254 亭主は一足お先に 今度は新郎に申しあげます。 こんなことをいうと、誤解をされる 新郎は、新婦より一足お先にお亡くなりになって下さい おそれがありますが、私の真意をお聞き下さい。男の平均寿命は七十五歳ですが、新郎は、少な くとも八十八歳の米寿まで長生きをなさって、一億円くらいの貯金を新婦のために残し、なおか つお先にお亡くなりになることを望みます。 今は優しくおとなしく思われる新郎に、新婦はこれから先長い間苦労させられます。毫王が先 にお亡くなりになった結果、新婦は漸くわがままで横暴な毫王から開放され、何ものにも代えが たい自由をかち得て、一億円の貯金で世界旅行をなさったり、お孫さんを可愛がったり、俳句を 作り、絵を描き、 ~ 早王抜きの楽しい生活を、せめて十年は続けて、九十九歳の白寿でお亡くなり になって下さい。 ェビ・タイが当然である 少し話は変わりますが、「海老で鯛を釣る」という一言葉がございます。広辞苑を見ますと、「少 しの物をもとに、またわすかの労力によって多くの利益を得る」と出ております。 先ほど申しあげましたが、見合で私を袖にした信州の娘を両親に説得して貰って漸く結婚した 私には、東京と信州と遠く離れていたこともありまして、ほとんどデートをする機会がなかった
信州では塩鰤の雑煮 「わたしの太陽よ ! 塩鰤の雑煮を早くしてくれないかな」 りゅういん オイ〃と呼び続けて来た私を困らせて、少しは溜飲がさがったの 女房はご機嫌がよかった。〃 にち力いない 昭和四十三年の七月十五日、お袋さんが亡くなって以来、はとんど帰郷しなくなったが、それ までは年末になると、かならす両親のご機嫌伺いに田舎へ帰ったものである。そういうと親孝行 めいているが、正月用の餅と塩鰤を貰って来るのが、主な目的なのであった。 東京で所帯を持ってからも、拙宅の雑煮は、この塩鰤を使った純粋な信州式のものであった。 かす 東京の鶏肉、北海道・東北のサケの切り身とスジコ、富山の粕じる雑煮、香川のあん入り餅雑煮、 長崎のちょろけん雑煮などが、遠くおよばないほど独特な味を持っている、と今でも私はかたく あ る信している。とはいうものの、誰だって郷里の雑煮がいちばんうまいと思うのが当然である。 で「さあ、春木さん、お雑煮を沢山食べて下さい。この塩鰤のお雑煮がいちばんおいしいんです し た と、女房がいった。ところが子どもは、雑煮に一口箸をつけてから、 わ 「僕は、塩鰤より東京式の鶏肉のお雑煮のはうが好きだな」 ぶり
「どうしてなんでしようね。こんなにおいしいのに : 女房は不満げな顔をした。 「そこが、お母さんの考えちがいというより、自己本位のおろかさなんだ。一一人とも信州育ち から、そう考えるだけに過ぎないんだ。誰だって、自分のふるさとがかしいし、子どものこ「 に食べたものが好きなのは当然だよ。しかし、僕だけは東京育ちだからね」 〃わたしの畑であるあなた、子どものいう通りだなみ と、私は月さく玄いこ。
29 空気さんよありがとう 、力し、オし いるんてわ 「ほかのことならとにかく、品物が品物ですからね。そ、フ簡単にあなたのい、つことは信用できま せんわ」 女房がかたい表情を崩さすにいった。その顔は明らかに、 〃頼まれたなんていうけれど、好きな方へのプレゼントにきまっていますわ。こういうものを贈 る間柄は、よはど親しいはすですわ〃 といっていた。 〃お前はつまらぬヤキモチを焼いているが、信州の岸野ユキ子から頼まれたんだ。俺の恋人どこ ろか、親戚の娘しゃないか〃 私は女房に向かって、心の中でひそかに抗議してから、 「今夜は不愉快だから、俺は外泊するぞ。最近できた恋人のところへ行く」 止めると思った女房が、涼しい顔で、 「どうぞお出かけになって下さい。ご遠慮なく、ゆっくりなさって : : : 」 し / / ンティ抱えて家出 私は先はどからオー 「それでは出かけるぞ」 ーを着たまま、突っ立っていたが、
背広に着替えて、いつもの時間に家を出た。目白駅から、ラッシュの国電に乗って、山手線 一周して、ふりだしの駅へ戻って来た。 女房が、 「朝早くから、どちらへいらっしやったんです」 と、不審げな顔をした。 「ちょっと散歩をして来たんだ」 ごまか マン生活の揚げ句、 私は、そんな返事をして誤魔化したが、それは、三十九年間のサラリー についた悲しい習性というものであった。 今や私は、ささやかながらもの書きの身上だが、一日のうちに一度、国電のつり皮にぶらさ ~ らないと、落ちついて机に向かうことができなくなっていた。 元へ戻って、国鉄在職中の元旦のことを書く。 〃今日は元旦ではないか〃 と呟いて、目をつぶっても、女一房はお許し下さらなかった。 七時一一十分には、彼女は私の枕一兀に坐って、毎年いう通り同しことをいった。 「あなた、もう起きて下さいな。信州の実家では、今朝お父さんは、午前五時には起床されて、 わかみす て年神さまにお 若水をお使いになると、東に向かって天長地久、家内安全の祈願をされ、続い
女房の寝巻きを脱がせる時、あそこだけかくすために、息子が、白いタオルをかけようと , て、「おや」といった。 「あそこのあれが全部ないが、誰が刈ったのだろう」 毎日、体を拭いている付添婦さんが、不審げな顔をした。 「昨日まではございましたのに」 「主治医の先生がそんなことをするはすがない。すると、犯人は、さしずめオヤジということ なる。今朝駆けつけてきて、病室に、一「三十分は一人っきりでいる時間があったですからね」 息子が断一一 = ロした。 もちろんその推理はあたっていたし、それ以外に考えようはない。 「春木よ、俺はそんなことはしないよ。本式の湯の場合には、剃髪をする。そうすれば遺髪」 して残しておけるんだが : : : 」 私は、自分では顔色を変えないでいったつもりだが、実際は変わっていたかも知れない。 かくその場を誤魔化した。 髪あそこの毛を遺髪として、取っておいたということが、信州の田舎の親戚に知られれば、ろ , でもないことをいいふらさぬともかぎらない。むつみ合ったり、憎み合ったりした女房のあそ一 愛の毛のいとおしさ、愛しさは、私以外にはわかりはしない。十三回忌が済むまでは秘密にして〈 きたい。、 しや、永遠に : 結局、犯人は不明ということのまま湯灌を終え、翌日の密葬、翌々日の千日堂会堂での告別い かな
「やあ、おめでとう」 といって、軽くうなすいた。 この元旦の挨拶は、私の実家のシキタリであった。信州の実家では、床の間を背にして、紋 き羽織、袴で威儀を正している祖父の前へ、祖母、オヤジ、お袋さんはもちろん、子どもの私 ~ 一人々々出て行って、新年の挨拶を申し述べ、お年玉を貰うのであった。 いったん立ちあがってから、また坐りなお 1 女房はこのしきたり通りの挨拶を済ませると、 ちゅうちょ た。しばらく躊躇していたが、 「ただいまの新年のご挨拶は取消させていただきます」 と、固い表情でいった。 「なぜ、取消すんだね」 ョウカン色の紋付き羽織、袴で威儀を正している私が、聞きただした。 「取消してもおかしくはありませんよ。むしろ、取消さないはうが不平等で不合理です。あな、 はこれまでの元旦に、やあ、おめでとう、とおっしやるだけでした。それにたいして、私のほ、 は、また今年もどうぞよろしくお願いいたします、と挨拶しなければならないのは、男女同権 ( 時代に不公平というものです。これはとりもなおさず、毫王だけが働いて、女房、子どもを養、 という封建的な古い考え方から生まれた挨拶です。私だってあなた同様、毎日働いています。 る新聞に、『主婦一日ストの庭におよばす経済的損失について』という記事が出ていました。
似合いだよ。とにかく俺は不賛成だね〃 と、私は、信州の岸野ユキ子に向かって、心の中で呟いた。 いや、七色バンティを何かいやらしいものに考える俺のほうが、むしろ不純なのかも知れな、 ぞ。岸野ユキ子は、自分のけがれない体を、七色に染めてみようとロマンチックに考えたのか 知れないな。 それとも、女の生理を意識しだした彼女は、けがれへの漠然としたエ女を感して、七色パン一一 イで純潔を守ろうと思いたったのではないか。それならば、彼女の頼みを断わるのは可哀そ ) 女房には内証で送ってやろう〃 と、私は考えなおした。 国鉄本社を退けると銀座へまわり、体裁は悪かったが、思いきって女性下着専門店で七色。ハ ティを買い求めた。 う帰宅すると、女房の目につかぬように、 ハンティの箱を机の下に押しこんでおいた。国鉄で うかっ が造りをして送るつもりであったが、迂闊なことに、翌朝は、かんしんの箱を忘れて出勤した。 あ 私は、なんとなく、 一日中落ちつかなかった。掃除の時、パンティの箱が、女房の目にとま《 んないことを願った。 気五時になるのを待ちかねて急いで帰宅した。 空 「お帰りなさいませ」 と、女房がいった。別に変わった様子はなかった。私はほっと安堵した。ところが、ふすま・
さるのは、い うまでもなくあなたの勤めですよ」 しいころだな。い つまで 「東京の生活が長いんだから、もうそろそろ東京の習慣にしたがっても、 も信州のシキタリを守るのは、時代錯誤だよ。東京では元旦は朝寝坊にきまっているんだ」 いますからね。元旦に寝坊 「シキタリもたいせつですが、また、『一年の計は元旦にあり』とい をすると、一年史授坊をすることになります。その結果、遅刻ばかりしていたら、昇給も昇進も おくれてしまいますよ」 かくして私は、いや応なしにせつかくの元旦の朝も、毎年七時一一十分に起こされる。 ョウカン色の羽織で盛装 その年 ( 昭和三十年 ) の元旦も私は、しぶしぶながら、早朝に寝床を離れた。まだ近所はひっ そりとしていた。 水道の若水で顔を洗うと、東側のガラス戸をあけて、糺姿でばんばんと柏手を打ち、天長地 あ て、神棚がないのだから、本棚のいちばん上の棚を神棚に想定し る久、家内安全を祈願した。続い でてお祓いをあげ、最後に祖父母の小さな位牌に向かって頭を下げた。 そこへ、お勝手から、女房が顔を出した。 「今日だけは、縊袍をおやめになって、ちゃんとした服装をしていただきたいですね」 せりふ わ これも例年通りの彼女の台詞であった。 ーマンは、一庭では古ズボンやジーンズに、シャツ、セーターというのが普通にな 今のサラリ
今はもう女房が生前に作ってくれた、芋の煮ころがしとか、キンビラごばうとか、湯豆腐とい う、何の芸もない惣菜料理が無性に食べたいのでございます。 新郎よ、どうか新婦をたいせつになさって下さい。それは食事に困るからであります。そのは そと かのことは、全部外で間に合いますとは申しませんが、まあ新郎よ、家で間に合うものは、家に あるものをお使いになるよう新婦に代ってお願いいたします。 親孝行はしないこと 最後に、新郎、新婦のお二人に、ほんとうの親孝行をしていただきたいと思います。どちらの ご両親もたいせつになさって下さい。といっても、私のいう親孝行は、たいへん楽なやり方であ ります。 祝お見受けしたところ、お二人のご両親はいたってご健康のようでございます。どうぞ、当分の 宴間は両親なぞほったらかしておくべきであります。頼まれもしないことややらなくてもいい面倒 披をみるのは、むしろ親不孝とお考えになっていただきたい。 動いたりして、生き甲斐のあることを続けるのが、精神的、 結どんなに年を取っても働い 肉体的にいちばん老人にはたいせつであります。その代り、何十年か先になって、ご両親の足腰 がたたなくな「た時には、徹底して面倒をみてあげて下さい。 目白三平シリーズ〃が ご参考までに申しあげますと、私はこういう親孝行をいたしました。〃 売れに売れて、少しもお金に困らぬ時にも、信州の田舎のお袋さんからそれまでと同様に、毎月