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検索対象: 愛しき遺影よ
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1. 愛しき遺影よ

して下さい、というビラを、一「三日前に、山手線各駅で配った。私は、数寄屋橋公園で配って いた。中年の方に渡そうとしたら、 「いや、私は自分の家がありますから、困らないのです。結構です」 といって、受け取ろ、つとしなかった。 その気持ちは、私にもわかる。人のことなんかどうだっていい。 問題なんかにかかすらうことは面倒だ。 そこで、私はその人を呼びとめた。 「たいへん失礼ですが、子どもさんはお幾人いらっしゃいますか」 と聞いた。 「はあ : : : 」 その人は訝そうな顔をしてから、 「男が一人、女が二人の三人です」 少し煩さそうな顔をした。 「これも失礼なおたすねですが、お宅の敷地は相当お広いのでしようか」 「いえ、三十坪ほどです。都内の便利なところですが : ・ 相手の年齢からすれば、長男が大学一年、娘さんが、高校と中学というところだろう。私は、 少し意地悪な質問をした。 「子どもさんが成長されて、就職なさいます。またお嬢さんが結婚なさったら、今のお家に、全 うる 自分さえ困らなければ、住宅

2. 愛しき遺影よ

102 立話で説得する 昭和四十一年十一月、土地・住宅問題を解決するための市民運動団体である東京間借人協会 ( 会長になった。仕事をほっぱりだして、東奔西走している自分を、かならすしも、損をしてい とは思わない 孫の「素木」が可愛くて仕方がないだけのことである。彼が成年に達して、就職し、結婚す , ートが、サラリーの十分の一の家賃で、借りられ , 時になって、せめて 2 、バスつきのア。ハ ルールを今のうちに作っておきたいと考えているからだ。それだけのことである。つまり、世 こっこ一人の自分の孫のことしか考えていない ため、人のためなどではなく、オオ しかし、それでいし 自分の孫一人だけが、幸せに過ごせるなどということはあり得ない。 億国民がそういう住宅事情になった時、国民の中の一人なる孫の素木も、その因」典に浴すこと できる。 昭和四十五年秋、東京間借人協会で「住宅よこせ、デモをやった。私たち会員は、デモに参 総理どカケ

3. 愛しき遺影よ

〃さあ、えらいことになりそうだぞ〃と呟いた私は、一一人をつれて、仙台の繁華街の東一番町 通りへ出かけて行き、貴金属店で、ますプラチナのカマボコ型指輪を一一個買った。 ホテルに戻ると、フロントに、私より十歳は上と思われる立派な老人が立っていて、私に挨紹 した。 : 。人よ 「目白三平さんではございませんか。少しも存じあげませんで失礼申しあげました : 長の市村でございます」 結婚式を挙げるとすれば、少しは何か頼むことになるだろう。 「中村でございます。ちょうどいい時にお目にかかりました。突然で恐縮ですが、お宅に昨日 ら泊まっている私の知合いの若い者が、今夜ここで結婚式を挙げたいと申しておりますので、 か特別な料理を作っていただけませんか : : : 」 と、お願いした。仲人夫妻ならぬたった一人の私が立合人として、厳粛とはいえぬ仮りの式 + 挙げることになったのだが、せめてタ食はお祝いめいたものにしたかった。 「披露宴に出席するのは、何名様でございますか」 「新郎、新婦に、立合人の私を加えて、合計三名です」 老社長は、しばらく私の顔を見つめていたが、 「てまえどもで、 . おめでたい結婚式をして下さるのは、誠にありがたいのですが、当ホテルは、 仙台では一流中の一流でありまして、立合人が一人といういい加減なものでは困ります。ます 岡大神宮の私が懇意な神官に特別においで願って、ノリトを奏していただきます。かんしんの孺

4. 愛しき遺影よ

110 「今、お暇でしたら、これから、訪ねてみましようか。あの子どもたちに会いたいですね」 「すぐまいりましよう。車の手配をいたします」 梅津さんも乗り気であった。車の中で、私は、梅津さんに、こんなことをいった。 「あれからまる二年たっているんですが、子どもさんが増えているか、どうでしようね」 「いくら子ども好きのご夫婦でも、九人以上は生まないと思いますわ」 梅津さんは断固としていった。 一「三年前に、チリだかべルーだったか忘れたが、子ども好きの夫婦が、五十一人生んだとい う新聞記事を読んだことがある。三つ児を三回、双児を数回、年子は普通という家庭だと書いて あった。 「僕は二人増えていると思いますね。負けたほうがタ飯をご馳走することにしましよう」 ><X 区〇〇町のアパ トへ着くと、中老の人の好さそうな大家さんが、 「あの写真が新聞に載った一「三日後に、区役所の人がやって来まして、無理矢理にの都 営住宅へ引越させてしまいましたよ。私も子どもが好きですから、大勢なのは構いませんし、そ れにあのご夫婦もここでいいといっておられたのですが : 私たちは、教えられた△△都営住宅へ車をまわした。 の部屋へはいるや否や、素早く私は、生まれたばかりの赤ちゃんと、満一歳になるかな らぬかのもう一人を探しあてると、梅津さんに向かって、親指と人差し指で丸を作って、カケに 勝った合図をした。子どもさんは、たしかに十一人になっていた。

5. 愛しき遺影よ

り、できるだけ最初と同じ歩調で、長くて短い人生を歩き続けていただきたいのでございます。 男女のどちらかはゴキプリである と昔からいわれてお よ終わりません : : : スカートとスピーチは短かいほうかいい まだ私の話ーイ りますが、そういっては失礼ですけれど、それは内容が乏しいからであります。私のように豊富 な内容のスピーチは長いはど結構であります。もの書きの私が、文章が下手で、結婚披露宴のス ピーチが日本でいちばんうまいというのは、何と割りの合わないことでございましよう。いや、 一大不幸というべきであり、堕落でもあります。 さて、これから次々と新郎、新婦に訓示を垂れます。私ももの書きのはしくれでありますか 祝ら、真実のみを申しあげます。お二人は今夜ホテルにお泊まりになり、明日は新婚旅行に行かれ 宴るそうですが、出発の前に、 かならす英和辞典を、ご覧いただきたいのでございます。 披ます、のところを引きますと、最初に「男性」と訳してあり、続いて、「人・人間・人 類」と書いてあります。次にのところを開きますと、「女性」だけで、「人・人間・人 類」とは書いてありません。つまり、人間は男性だけだということであります。とにかく女生は 人間ではないんです。大か猫か、鼠かゴキプリか、ともあれ動物であることはたしかですが、人 長 間とはまったく次一兀のちがう世界の生きものであります。 どちらかというと、私はしつつ・こいたちでして、のが気になり、親しい友人に

6. 愛しき遺影よ

家出人のつれ戻しに出発 いっ何時思いがけないことが出来するかわからない。私はそのときすでに七十歳を過ぎ、し、 も男ヤモメなのだから、できるだけ外出をせす、仕事場にこもって、本を読み、レコードを き、弱いけれど好きな酒を飲み、煙草を日に百本吸い、翌月の生活費さえあれば、下手な原稿 ぞ無理をして書くまいと決心していたのに、古い表現でいえば、相思相愛の男女一組の家出人 + つれ戻しに行かわばならぬとは、何と因果なことであろうか。 岩山商事社長の一人息子友和君と、伊藤製菓社長の一人娘由紀さんとが結婚したいという ( を、両方の父親が反対したために、揃って家出をしてすでに十日になるという。 岩山社長は、長男をある取引会社々長の次女と一種の政略結婚をさせたいし、伊藤社長は、 嫁人娘なのだから、社内の優秀な社員を養子にして、後を継がせたいという、昔からどこにでも らにあるイキサツが原因なのであって、この時代に、本人の希望を無視した欲の皮の突張った とい、つべきだろ、フ 花嫁は北側 しゆったい

7. 愛しき遺影よ

は嘆き続けて来ているからだ。 「どんなに巨大なものを持っていても、男には巨大願望があるんですよ。同時に、それなりの 4 のであっても、自分のものは、誰よりもさらに小さいのだといこんでいるんだそうです」 甘木さんが、私を慰めるようなことをいった。 包帯を忘れて寝てしまう そこへ、三人目の手術を終えた院長が戻って来た。ソフアに腰を下ろすや否や、 「中村さんはお幾つになられますか 「四十八歳になりました。三年前から、文学志望もないのに、変なキッカケから内職に、〃目〈 三平シリーズ〃という小説めいたものを書きだしまして、昼は国鉄に勤めて、一一足のワラジを」 いてアクセクと働いているんです」 「子どもさんはお幾人です」 「男の子が一人ですが、昭和十八年に生まれまして、産制もしないのに、その後十五年たちま一 けれど、次ができません」 「もう一人くらい、はしいとは田 5 いませんか」 「いえ、結構ですわ。もう沢山です。子どもを作ることは簡単だが、父親になることは難しい 言かいってますね。一人でこりごりです。私は子どもの教育には無責任で、五体満足で成人し、 しいと思っています。無理して、有名校に入れる必要は . 人さまに迷惑をかけない人間になれば )

8. 愛しき遺影よ

ほかはないことであった。 ートの一階に住んでいるが、一一階に住んでいる大家の子ども四人 つまり、この奥さんは、ア。ハ 小学生三人、中学生一人が、雨の日曜などは一日中騒いでいて、煩いばかりでなく、角力を 取るらしく、どたんばたんと音がし、天井にひびいて落ちついてはいられない。 苦情を申し入れても、一「三日は静かになるが、再び同しことが繰り返される。これではいっ までたっても解決されなし尸イ ) 。司昔人協会長さん、どうしたらよろしいでしようかという相談であ った。こういうことは当事者同士が話し合って、解決するはかには道がない。 私の出る幕などはないし、何の知恵も浮かんで来ない。そう申しあげても、先方は、何とか解 決策を教えて下さいというばかりで、いつまでたってもラチがあかない。勝手にしろ、と怒鳴り たいところだか、かりにも会長ともなれば、そ、フもいかない 時計を見ると、八時四〇分だから、五十分の長電話であった。こんなことになったのは、歴代 の総理の住宅政策の怠慢でもあるが、特に当時の佐藤首相こそ、直ちに解決すべきであった。そ れをいいかげんにしているからこそ、早朝から拙宅の電話が鳴りわたり、次のような事情で、女 房の死に目にも会えなくなったのだ。怨めしきは故佐藤首相である。 なっかしく愛しきものよ そこへ、一一度目の電話がかかって来た。また間借人の住宅相談かと呟いて、受話器を取った途 端、 すもう

9. 愛しき遺影よ

あった。 キャビンデッキの寝椅子で、青空を眺め、潮風に吹かれて本を読み、午睡をする。それ以外の 時間は、講義の時間を除くと、ギャンプル好きの得田記者と私は、朝から寝るまで、プラックジ ャックに打ち興じて飽きることがなかった。もちろん彼のはうが、私より数段上でプロ級であ る。負けすぎらいの私は、なんとかして取り返そうとするのだが、カンのよさには抗すべくもな 、カ子 / 一一日目の晩、黒木記者は、昨夜とちがった女性を伴って来た。少し照れくさいのか、 「今の女性はすごいですね。四百人のうち半数の一一百人は、ポーイハントが目的で乗っているん です。そのうち百人は結婚の相手を、残りの百人はセックスフレンド捜しですよ。驚きました ね。今夜の彼女なんか、向こうから声をかけて来たんです。若い男は駄目で、僕くらいでないと 好きになれないというんです。同室に講師の先生がいるといったら、そのほうが一層刺戟的で興 奮して楽しいっていうんです。勘弁して下さい」 と、ム井解がましいことをいった。 ″今更勘弁もクソもないではないか。昨夜なんか、一言もいわすに堂々と振る舞っていたではな 、ことに、「急性インボ」だったおかげで、僕にひつばたかれすに済んだんだぞ〃 いか運かいし と、またもや私はひそかに呟いた。 かようにして、黒木記者は、新さくら丸十三泊の間に五人の女性と楽しみ、講師先生の私は、 その行動をつさに観察させられ、いかなる体位が多いかも知らされ、その声音がそれぞれいか

10. 愛しき遺影よ

だし、講師の諸先生方で、一等船室は満員でして、六人用の部屋があいているだけでございま十 が、それでよろしければ : : : 」 「ええ結構です。それではどうぞよろしく」 かくして、私は、一見大流行作家なみに、第一秘書、第一一秘書をしたがえて、新さくら丸 りこんだが、それから先は、語るも涙、聞くも涙の物語が展開されることとなった。 どちらが先生か秘書か 私と第一秘書の黒木記者は、キャビンデッキのバスつきの一等船室にはいった。私は船窓側 ( べッドで、黒木記者は廊下側のべッドで、その間に丸テープルとソフアが二脚ある。 ところが、第一一秘書の得田記者は、船底の六人部屋に押しこめられたのだからあわれである。 いや、そんなことは、その後の講師大先生なる私の災難 ( 人災というべし ) にくらべれは、あ れでも何でもない。 今回の洋上大学は、前回とちがって、男性がたった百人、女性が四百人なのであった。ます 初の晩から、災難といえば災難であり、不届き至極といえばこれはど不届き至極はないと断言 , てもいい人為的現象が起こった。 平たくいえば、大講師先生の秘書なる身分をも忘れて、黒木記者は、夜十一時ころ、堂々と→ 師の一等船室に、うら若き女性をつれこみ、二人でバスにはいった。それで出て行くのだろう、 ドにもぐりこんだ。 観察していると、揃ってひとつべッ