子さま』を愛していたこと。 わたしは、なぜだかあの物語が好きじゃありません。たぶんわたしの心がひねくれすぎて るせいでしよう。なにしろ〈ローズマリーの赤ちゃん〉ですもの。 さあ、わたしの長い不毛のおしゃべりも、そろそろ終りにしなければなりません。 わたしのこの手紙は、ツトムくんから聞いた、あなたへのファンレターでもありますし、 また卑劣な密告書でもあります。どうかわたしのことを軽べっしてください。そして、大笑 いしたあとで、ポイとくすか、こにほうりこんでください ットムくんはバカなのです。 彼に言ってやってください。バカなまねはよせ、と。 またその気になったら手紙を書くかもしれません。本当は、もっとおそろしい のことをご相談するつもりでした。 お友だちになってください , わたしには、仲間が必要なんです。 おやすみなさい ばくはその手紙を読みおえると両手で力をこめてひきさいた ぶあつい手紙の束は、音をたてて二つにさけた。ばくはポケットからライターをとりだす びんせん と、その花模様のついた便箋のはしに火をつけた。 ほのお 夜景のかなたには、毒々しいガスの焔がゆれながら空をこがしている。鼻につんとくる悪 臭は、風向きによって強くなったり 、弱くなったりした。 。〈ローズマリーの赤ちゃん〉より。 も と 別
、どんどん育ってゆくんです。医者や近所のひとや、それに最愛のご主人までがぐるにな って、彼女に悪魔の子をうませようとするんですからこわいわね。 わたしがその、〈ローズマリーの赤ちゃん〉みたいな女の子だと彼は = = ロうんです。 わたしはそのニックネームが、あんがい嫌いじゃありません。夜中にときどき母の口紅を 耳までぬって、 O 子からもらったすごいつけまっ毛を目の下三センチぐらしし。 スタンドをくらくして、鏡をのそきこむと、ちょっと本当の悪魔の子みたいでたのしくなっ たりします。 正直いって、あたしはとてもみにくし , 、容貌の娘です。体にはちょっと自信がありますけど ( バスト八十六センチ ) 顔は父親ゆずりのロング・ロング・アゴで、美人の母とはにてもに つかない女の子なのです。 それにもまして、〈ローズマリーの赤ちゃん〉たるゆえんは、性格のひねくれ度にあるよ うです。わたしは悪魔の子ですから、頭がいいのです ( なんども言うようですが ) 。したが って学校のお友だちの中でも、いつも孤立しています。彼女たちが少女フレンドの劇画に夢 中になっているときに、わたしは正田昭の『黙想ノート』を愛読してるんですから。 正田昭って、すてきです。彼はわたしのヒーローです。慶応大学をでたセンシブルな青年 紙 ので、残酷な殺人犯で、死刑の宣告をうけたのち獄中で何冊ものノートを書きつづりました。 キ 彼が残された時間の中で読み、そして考えた、人間の生と死についてのさまざまなかたち。 ナ それがわたしを感動させます。 わたしが彼とくいちがうところはひとつです。それは彼がサン・テグジュペリの『星の王
や、アルバイトのひとたちにいたるまで、みんな信じられないくらいに献身的で、風変りな かたがたばかりなのですから。 いさ、か混乱してきました。つまり、わたしの一一一一口いたいことはこ , つい , っことです。ットム くんは自分が男性として彼女に愛されていると思いこんでいます。そしてその錯覚のうえに、 結婚とかなんとか、夢みたいなことを考えているらしいのです。 これは悲劇でも、喜劇でもありません。わたしにはそれは、できのわるいテレビのコント のように思えます。せめてットムくんに、お兄さんの千分の一くらいの知能があったなら、 彼女の本当にもとめているものが何か、ちゃーんと見ぬけたでしように。 ットムくんが好色なプレイボーイで、彼女を遊びの対象としてえらんだのなら、まだゆる せます。でも、自分がうけもっている患者さんの基本的な心のうごきさえ見ぬくことができ すに、ばうっとなってしまって、愛してるだの、結婚したいだのって大騒ぎするなんて ( 本 当はこっそり父にうちあけただけですけど ) 、バカみたい。 お兄さんのあなたから、ひとこと忠告をなさるべきだと考えて、スモークド・サーモンの お礼にかこつけペンをとりました。 さあ、これでわたしという娘がどんな子だか、すっかりおわかりになったでしよう ? わたしのことを、ある男のひと ( あなたと同じくらいの年のカメラマンで、女たらしのわ るいやつです ) が、〈ローズマリーの赤ちゃん〉て呼びました。 アイラ・レヴィンの小説で、映画も日本にやってきましたから、きっとごそんじでしよう。 若い人妻のおなかにやどった、悪魔の赤ちゃんが、あやしい薬草のせんじ薬なんかを養分
ていた。とても好感のもてる匂いだった。 〈前の若い奴もこの手でやられたんだな〉 ばくは心の中でつぶやいた。きっとそうだ。このひとは退院したくないために、その医者 を自分のほうから誘惑したんじゃなかろうか ばくは危険なものを自分の身内に感じながら、それでも姿勢はちゃんとたもって彼女と向 きあっていた。ばくは、子供のときから男女共学の中で育ってきたし、高校、大学、そして 外国放浪のあいだも、女の子との接触はかなりあったほうなのでその方面の抵抗力はかなり のものなのだ。前任の若い医者は、きっとよほどの温室育ちのお坊ちゃんだったんだろう。 こちとらは、そうはいきませんそ。 こっちのそんな心をみすかしたように、彼女は顔をあげてばくを見た。 彼女がロにした一一一一口葉が、ばくをびつくりさせた。それがあんまりこちらの意表をついた文 句だったからだ。 てんびんざ 「竜野さんは天秤座でしよう ? 」 「星占いのことなんです」 ば「なんだ」 と 子ばくは、あっけにとられて彼女を眺めた。彼女はつづけた。 みずがめざ 「あたしは水瓶座。天秤座とま目生。ゝ、、 し本力ししんですって」 「へえ」
肥「なんですか、ツトムくんなんて」 奥から奥さんが姿を見せて眉をひそめた。 「ちゃんと竜野さん、とおっしゃい、ナッキちゃん」 ナッキはペろりと舌をだすと、 「さあ、どうぞ。父は居間におりますの。遠慮なくおあがりください、竜野さま」 「年上の男をからかうんじゃないそ」 ばくは少し調子にのりすぎているナッキをにらみつけて、奥の座敷へあがった。 院長は、なにか書きものをしていたところらし、 し。ばくの姿を見ると、やあ、と笑顔を見 せながら机の上を片づけはじめた。 「こっちへ坐んなさい。おおい、ナッキ、お茶だ」 院長はばくと向きあってあぐらをかいた 「どうだい、仕事のほうは」 「ええ」 「かなり慣れただろう。唐木女史に言わせると、きみは見た目よりははるかにしつかりして る、とい , っことだ」 「その唐木女史なんですがね」 「ど一 , つかしたのかい」
「大丈夫 ? 」 「、、こ、じよ , つぶ , ・」 はず 唐木女史の声が弾んでかえってきた。 ばくは車体をわずかに傾けてカーブを曲った。最初のときは穏やかに、そして二度目はや や大きく車体を傾けて。 背中で彼女の体がかたくなり、ばくの動きに抵抗した。やがておすおずとこちらの動きに 合せてきて、三度目にはすっかり身をまかせた。 彼女は悪くない同乗者だ。すごく勘がいい 。もう一度カープを回る。こんどはびったりと 合せてついてきた。楽器を演奏していて、気持よく音があったときの、あの感じだ。 しいそ、ネ工ちゃん ! 」 「失礼ね ! 」 ばくが大声でたずねる。 「どっちへ行ナ、よ、、 / しししんですか ? 」 美「そこを右へ ! 」 革 ばくは広い道路を右へ曲る。そしてしばらく走り、さらに彼女の指示で右折した。ちょう 行ど広い道路に並行した野つばらの一本道だ。道はさっききた方向と反対のほうへのびている。
んてへっちゃらだった子が、プロダクションの手で再生されて、キスもしたことありません みたいなカマトトぶりでテレビに登場するのは、それはそれで商売なんだから許せないでは だが、あの娘は、またなんで初対面のばくにこんな手紙なんかを、こっそり本にはさんで 渡したりするんだろう。まさかばくに一目ばれ、というわけでもあるまいに。 ばくはその妙な手紙のつづきに目をとおした。 〈ーーあたしは手紙魔です。学校でも、お友達や先生たちとほとんど心からの会話をかわし たことはありません。父とも母ともです。適当に、万事適当にあいづちをうって、うなずい ているだけです。ですから、みんなはあたしのことを本当に内気で地味な性格の娘だと考え ているようです。 でも、それはあたしの一面にすぎません。あたしが本当の自分にかえれるのは、ひとりで 手紙を書いているときだけです。 あたしは毎晩、日記をつけるかわりに手紙を書きます。そして、次の朝、それを燃やして しまいます . 。 節もしあたしがこの三年間に書いた宛名のない手紙をのこしていたなら、昔のなんとかいう 作家じゃないけど、それこそトランク三個分ぐらいになるでしよう。 らあたしは手紙を書いているときだけ本当のあたしになります。いつもは内気で目立たない 可愛子ちゃんを演じているんです。あたしの学校の成績について、父がとてもひどいことを さっき皆の前で言いましたね。でも、それはあたしの保身術。
す。あたしの直感はくるったことがありません。そして、その相手役は、たぶん、阿里葉子 という女のひとでしよう。〉 その手紙は、まだ続いていた。 〈 , ーー阿里葉子、アサトではありません。アリさんです。 これが十三歳か、十四歳ぐらいの可愛い子ならアリンコちゃんて呼んでもいいんでしよう けど、彼女はもう大人なんです。 だから阿里さん、とか、葉子さん、とか呼ぶことにします。 風情がある、って一言葉はご存知でしようね。 いちいち断るみたいで失礼ですけど、あなたという人は、、 しままでの短い間に観察した限 りでは、あまり本も読まないし、字も書かないし、日本語の表現力も貧弱なんじゃないかと いう気がするんです。 最近の若い人ってだめね。 むかし、石坂洋次郎さんの新聞連載小説が人気を集めていた頃に、『変しい変しい なんて一言葉が若い人たちの間で流行語になったんですってね。ママが話してくれました。あ 節たしは父はチチって呼びます。母はママです。 変しいは勿論、恋しい、の間違いなんでしようけど、その位の間違いじや最近の若い人は らびつくりしたりはしないですよ。 こないだも、父へのお礼状で、若いお母様 ( 患者さんの少年の ) から手紙をいただいたん いんぎんぶれい ですが、その中に『先日は慇懃無礼をいたしました』って、書いてあったんですって。一生 107