23 鉄三はわるくない 275 くとくとしてやるな。どんなに苦しくてもこの仕事をやりぬけ。それが抵抗というものじ 合先生は足立先生に相談した。 月谷先生はバクじいさんのように生きたいと思った。小ハ 「先生、駅前でビラをくばりましよう。子どもたちに勉強を教えているだけで満足していて は、子どもたちにわるいような気がしてきました」 足立先生は大さんせいだった。職員会議でいくら発言しても、反応のない先生たちに業を にやしていたところだったのだ。 ビラの文面は足立先生と処理所の人がいっしょになって考えた。 みなさんに訴えます すでに新聞紙上でごぞんじのことと思いますが、こんど町塵芥処理所は第 三埋立地に移転することになりました。 co 町塵芥処理所はいまから、五十五年 につくられ、それ以後、ほとんど改良されていません。ゴミ処理の方法もた いへん原始的で、そのために人家に灰が降ったりするくらいです。 街のまん中にある旧式な処理所が近代的な設備をもった埋立地に移転するこ とは、たいへんよいことです。わたしたちも大さんせいであります。新聞の報 道によると、わたしたちが移転そのものに反対しているかのような印象をあた
の 兎 234 と、みさえの足を、自分の左足でつついた。 みさえは知らん顔してうなすいた。 「へえー」 と、足立先生も折橋先生も本気で感心している。 「見なおした、見なおした」と、太田先生はおおげさに頭をかかえた。 小谷先生はくすくす笑った。みさえのよこにすわっていた鉄三を見て、小谷先生はびつく りした。 鉄三が笑っている。鉄三まで笑うたのしい食事だった。 しかし、 しいことはあまり長くつづかない。 よく日、小谷先生は頭から水をあびせられるような話をきいた。 昼休みに足立先生に呼び出された。ちょっと青い顔をしている。足立先生がそんな顔をす るのはめすらしい 「処理所の移転が本決まりになった」 小谷先生はどきっとした。 「どこへなの」 「第三埋立地」 「あそこへはいかないことになっていたのでしよう」
の 兎 裏切り 総会で一方の決議文が否決されたとき、足立先生は青ざめてつぶやいた。 「これで攻撃される方にまわってしまった」 そのことばはすぐ具体的な形になってあらわれてきた。 功の父が役所に呼び出された。埋立地への転居を承知すれば職員に採用して班長の地位を あたえるというのであった。 功の父はその場で課長をどなりつけてかえってきたので、そのときはたいしたことになら なかった。 五人の先生も役所に呼び出された。指導主事がまっていた。手にビラをもっている。 「このビラにかいてある教員有志というのは先生方のことですか」 「そうです」 「五人だけですか」 「ざんねんながら五人だけです」 足立先生の言い方がおかしかったのか指導主事はちょっと笑った。 「あなた方の熱意には敬服しているんです」 「まともにうけとっていいんですか」
262 の 兎 眼 子 ということです。埋立地は道路もじゅうぶんでないし、ダンプカーの出人りもはげしい、 どもにとって、たいへんきけんだと功の親がいったら、その男たちはどうこたえたと思いま 「なにかいったのかね」 校長先生は身をのりだした。 足立先生はいっそう不きげんな顔になっていった。 しいですか校長、ようきいといてくださいよ。きようび、 「きようび、大でも車をよける、 大でも車をよける、といったんです」 「バカなことをいいくさって」 校長先生もにがい顔をした。 それから、足立先生と、校長、教頭先生は一時間あまりもこまごまとした話をつづけてい その日は水曜日だったので、小谷先生は昼からの授業がなかった。専科であき時間のでき た折橋先生とふたりで処理所にいってみた。 子どもたちは例の基地にあつまっていた。勉強道具がちらかっているところをみると、勉 強のまねごとをしていたようである。 ふたりが姿を見せると、子どもたちはかん声をあげてとびついてきた。 「さっきアダチがきとったで」
エピロ グ 319 勉強どころでない。だれもかれもあわててかけだした。 功は足立先生のところにかけた。 「先生、浩二ゃ。浩二のやっかえってきよった」 「え」 足立先生もびつくりした。立ちあがろうとして、よろよろとたおれかかった。あわてて功 がささえた。 「だいじようぶ、たし 、こ ) じよ , つぶ」 足立先生はしつかりした声でいった。 浩二は車からとびおりた。功にささえられてよたよた歩いてくる足立先生を見ると、ばっ とかけだした。 「先生」 浩二は足立先生にとびついた。 「おっと」 功がうしろから足立先生のからだをささえた。足立先生はあんがいしつかりした足どりで 浩二をうけとめた。 浩二は笑った。 足立先生は腹の底からこみあげてくる笑いに、自分自身をもてあましているようであった。
8 わるいやっ 111 折橋先生がへへへ : : : と笑った。 職員室へおりてきた足立先生は、ご苦労さまとお茶をふるまわれた。 「そんなもんいらん」 と足立先生は自分の机からなにか黒いビンをとり出した。 「やめときなさいよ」 と、となりの先生は、教頭先生の眼を気にしながら足立先生をこづいた。 「ちょっと」 足立先生は赤ん坊みたいな顔をして、その悪い飲みものを一口のんだ。 ほんとうに、この教師はええやっかわるいやっかよくわからない。 「先生、さすがに名授業やわ。すごく勉強になりました」 なんでもほめるので、おほめのアネゴとあだなされている木村幸子先生がいった。 「そうでつか」 足立先生はバカにしたようにこたえた。なんでもほめるけど、自分はすこしも努力しない ので、足立先生はその先生が大きらいなのである。 「とても勉強になりました。ありがとうございます」 小谷先生もお礼をいった。 足立先生はまぶしそうな顔をした。足立先生も多少、えこひいきをするようだ。
の 兎 260 波紋 鉄三が学校を休んだ。一回の欠席もなかった子だったので小谷先生は心配した。休み時間 に小谷先生はなにげなく足立先生にそのことをしゃべった。 「あれ、ぼくとこのみさえも休んでいるで」と、おどろいた顔をした。 折橋先生のクラスの恵子も休んでいることがわかって、あわてて、処理所の子どもたちの 出欠を調べた。 教頭先生はろうばいした。いそいで校長室にはいっていった。 しばらくして、足立先生が呼ばれた。 「足立君、処理所の子どもたちが全員、欠席している」 「そのようですね」 「君、これは同盟休校だろうか」 足立先生は首をかしげた。足立先生にもよくわからない。処理所の親たちが学校になんの れんらくもしないで子どもたちを休ませるだろうか。足立先生ら心を許した教師にも伝言が ない。足立先生にはちょっと考えられないことだった。 「ともかく君、いますぐ処理所にいって事情をきいてきてくれんかね」 教頭先生がわたしもいきましようかといったが、足立君ひとりの方がことが荒立たんでよ
と足立先生がいったので、きみはやっとおりてきた。それでもまだ、両手を足立先生の首 にまわして、 「小谷先生は足立先生の恋人か」 ときいた。 「そうや。学校にはないしょにしといてや」 と、足立先生はじようだんをいった。 生「そのかわり、たいこ焼三つやで」 立と、春川きみはどこまでも明るい子だった。 ザ「弟はどないしたんや」 ク ャ「遊びにいってる、呼んでこようか」 教どうしますと足立先生は、小谷先生に眼でたすねた。いない方がかえっていいでしよう、 と小谷先生は、きみにきこえないようにこたえた。 たいこ焼をたべているきみに、足立先生はさりげなくたずねた。 「近所の子に勉強、教えてやったんか」 「うん」 きみは下を向いたままこたえた。 「絵も教えたったで」 足立先生のつぎの質問を、春川きみは先まわりしてこたえようとしていた。そのときのき
の 兎 「ちょっとお話してもいいですか」 小谷先生が声をかけると、足立先生は仕事の手を休めて、おう、といった。 「足立先生がこんなにおそくまで学校にいるのはめずらしいのでしよ」 「そうらしいな」 先生たちの下校時刻はだいたい午後五時なのだが、足立先生は時間を守ったことがないよ うであった。先生間の評判が悪いのも、それが一つの原因らしい 「小谷先生、顔の傷どうした」 合先生はそのことにふれられたくない。 足立先生はにやにやしながらたずねた。小ハ 「夫婦げんかじゃありませんよ」 つんとしてこたえると、 「鉄ツンにやられたんやろ」と、足立先生は笑った。 いやだな、なんでも知ってる、あの子たちはいったいわたしと足立先生とどっちが好きな んだろう、と小谷先生は女性らしいやきもちをやいた。 「そんな話をしにきたんじゃないんです」 足立先生は神妙にこたえた。 「先生、ハエの踊りって知っている」 「ハエの踊り ?
の 兎 からん。そういうただの人間や、おれにはおれの歴史がある。歴史が歴史をつくり、歴史が 歴史をたしかめる」 足立先生はナゾのようなことをいって、折橋先生をおいかえしてしまった。 一日めはたいへんだった。 足立先生を説得してハンストをやめさせようと、ひきもきらず人がきた。足立先生はコン クリートのへいの方を向いてねころんだままで、そういう人にはひとことも返事をしなかっ 足立学級の子どもが一時間おきにれんらくにきた。そうすると足立先生はおきあがった。 そして勉強の内容をこまごまと指示していた。 「しつかりやるねんで。よその先生のせわになったらあかんで」 足立先生がいうと、 「まかしといてえ」と子どもは元気にかけていった。 三時間めにれんらくにきた子がいった。 「つぎ、給食やで先生、ここへ給食もってきたろか」 「おおきに、おおきに」とその子の頭をなでた。 「給食たべたらなんにもならんワ」と足立先生は笑いながらいった。 昼から新聞記者がたくさんきた。足立先生は新聞記者にはていねいに話をしていた。そし て、さいごにかならずいうのだった。