = チ、ア版にな 0 て〔る のに注目して下さい。つまりお寺の本堂が 本来的にお念仏の道場であるわけです。 ですから、家のお仏壇だけで仏事をすます のでなく、進んでお寺にお参り下さし 徒であるあなたは、りつばなお寺の一員なの ト◎命日にお寺で法要が勤まれば、 イお寺参りを優先する。 ◎お仏壇は本堂の″ミニチュア版″ 139

4. 仏事のイロハ

す。これを怠ると霊が迷ったり、時にはタタ リとして我々に災いをもたらします。そうな らないためにも、きちんと法事を勤めなけれ ばならないわけです。で、五十回忌まで勤め それい ると、死者の霊は完全に浄化され祖霊 ( カミ ) となります。祖霊になるとも、つ災いをもたら すことはなく、我々の役目も終わる。 - ーーーとい 、つ図式です。 しかし、これでは極端に言えばタタリを起 こさないために法事をするようなものではな いでしようか。そこまで言わないまでも " 故 人のために , 法事を勤めることになります。 事 / ィー 仏教では、そういう法事の捉え方はいたし 法ません。故人のためではなく、あくまで " 私 毓のため″の法事です。つまり、今こうして生 かされている私のいのちの尊さを、故人・先 しの 祖を偲びつつ味わわせていただくのです。生 前、ともに生活した故人であれば、その遺徳 を偲び、また遠い先祖の方であっても、そう した方がたのおかげで私のいのちがあり、何 よりも尊い仏法を伝えて下さったことを慶ぶ のです。 ですから「五十回忌でおしまい」ではあり ません。故人を起点に考えるのではなく、私 を起点に、生きている限り、努めて法事のご 縁を持って下さい。なお、五十回忌以降は通 常、五十年おきに勤めます。 ト◎法事は「五十回忌まで」ではな ◎生きている私の法縁として : ・ 113

5. 仏事のイロハ

年忌法要は追善供養 ? 法事と一言えば一周忌、三回忌とかの年忌法 要 ( 年回法要 ) を思い浮かべる方が多いこと でしよ、つ。 年忌法要は、亡くなって一年後に勤めるの が一周忌、一一年後が三回忌、六年後が七回忌 で、以後十三回忌、十七回忌、 : と別表の 通り勤められるのが一般的です。ただ二十五 回忌のところは、二十三回忌と二十七回忌に 勤める場合もあります。法要を勤める年のか ぞえ方は、三回忌以降「 < 回忌は亡くなって ( < ー一 ) 年後」と覚えておけばよいでしょ ところで、この法事、亡き人を縁に勤めら れることから " 亡き人のため ~ に勤めるもの たましい と思っている人がいます。「故人の霊魂を慰 めるためにお経を上げる」とか「法事を勤め 年忌表 年忌法要死亡からの年数 1 周忌 1 年後 3 回忌 2 年後 6 年後 7 回忌 13 回忌 12 年後 17 回忌 16 年後 25 回忌 24 年後 33 回忌 32 年後 50 回忌 49 年後 ※以後、 50 年ごとに勤める 法事の意味 100

6. 仏事のイロハ

しよなのか 当たりにした悲しみの中から、故人の遺徳を 死亡日から数えて七日目を初七日、次の七 ふたなのか みなのか 日目を二七日、以後三七日・ : というよ、つに、 偲ぶとともに、これを縁として " 私 ~ の人生 、最 七日ごとに勤める法要を中陰法要と言い の確かな依り所となって下さるお念仏の教え しじゅ・つくにち を聞き、阿弥陀如来さまへの報謝の念を深め 後の七七日 ( 四十九日 ) は満中陰 ( 中陰が み るための仏事です。 満つる ) として、特に丁重にお勤めするなら わしになっています。 言いかえると、中陰法要の一回一回が " 私 ~ にとっての貴重な仏縁であるわけです。心し もっとも、地域によって命日の前日 ( 逮夜 ) から七日ごとに勤めるところもあり、日取り て法要に臨み、ご住職の法話には特に耳を傾 についてはお寺にお尋ね下さい けていただきたいものです。 ところが、この中陰に関して「四十九日が こうして勤める中陰法要は、前項でもふれ たよ、つに、けっして追善の、また冥福を祈る 三カ月にわたると、ナよ、 し : オし」」い、つ・鉢一一三ロ」か ~ 広 ためのものではありません。肉親の死を目の くゆきわたっており、三カ月にわたる前に満 、ヾ みつき 中陰と迷信

7. 仏事のイロハ

お彼岸になると、本山をはじめ全国のお寺方が大事だと思っておられる様子です。 しかし、お彼岸の意味からいえば、何より で「彼岸会法要」が勤まります。おおぜいの も今生きている " 私 ~ が仏法を聞かせていた 門徒さんがお参りされることはいうまでもあ だかなくてはなりません。 りませんが、その一方で、こうしたお寺での お彼岸は、ご承知のように年二回、春分と 法要には関心を示さず、自分たちの先祖のお ちゅうにち 墓に参りさえすればよいと思っている方も多 秋分の日 ( お中日 ) をはさんで、前後一週 間ずつあります。この期間は、実は、仏道修 いよ、つです。 行のために設けられたものなのです。本来な 先日も、あるご門徒に「彼岸会法要には、 おさ らば、一年を通して仏道を修めなければなら ぜひお参り下さい」と声をかけたら、「いやあ、 ないわけですが、世俗のことに心を奪われて、 その日はお墓参りしようと思っていますの ついなまけがちになるところから「せめて、 で、失礼させていただきます」との返事。ど うやら、法要にお参りするより、お墓参りの 季節のよいこの時期だけでも・ : 」と、設けら 彼岸の意味 1 16

8. 仏事のイロハ

「法事は五十回忌でおしまい」という捉え 「法事は何回忌まで勤めたらいいのですか」 方には、多分に民俗宗教の影響があります。 と尋ねられることがあります。 すなわち民俗宗教では、亡くなると年忌ごと こうした質問は、概して、年月が経って故 きょ わすら おも に " 追善供養 ~ し、死者の霊を鎮め、浄めま 人への想いがうすれ、法事を営む煩わしさ や負担感が増してきた頃に出てくる場合が多 いようです。少なくとも、法事を積極的に勤 めたいというのではなく、しかしながら「故 こなるところま 人の供養のために " 区切り ~ 。 では勤めてあげねば : ・」という心境なので 1 レよ、つ 0 0 回 5 そして、その " 区切り ~ が五十回忌たと思っ ている人が多いようです。 0 私の仏縁として ⅱ 2

9. 仏事のイロハ

できれば避けたい併修 お寺に法事を依頼されるご門徒に、最近、 二つの目立った傾向が見られます。一つは、 日曜祝日を選んで日取りを指定すること。も へいしゅう う一つは、複数の故人の併修が多くなった ことです。 日曜が多いのは、仕事が休みで、家族や案 内する縁者の都合がっきやすいからでしよう が、それを " 当然のこと ~ とは考えないでほ しょ - つつきめいにち しいのです。本来は、やはり祥月命日 ( 亡 くなった月日が同じ日 ) か、その前日の逮夜 に勤めるところを「自分たちの都合で日を変 えさせていただいた」という認識が必要で しよう。仏法というのは " 世俗の用事かない 時に聞く ~ のではなく、 " 世俗の用事をさい てでも聞く , べきものだからです。 法事を勤める心がまえは、あくまで「亡き 人の命日をご縁として、仏法を聴聞させてい ただく」というのが基本です。 その上で、やむを得す日を変えなければな らない時は、命日からあまり離れない日を選 んで下さい。その際「命日よりおくれてはい しない」などとこだわらなくてもけっこ、つで す。 また、法事の日取りを決めるには、あらか 法事の日取り 102

10. 仏事のイロハ

葬儀と中陰 わち習俗では、死後四十九日の中陰の間は死 者の行き先が定まらないとされています。そ こで七日目ごとの節目に法要を勤め、その功 徳を死者に振り向けて少しでも " よい世界 ~ に生まれてもらお、つ、とい、つのです。 中陰壇 しかし、浄土真宗のお味わいでは、故人は 死後ただちにお浄土に生まれられているので 信心をいただかれすに迷っ す。もし仮りに、 ほんぶ ているとしても、私たち凡夫に、善を振り向 けてよりよい世界に行かせる能力など何一つ 備わっておりません。お浄土に生まれさせる ことができ、また私たちが本当に頼りにでき るのは阿弥陀如来さましかないわけです。ど んな時・も、悲しければ悲しいほど仰ぐべきは 如来さまなのです。お仏壇の前でお勤めする のは、そういう心からです。なお、中陰壇は お仏壇の横に設けるようにします。 ト◎中陰壇の前ではなく、お仏壇の イ前でお勤めする。 ー◎お勤めは追善のためではない。