第 11 話お釈迦さまが出家した理由を知っていますか。 と言わないではおれないお釈迦さまの思いは、察してあまりあります。 まっ いま、ルンビニ園にはお釈迦さまのお母さまを祠るマヤ堂が建っております。 先年、インドを訪ね、この堂内のマヤ夫人の前に立った私は、思わず、 「お母さま、ようこそお釈迦さまを産んでくださいました ! と、お礼を申し上げました。 そして、祈りを終えて改めてマヤ夫人のお顔を見つめているうちに、ふと私の口か らもれ出たのは、 「ようこそ、 1 週間で死んでくださいました」 という一 = ロ葉でした。 我ながらこの言葉に ( ッとし、なぜこんな一一 = 〔葉が出てしまったのかと考えてみまし 色あせることのない幸せを求めたお釈迦さま マヤ夫人がお釈迦さまをお産みになった後もずっとお元気でおいでになり、お釈迦 9
さまが母なき悲しみを知らずにお育ちになったら、もしかするとお釈迦さまはご出家 なさらなかったかもしれません。 生まれてわずか 1 週間の幼な子にとっては、自分の命そのものともいえる母と別れ ねばならなかった悲しみ、この世に生をいただいたそのいちばん初めに、最大の悲し みに出会わねばならなかったお釈迦さまは、成人されてのちも、若さのおごりにも、 健康のおごりにも、美しき妃や王子としてのよろこびにも酔うことができなかったの です。 ″諸行無常〃というフィルターをかけることによってたちまち色あせてしまうような 幸せ、条件が少し変わるだけで不幸へと転落してしまうような中途半端な幸せではな くて、いかに条件が変わろうと、いかに無常の風が吹きまくろうと色あせることのな い幸せはないか、それがお釈迦さまご出家の背景ではなかったかと思います。 そして見いだされたもの、それが仏教なのです。 うっしみ お釈迦さまのお母さまの現身は、お釈迦さまを産んで 1 週間でお亡くなりになった かもしれないけれど、お釈迦さまを通して仏教としてよみがえり、 2 千 500 年余の 今日までも数限りない人々の光となって生き続けておられる、そう考えることができ
第 22 話あなたの行いに、、、慢〃は隠れていませんか。 ハラモンというのはインドの最も高貴な階級の代名詞だと考えればよいでしよう。 要するにその人が尊いか卑しいか、あるいは価値があるかないかは、生まれではな く、行為による、生き方による、というのです。 お釈迦さまは繰り返してこのことをお説きになり、また実践されました。 ある年、お釈迦さまはご自分の故郷、釈迦国のカビラ城をお訪ねになりました。 くんりん 出家をしておられなかったら王として君臨しておられるはずのお釈迦さまのところ ーリなどが出家を願い出てきま に、同じ王族の従弟たちや下層階級出身の理髪師ゥパ した。 リを先に出家させて上位に座らせ、王族出身の そこでお釈迦さまは、あえてウ。ハ 従弟たちは後で出家させて下位に座らせました。 さあ、王族出身のメイハーがおさまりません。昨日まで自分たちがこき使っていた , ーリが、自分たちより上に座るのはとんでもない、とお釈迦さまに中 下層階級のウ。、 し立てました。 お釈迦さまは厳として、 しせい しカカし 「四河海に入りてまた本名なく、四姓出家して同じく釈氏と称せよー とこ ほんみよう しやくし じっせん ノ 89
途中、美しい花の咲き乱れるルンビニ園で小休止をとられた時、そこで急に産気づ かれ、お釈迦さまはお生まれになってしまったのです。高齢出産のうえに、出産後の 手当ても十分にできないままに王宮に引き返さねばならなかったという無理が重なっ たからでしようか。マヤ夫人は王子を出産して、 1 週間で亡くなってしまわれるので す。 こしい のちぞ すぐに後添いとして、マヤ夫人の妹さんが輿入れをされ、王子シッダールタ太子 ( お釈迦さまの幼名 ) は、何不自由なくお育ちになりました。 しかし、お釈迦さまも人の子、この目でついに見ることのできなかった母、自分を 産まなかったら死なずにすんだかもしれない母、自分の命とひきかえに死んでいった れんぼ 母への傷みと恋慕の思いは、生涯お釈迦さまの心から消えることはなかったと思いま す。 世に母あるはさいわいなり 父あるもまたさいわいなり 9
じ一つのエネルギー 摘むことしか考えなかったら、出る場所を失ったエネルギーはますます曲折し、鬱 せき 積してゆきます。誰しもが必ずよい芽を一つは持っています。 その芽を探し、 「あなたはここが素晴らしい」 と、その芽を褒めてどんどん伸ばすようにすれば、非行に走るエネルギーは少なく なるはずです。 いまから約 2 千 500 年前。ある日、お釈迦さまは弟子たちと大きな河の渡し 舟に乗りました。 舟が朽ちかけていたのでしようか、河の真ん中あたりで浸水し始めました。 そこでお釈迦さまは弟子たちに呼びかけ、みんなで力を合わせて水を汲み出し、な んとか無事に向こう岸へ着くことができました。 その時お釈迦さまは、この舟旅にたとえて人生の旅のありようを、こう説きました。 び 比丘よ しやか うつ 6
第 4 話子育ては農業。良き土としての親づくりが大切です。 しく立ち働いていた地主のバラモン ( インド階級制度の最上位である僧侶階級 ) が、つ かっかとお釈迦さまの前へ歩み寄って言いました。 「修行者よ、わたしは田を耕し、種を蒔いて食を得ている。あなたも、自ら耕し種を 蒔いて、食を得てはどうか」 ほほえ お釈迦さまは微笑んで、答えられました。 「。ハラモンよ、わたしも耕し、種を蒔いて食を得ているのだよ」 理解しかねて、けげんな顔でお釈迦さまを見つめている。ハラモンに語りつぎます。 「信は、わが蒔く種である。 知慧は、わが耕す鋤である。 こころ 身とロと意でつくる悪行を制するは、わが田における除草である。 精神は、わがひく牛である・ : : ・」 教育と宗教の使命は、人づくりです 荒れ地を耕し、木の根や石ころを取り除き、種を蒔き、肥料を施し、雑草を除くな すき ほど、」 3
第 29 話良寛さまが教えてくださる、、話し方講座′′。 ともあるからです。 第 3 には、「それを伝えるに時を選ぶ」ーーたとえそのことが真実でも、相手のた めになることと確信でぎたことでも、それを伝える″時〃と″処〃を選ばなかった ・はかり , こ、 冫かえってマイナスの結果となることがあるからです。 今章は、良寛さまの『戒語』囲カ条の総まとめとして、このお釈迦さまの″言葉〃 に対するきめこまかい心の運びを胸にとどめながら、学んでみましよう。 伝聞をまるで真実のように話す人 ますお釈迦さまの、「そのことが真実であるかどうか」の類に入るものとして、『戒 語』から、次の 3 つをあげることができましよう。 一、ことばの違う お 一、推し量りの事を真になして言う 一、よく心得ぬ事を、人に教える まこと かい′」 こぐ ところ 2 月
第 11 話お釈迦さまが出家した理由を知っていますか。 つね 常に、この好夢あり ほリ * 、よう 『法華経』の中に、 「常に、この好夢あり」 というお言葉があります。 そしてそのあとに、お釈迦さまの一代記が出てきます。 いまから約 2 千 500 年前。北部インドに釈迦国という、小さいけれど平和な じようぼんのう 国があって、浄飯王が国王でした。 インドは暖かい国ということもあるのでしようか。いまでも 5 歳でお母さんに さず なっている人が多いというのに、浄飯王とマヤ夫人は、なかなかお世継ぎを授からな かったのです。 国をあげて王子誕生を待ち望んでいるうちに、ようやく歳を過ぎてマヤ夫人が懐 妊されました。月満ちて、出産は実家でとの風習にしたがい、マヤ夫人はお隣のコー リヤ国の王女でしたので、そこへ帰るべくお城をあとにしました。 こ , つむ しやか 9
第 11 話お釈迦さまが出家した理由を知っていますか。 るのではないでしようか。これが「好夢」でなくてなんでありましよう。 どなたの人生にも避けて通ることのできない悲しみ、授かりとしか思えない悲しみ が必すあるものです。逃げず、ぐずらず、むしろ積極的にそのことがあったお陰でこ んな人生が開けたというような生き方をしていこうじゃないかという語りかけが、こ の「好夢」という教えではないでしようか。 表裏のない笑顔が俊董さんの魅力
出生によって社会的身分や職業の一切までが規定され、異なった階級間の食事、通 婚を禁じ、きわめて厳格な風習は今日までその名残りをとどめ、インド近代化の障害 となっております。 お釈迦さまは、このカースト制度をなんとか打開しようと苦労されました。ですか らこそ、こう説いておられます。 生まれによって ハラモンなのではない 生まれによって 非バラモンなのではない 行為によって ハラモンなのである 行為によって 非バラモンなのである