声 - みる会図書館


検索対象: 凍河
228件見つかりました。

1. 凍河

と、ばくは一一 = ロった。 「一応な」 兄貴はうなすいた 「札幌で大学の医局にいる昔の友達にレクチュアしてもらったのさ。それに飛行機の中で、 二、三冊、あたらしい精神医療の本も読んできた。ちょっと心配だったんでね」 「それで ? 」 本を読んだって無駄さ、と言いたかったのだが、それは黙っていた。すると、兄貴はちょ っとはにかんだような声の調子で喋りだした。 しろうと 「素人が本の一、二冊よんだ所で実際にはなにもわかりはしないってことぐらいは、おれも 知ってるよ。だから友達に相談したんだ。そしたら彼は 「なんて言った ? 」 「しばらく考えてたが、やがてばつんと言った。もし、おれがきみの立場なら、弟さんと喧 嘩してでも結婚はあきらめさせるだろう、とね」 「くろ , っ六、ま」 ばくは CQT)< のハンドルに手をかけて、苦笑した。 「そんなことで、わざわざ東京まで飛んできたのかい」 忠 の「いや、ディーラーの会合があったんで、ついでにお前に会っておこうと思ってね」 兄 「、い配しなくていいんだ」 ばくは、これだけは言っておかなければ、と、さっきから心の中で考えていた一一一一口葉を口に

2. 凍河

「じゃあ」 ばくは、少しやけつばちで駐車場へ駆けだした。事務所でつかっているジープがそこにお いてあって、時どき運転手のかわりに使われることがあるのだ。スペア・キーは、いつもあ ずかっている。ばくはそのジープで病院を出た。 スピードは出さなかったが、 やや荒つばい乗り方をした。 やがて院長の家につくと、ばくはエンジンを一発、がっとふかして門の中へのりこんだ。 「竜野くん、どうしたの ? 」 ナッキがびつくりしたような顔でばくを見てきいた。ばくは黙ってエンジンを切った。ナ ッキは淡いプルーのスウェット・シャツに ()D パンをはき、手に黄色いドライフラワーを一本 持って、とても可愛く見えた。 「院長は ? 」 「いま帰ってきたところ」 「ちょっとあがらせてもらうよ」 「ど , っ」」 ナッキはちらと皮肉な視線をばくに向けると、くりつとした小さなお尻をばくのほうに向 様けて、 長「おと , っさーん」 と、澄んだ声をはりあげた。 「ツトムくんがいらしたわよ」

3. 凍河

262 と、その男はどなった。 「あぶないじゃないか。 「すみません」 ばくは頭をさげた。 「おけがはありませんでしたか」 「いや、ちょっと膝をすりむいた位だけど、おれはモトクロスやってるからね。うまく倒れ たんで大した事なかったんだ。それより、どうしたんだ、その娘さんは。左右を見もしない で、赤信号のときにふらふら歩いてきたんだそ」 「病気なんです。熱があって、ばうっとしてたんでしよう。本当にすみませんでした」 「おたくは大丈夫かい」 「ええ。ちょっと左腕をぶつけただけですから」 「人身事故にならなくて、まあよかった」 男はため息をついて離れてゆき、バイクをおこして点検した。それからエンジンをかけた。 どうやらバイクのほうも無事だったらしい 「じゃあ、これから気をつけるんだよ」 男は手をあげて走りだした。ばくは腕まくりして、左肘のあたりを街灯の光で眺めた。赤 くはれあがっている。ハンドルででも打ったのだろうか。急に痛みがおそってきた。 「タクシーで帰ろうか」 と、ばくは歩道にばんやりつっ立っている阿里葉子に声をかけた。彼女は、ゆがんだ顔の 信号が赤になってたのが、わからんのか ! 」

4. 凍河

「少し走ってみようか」 と、ばくは唐突に言った。ふっとそうしたい衝動にかられたのだった。 「うん、それがいし どうせおくれるんだから、ちょっと道草くってゆこう」 「だめよ ! 」 阿里葉子の悲鳴のような声が風の中に流れた。 「そんなことしたら、大変だわ」 「ど , っして ? ・」 「だいじようぶだって言ってるだろ。ばくがきみにすすめてるんだ。三十分や一時間、おく れたってかまわないさ。患者はドクターの一一一一口うことに逆らっちゃだめだ」 でも、とかなんとか背中のほうで身もだえしている阿里葉子を乗せて、ばくは力いつば、 加速した。のエンジン音が彼女の言葉をかき消し、彼女の腕が必死でばくの腰にしが みつく ばくは右に左に乗用車の群をかきわけながら、横浜駅前をすぎて、桜木町方面へ飛ばして いった。とてもいい気分だった。多分、なにかに酔っていたのだろう。 「ど , っした ? ・」 ばくは首を回して言った。エンジンを切ったオートバイは、さっきまでの荒々しさが嘘み たいにおとなしく静止している。

5. 凍河

阿里葉子は、ばくを責めるような目で一瞬眺めたが、すぐに大きなため息をついて言った。 「あたしが気まぐれでこんなことをお願いするような人間じゃないってことを、わかってい ただけないんですね。前のときも、そうでしたもの。もういいんです。いきなり勝手なこと 喋りだしたりして、すみませんでした」 二則のときって ? 」 ばくはたすねた。 「あなたが言ってるのは、蔔 目にこの病院に勤めてたとかいう若い医者のことかい」 「お聞きになったんですか」 「ちょっとね。なんでもあんたのことを好きになって、いろいろ大変だったそうじゃな、 「嘘です、そんなこと」 彼女はしすかに首をふった。 「あたしよ、こ。こ ばくは彼女を催促するようにみつめた。彼女はちょっとロごもったあと、ちいさな声で続 ば「。ーーあたしはただ、あのかたにお願いしただけなんです」 子「この病院かち退院させないようにかい ? 」 「ええ、あのかたは、あたしに必要なのは外の冷たい風の中で生きてゆこうとする自立心だ けだ、っておっしやってました。この病院にいて、居心地よく暮らしてたら、そのうちきっ

6. 凍河

変った家族 その人物は、見たところ五十代の末か、六十代のはじめ頃と思われる。ばくは女にしても 男にしても、他人の年齢を当てるのが大の苦手なのである。 ひょうひょう 痩せて、全体に小柄で、どことなく飄々とした感じがある。カーキー色の作業服のズボ ンをはき、黒いシャツの上に登山者が着るような刺子のヤッケをはおっていて、ちょっと見 ると近郷の農家のご主人といった印象だ。 、っそう貧弱な感じをあたえていた。 やや薄くなった髪の毛を五分刈りにしているのが、し》 「院長、おまちになりました ? 」 ばくのうしろで唐木女史が声をかけた。すると、やはりこれが例の高見沢順造氏であるら 「ほほ , つ、オートバイでいらしたか」 高見沢氏は目尻にふかいしわをよせて微笑すると、そばへきて言った。 「めずらしいオートバイですな」 「 2(J)< は昔、わたしも乗ったことがあります。ハルビンで英国人の貿易商がもっておった

7. 凍河

「大丈夫 ? 」 「、、こ、じよ , つぶ , ・」 はず 唐木女史の声が弾んでかえってきた。 ばくは車体をわずかに傾けてカーブを曲った。最初のときは穏やかに、そして二度目はや や大きく車体を傾けて。 背中で彼女の体がかたくなり、ばくの動きに抵抗した。やがておすおずとこちらの動きに 合せてきて、三度目にはすっかり身をまかせた。 彼女は悪くない同乗者だ。すごく勘がいい 。もう一度カープを回る。こんどはびったりと 合せてついてきた。楽器を演奏していて、気持よく音があったときの、あの感じだ。 しいそ、ネ工ちゃん ! 」 「失礼ね ! 」 ばくが大声でたずねる。 「どっちへ行ナ、よ、、 / しししんですか ? 」 美「そこを右へ ! 」 革 ばくは広い道路を右へ曲る。そしてしばらく走り、さらに彼女の指示で右折した。ちょう 行ど広い道路に並行した野つばらの一本道だ。道はさっききた方向と反対のほうへのびている。

8. 凍河

唐木女史は煙草をくわえたままこもった声をだした。 「そ , つじゃないけど」 「はやくマッチを出しなさい」 ばくはポケットから、じれつ亭のマッチを出して火をつけた。 彼女は少し顔をつきだすようにして煙をすいこんだ。スウェーターに包まれたポリューム のある乳房が、ぐっとばくの目の下にせりだしてきて、ばくに強い圧迫感をあたえた。 「あたしが煙草をすったからって、そんなに驚くことないでしよ」 唐木女史は白い煙をふうっと旨そうに吐きだすと、 「あたしはさっき、喫煙の習はすてた、と言ったはすよ。誤解しないでほしいわ」 なんて勝手なことを言う女だろう、とばくは思った。でも、まんざらそんな彼女に魅力を 感じなかったと言えば、嘘になる。 「では、ばくも失礼して」 煙草をくわえてお互いに煙を吐くと、なんとなくばくらは微笑しあった。 「大変だそうじゃないですか」 ばくが一一一一口うと、唐木女史はすこし首をかしげるようにした。 「この病院がつぶれたら副院長のせいだって、もつばらの噂だそうですよ」 「とんでもないわ」 「ばくは聞いた話を紹介しただけですから」

9. 凍河

夢みる権利 べレが 2 っこ。 ばくは無意識に手をのばして、枕元の目覚し時計の音をとめた。 ちょうど夢の中で素晴らしいシーンにさしかかろうとしていた瞬間だったのである。 ばくは銀ラメのタキシードを着て、ビンクの蝶タイをむすんでいた。髪を肩までたらし、 マイクを片手に身をよじって最後のリフレインを絶叫しようとしていたところだったのに。 ばくは夢の中で人気絶頂のロックの歌手だった。背後では耳をつんざくリズムが爆発し、 観客席の前のほうは若い娘たちが山のように失神して倒れている。場所は日本武道館のマン モス・ホールだ。ばくは最高のスターだった。 まだ頭がばんやりしている。ばくは半分目をさまし、半分眠っている妙な状態のままべッ ドの中で身をよじった。 「セット・ミ フリー 頭の中にのこっているキャシー ・マクドナルドの歌声をまねて、ばくは寝ばけた声で叫ん

10. 凍河

〈だが、おれはなんにもやましい行動には出なかったじゃないか〉 〈当り前だ。しかし、心の中ですでにお前は彼女に対して何かを感じている〉 〈天秤座と水瓶座か ? おれは星占いなんか信じてやしないそ〉 〈まあいし 、今にお前は自分で自分のことを信じられなくなる時がくるのだから〉 〈今だってそれほど自分を信じてやしない。自分が大した男じゃないことぐらい、ちゃんと 知ってるさ〉 〈ほんとかね〉 〈ばかやろう ! 〉 ばくは思わず舌打ちした。そもそも、あのナッキがいけないのだ。あの変な手紙が、ばく にある種の暗示をかけ、そのせいで阿里葉子というひととの初対面の印象が妙な具合になっ てしまっている。 〈こんど一度、あの小娘をとっちめてやろう〉 ばくは心の中で対ナッキ作戦を考えながら床にごろりと寝転んだ。 ば「おまちどおさま」 と 子階段のほうから女の声がした。 思わすふり返ると、そこに中華そばの丼を手にもったナッキの姿があった。 「なんだ、きみか」 どんぶり