朝鮮 - みる会図書館


検索対象: 兎の眼
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1. 兎の眼

です。龍生はどうしてもしゃべらないようだから、あんた、はいてくれ、そうして一年でも 二年でも監獄にいってくれば、また自由の身になれるちゅうて泣くんですわい。そらそのと おりや、死んでしもたらなんにもならん、わしが受けた拷問を思うても、死ぬちゅうことは、 じゅうぶん考えられる。それで、わしや白状しましたわい」 「それで金さんはたすかったのですか」 小谷先生はせきこんでたずねた。 、クじいさんは、ごくっとのどをならした。 「なんの」 ん 「赤い絵の具のついたジャガイモみたいな顔して、ものいわんと家へかえってきたです。も ういっしょにしゃべることもかなわん、いっしょに酒を飲む「ともかなわん、いっしょにチ クエロをひくこともかなわんからだになって、だまってかえってきたです。金のおっかさんも えらいやつでしたわい。そのときは、もう一つぶも涙をこぼさんじゃった。あんたをうらま ん、そのかわり龍生の分も生きてくれというて、わしを許してくれましたわい。わしや朝鮮 の国と朝鮮の人を心から尊敬しておりますんじゃ。金と金のおっかさんを生んだ国ですもん なあ。そのころの日本というのは、朝鮮人というのを虫けら以下にあっかっておったけんど、 わしや、ばかたれめ、いまに思いしらされるそと、ひそかに思っとったです。金が死んでわ しはもう学問をする気なんぞこれつばちもなくなってしもうたです。金の魂にさそわれたの か、わしや朝鮮に行きましたわい。東洋拓殖会社というのが社員を募集しておったんで、な 川にをする会社かよう調べもせんと、ただ 朝鮮に行ける、朝鮮で働ける、それだけで応募して

2. 兎の眼

10 バクじいさん 129 ハクじいさんは、とっぜん、そんなことをきいた。 「二十二歳ですけど : : : なぜ」 「二十二ですか、そうですか、二十二歳ですか」 ハクじいさんはまた遠いところを見るような眼をした。 「二十二のとき、わしや朝鮮にいましたなあ」 「おじいさんは若いとき、朝鮮にいたんですか」 ハクじいさんはそれにこたえず、しばらくぼんやりしていた。 「先生は友だちをうらぎったことがありますか」 ばつんと、バクじいさんはいった。 「さあ、小さなことではあるかもしれないげど、いまはおばえてないですわ」 「そうですか」 いつのまにかバクじいさんの顔からたのしげな表情が消えている。 「わしや、若いころ東京の大学にいたんですわい」 また、ト、 ノ谷先生はびつくりした。 「親友がいましてな、いい やつでした。金龍生というて朝鮮の人間でした。わしの生涯のう ち、あんなりつばな男はほかにおりませんでしたわい」 ハクじいさんは過ぎ去った昔を思い出して、眼をしばたたいた。 「そのころ朝鮮は日本の植民地でした。金は不幸な母国の歴史を勉強しとったです。そうい

3. 兎の眼

の 兎 しもたんです。そのとき、わしゃちょっとでも罪ほろぼしをせにゃならんと思うとったんで しょ , つ」 小谷先生はからだをかたくしてきいていた。身一つ動かしてもわるいような気がした。 「わしはその会社の量地課というところにまわされたです。しばらくしてその課がなにをす るところか、じきにわかったです。わしや日本人の悪ちえにびつくりしたですわい。なんの ことはない朝鮮人をごまかして、人の土地を自分のものにしてしまうちゅうことですわい その当時、朝鮮の農民は字の読めん人が多かったですが、そういう人におっそろしくむず かしい申告書をかかせますんじゃ。あたりまえのことですけんど、ほとんどなにもかけませ んわい。すると所有者不明白な土地ということにして、没収してしまいますんじゃ。そうい う土地をタダみたいな値で払いさげてもらって、日本人の移民に売りつける仕事をその会社 はやっとったわけですが、おしまいのころには、ごまかす方の仕事もひきうけてやっておっ たようです。わしや、からくりがわかると、むしろその会社にはいったことをよろこびまし ハクじいさんはそこでことばをきった。 「どうしてですか」と小谷先生はたずねた。 「わしや、すこしでも朝鮮人の味方をして、とりあげられる土地をすくなくしてやろうと思 ったんですわい。けんど、それはあまい考えでしたわい。 . 三カ月ほどして、わしゃ憲兵隊に しよっぴいていかれました。ほんとうにわしは神さまをのろいますじゃ。ほんの三カ月ほど

4. 兎の眼

10 バクじいさん 135 「昔の罪がこんなかたちになってかえってきたと思われるでしようけんど、先生、それはち がいます。そんなことを思ったら金や、金のおっかさん、それから朝鮮の人たちにもうしわ うらみつらみでものを考えたら、わしは朝鮮の人のうらみつらみで、からだ中、穴 だらけになっとりますわい。金のおっかさんがおまえの罪をゆるしてやるかわりに息子の分 まで生きてくれというたです。いまここで性根を入れて生きんかったら、金龍生を三度まで うらぎることになる、そう思うて、わしゃ歯をくいしばったです」 あついものがこみあげてくるのを小谷先生は感じた。 「先生を泣かせてしもうてすまんです。飲みくらべをしようというとりましたのに、すまん ことをしてしもうたですわい」 ) え」と小谷先生はいった。 「おじいさんの顔のきれいなのがよくわかります。おじいさんの眼がやさしいこともよくわ かります」 ハクじいさんは押入れから、大きな紙づつみを出してきた。ていねいにつつんである。 なかからチェロが出てきた。 「金龍生のチェロですわい。金もわしもチェロをひくのが大好きでした」 そういって、バクじいさんはいとしそうにチェロをなでた。 「いまでもおじいさんはチェロをひくんですか」 「いいや。ひきやせん。もうじき金龍生とふたりでひきますんや。それまでこのチェロをと

5. 兎の眼

朝鮮の人の味方をしたばっかりに、わしは朝鮮独立の運動をしている人を、二、三人知って しまったんです。憲兵隊の拷問は警察のなん倍もなん倍もひどいもんですわい。先生のよう な若い女がきいたら、きくだけで気絶してしまいますやろ。わしは恐ろしいだけでなしに、 人にはいえんはすかしい拷問を受けたです。肉体より先に心がずたずたになってしもうたで ハクじいさんはそのときの苦痛を思い出したのか、じっと眼をとじた。ト、 ノ谷先生は心の中 でひめいをあげた。 ん 「人間ちゅうもんは、ほんとうによわいもんですわい。わしはたった三日ともたんで、なに もかもしゃべってしもうたです。それから二日ほどして、わしゃ憲兵に自分のしゃべった結 ) 果を見せられました。さあ十二、三げんも家があったんでしようか。後かたもなく焼きはら われており、黒こげの死体があちこちにころがっておったです。小さな死体もありましたか ら、女、子どものようしゃなく、みな殺しだったんでありましよう。人間ちゅうもんはじき 悪魔になれると、さっきいいましたが、あれはわしにいうたことなんですわい。その死体を 見て、たいへんなことをしてしもたと思うより先に、これで自分の命がたすかると、吹き出 てくるよろこびに身をまかせておったんですわい。わしは金にどういうてあやまればいいで すか、金のおっかさんにどういうてあやまればいいですか」 ハクじいさんは、じっと涙をこらえているようだった。 「人間ちゅうもんはいちどダメになると、あとは坂道をころがっていくようなもんです。だ 133 ひと

6. 兎の眼

眼 の 兎 Ⅷうグループがあって、そこで自分の国のことを勉強しとったです。爆弾投げたわけやなし、 ろうや 人を殺したわけやなし、自分の国のことを勉強しておって牢屋に入れられるちゅうバカな話 がありますか先生」 ハクじいさんの顔は、苦しそうにゆがんだ。 「金龍生は牢屋に入れられましたわい。金と友だちゃというだけで、わしも引っぱっていか れたです」 小谷先生は胸が痛くなった。 「拷問というのを知っておりますか先生、人間ちゅうもんは、どんなことでもするもんです な。悪魔になれといわれたら、はいというて悪魔にもなれるもんですな。金が勉強しておっ たグループのメンバーを言えといわれて拷問されましたわい。天井からつるされて竹刀でま たれました。あんなことはサムライの時代のことかと思っとったら、なんのなんの。わしも 若かったから、ロごたえしてやったら、半殺しにされましたわい。人間が人にさからえるの はつかのまのこと、それからつめと肉のあいだに千枚通しを入れられたり、熱湯をかけられ たりして、身も心もぐにやぐにやにさせられてしもうたです」 からだがふるえてきて、それをとめるのに小谷先生は苦労をした。 「日本人だからそれくらいですんだんで、朝鮮人はもっとひどいときかされたもんやから、 金のことを思って胸が痛んだです。がんばっておったら、金の母親がわしのところへきて、 これいじよう拷問にたえていると命がなくなってしまうから、白状してくれと泣きっかれた