阿弥陀如来 - みる会図書館


検索対象: 仏事のイロハ
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1. 仏事のイロハ

お仏壇でもっとも大切なのはご本尊です。 ご本尊とは " 信仰上、もっとも尊ぶべき礼拝 の対象 ~ であり、浄土真宗では、阿弥陀如来 がそれに当たります。いわば、ご本尊・阿弥 陀如来がお仏壇の " ご主人 ~ と言えましよう。 お仏壇には、正面に柱で区切られた三つの 壇が設けられています。その中央にご安置す わきがけ るのがご本尊です。左右の両壇には、お脇懸 をご安置することになっています。 これらを整理しますと 〇中央Ⅱ阿弥陀如来のお姿を描いた「ご絵 像ご本尊」 ( 方便法身尊形 ) 、また みよ - つ「一う は「六字名号ご本尊」 ( 南無阿弥 陀仏 ) 〇右脇 ( 向かって ) Ⅱ宗祖「親鸞聖人」の きみようじんじつばうむげ ご影、または「帰命尽十方無碍 光如来」 ( 十字名号 ) 〇左脇Ⅱ本願寺中興の祖「蓮如上人」のご なもふかしぎこう 影、または「南無不可思議光如来」 ( 九字名号 ) となります〈左ページ写真参照〉。 中央のご絵像をご覧になると、阿弥陀如来 は立っておられます。これは、私たち凡夫を いつでもただちに救おうというお心の表われ 礼拝の対象

2. 仏事のイロハ

お墓と納骨 にも不自然です。 形こよって ③墓石の形もこだわらずに 良し悪しがあるわけではありません。石 碑の上面を三角形にしたり、屋根や宝珠 をつける必要もありません。 ④石碑 ( 軸石 ) の正面には「南無阿弥陀佛」 しの のお名号を刻みましようーーー。こ先祖を偲 南無阿彌陀狒 0 6 ぶ上でも、人生無常の理をかみしめる 上でも、つねに私の依り所となり、 の対象となるのは阿弥陀如来だからで す。この場合、家名は台石に刻めばよい でしよう。また、お名号以外の場合は、 携帯用のご本尊を安置しお参り下さい。 ⑤観音像、地蔵像、宝塔などは建てない 帰依する仏さまは阿弥陀如来一仏だ からです。 日の吉凶 ⑥「吉日」の文字は刻まない や建てる時期にこだわりません。 ⑦「霊標」とせず「法名碑」とすー。ー・法 名を記す石板は「霊標」とは言わない。 このほか「お性根を入れる」のではなく「建 碑式 ( 法要 ) 」と言います。 ことわり

3. 仏事のイロハ

/ 方 めいど 浄土真宗のみ教えは「阿弥陀如来より賜る それによると、故人は死後 " 冥土への旅 信心一つで、死と同時にお浄土に生まれ、仏 にトボトボと出かけるそうです。そのため たびじたく さまと成らせていただく」という教えです。 遺族らは旅支度を整えるなど " 旅路 ( 修行 ) したがって、葬儀もこのみ教えに則して行わ の手助け〃をしなければならないわけです。 れることは一言うまでもありません。故人はす ほとけ でにお浄土に参られ、み仏となって私たち にはたらきかけて下さっているのです。この 点をしつかりと押さえておいて下さい。 なぜこんなことを言、つかと申しますと、葬 儀には、前項で述べた「死の穢れ」のほかに 「死出の旅路」の発想に基づく風習も、根強 く残っているからです。 故人は仏さまに

4. 仏事のイロハ

まんちゅういん 一般に、満中陰がすむと中陰壇を片づけ、 遺骨はお墓に納めることになります。もし中 陰壇に白木の位牌があるようなら、過去帳等 ( 位牌は用いない ) に故人の法名などを書き 写した後、すみやかに処分して下さい ( お寺 に相談するとよい ) 。 また、遺影 ( 写真 ) も片づけるわけですが、 中には黒いリポンをはずして部屋に掲げてお く方もあるようです。この場合、お仏壇の真 上に飾ったり、中へ入れたりしないで下さい これは、私たちか礼拝の対象とするのは遺 影ではなく、阿弥陀如来であり、その如来さ まを心からお敬いする気持ちから言って、そ うしたことを避けるのが自然だからです。 さて、納骨についてですが、納める時期に 決まりがあるわけではありません。お彼岸や 満中陰の後 写真はお仏壇の真上を避ける

5. 仏事のイロハ

お墓と納骨 0 第 = 、桑児、、一 0 、 てイ k 、 : \ 、 X 十一と 夫に向かって阿弥陀如来の真実の救いを説い かの区別もなく、いのちそのものが躍動し合 て下さるのです。 う世界なのです。 ですから、気兼ねしたり、片意地を張った 心の隅ずみまで通じ合える関係なのですか りせず、私自身が仏法を聞いて信心をいただ ら、気兼ねやわだかまり、不信、不満が生じ き、お浄土に生まれさせていただく身になる る余地はありません。先妻と後妻とか、嬪女 ことが肝要でしよう。 とかいったこだわりもないとい、つことです。 また「お墓はこのよ、つにしてほしい」とカ こだわり続ける私たち凡 手に手を取り合い、 自分の後のことをあまり子や孫に押しつける と、あるいは子どもたちか困ることにもなり かねません。それよりも今、子や孫にしなけ ればならないのは、身をもって仏法を伝える ことでしよ、つ。 ト◎お墓で会うのではなく、お浄土 イで出会う。 ー◎気兼ね無用なのがお浄土。

6. 仏事のイロハ

葬儀と中陰 尸 6 の救いのお目当てであると言えましよう。死 を目のあたりにして悲しみにくれる私たち は、如来さまのこうしたお救いの確かさ、有 難さを深く味わわねばなりません。それが浄 土真宗の葬儀の大切なところでもあります。 ところで " 引導 ~ とは元来、死者を対象と するのではなく、〃生きている人″を仏道に 引ホ 引き導くことでした。したがって、すでに りの境地に達しておられる仏さま、もしくは 菩薩ならばこそできるおはたらきと言えま おそ しよう。それが、死者に対する畏れもあり「迷 わず成仏してくれ」との願いから、 " 死者 ~ を対象に使われるようになったのではないか と思われます。 なお、 " 導師 ~ という言葉ですが、浄土真 宗ではあくまで法要・儀式を執行する上での 指導的立場の人という意味です。 ◎導師 ( 寺院住職 ) が死者に「引 ト導を渡し」たり「浄土へ導く」 イのではない。 ー◎すべて阿弥陀如来のおはたらき で浄土に生まれる。

7. 仏事のイロハ

門徒の心得 向料」「御礼」とはせず「御布施」とする ) 。 布施というのは、そもそも仏教の大切な ぎよう 行の一つで「ほどこす」という言葉です。 ほうせ その布施行には、法を説く " 法施気財物を ざいせ 施す″財施″、畏怖の念を抱かせない " 無畏施 ~ があります。金封の「御布施」は、このうち の財施にあたるわけです。 0 さらに、これらの布施を行う場合、施す人 しようじよ・つ と施される人、施し物の三つがともに清 でなければならないとされています。つまり、 見返りを期待したり、何か魂胆があったりす れば、正確には布施とはならないのです。 ただ、浄土真宗では、こうした布施を善根 を積んで語りに近づくための修行とはせす、 ひたすら阿弥陀如来のお救いを慶び感謝する 幸謝行としています。すなわち、御布施は僧 来さまへの報謝 侶への〃報酬 ~ ではなく、如 として捧げるものなのです。 ◎御布施は、仏法を慶ぷ気持ちか 、ノら上げるもの。 、◎僧侶への御礼ではなく、如来さ まへの報謝。 イ 131

8. 仏事のイロハ

葬儀と中陰 わち習俗では、死後四十九日の中陰の間は死 者の行き先が定まらないとされています。そ こで七日目ごとの節目に法要を勤め、その功 徳を死者に振り向けて少しでも " よい世界 ~ に生まれてもらお、つ、とい、つのです。 中陰壇 しかし、浄土真宗のお味わいでは、故人は 死後ただちにお浄土に生まれられているので 信心をいただかれすに迷っ す。もし仮りに、 ほんぶ ているとしても、私たち凡夫に、善を振り向 けてよりよい世界に行かせる能力など何一つ 備わっておりません。お浄土に生まれさせる ことができ、また私たちが本当に頼りにでき るのは阿弥陀如来さましかないわけです。ど んな時・も、悲しければ悲しいほど仰ぐべきは 如来さまなのです。お仏壇の前でお勤めする のは、そういう心からです。なお、中陰壇は お仏壇の横に設けるようにします。 ト◎中陰壇の前ではなく、お仏壇の イ前でお勤めする。 ー◎お勤めは追善のためではない。

9. 仏事のイロハ

お仏壇と荘厳 されているのです。ですから「このお仏壇の では台なしです。 如来さま」とか「あちらの如来さま」とか分 問題は二つあって、一つは " 私のお仏壇 ~ けるべきでなく、家族が心を一つにして礼拝 と、お仏壇を専有化していることです。お仏 するものなのです。その意味から「一家にお 壇を安置するのは、ご本尊・阿弥陀如来をお 仏壇は一つ」でよいわけです。 迎えするためです。その如来さまは、元来「色 しかし「お仏壇が二つあってはよくない」 もなく形もましまさぬ」のを、我々凡夫に真 と、何か悪いことでも起こるよ、つに考えるの 実を知らせるために " 方便 ~ として形を表わ 、、 - ~ 」ッも間違いです。それにこだわって、人の心を 傷つけては何もなりません。要は家族の一人 ひとりが如来さまの真実の心を仰ぎ、心安ら かに手を合わせる所がお仏壇であるというこ とを忘れないことです。 ト◎お仏壇は一軒に一つでよい イ◎しかし「ニつあってはいけない」 とこだわるのも問題。 亠

10. 仏事のイロハ

お仏壇と荘厳 すべてのいのちの尊さに目覚めさせて下さる 方こそが、ご本尊・阿弥陀如来なのです。生 前お世話になり、育てていただいた縁ある方 を偲びつつ、如来さまのお慈悲の心を慶ぶの に「我が家の先祖か否か」と、何のわけへだ てが必要でしようか ですから、過去帳があれば、 " 我が家 ~ の を 0 祖制 ヘー 先祖とともに、そうした縁ある方々の法名等 を記されて一向にかまいません。ただしその 際、後々のためにも続き柄 ( 関係 ) も書いて おきましよ、つ。 くりか、んしになります・か、「牛兀祖を細ぶ」 ということは、我と他との間に垣根を作るの ではなく、身近な縁ある方々を通して、はか りないいのちに支えられてある " 私 ~ に気づ くえいっ き、感謝することでしよう。お浄土が倶会一 しょ 処と言われるゆえんを味わって下さい。 ◎他家の先祖もお仏壇で偲べばよ イ◎身近な先祖を通して、はかりな きいのちに支えられている " 私 に気づくことが大切。