本当 - みる会図書館


検索対象: 凍河 下
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1. 凍河 下

「えらい災難だったな」 院長はなぐさめるように、一一 = ロった。 「みんなばくの責任だ。あんな騒ぎになってしまって、まことに申し訳ないと思っている」 「いや、ばくが悪いんです。それにしても抜け目のない奴だな、あいつは」 ばくはため息をついて、椅子に腰をおろした。 「煙草を一本いただけますか」 ししと・も」 院長は煙草をさしだした。そしてマッチをすって、火をつけてくれた。ばくはけむりを一 ロ区及 - 、、 月ロ . —> ロ 順をふって言った。 「しかし、院長も大変ですね。結局、さっきの件はどうなりました ? 」 「いや、今日の会合はあの乱闘さわぎで流れてしまったよ。でも、ほんとは、ああいうこと になる前に、わたしがはっきりした事をみんなに言えばよかったんだ」 「はっきりした・垂・つて ? 」 「この病院を不動産会社に売却することになった」 出院長は何でもないことのように、淡々たる口調で言った。 「本当ですか」 て「本当だ。もうずいぶん前からしつつこく話がきていたんだ。ただわたしは、高級マンショ ンを建てるためにこの病院の敷地を手放すことは、気持が進まなかったんでね。でも、よう やく決心がついた。というのは、この病院の周囲の町の人たちがほとんど、そうなることを

2. 凍河 下

が出てきたような気がします。それは、うまく一言えないけど、阿里くんから、あることを聞 かされた時にーー、」 阿里葉子がばくを見あげた。ばくは大丈夫、というように首をふって続けた。 「。丨ーーその時に、自分でも不思議なくらい動揺しなかったからです。何のことかよくわから ないでしようけど、その時ばくは全然なんとも思わなかった。そのことでこの人に対する気 持は、全く変らなかったんです。それがばくには嬉しかった。自分に、おこがましいけど自 信がついたというのは、そのためです」 ばくは自分に言い聞かせているような気がした。阿里葉子から、赤ん坊のことを聞かされ たとき、そのことで少しも動揺しなかったのは本当だったのだ。たとえ彼女が百人の男と寝 た、と告白したとしても、ばくは平気だっただろう。それは本当だ。そんな自分が、とても ばくは気に入ったのだった。 「竜野さん、興奮して何いってんだか自分でもわかってないみたいね」 と、ナッキが言った。皆が笑った。ばくも仕方なしに笑った。 「さあ、二人でキスをするのよ」 ナッキが叫んだ。まったくどこまでも余計なことを言いだす娘だった。ばくは横目で阿里 の葉子のほうをうかがった。彼女は少しはにかみながら、それでも自然な動作でばくに寄りそ ってきた。 終 「さあ、早く」 と、唐木女史も言った。

3. 凍河 下

兄貴への手紙Ⅱ ばくは、その晩、ナッキの部屋から帰って、しばらく眠れずにいた。 ウイスキーを飲んでみたが同じことだった。。 とうやらばくはナッキの話を聞いて、すっか り混乱してしまっていたらしい ナッキの話は本当だろうか、と、ばくはポンヤリした頭で考えた。あの温厚でいかにも誠 実そうな高見沢院長が、戦争中、関東軍の細菌戦略部隊ではたらいていたとは , そのナッキの話が本当かどうかは、ばくにはわからない。 しかし、全くのつくり話ではな さそうだった。ばくは頭の中で、軍服を着、中国人の捕虜や囚人たちを、人体実験の材料に 使って研究を進めている、若い青年医師の姿を思い描いた。 だがそれは、あの小柄でいかにもパッとしない高見沢院長の、好人物そうな表清とは、ど うしてもむすびつかなかった。 紙 手ばくは、ふと、高見沢院長からきいた話を思いだした。無断で病棟をぬけだしたアル中の 貴患者さんが、人質を閉じこめて山小屋に立てこもったときの話だ。そのとき、高見沢院長は 兄 命がけで、ナタを構えた男の前にうしろむきに立ったという。 ばくはその話を聞いたとき、ある種のコンプレックスにおそわれたものだった。とても自

4. 凍河 下

幻「ごめん」 くちげんか ばくは素直に謝った。ロ喧嘩をするためにやってきたのではない。 「」古をしょ , つ」 と、ばくは一一 = ロった。 「きみの手紙、読んだよ。さっきは悪いことをしたと思ってる。あらためて話そう」 「本気で言ってるの ? 」 「 , っ′ル」 こントムくんに聞くことがあるわ。正直に答えてくれたら、 「じゃあ、あたしの話をする前し、 あたしも父の重大な秘密についてお話しするつもりよ」 「ききたま , ん」 ばくは坐りなおして言った。 「なんでも本当のことを教えてやるよ」 「挈つ」 ナッキはうなずいた。そして舌の先で唇をちょっとなめると、 「質問の一。ットムくんは、本当に阿里葉子さんと、キスをしたのですか」 「 , っ / ル」 「まあ」 ナッキは目を見張って、 「やつばり」

5. 凍河 下

ごい文章が書ける力を持っていながら、それを隠して、 〈拝啓、その後お変りございませんか〉 みたいな手紙を書く男なのだ。 ばくはふと頭の中に、阿里葉子の表情を思い描いた。 すると、さっきから心の中でどろどろと渦巻いていた黒い霧のようなものが、次第に晴れ てゆき、暖かい、なごやかな気分になってくるのが感じられた。 〈なぜだろう ? 〉 ばくはそのことが不思議でならなかった。 〈彼女を愛してるんだろうか ? 〉 と、ばくは自分にきいた。 〈そんなーーー〉 ばくは首をふった。愛、なんてそんな大それたものなんかじゃない。 だが、彼女のことを考えると、暗い中にばっと灯がともるような感じがあるのだ。それは 本当だった。 それを何と言えばいいのか ばくは首をひねって考えこんだ。 外で風に樹の枝が鳴る音がしていた。その音は、ばくの心の中のざわめきのように感じら れた。 〈こんなことは、はじめてだ〉

6. 凍河 下

231 夏の旅 と、兄貴はあくまでストレートなものの言い方をした。 「、あ」 阿里葉子は首をかしげて、 「わたくし、竜野さんには好意をもっておりますし、それに尊敬もしています。わたくしに 対してもほんとうに優しくしてくださいますし、その上、結婚しようとまでおっしやってい ただいて、感謝してますわ」 「感謝 ? 」 ばくはげんなりして言った。 「阿里君、あらためて兄貴の前で聞くけど、きみは、ばくがきみと結婚したいと言ってるこ とに対して、真面目に考えてくれてるんだろうね」 「ええ」 阿里葉子は二、三回うなすいた。 「真面目に考えています。そのことで昨日もほとんど眠れませでした」 「何か努との結婚のことで問題があるのですか。あなたの病気以外に」 と、兄貴は言った。ばくは腹が立ってきて、兄貴をぶん殴ってやりたいような気分になっ てきた。 彼女はいつでも退院できるひと 「病気、病気って、阿里くんはそんな病気なんかじゃない。 , なんだ」 「それは本当ですか」

7. 凍河 下

ばくは首をひねった。 「そうよ。あたしもその話を聞いたときは憤慨したわ。でも、相手が正直なことだけは認め ざるをえなかったの。その母親は言ったわ。 〈あの娘さんのおうちは不幸霊がついている家なんですの。興信所の調査でそれがわかった もんですから、わたしたちは、申しわけないけれども、婚約を破棄したんです。そのための つぐないだったら、なんでもするつもりでしたわ。補償しろ、とおっしやるんだったら、誠 意のある補償をするつもりでいました。これは本当なんですよ。でも、わたしたちは自分を 正しい、なんて思っちゃあいません。あなたがそれを責めるんだったら、甘んじて、卑怯な 人間、勇気のない母親の汚名を受けますわ〉 そんなふうに、その男の母親は言ったの」 「不幸霊ってなんです ? 」 ばくは首をひねった。 「あんまり聞いたことがないなあ。そういう迷信がどこかにあるんですか ? 」 「そ , つらしいわ」 唐木女史はうなすいた。 唐木女史はうなずいて一一 = ロ葉をつづけた。 「彼女はただ失恋したということだけで打撃を受けたんじゃないわ。きっと、そのことをは じめて知って、それが彼女を打ちのめしたのよ。だけど、そのことを知って、彼女が打ちの めされた、とすれば」

8. 凍河 下

280 ばくは覚悟をきめて、阿里葉子の肩に手をのせた。彼女は目を閉じて、わずかに顔をそら せた。 ばくは彼女の唇にキスをした。ひんやりと冷たい唇だった。 「拍王。 , ・」 と、ナッキが叫んだ。皆は笑いながら手を叩いた。 「これで終りね」 唐木女史が言った。そしてばくの肩をばんと叩くと、 「がんばらなくちゃだめよ」 と、素早くささやいた。 「やります」 「わたしも、いずれは結婚してみせるわ」 「世の中、そう甘くはないですよ」 「言ったわね」 唐木女史はばくをにらんだ。ばくは急に彼女にもキスをしたい気持に駆られた。変な話だ が、本当だから仕方がない。ばくは、彼女のことも好きだったのである。 ばくは皆に送られて病院の玄関を出た。もちろん阿里葉子も一緒だった。 玄関の前には、オートバイがおいてあった。わが愛しのおんばろバイクは、コーラのあき かんかなにかテープでくくりつけられて、ちょっと照れくさそうに立っている。

9. 凍河 下

「ばくはそれが本当かどうかさえ知らないんです。ただ、彼女の口からそれを聞いて、彼女 がそのことでひどく悩んでいることを知ったもんですから」 「なんとい、つことだ」 院長は大きなため息をついた。 「、なんとい , っことだ、まったノ、」 高見沢院長は、舌打ちして、急に立ちあがった。 「きみは、も , つよろしい」 と、院長はうんざりした口調で言った。 「阿里さんとのことは、後でゆっくり話しあうことにしよう。それまであんまり皆を騒がす ようなことはつつしんでくれたまえ」 院長はむっとした表情のまま、足音も荒く部屋を出ていった。そんな高見沢氏の態度を、 ばくははじめて見たような気がした。温厚で、むしろ優しすぎる人のように思い込んでいた のだ。 こ要をおろすと、ペこり 院長と入れちがいに、高橋医師がはいってきた。彼は、ばくの前し月 と頭をさげ、 感「すまなかったね」 と一一 = ロった。 「てつきり唐木女史と喧嘩しているものと思い込んじゃったもんだから。失礼した。許して

10. 凍河 下

「そ , つい , つわけじゃよ、。 ばくはただ 「あたしは武田さんを信じるわ」 ナッキはばくをにらみつけて一一 = ロった。 「わかった。きみがそう一言うんなら、武田さんの話が本当だと考えて、その上で話をすすめ ばくは落ちつけ落ちつけと、自分に言いきかせながら喋りだした。 「もしも、きみのお父さんがかってその細菌戦略部隊にいたことがあるとする。そうすると、 一体どういうことになるんだ」 「武田さんの話じゃ、父と武田さんは同じセクションで、同じテーマの実験をやったんです 「どんな実験 ? 」 「あたし、そこまでくわしくは聞かなかったの。だって、父が何をやったかくわしく聞くの は布かったのよ」 うそ 「でも、武田さんは嘘は言ってないわ。中国人の捕虜や、反日分子を連れてきて、いろんな で ことをやったんですって。武田さんは、それを忘れるためにお酒びたりになって、そしてア の とル中でポロポロになって死んだんだわ」 夜 ばくは黙っていた。ナッキは手の甲で涙をぬぐった。 「ハンカチある ? 」