一人 - みる会図書館


検索対象: 愛しき遺影よ
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1. 愛しき遺影よ

在で、留守番をさせているというのだから、近ごろのおばあさんは立派でもあり、世はさかさま となりにけり、と嘆きたくもなる。 頼みの綱のお願いカード 外国語ができないにもかかわらす、世界中を日本語だけで悠々と旅行したおばあさんの話を、 『六カ国語会話』一冊だけで、ア 週刊誌で読んだが、この二人もそれに負けない人物であった。 ハへ渡って来たのである。 メリカから虹 ~ 事・ヨーロッ 行く先々どこにでも日本人がいるから心配はないけれど、それに、このカードがたいへん役に グから、それを取りだして見せてくれた。 たったといって、ばあさんが、ハンドヾッ この二人の日本の老婦人は、外国語が話せません。空港、駅、ホテル、名所、旧跡、両替 号所、トイレット、その他希望する場所へ無事到着できるよう、ご厄介でもよろしくご面倒をお 原いいたします。最後に彼女たちは、財布を差しだします。その中から、お立替えのお金はも ンちろんのこと、チップもご遠慮なくお取り下さいますよう、お願い申しあげます。 日本にいる息子と娘一同 モ の 各国の空港・駅従業員の皆様へ 夢 各国のホテル・レストランの皆様へ 各国のタクシー運転手の皆様へ

2. 愛しき遺影よ

にもかかわらす、地価凍結を前提としてのものならばよろしいが、それをせすして〃日本列島 改造政策〃を具体化したら、日本中の地価を一挙に暴騰させることになるではないか」 田中さんは、「ヨッシャ、ヨッシャ」とも、「ワカッタ、ワカッタ」ともいわなかったが、〃都 市政策大綱〃を作った自分を信頼してくれとはっきりいった。 卓の向こう側で、 「よはう、そんなものができているのかね」 と政治家歴の長いはすの中曽根康弘さんが無責任なことをいった。 指先によみがえる感触 またすーっと元へ戻る。座談会は、赤坂の料亭で行われた。芸者が一一人、半玉が一人招ばれ ていた。編集長が私に耳打ちした。 「もちろん、中村さんにもいろいろお話しいただきたいのですが、同時に、司会・進行も兼ねる ということでお願いいたします」 十返、高橋両先生とも、学あり、人生経験豊かで、洒な人物だ「たから、司会役の私は何の 苦労もいらなかった。次々と面白い話題が飛びだして来て、この夜の座談会は大成功であった。 一応区切りをつけるべく司会の私は、 「どうもいいお話をありがとうございました。お時間の許すかぎり、ゆっくりお飲みになって下 さい

3. 愛しき遺影よ

す、党利党略、派閥争いをしているのを見ますと、失礼ながら、党全員の頭が変になったので」 ないかと思われてなりません。 イデオロギーを抜きにし、全野党は、いつでも政策協定をして、政府・自民党に圧力をかけ「 べきです。いっ政権をとるかわからないのに、絵にかいた餅のような政策をお示し下さっても、 いくらかでも現在の生活を楽にして下さい。 私たちはありがたくないのです。 東京間借人協会の会長として、これまで一度も間借人の皆さんを批判したことはありません。 私は、皆さんが怒りだすのを、今日までじっと待っていたのです。住生活でこんなに不当に扱 , れているのに、なぜ皆さんは怒らないのですか。そのことに、私は少なからす腹をたててい す。 私たち協会の委員だけが、どんなに努力しても、皆さんが立ちあがらなければ、成果はあが、 ないのです。今年こそは、全国の住宅難世帯の皆さんも、私たちと一緒に、怒りをもって、 せいに立ちあがって下さい」 ケそれから一一年後の昭和四十八年三月のはしめだった。私は、朝日新聞社の友人をたすねて、 カ 事を済まし、玄関へ下りて来たところで、カメラマンの梅津さんとばったり顔を合わせた。あ」 総以来の出会いであった。 「あのお宅のことが気になっているんですが、その後どうなっているんでしよう」 「僕も気にしているんです」

4. 愛しき遺影よ

間ます。つまり、私たち日本の住宅困窮者全部が、地球の土地には目もくれす、みんなコペルテ ス平原を十年間も買い続けていれば、わが国の地価は、現在の百分の一くらいに値下がりする」 すであります。貴殿の発想にたいして、心からの尊敬と感謝の念を覚える次第であります〃 ート・・コールズ氏から、コペルニクス噴火口地帯一エーカー 折り返し、航空便で、ロバ 土地権利譲渡証書が送られて来た。それには、月の望遠鏡写真を引きのばしたものが添えて・ り、私の所有地として、赤い点が打ってあった。 男の人って、 これを女房に見せると、「ふん」といって、私を軽蔑するような表情をした。〃 なたばかりでなく、 しい歳をして、そういう何の役にもたたないバカなことをするものですわ。 知能指数が低いのかしら〃と心の中で呟いたのにちがいなかった。 この話を、「目白三平の夢」と題して、「週刊新潮」 ( 昭和三十一年四月一一十一一日号 ) 短期連 の最終回に書い 夜明けの散歩からホテルに一民ると、シーツはありがたいことに乾いていた。 しくら引っ張っ しかし、つまみ洗いの痕跡を消すことは出来なかった。その部分のシワは、 ) も、依然として残っていて、メードさんの目をごまかすことはできなかった。

5. 愛しき遺影よ

また人の気配の有無をたしかめて、隣りのバスルームへ飛びこんだ。シャワーで、お尻を丁寧 洗い、バスタブに湯のたまるのを見ながら、私はシーツのつまみ洗いをした。 その部分だけのつもりで洗っても、水気は段々沁みて周囲にひろがって行く。とにかく、四亠 六歳にもなった大の男が、最終原稿が書けぬ苦しさの揚げ句とはいえ、ところもあろうに丸の宀 耳力しいというもおろかであ「て、万一、露したら、大袈 ~ ホテルで、寝ウンチをするとは、む、 にいえば五一一号室の窓から、飛び下り自殺でもしたほうが、まだましだと思える。いかにし一 も、その痕跡は残してはならない。 四月はじめであったが、夜はうすら寒い。当時は蒸気暖房だったが、私はバルプを全開して、 ラセン状の暖房器の上に、つまみ洗いの部分のシワをのばして、シーツを乗せた。明日一日休 ~ としても、メードさんが部屋の掃除に来るまでに乾くであろうか、それが心配であった。 後は結果を待つよりほかはない。私は真裸かで椅子にかけて、煙草に火をつけた。一息深く いこんで、あばら骨の出ている、体重四十五キロの貧弱であわれな胸を眺めた。絵の題は忘れ一 が、ビュッフェに、今の私のポーズとそっくりの絵がある。ただ違うところは、描かれている、 ンポルの大きさだけだ。私の「粗」にして「短小」なるものにくらべて、絵のほうは相当立派 ( ある。 出勤までには、四時間もあるが、眠れそうもない。私は背広に着替えて、皇居前広場へ散歩 出た。街灯の光の届かないところはまだ暗い。夜明けは五時半ころだろう。 おまのに立っと、向こうの闇の中から、一一羽の白鳥があらわれた。後にしたがうのがメ

6. 愛しき遺影よ

106 この搴庭を探しあてたのが誰だったかは忘れたが、とにかく梅津さんが、写真を撮ることにわ った。頭を低くして、何回お願いしても、無ロな主人の職人さんは、首を横に振るだけであ ( 奥さんは、傍で赤ちゃんのおむつを替えながら、ただにこにこしている。 梅津さんは、失礼だけれど、食糧戦術で行こうと考えた。第一回目は夕方に、近所のすし屋〈 ミルクを大量に買 ら、赤ちゃんも含めて、十一人前の握りを届けさせた。赤ちゃんには別に、 た。三歳の男の子が、悠々と一人前を平らげるという具合で、またたく間に、すしは、残らす〈 卓から消えてしまった。両親は、をつけすに、子どもらが食べ終わるまで、和かな目つきで、 じっと見詰めていた。いかにも満足そうであった。 生まれて間もない赤ちゃんの分の一人前と、その上の乳ばなれしたばかりの女の子が、二つ ( まんだ残りは、小学三年生くらいの子どもが、両親の前へ運んで行った。食べざかりの中学一 生、一年生と、小学上級生の三人で、分けるよう父親が指示した。 一「三日おいて、第二回目には、梅津さんは、おやつのころを狙って、座布団はどの大きさ ( カステラを五粨しよって出向いて行った。中学一一年の長男と、中学三年の長女が、一一箱だけを けた。梅津さんの分まで入れて、同し大きさに十一一個に切った。半紙に載せて、梅津さん、両 の順序で、幼い子どもから、順次年上の子どもに配ったのである。大人には、次女がお茶を入 " 子どもたちは、水であった。 梅津さんは、第三回目には、クッキーの大缶を十個しよって、日曜の三時ころ、訪問した。 の姿を認めると、外で遊んでいた子どもたちが、ぞろぞろと後からついて来た。彼は、クッキ , なごや

7. 愛しき遺影よ

窓から外を見ても、客車を持ちあげるための巨大なクレーンも、何の設備も見えす、先はどの 絵ハガキ同様のチロル風景が、固定されているだけであった。 オここで私たちは、オーストリアばあさんとわか ミュンヘンには、十三時四十一分に到着しこ。 れて乗換えのため下車した。短い知り合いだったが、ばあさんたちは、お互いに抱き合って、頬 にチュッとキスしてわかれを惜しんだ。日本のばあさんたちのそのシグサも、サマになってい ジュネープ行き急行まで、四十八分の余裕があった。私たちは、本場の生ビールを飲むことに して、駅前のビャホールへはいった。 ジョッキを三つ運ん 壁際に突ったっている堂々としたおかみさんに、指を一一一本出したら、一 で来た。 一一十歳前後の娘さんも、大ジョッキを、静かに傾けている。それにもまして、さすがにドイツ 号だと思ったのは、隣のテープルの家族づれであった。 父親が、五歳くらいの男の子に、時々ビールを飲ませている。それをまた母親が、にこにこし いっそう立派であった。 ッて見ているのだから、 モ 青白く光るスイスの山々 の 夢 の座席を一人で ミュンヘン十四時一一十九分発急行ジュネープ行きに乗ると、私は、コンパート 占領して、ドイツビールの酔いのおかげで、チューリヒを過ぎるまで寝こんでしまった。

8. 愛しき遺影よ

同時に黄禍をできるだけ広げないよう努力しているのだ。 うまでもないが、日本人は米食ゆえに、それ ヨーロツ。ハでは、なぜ黄禍論が起きないのか。い は、左ネジリで太くねっとりしたものが普通だが、肉食の西欧人の場合は、ウサギのもののよう にかたくころころしていて、小さいのである。 日本とちがって、土地は広く、駅付近の沿線には家はない。お客も少ない。黄禍論が起きない のは当然である。それ以外に、人間自身のタンクも大きい、ということだが、体の大きさに比例 しているのだろ、つ。 たいていのトイレの横には、 小さな手洗いがついている。しかし、「手洗いーと表示が出てい たから、トイレがあると思ってはいったら、その客車には「手洗いしかなかった。手洗いは手 洗いであって、それ以外の何ものであってはならない。 お国ぶり豊かな混成列車 号 トイレから客車の見学に移る。国際列車は、ヨーロッパ各国の国鉄、私鉄の混合編成列車だか ッら、ドア一つにしても、押すもの、引っぱるやっ、横へ引く式各種各様であって、面倒くさいど モころか、興味しんしんである。 の ただし、客車の長さだけは、国際規約で、一一十六麕にきめられている。コン。ハートはもちろん 夢 だが、オープン車でも、一等は通路をはさんで、片側は一座席、反対側は一一座席だから、ゆった 一一等にしても、通路をはさんで二座席で、ただ向かい合わせにな 幻りしていて、かけ、い地かいし

9. 愛しき遺影よ

寝巻の浴衣のままで、ドアをあけると、 << ・ばあさんがそろって立っていた。 「ウィーンに、漫然と一「三日滞在なさるといっておられたので、今日は何がなんでも、私た + と汽車旅行をしていただきます」 と、ばあさんが笑いなからいった。 その間に、すでにばあさんは、私のトランクの蓋を勝手にあけて、テープルの上のものい さいを詰めこみ、ほかに忘れものはないか、と洗面所から部屋中を調べて歩いていた。 もうこうなっては、絶対に女生には勝てないということを、私はこれまでの経験で、知り過 るはど知っていた。 私は慌てて身支度をはしめた。ばあさんたちはポーターを呼ばすに、私の大トランクを一一人 ( 提げて、先に食堂へ降りて行った。 食欲がないので、私はコーヒーだけにした。ばあさんたちは、焼きたての香ばしいパンをう 号そうに食べていた。 ルタクシーを呼んで、荷物を積む時になって、私は感心した。ばあさんたちは二人とも、外国宀 ア 少し大き目のポストンバッグ一つである。 行用の大トランクを持っていない。、 中身は、着替えの洋服一着、下着三組、薬品類、旅行案内書だけで、必要なものがあれば、 モ の く先々で買うつもりだそうであった。何よりも立派なのは、カメラを持っていないことであ ( 夢 「私たちの頭の中には、世界一精巧なカメラがはいっているんですよ」

10. 愛しき遺影よ

大袈裟な考えではないだろうが、一度やってみたいという軽い気持ちのあらわれだったのにちが ) 0 しオし 日本だったら、みんな振りかえって見るだろうが、蟹の横這いキスを、通行人は誰一人見返る ようなことはしない。彼らは、プライバシーは、あくまでも尊重する精神を堅持しているにして も、キスなんか見飽きているにしても、蟹の横這いとなれば、少しは興味を示してもいいではな いかと思うのだが、全然見向きもしない 蟹の若い男女も、常に横目で通行人の邪魔にならぬよう注意して、ゆっくりすすむ。あらわで いったいあのままの はないが、ひそかに注視しているのは、教養のない日本人の私だけである。 格好で、何十メートル、あるいは何百メートル、歩き続けるのか、たしかめてみたかった。約三 百メートルで終わり、彼らは、カフェテラスへはいって行った。ひそかに〃お疲れさまでした〃 と呟き、私もすぐそこのカフェにはいっこ。 え 一台の自動車が、大通りから横丁へ曲がろうとした これはモンパルナスの出来事であった。 幻時、若いカップルが、その細い横丁の真中で、急に立ちどまって、熱烈なキスをはしめた。あと し力なる理由であ マ数歩で、向こう側の歩道に出られるのに、その数十秒も待てないというのは、、、 ス や、今はキスをすべきではない〃など いちいち理屈をつけて、〃今こそキスをする時だ〃〃い と、先に判断して、キスをはじめたり、やめたりするものではない。、、 とちらかが、理屈抜きで衝