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検索対象: 光善寺の天狗
6件見つかりました。

1. 光善寺の天狗

ほし J け・ 「このうえは、み仏のお力にすかるよりない」 」きよ、つ じ ・かんやか′、 勧学はみんなの者に命じて亥の刻 ( 午後十時 ) まて読経させた。す もんうちがわ ねこくごぜんれいじ ると、子の刻 ( 午前零畤 ) 過ぎになって門の内側てくしやみをする者 かある。 さんもんと きっ 宵のうちに山門は閉ざした。余人か人ってこようわけはない き すがた あ じかん くしやみは聞こえても姿 ど慈観じゃ、人れてやれ、ど戸を開けたが、 じかん 「慈観、どこにおるんな、返事をせい」 しようろう、つえ じかん かんカ′、 勧学がよぶと、鐘楼の上から慈観の「はい ものめい ちから へんじ よじんはい こえ 」ど亡 0 う頼りなげな声か たよ もの

2. 光善寺の天狗

あろ、つ。 てなら すみかわ じかんつくえうえ 慈観の机の上には手習いの紙かあり、まだ墨も乾いていないのに、 し しんじようのぞ にんまえ すがた どこにもその姿がないのてある。真乗を除く三人は前のこどを知って 、るか、ら、 じかん てんぐ 「慈観はまた天狗どいっしょに飛んていたんぞ、たいかい」 ほんと、フよる じようだん かえ などど冗談を、言ったが、本当に夜になっても帰ってこない じかん 「また慈観さんがおらんようになったつって」 きんじよひと かいおな 近所の人もこれにはびつくりした。半年にニ回も同じようなことか しん おも おなじんぶつうえお 同し人物の上に起きるなどどは信じられない思いてあったのてある。 かみ と はんとし

3. 光善寺の天狗

うえどなったのてす。きようここへお連れしたのは、わたしたちの おん ′、力し 苦海どいうものかどのようなものなのか、見知っていただいて恩を かんしゃ 感謝したいからてす」 ま レ」、つとこ ぼう まえちが 前ど違ってキズイ坊のこどばはていねいてあった。堂の床の間には しく きようもんかじく あの四句の経文が掛け軸になってかかっている。 どうあんない ・ほっ じかんおお やかて、キズイ坊は慈観を大きいほうの堂へ案内した。 りようがわむか ひとりざ しようめん ひころも 正面には緋の衣をつけた一人が座し、その両側に向いあうように十 ぼう にんものはいいろころも 五、六人の者が灰色の衣をつけてすわっている。どの顔もキズイ坊の きようだい 兄弟のようにそっくりてある。 っ かお

4. 光善寺の天狗

うえ ま こうぜんじ かえ ど、一 = ロいまに廴ルに、 ) 光善寺へ帰ってきた。 ぐちまどと ほ , っしよう どころが寺はどの人り口も窓も閉じられているのて、キズイ坊は鐘 ろ、つうえじかんのこ き かえ どきようこえなか 楼の上に慈観を残して帰っていった。読経の声か中から聞こえてくる。 あん ああ、みんなしてじぶんのことを案じてくれているな、かたじけない おも なんじ しようろ、フ と思いはしたか、くしやみをしたのが何畤ごろのこどなのか、鐘楼の なんじ 上へたどりついたのが何畤ごろなのか、まったくわからなかった。 じけん じかん ど たかまっふくぜんじ 慈観はこの事件のあど、高松の福善寺へもどされた。一度ならすニ ど てんぐ でし みあんぜんせきにん 度まても天狗につかまれたどあっては、弟子の身の安全に貴任がもて ないどいうのてあったのかもしれぬ。 てら

5. 光善寺の天狗

えんさき にわいし ど言う。縁先には庭石もたくさんあるのて、あななどこへぶつつけら ものじかんおび れてはかなわんど、黙っていた。するどその者は慈観の帯をつかみ、 き じかんじぶん AJ ごまだんうえ ひのみね ひど飛びに日峰さんの護摩羶の上へ来た。それから改めて慈観を自分 A 」 てらむね ほっ ちゅうくうせいほく の背に乗せて、中空を西北の方へしばらく飛んていたか、ある寺の楝 じかん に慈観をまたからせて、 み 「はれ、見てみい、おまえの寺じゃ」 きもの てらおとこうきちしろしま ふくぜんじ ど言う。見るど、なるほど福善寺てある。寺男の宇吉か白い縞の着物 ほんどう き 、ほんまえそ , つじ に。わは を着て庭を掃いている。お盆前の掃除をしているようてあった。本堂 と じかんかえ たいこおと からは太鼓の音かしていた。これらのこどは慈観か帰ったときに問い み てら あらた

6. 光善寺の天狗

ごぶつほんがんりきもんみようよくおうじよう いえどきようかんちゅうこおし これ 「是なしど雖も経巻中に此の教えあり、其仏本願カ聞名欲往生 じちふたいてん かいしっとうひこく 皆悉到彼国自致不退転」 った じかんきようもんいっせつ 慈観は経文の一節をよどみなく伝えた。 じかん ぼうひじようかんたんひょうじよう するどキズイ坊は非常に感嘆の表清をあらわして、しばらく慈観の すがたけ かおみ いつど姿を消してしまった。 顔を見つめていたか、ゞ き なみおと ひろうなばらおおいわうえ あどは広い海原の大岩の上にただ一人、聞こえるものは波の音ばか り。日は暮れかけてくるけれどもどうしようもない。天命に任せるよ すがたあらわ - ぼう かく′」 りほかないど覚悟をしていたどころ、キスイ坊かふたたび姿を現して、 てらかえ 「これから寺へ返してやる」 ひとり てんめいまか