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検索対象: 愛しき遺影よ
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1. 愛しき遺影よ

102 立話で説得する 昭和四十一年十一月、土地・住宅問題を解決するための市民運動団体である東京間借人協会 ( 会長になった。仕事をほっぱりだして、東奔西走している自分を、かならすしも、損をしてい とは思わない 孫の「素木」が可愛くて仕方がないだけのことである。彼が成年に達して、就職し、結婚す , ートが、サラリーの十分の一の家賃で、借りられ , 時になって、せめて 2 、バスつきのア。ハ ルールを今のうちに作っておきたいと考えているからだ。それだけのことである。つまり、世 こっこ一人の自分の孫のことしか考えていない ため、人のためなどではなく、オオ しかし、それでいし 自分の孫一人だけが、幸せに過ごせるなどということはあり得ない。 億国民がそういう住宅事情になった時、国民の中の一人なる孫の素木も、その因」典に浴すこと できる。 昭和四十五年秋、東京間借人協会で「住宅よこせ、デモをやった。私たち会員は、デモに参 総理どカケ

2. 愛しき遺影よ

は嘆き続けて来ているからだ。 「どんなに巨大なものを持っていても、男には巨大願望があるんですよ。同時に、それなりの 4 のであっても、自分のものは、誰よりもさらに小さいのだといこんでいるんだそうです」 甘木さんが、私を慰めるようなことをいった。 包帯を忘れて寝てしまう そこへ、三人目の手術を終えた院長が戻って来た。ソフアに腰を下ろすや否や、 「中村さんはお幾つになられますか 「四十八歳になりました。三年前から、文学志望もないのに、変なキッカケから内職に、〃目〈 三平シリーズ〃という小説めいたものを書きだしまして、昼は国鉄に勤めて、一一足のワラジを」 いてアクセクと働いているんです」 「子どもさんはお幾人です」 「男の子が一人ですが、昭和十八年に生まれまして、産制もしないのに、その後十五年たちま一 けれど、次ができません」 「もう一人くらい、はしいとは田 5 いませんか」 「いえ、結構ですわ。もう沢山です。子どもを作ることは簡単だが、父親になることは難しい 言かいってますね。一人でこりごりです。私は子どもの教育には無責任で、五体満足で成人し、 しいと思っています。無理して、有名校に入れる必要は . 人さまに迷惑をかけない人間になれば )

3. 愛しき遺影よ

権意識が満たされたのだから、無理をしてまで一等に乗る必要はなかった。 また、お金持ちーーー金満家ともいった。これは実にいい一一一〕葉だーーが子どもを連れて一家で 行する場合、祖父母、両親は、一、一一等車、子どもたちーー・小学生、中学生、大学生は、三等 ときま「ていた。子どもの際で、一、一一等車に乗るのは怪しからん、というより乗るべきで」 ないという風潮がちゃんと世間にはあった。たとえ、親が一等車に乗せてやろうといっても、 どものはうが遠慮した。 さて、当時私たち鉄道職員は、判任官三級にならなければ、一一等の乗車券は貰えなかった。 かし、判任官三級以上の上役に随行して出張する場合は、どんなに身分、地位が低くても、上 と同じクラスの乗車券が下付された。 その日の私は、随行の二等の乗車券を持っていた。かんじんの上役は、出発直前に急用が ( き、一日おくれることになった。先に私だけが出発した。 当時の一一等車は、一コマにお客が二人すっ向き合って坐る形式のものと、両側の窓際に長々し ソフアが向い合わせになっているものとがあった。 その夜東京駅で指定の列車に乗ると、お客はそれぞれ一一人分の座席を一人で占領し、ゆった " と腰をおろしていたが、一個所だけ二人分の席が空いていたから、私は、進行方向に背を向」 て、そこに腰をおろした。海側であった。 向かいの窓際には、一一十四、五歳の和服の美人が乗っていた。私にも、たいへん上等な衣装一 ということがわかった。そして、並日通の娘さんではなく、どことなく粋な感じで、いわゆる小

4. 愛しき遺影よ

して下さい、というビラを、一「三日前に、山手線各駅で配った。私は、数寄屋橋公園で配って いた。中年の方に渡そうとしたら、 「いや、私は自分の家がありますから、困らないのです。結構です」 といって、受け取ろ、つとしなかった。 その気持ちは、私にもわかる。人のことなんかどうだっていい。 問題なんかにかかすらうことは面倒だ。 そこで、私はその人を呼びとめた。 「たいへん失礼ですが、子どもさんはお幾人いらっしゃいますか」 と聞いた。 「はあ : : : 」 その人は訝そうな顔をしてから、 「男が一人、女が二人の三人です」 少し煩さそうな顔をした。 「これも失礼なおたすねですが、お宅の敷地は相当お広いのでしようか」 「いえ、三十坪ほどです。都内の便利なところですが : ・ 相手の年齢からすれば、長男が大学一年、娘さんが、高校と中学というところだろう。私は、 少し意地悪な質問をした。 「子どもさんが成長されて、就職なさいます。またお嬢さんが結婚なさったら、今のお家に、全 うる 自分さえ困らなければ、住宅

5. 愛しき遺影よ

116 それとなく見上げると、私好みの少し太り気味の魅力的な女性である。目はうっとりとして、 あらぬほうを見ている。頬も紅潮している。私は年甲斐もなく興奮した。中指ばかりでなく、 差し指の第一一関節も加えて、サービス申しあげることにした。 興奮しながらも、私はしばし冷静さを取り戻して思考する。先方が、私の指にその部分を勝 に押し当てている分には、こちらには何の責任もないが、相手の意志を確かめたとはいえ、よ , それでは : : と行動を起こしてからの私は、すでに痴漢になり下がったのではないか。国鉄在 中、国電内では、一度も破廉恥な行為はしなかった、などと大きなことをいったけれど、もは一 私は痴漢以外の何物でもない。 その女性は、電車が巣鴨駅に近づくと、私には何の挨拶もなく、人をかき分けて、ドアのほ、一 へ動きだした。その瞬間思わす私は、重いアタックザックを抱えて、立ちあがろうとしていた。 たか このままでは、とうてい済まされぬほど心身ともに昂ぶっていた。 ″もう一人の自分みが登場する ヒトであるかぎり、常に私達には、〃もう一人の自分〃かいる。特にもの書きにはロうるさ、 そいつがいる。彼が、こちらの衝動的一言動や片寄った考えを訂正したり、反俗精神を鼓吹してノ れたおかげで、ささやかながら今日まで何とかもの書きを続けて来られた。 思い返すと、幼少年時代から、私にはそいつがうるさくつきまとっていた。満三歳を過ぎる一 ろから、祖父母、両親が、共同謀議の上で、私のシッケがはしめられた。 こすい

6. 愛しき遺影よ

ほかはないことであった。 ートの一階に住んでいるが、一一階に住んでいる大家の子ども四人 つまり、この奥さんは、ア。ハ 小学生三人、中学生一人が、雨の日曜などは一日中騒いでいて、煩いばかりでなく、角力を 取るらしく、どたんばたんと音がし、天井にひびいて落ちついてはいられない。 苦情を申し入れても、一「三日は静かになるが、再び同しことが繰り返される。これではいっ までたっても解決されなし尸イ ) 。司昔人協会長さん、どうしたらよろしいでしようかという相談であ った。こういうことは当事者同士が話し合って、解決するはかには道がない。 私の出る幕などはないし、何の知恵も浮かんで来ない。そう申しあげても、先方は、何とか解 決策を教えて下さいというばかりで、いつまでたってもラチがあかない。勝手にしろ、と怒鳴り たいところだか、かりにも会長ともなれば、そ、フもいかない 時計を見ると、八時四〇分だから、五十分の長電話であった。こんなことになったのは、歴代 の総理の住宅政策の怠慢でもあるが、特に当時の佐藤首相こそ、直ちに解決すべきであった。そ れをいいかげんにしているからこそ、早朝から拙宅の電話が鳴りわたり、次のような事情で、女 房の死に目にも会えなくなったのだ。怨めしきは故佐藤首相である。 なっかしく愛しきものよ そこへ、一一度目の電話がかかって来た。また間借人の住宅相談かと呟いて、受話器を取った途 端、 すもう

7. 愛しき遺影よ

ます、食事の好き嫌いは許されなかった。夕食の箱膳の上には、ロが曲がるほど塩からい鮭、 ひだら 干鱈、身欠き鰊、鯣、鰯や秋刀魚の干物などが出される。 私が嫌いな塩鮭に手をつけず、味噌汁と漬物だけで食事を済ませると、翌晩も翌々晩も私だ」 塩からい鮭であり、四人の大人は、私の大好物である、鯉や鮒の甘露煮を涼しい顔をして食べ一 その時はじめて〃もう一人の自分〃があらわれて、幼い私を激励した。 ″意地悪な大人に負けるな。頑張るんだぞ〃 そいつのましに応えて五日間塩鮭を拒否しつづけたが、ついに六日目に四人の敵に降参し、 きれいに食べ終った。その翌晩は私の好物だった。かくして幼年時代から、食物の好き嫌い 時くなり、今日にいたっている。 刋毎日そいつは出て来たが、小学一年生になった時、私にシラミを貰えと指図した。 ン レ 〃クラスの大部分が頭にシラミをたかしている。お前さんだけ持っていないのは肩身が狭いし」 がか ( い、刀〃 ス 仲間の数人から二、三匹すっ貰って意気揚々と帰って来て、お袋さんに報告した。それを知「 と、祖父は、家族全部にシラミを飼うよう命した。 サ またたく間に頭中がかゆくなった。祖母が薬を塗るといった。全滅するのをおそれて、頭の一 Ⅲつべんに、直径五センチの円形のシラミ運動場を作って貰った。バカなシラミたちは運動場外 にしんするめいわしさんま ふな

8. 愛しき遺影よ

重役としては、いささか軽率ではないか。もっと柔軟な頭脳を持たなければ、お前さんの会社 今後発展しないぞ、と訓示を垂れたいところだがやめにした。 丁字帯はナプキンである リに滞在した時は、エッチュウフンドシに似ているが、薬局で売っている、手術 ( 三カ月間パ 後に男性も女性も使う丁 ( 譱市を、パンツ代りに一ダース持参した。薄い晒し木綿を一一重にし、 九〇センチ、横三〇センチで、腰ヒモがついている。軽くて、小さくたためるから荷物にならわ 私が宿を取ったパリの北駅近くの、「小さなホテル通り」の文字通り小さなホテル エスト・ホテルは五階建てで三十の部屋があったが、私の部屋は五〇五号室だった。若いメー さんが一人で働いていた。にしい時にはおかみさんが手伝い、フロントは主人一人であった。 本でいえば、昔の商人宿にあたるというべきである。 ン 、リに着いて十日目だったろう。毎晩のことだがその日 9 丁字帯は毎日取り換えていたから、 プ午前さまでホテルに帰って来ると、十枚をまとめて洗い、天井にヒモを張って、それをぶら下 。翌日は取材がなかったから、十時に起きて、いつも行くカフェ・フロレアルへ、朝食に出ム 字けた。夕方まで裏街をぶらっき、夜は日本人の友人に、フランス人一一人を加えて、モンマルト で、午前一時まで遊んだ。 ホテルの部屋に戻るや否や、思わす私は驚きかっ恐縮した。ヒモにつるしておいた十枚の丁

9. 愛しき遺影よ

で、天井に近い高さから、広角レンズで、何十枚も撮った。 その一枚が、昭和四十六年一月十八日付朝日新聞の夕刊一面全部を飾って、横に次のような 文が載っている。 「佐藤栄作さんは、かりにも日本の総理大臣です。沢山の樹木が繁った広い庭の大邸宅にお住 , せつなお体です。どんなに ~ になるのが当然です。一億国民の責任を負ってるのですから、たい いたくな生活をなさってもぜいたく過ぎるということはありません。 しかし、総理の座にある佐藤さんが、三畳に九人、六畳に十一人という庭をほったらかし一 おいては困ります。そこの主人が、大酒飲みで、ギャンプルにうつつを抜かしているならば、 藤さんに責任はないともいえますが、こっこっと真面目に働いている一家を、六畳間に十一人。 押しこめておくとはあまりにも無責任ではありませんか。こんな家庭が一軒あっても、佐藤さ , は許されません。 私たち国民は、政府に不当なことを要求しているのではありません。人間の生活にふさわし、 住宅をあたえてはしいと申しているだけです。しかも、いつべんに住宅難を解決せよというつ。 りもありません。今年よりは来年、来年よりは再来年というふうに、一年ごとに住宅事情はよ , なるという明るさを、実感として私たちに与えていただきたいのです。 私たち国民は、どの党が政権を取らなければならないなどとは考えておりません。私たちの→ 本的人権を重んし、生活を豊かにして下さるならば、どの党が政権を握っても構わないのです。 住宅難、公害、物価高その他で、国民が困りはてているのに、それをはったらかして、相変 ,

10. 愛しき遺影よ

家出人のつれ戻しに出発 いっ何時思いがけないことが出来するかわからない。私はそのときすでに七十歳を過ぎ、し、 も男ヤモメなのだから、できるだけ外出をせす、仕事場にこもって、本を読み、レコードを き、弱いけれど好きな酒を飲み、煙草を日に百本吸い、翌月の生活費さえあれば、下手な原稿 ぞ無理をして書くまいと決心していたのに、古い表現でいえば、相思相愛の男女一組の家出人 + つれ戻しに行かわばならぬとは、何と因果なことであろうか。 岩山商事社長の一人息子友和君と、伊藤製菓社長の一人娘由紀さんとが結婚したいという ( を、両方の父親が反対したために、揃って家出をしてすでに十日になるという。 岩山社長は、長男をある取引会社々長の次女と一種の政略結婚をさせたいし、伊藤社長は、 嫁人娘なのだから、社内の優秀な社員を養子にして、後を継がせたいという、昔からどこにでも らにあるイキサツが原因なのであって、この時代に、本人の希望を無視した欲の皮の突張った とい、つべきだろ、フ 花嫁は北側 しゆったい