〃さあ、えらいことになりそうだぞ〃と呟いた私は、一一人をつれて、仙台の繁華街の東一番町 通りへ出かけて行き、貴金属店で、ますプラチナのカマボコ型指輪を一一個買った。 ホテルに戻ると、フロントに、私より十歳は上と思われる立派な老人が立っていて、私に挨紹 した。 : 。人よ 「目白三平さんではございませんか。少しも存じあげませんで失礼申しあげました : 長の市村でございます」 結婚式を挙げるとすれば、少しは何か頼むことになるだろう。 「中村でございます。ちょうどいい時にお目にかかりました。突然で恐縮ですが、お宅に昨日 ら泊まっている私の知合いの若い者が、今夜ここで結婚式を挙げたいと申しておりますので、 か特別な料理を作っていただけませんか : : : 」 と、お願いした。仲人夫妻ならぬたった一人の私が立合人として、厳粛とはいえぬ仮りの式 + 挙げることになったのだが、せめてタ食はお祝いめいたものにしたかった。 「披露宴に出席するのは、何名様でございますか」 「新郎、新婦に、立合人の私を加えて、合計三名です」 老社長は、しばらく私の顔を見つめていたが、 「てまえどもで、 . おめでたい結婚式をして下さるのは、誠にありがたいのですが、当ホテルは、 仙台では一流中の一流でありまして、立合人が一人といういい加減なものでは困ります。ます 岡大神宮の私が懇意な神官に特別においで願って、ノリトを奏していただきます。かんしんの孺
と、家出人の心境で私はいった。 「こちらははしめてでございますか」 「はあ・ : ・ : 」 「ご紹介のない方は、お泊めしないことになっております。しかし、何か身分証明書があれ ~ 「身分証明書はありませんが、私は国鉄職員なので、乗車証を持っております」 老番頭は、子紙に乗車証を調べてから、 「国鉄職員の方なら結構です。さあ、どうぞ : : : 」 私は、一一階の一一十八号室に案内された。 あいきやく 二畳間だった。原則として一人一畳ということになっているから、合客なしならば二百円頂 ~ すると老番頭がいった。 夜具は、敷ぶとんが一枚とかけぶとんが一枚だけであった。寒がりやの私は、別に一枚二十 の毛布を一一枚借りた。 あネオンサインで宣伝しているだけあって、さすがに風呂は立派で、湯も豊富だった。風呂か ) んあがると、いつもより少し阜・いが、眠ることにした。 気久しぶりに、自分で寝床を敷いた。洗いたての純白のシーツの色が、目にしみて来た。岸野「 空 キ子の七色。ハンティの箱を枕もとにおいて目をつぶったが、私はなかなか寝つかれなかった。 真夜中に起きだした私は、粨をあけて、七色パンティを取りだすと、かけぶとんの上に、一「
110 「今、お暇でしたら、これから、訪ねてみましようか。あの子どもたちに会いたいですね」 「すぐまいりましよう。車の手配をいたします」 梅津さんも乗り気であった。車の中で、私は、梅津さんに、こんなことをいった。 「あれからまる二年たっているんですが、子どもさんが増えているか、どうでしようね」 「いくら子ども好きのご夫婦でも、九人以上は生まないと思いますわ」 梅津さんは断固としていった。 一「三年前に、チリだかべルーだったか忘れたが、子ども好きの夫婦が、五十一人生んだとい う新聞記事を読んだことがある。三つ児を三回、双児を数回、年子は普通という家庭だと書いて あった。 「僕は二人増えていると思いますね。負けたほうがタ飯をご馳走することにしましよう」 ><X 区〇〇町のアパ トへ着くと、中老の人の好さそうな大家さんが、 「あの写真が新聞に載った一「三日後に、区役所の人がやって来まして、無理矢理にの都 営住宅へ引越させてしまいましたよ。私も子どもが好きですから、大勢なのは構いませんし、そ れにあのご夫婦もここでいいといっておられたのですが : 私たちは、教えられた△△都営住宅へ車をまわした。 の部屋へはいるや否や、素早く私は、生まれたばかりの赤ちゃんと、満一歳になるかな らぬかのもう一人を探しあてると、梅津さんに向かって、親指と人差し指で丸を作って、カケに 勝った合図をした。子どもさんは、たしかに十一人になっていた。
・の水分を蒸発に丸めて小麦粉、卵白に水 ロ一ラ イ個冖ム個ンべ 匠させ、熱いう少々を加えたもの、パン粉 215 2 、ヤト ☆ 、キマ・ ~ ) 1 ちによくつぶの瞬にまぶし、百八十度の ケ 日′ 6 目 0 す②ピ 1 マン油で揚げる⑤キャベッ二枚 麦うこ人 2 小よ菜 をゆでてみじを千切りにし、カイワレ菜 、しレ ~ 前ん切りに、ハ半パックと混ぜ合わせ、 ンこワ ~ 一人 ムもみじんにマト一個をくし形に切って 卞料インリ、イ ~ キ / 材ガマガ油カ ~ ル ( 切る③ナベにコロッケに添える。 マーガリン大 ◇ ジ卵ハピマ粉ッ ~ 工塩 、さじ一半を溶パン粉にパセリのみじん かし、イモと塩小さじ四分切りや粉チーズを混ぜると の一、こしよう少々を加えひと味違うコロッケに。 筰り方】①ジャガイモて木べらで混ぜ合わせ、火献立の組み合わせⅡフル の皮をむいて乱切りにし、からおろして卵黄を手早く 1 ッサフダ。グリンピース 水から軟らかくゆでて湯を混ぜ、ハムとピーマンを加のボタージュスープ。 て、再び火にかけて残りえて冷ます④ポテトを俵形 瓦家千弋子 )
) 、ではないかという空気になりかけた時、私一人だけが反対した。 : っ一、つ 自民党の実力者で能弁の中曽根さんに、例会のたびに滔々と一席打たれたのでは、せつかくの われわれ俗人どもの楽しかるべき一夜は台無しになってしまう。 反対はしたが、結局は私も折れて、入会していただくことになった。これも私の意見だが、目 白会への出席の当夜は、たとえ形式的であっても、自民党を脱党して、無所属ということにして 貰、つとい、つことで妥協した。 いて、田中角栄さんが入会した。政治家がすでに一人入会しているのだから、目白に住んで もはや私は何もいわなかった。 おられるならば、反対の理由は何もない。 舟橋邸で開かれた、昭和四十七年六月七日の目白会を、私は今でもはっきり覚えている。たま たまそうなったのだが、私の左隣りに田中角栄さん、右隣りに原文兵衛参議院議員が坐り、座卓 をはさんで、向こう側に中曽根さんと向かい合うことになった。 原文兵衛さんは、高橋先生とは旧制高校時代からの親しい間柄であって、お宅もご近所であ る。入会当時、原さんは警視総監であって、もの書きとはおよそかけ離れた職ー・・・・・・刑法第百七 録 一三ロ こ、へん柔軟な文化人だ 十五条を行使して、ポルノなどを取り締まる側のこわいお方だったが、オし 重からという高橋先生のご推薦であった。 昭和三十七年三月、警視総監公邸の新築祝いを兼ねて、まわり持ちの目白会を開くことになっ
200 弥次・喜多ばあさんの世界旅行 ークホテル・シェーンプルンの五階の部屋から、一階のダイニングルーム 夜八時ごろ私は、。、 へ降りて行った。窓際のテープルに座って、料理と白ブドウ酒を注文した。 一一人の日本の老婦人が、何か話しながら、私のテープルへやって来た。 「珍しいところではじめてお目にかかりましたが、作家で、間借人協会会長さんの目白さん、 え中村武志さんではございませんか」 背の高い痩せぎすのおばあさんがいった。 「はあ、そうです」 「失礼ですが、ご一緒にお食事をさせていただいてよろしいでしようか」 今度は、小太りの背の低いおばあさんがいった。 「どうぞ」 と、私は承諾したが、内心では、いささか閉ロするものがあ 0 た。その晩は、久しぶりに独り で過ごしたかった。 一一人ともちょうど六十歳になったので、還暦を機会に、世界旅行をしているということであっ 、ヾリ経由で三日前に、あこがれのウィーンに た。すでに一カ月以上、アメリカを汽車でまわり 到着したとのことだ。 背の高いほうを、低くて小太りのはうをばあさんと呼ぶことにする。一一人ともご主人は健
「やあ、おめでとう」 といって、軽くうなすいた。 この元旦の挨拶は、私の実家のシキタリであった。信州の実家では、床の間を背にして、紋 き羽織、袴で威儀を正している祖父の前へ、祖母、オヤジ、お袋さんはもちろん、子どもの私 ~ 一人々々出て行って、新年の挨拶を申し述べ、お年玉を貰うのであった。 いったん立ちあがってから、また坐りなお 1 女房はこのしきたり通りの挨拶を済ませると、 ちゅうちょ た。しばらく躊躇していたが、 「ただいまの新年のご挨拶は取消させていただきます」 と、固い表情でいった。 「なぜ、取消すんだね」 ョウカン色の紋付き羽織、袴で威儀を正している私が、聞きただした。 「取消してもおかしくはありませんよ。むしろ、取消さないはうが不平等で不合理です。あな、 はこれまでの元旦に、やあ、おめでとう、とおっしやるだけでした。それにたいして、私のほ、 は、また今年もどうぞよろしくお願いいたします、と挨拶しなければならないのは、男女同権 ( 時代に不公平というものです。これはとりもなおさず、毫王だけが働いて、女房、子どもを養、 という封建的な古い考え方から生まれた挨拶です。私だってあなた同様、毎日働いています。 る新聞に、『主婦一日ストの庭におよばす経済的損失について』という記事が出ていました。
方に共感しています。山の信。宇多さんはその俳句講 1 ・デ・タ ) だ、と認識 7 中に住んで山を守っている座のため、毎月、熊野もうてもらいたいのです。 老人は、登山口に人が来たでをする。『牟婁叢書』で水の女の感性でもって禁己 とたん、その気配がわかるは、今後、中上氏自らの詩を突破し、大胆に詠うの一 ( 克 ) という。熊野には、そんな集なども出す予定という。す」 ◇ 人がいる。ここでは、何か中上氏は二月に手術を受 活力が生まれるのです , けた後の病床から句集に熊野大学出版局Ⅱ〒 宮郵便局私書箱三四号。「冖 熊野大学は、都はるみの「しおり、を寄せた。 熊野本宮奉納コンサ 1 トな「日本の、詩歌文芸の世月集」は千八百円。送料 ど、自由な発想の文化を発界に対する、不意の一撃 ( ク冊二百六十円。
、つこともどちらもできないのであります。悪口はともかく、褒めることができないことを、町 新婦ならびにご両親およびお仲人にお詫び申しあげます。 話は変わりますが、私は自分の書く文章に自信はありませんし、当然のこと年々売れなくな " まして、国鉄を定年退職後今日にいたるまで、いわゆる〃目白三平シリーズ〃という看板小説」 一つも書いておりません。しかし、私には、昔から、人を見る目は備わっているのでありま , て、今日まで一度もはすれたことがございません。 先はど申しあげたように、一時間前にはじめて新郎、新婦にお目にかかりまして、私の狂わ〈 直感で感しましたことは、新郎は前途有為な青年であり、新婦は才色兼備のよき奥さまになれ , 方だということでございます。文章は下手ですが、人を見る目の正しい私のいうことですから、 祝十中八、九まで間違いはございません。 宴私は、〃目白三平〃というたいへん小心で、温厚、誠実で、女房の尻に敷かれつばなしの国 ~ 披職員を主人公にした小説を、在職中一一足のワラジをはいて十一一年間書き続けてまいりましたが、 結作者の私は、外柔内剛で、目白三平とは似ても似つかぬ封建的横暴毫王でございました。 短気で頑固一徹な祖父の血を受けついだ私は、新婚一週間も経たぬうちから横暴ぶりを発揮、 たしました。たとえば、食事中に何かごくつまらぬことで腹をたてますと、乱暴にも、すぐ食一 長 をひっくりかえしたのであります。 もちろん、茶碗、皿、小鉢はみんな割れたり、欠けたりいたします。いや、割れないと面白 ,
だし、講師の諸先生方で、一等船室は満員でして、六人用の部屋があいているだけでございま十 が、それでよろしければ : : : 」 「ええ結構です。それではどうぞよろしく」 かくして、私は、一見大流行作家なみに、第一秘書、第一一秘書をしたがえて、新さくら丸 りこんだが、それから先は、語るも涙、聞くも涙の物語が展開されることとなった。 どちらが先生か秘書か 私と第一秘書の黒木記者は、キャビンデッキのバスつきの一等船室にはいった。私は船窓側 ( べッドで、黒木記者は廊下側のべッドで、その間に丸テープルとソフアが二脚ある。 ところが、第一一秘書の得田記者は、船底の六人部屋に押しこめられたのだからあわれである。 いや、そんなことは、その後の講師大先生なる私の災難 ( 人災というべし ) にくらべれは、あ れでも何でもない。 今回の洋上大学は、前回とちがって、男性がたった百人、女性が四百人なのであった。ます 初の晩から、災難といえば災難であり、不届き至極といえばこれはど不届き至極はないと断言 , てもいい人為的現象が起こった。 平たくいえば、大講師先生の秘書なる身分をも忘れて、黒木記者は、夜十一時ころ、堂々と→ 師の一等船室に、うら若き女性をつれこみ、二人でバスにはいった。それで出て行くのだろう、 ドにもぐりこんだ。 観察していると、揃ってひとつべッ