在で、留守番をさせているというのだから、近ごろのおばあさんは立派でもあり、世はさかさま となりにけり、と嘆きたくもなる。 頼みの綱のお願いカード 外国語ができないにもかかわらす、世界中を日本語だけで悠々と旅行したおばあさんの話を、 『六カ国語会話』一冊だけで、ア 週刊誌で読んだが、この二人もそれに負けない人物であった。 ハへ渡って来たのである。 メリカから虹 ~ 事・ヨーロッ 行く先々どこにでも日本人がいるから心配はないけれど、それに、このカードがたいへん役に グから、それを取りだして見せてくれた。 たったといって、ばあさんが、ハンドヾッ この二人の日本の老婦人は、外国語が話せません。空港、駅、ホテル、名所、旧跡、両替 号所、トイレット、その他希望する場所へ無事到着できるよう、ご厄介でもよろしくご面倒をお 原いいたします。最後に彼女たちは、財布を差しだします。その中から、お立替えのお金はも ンちろんのこと、チップもご遠慮なくお取り下さいますよう、お願い申しあげます。 日本にいる息子と娘一同 モ の 各国の空港・駅従業員の皆様へ 夢 各国のホテル・レストランの皆様へ 各国のタクシー運転手の皆様へ
にもかかわらす、地価凍結を前提としてのものならばよろしいが、それをせすして〃日本列島 改造政策〃を具体化したら、日本中の地価を一挙に暴騰させることになるではないか」 田中さんは、「ヨッシャ、ヨッシャ」とも、「ワカッタ、ワカッタ」ともいわなかったが、〃都 市政策大綱〃を作った自分を信頼してくれとはっきりいった。 卓の向こう側で、 「よはう、そんなものができているのかね」 と政治家歴の長いはすの中曽根康弘さんが無責任なことをいった。 指先によみがえる感触 またすーっと元へ戻る。座談会は、赤坂の料亭で行われた。芸者が一一人、半玉が一人招ばれ ていた。編集長が私に耳打ちした。 「もちろん、中村さんにもいろいろお話しいただきたいのですが、同時に、司会・進行も兼ねる ということでお願いいたします」 十返、高橋両先生とも、学あり、人生経験豊かで、洒な人物だ「たから、司会役の私は何の 苦労もいらなかった。次々と面白い話題が飛びだして来て、この夜の座談会は大成功であった。 一応区切りをつけるべく司会の私は、 「どうもいいお話をありがとうございました。お時間の許すかぎり、ゆっくりお飲みになって下 さい
す、党利党略、派閥争いをしているのを見ますと、失礼ながら、党全員の頭が変になったので」 ないかと思われてなりません。 イデオロギーを抜きにし、全野党は、いつでも政策協定をして、政府・自民党に圧力をかけ「 べきです。いっ政権をとるかわからないのに、絵にかいた餅のような政策をお示し下さっても、 いくらかでも現在の生活を楽にして下さい。 私たちはありがたくないのです。 東京間借人協会の会長として、これまで一度も間借人の皆さんを批判したことはありません。 私は、皆さんが怒りだすのを、今日までじっと待っていたのです。住生活でこんなに不当に扱 , れているのに、なぜ皆さんは怒らないのですか。そのことに、私は少なからす腹をたててい す。 私たち協会の委員だけが、どんなに努力しても、皆さんが立ちあがらなければ、成果はあが、 ないのです。今年こそは、全国の住宅難世帯の皆さんも、私たちと一緒に、怒りをもって、 せいに立ちあがって下さい」 ケそれから一一年後の昭和四十八年三月のはしめだった。私は、朝日新聞社の友人をたすねて、 カ 事を済まし、玄関へ下りて来たところで、カメラマンの梅津さんとばったり顔を合わせた。あ」 総以来の出会いであった。 「あのお宅のことが気になっているんですが、その後どうなっているんでしよう」 「僕も気にしているんです」
間ます。つまり、私たち日本の住宅困窮者全部が、地球の土地には目もくれす、みんなコペルテ ス平原を十年間も買い続けていれば、わが国の地価は、現在の百分の一くらいに値下がりする」 すであります。貴殿の発想にたいして、心からの尊敬と感謝の念を覚える次第であります〃 ート・・コールズ氏から、コペルニクス噴火口地帯一エーカー 折り返し、航空便で、ロバ 土地権利譲渡証書が送られて来た。それには、月の望遠鏡写真を引きのばしたものが添えて・ り、私の所有地として、赤い点が打ってあった。 男の人って、 これを女房に見せると、「ふん」といって、私を軽蔑するような表情をした。〃 なたばかりでなく、 しい歳をして、そういう何の役にもたたないバカなことをするものですわ。 知能指数が低いのかしら〃と心の中で呟いたのにちがいなかった。 この話を、「目白三平の夢」と題して、「週刊新潮」 ( 昭和三十一年四月一一十一一日号 ) 短期連 の最終回に書い 夜明けの散歩からホテルに一民ると、シーツはありがたいことに乾いていた。 しくら引っ張っ しかし、つまみ洗いの痕跡を消すことは出来なかった。その部分のシワは、 ) も、依然として残っていて、メードさんの目をごまかすことはできなかった。
また人の気配の有無をたしかめて、隣りのバスルームへ飛びこんだ。シャワーで、お尻を丁寧 洗い、バスタブに湯のたまるのを見ながら、私はシーツのつまみ洗いをした。 その部分だけのつもりで洗っても、水気は段々沁みて周囲にひろがって行く。とにかく、四亠 六歳にもなった大の男が、最終原稿が書けぬ苦しさの揚げ句とはいえ、ところもあろうに丸の宀 耳力しいというもおろかであ「て、万一、露したら、大袈 ~ ホテルで、寝ウンチをするとは、む、 にいえば五一一号室の窓から、飛び下り自殺でもしたほうが、まだましだと思える。いかにし一 も、その痕跡は残してはならない。 四月はじめであったが、夜はうすら寒い。当時は蒸気暖房だったが、私はバルプを全開して、 ラセン状の暖房器の上に、つまみ洗いの部分のシワをのばして、シーツを乗せた。明日一日休 ~ としても、メードさんが部屋の掃除に来るまでに乾くであろうか、それが心配であった。 後は結果を待つよりほかはない。私は真裸かで椅子にかけて、煙草に火をつけた。一息深く いこんで、あばら骨の出ている、体重四十五キロの貧弱であわれな胸を眺めた。絵の題は忘れ一 が、ビュッフェに、今の私のポーズとそっくりの絵がある。ただ違うところは、描かれている、 ンポルの大きさだけだ。私の「粗」にして「短小」なるものにくらべて、絵のほうは相当立派 ( ある。 出勤までには、四時間もあるが、眠れそうもない。私は背広に着替えて、皇居前広場へ散歩 出た。街灯の光の届かないところはまだ暗い。夜明けは五時半ころだろう。 おまのに立っと、向こうの闇の中から、一一羽の白鳥があらわれた。後にしたがうのがメ
106 この搴庭を探しあてたのが誰だったかは忘れたが、とにかく梅津さんが、写真を撮ることにわ った。頭を低くして、何回お願いしても、無ロな主人の職人さんは、首を横に振るだけであ ( 奥さんは、傍で赤ちゃんのおむつを替えながら、ただにこにこしている。 梅津さんは、失礼だけれど、食糧戦術で行こうと考えた。第一回目は夕方に、近所のすし屋〈 ミルクを大量に買 ら、赤ちゃんも含めて、十一人前の握りを届けさせた。赤ちゃんには別に、 た。三歳の男の子が、悠々と一人前を平らげるという具合で、またたく間に、すしは、残らす〈 卓から消えてしまった。両親は、をつけすに、子どもらが食べ終わるまで、和かな目つきで、 じっと見詰めていた。いかにも満足そうであった。 生まれて間もない赤ちゃんの分の一人前と、その上の乳ばなれしたばかりの女の子が、二つ ( まんだ残りは、小学三年生くらいの子どもが、両親の前へ運んで行った。食べざかりの中学一 生、一年生と、小学上級生の三人で、分けるよう父親が指示した。 一「三日おいて、第二回目には、梅津さんは、おやつのころを狙って、座布団はどの大きさ ( カステラを五粨しよって出向いて行った。中学一一年の長男と、中学三年の長女が、一一箱だけを けた。梅津さんの分まで入れて、同し大きさに十一一個に切った。半紙に載せて、梅津さん、両 の順序で、幼い子どもから、順次年上の子どもに配ったのである。大人には、次女がお茶を入 " 子どもたちは、水であった。 梅津さんは、第三回目には、クッキーの大缶を十個しよって、日曜の三時ころ、訪問した。 の姿を認めると、外で遊んでいた子どもたちが、ぞろぞろと後からついて来た。彼は、クッキ , なごや
窓から外を見ても、客車を持ちあげるための巨大なクレーンも、何の設備も見えす、先はどの 絵ハガキ同様のチロル風景が、固定されているだけであった。 オここで私たちは、オーストリアばあさんとわか ミュンヘンには、十三時四十一分に到着しこ。 れて乗換えのため下車した。短い知り合いだったが、ばあさんたちは、お互いに抱き合って、頬 にチュッとキスしてわかれを惜しんだ。日本のばあさんたちのそのシグサも、サマになってい ジュネープ行き急行まで、四十八分の余裕があった。私たちは、本場の生ビールを飲むことに して、駅前のビャホールへはいった。 ジョッキを三つ運ん 壁際に突ったっている堂々としたおかみさんに、指を一一一本出したら、一 で来た。 一一十歳前後の娘さんも、大ジョッキを、静かに傾けている。それにもまして、さすがにドイツ 号だと思ったのは、隣のテープルの家族づれであった。 父親が、五歳くらいの男の子に、時々ビールを飲ませている。それをまた母親が、にこにこし いっそう立派であった。 ッて見ているのだから、 モ 青白く光るスイスの山々 の 夢 の座席を一人で ミュンヘン十四時一一十九分発急行ジュネープ行きに乗ると、私は、コンパート 占領して、ドイツビールの酔いのおかげで、チューリヒを過ぎるまで寝こんでしまった。
同時に黄禍をできるだけ広げないよう努力しているのだ。 うまでもないが、日本人は米食ゆえに、それ ヨーロツ。ハでは、なぜ黄禍論が起きないのか。い は、左ネジリで太くねっとりしたものが普通だが、肉食の西欧人の場合は、ウサギのもののよう にかたくころころしていて、小さいのである。 日本とちがって、土地は広く、駅付近の沿線には家はない。お客も少ない。黄禍論が起きない のは当然である。それ以外に、人間自身のタンクも大きい、ということだが、体の大きさに比例 しているのだろ、つ。 たいていのトイレの横には、 小さな手洗いがついている。しかし、「手洗いーと表示が出てい たから、トイレがあると思ってはいったら、その客車には「手洗いしかなかった。手洗いは手 洗いであって、それ以外の何ものであってはならない。 お国ぶり豊かな混成列車 号 トイレから客車の見学に移る。国際列車は、ヨーロッパ各国の国鉄、私鉄の混合編成列車だか ッら、ドア一つにしても、押すもの、引っぱるやっ、横へ引く式各種各様であって、面倒くさいど モころか、興味しんしんである。 の ただし、客車の長さだけは、国際規約で、一一十六麕にきめられている。コン。ハートはもちろん 夢 だが、オープン車でも、一等は通路をはさんで、片側は一座席、反対側は一一座席だから、ゆった 一一等にしても、通路をはさんで二座席で、ただ向かい合わせにな 幻りしていて、かけ、い地かいし
寝巻の浴衣のままで、ドアをあけると、 << ・ばあさんがそろって立っていた。 「ウィーンに、漫然と一「三日滞在なさるといっておられたので、今日は何がなんでも、私た + と汽車旅行をしていただきます」 と、ばあさんが笑いなからいった。 その間に、すでにばあさんは、私のトランクの蓋を勝手にあけて、テープルの上のものい さいを詰めこみ、ほかに忘れものはないか、と洗面所から部屋中を調べて歩いていた。 もうこうなっては、絶対に女生には勝てないということを、私はこれまでの経験で、知り過 るはど知っていた。 私は慌てて身支度をはしめた。ばあさんたちはポーターを呼ばすに、私の大トランクを一一人 ( 提げて、先に食堂へ降りて行った。 食欲がないので、私はコーヒーだけにした。ばあさんたちは、焼きたての香ばしいパンをう 号そうに食べていた。 ルタクシーを呼んで、荷物を積む時になって、私は感心した。ばあさんたちは二人とも、外国宀 ア 少し大き目のポストンバッグ一つである。 行用の大トランクを持っていない。、 中身は、着替えの洋服一着、下着三組、薬品類、旅行案内書だけで、必要なものがあれば、 モ の く先々で買うつもりだそうであった。何よりも立派なのは、カメラを持っていないことであ ( 夢 「私たちの頭の中には、世界一精巧なカメラがはいっているんですよ」
大袈裟な考えではないだろうが、一度やってみたいという軽い気持ちのあらわれだったのにちが ) 0 しオし 日本だったら、みんな振りかえって見るだろうが、蟹の横這いキスを、通行人は誰一人見返る ようなことはしない。彼らは、プライバシーは、あくまでも尊重する精神を堅持しているにして も、キスなんか見飽きているにしても、蟹の横這いとなれば、少しは興味を示してもいいではな いかと思うのだが、全然見向きもしない 蟹の若い男女も、常に横目で通行人の邪魔にならぬよう注意して、ゆっくりすすむ。あらわで いったいあのままの はないが、ひそかに注視しているのは、教養のない日本人の私だけである。 格好で、何十メートル、あるいは何百メートル、歩き続けるのか、たしかめてみたかった。約三 百メートルで終わり、彼らは、カフェテラスへはいって行った。ひそかに〃お疲れさまでした〃 と呟き、私もすぐそこのカフェにはいっこ。 え 一台の自動車が、大通りから横丁へ曲がろうとした これはモンパルナスの出来事であった。 幻時、若いカップルが、その細い横丁の真中で、急に立ちどまって、熱烈なキスをはしめた。あと し力なる理由であ マ数歩で、向こう側の歩道に出られるのに、その数十秒も待てないというのは、、、 ス や、今はキスをすべきではない〃など いちいち理屈をつけて、〃今こそキスをする時だ〃〃い と、先に判断して、キスをはじめたり、やめたりするものではない。、、 とちらかが、理屈抜きで衝