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検索対象: 愛しき遺影よ
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1. 愛しき遺影よ

日々を過ごされたことは、知る人ぞ知る、である。私生活でも、おたがいに私立探偵をつけっこ そうこう した糟糠の奥さまに先立たれるという不幸に見舞われておられる。 それだけの人生体験があればこそ、本書が成り立っているのである。 しかも、観念論ではないところがすごい。 どのエピソードも、奇想天外、よくもまあこれだけの体験を重ねてこられたものだ、と三嘆を 禁じ得ない。 」説家というのは、嘘をこねてまるめるのが仕事なんだから、ここに いや、それは甘い、、 とせのむきに申し上げておく 書いてあることのはとんどは、嘘八百の作り話にちがいない 本書に綴られていることは、基本的に、事実である。中村さんとの長いおっき合いの中で、ど の項目も、とっておきの〃秘話〃として、直接うかがった話である。 ソ・プ・サービスのためのフィクションだ いや、ちょっと待て、その〃秘話みからして、 ろう、とおっしやるか。そこまで人を疑ってはいけない。私ごとき者にリップ・サービスをする 必要は、中村さんにあるわけがないのだし、うふ、うふ、と笑いながら秘密を打ち明ける中村さ んのロ吻に接したら、作り話かどうか、それぐらいのことは、私といえども判定がつく。 本書の内容は、すべて事実に基いている。 ふーん、中村武志という人物は、そんなエロしじいだったのか、と即断なさるのも軽率と いうものであって、〃事実〃と〃真実〃は別物である。八十一歳にもおなりの中村さんが、えい や、とばかり告白したかに見える文章の、九九パーセントがフィクションで、事実は一。 こうふん

2. 愛しき遺影よ

229 キスの味は苦かった 「なんでも、 しいから、早くいってくれ」 「それでは申しあげますが、先はどチコちゃんを連れてお母さんがお出でになって、きびしい 議をされました。「お宅のご主人が、知恵子を映画に連れてって下さるのはありがたいのですが 帰り道でキスをなさったり、そのほかの変なことをなさっては困ります。何にも知らない知宙 に、それではひど過ぎるではございませんか。 ) 」主人は、常識も教養もおありのようで、安心 , ていたのでございますが、今となっては、たいへん迂闊だったと後海しております。ご近所の一 とですし、今度がはしめてのことですから、表沙汰にしないでおくと、うちの主人が申してお " ます。ご主人がお帰りになりましたら、今後は絶対に知恵子に何もなさらないよう、よくよく 伝え下さいませ』といって、お帰りになりました 話し終わると女房は、軽蔑と憎悪と嫉妬の入りましった複雑な表情で、再び私を睨みつけた。 いまとなっては弁解無用 私は、女房の話の途中で、思わすうーんと唸ってしまった。体がぶるぶるふるえだし、はげ , い怒りのために声も出なかった。 「黙っているところをみると、ほんとうにチコちゃんにキスをなさったんですわ」 「うん、それはそうだが、しかし、それにはこみいった理由が : : : 」 「この場におよんで・弁解がましいことをおっしやらすに、あっさり謝ったほ、フが、男らしいで 2 ありませんか。チコちゃんが触れまわってしまったので、ご近所では知らない人は一人もいま吐 うかっ

3. 愛しき遺影よ

ービスぶりでございました。 ところが二十年後、文学志望なぞ毛頭なかった私が、変なキッカケから、内職に〃目白三平、 ーズみという小説と随筆の混血児めいたものを書くようになりました。人生というものは、 終思いがけないことが起こるものでございます。 ある日曜日の朝早く、地方へ日帰りの講演に出かけますので、ひげ剃りの湯をわかしてくれ、 と女房にお願いいたしますと、「今、朝食の用意をしておりますから、ひげ剃りのお湯くらい ご自分でわかしたらよろしいではございませんか」というけんもはろろのご返事でございま , た。やむを得す、湯は自分でわかし、ひげを剃って、あわてて講演に出かけたのであります。 訓示というものは、されるのもするのも私は嫌いでございますが、今ここでちょっと訓示め、 たことを申しあげますと、新婚当時と二十年後とが、こんなにちがってはいけないということ ( 祝ございます。新婚時代には、頼みもしないのに、洗面の湯を用意して下さったにもかかわらす、 宴一一十年後にはお願い申しあげた湯もわかしてくれないのは、どういうわけでございましよ、フ。 披にましますわが女房の霊に向かって、冷静かつおだやかにこの席からイチャモンをつけたいの ( 結ございます。 まあ、ひげ剃りの湯くらいのことは、どうでもよろしい。再び昭和十年の新婚当時に戻り、 第す。新婚時代の女房は、時々私の上着の内ポケットの財布の中身をお調べになりまして、小遣、 がなくなっておりますと、黙って三円とか五円のお金を入れておいて下さったのでございます。 カ 若い皆さん方は、当時の五円というお金の価値をご存しないと思いますが、煙草のバ

4. 愛しき遺影よ

リへ来るのにあなたの許可がなぜ必要なんですか。私は一個の自由人 ( ではありませんよ。 : このくそったれ所長めー す。いい年をしてあまりバカなことをいうものしゃないですね。 これにて失礼」 捨てゼリフを残して私は、日本人の女性通訳をつれて、取材先へまわった。 五十嵐所長は、一一年三カ月の任期を終えて、国鉄本社へ戻った。帰国してから間もなくの一 と、「文芸春秋」 ( 昭和四十一一年十一月号 ) に、彼は、「警察で知ったパリの味」という随筆を宀 いている。 非人間的な敵討ち それによると、ある日彼が、ワインやその他の食料品を買いだしに出たら、近くのアバ ートの管理人のビャ樽オバンが、その東洋人は、 前で、突然巡回中の警官につかまった。ア。ハ 理人室のテープルの上においておいた三百フランを盗んだと注進したからである。 ひら もちろん彼は、フランス語ができる。平巡査に向かって、常にバイプをくわえているスタイ「 たけだか ストの彼が、胖丈高になって、抗弁し、威張り散らしたその場の情景が、私には想像できる。 そんなことは知っちゃいない。平巡査にとっては日常茶飯事だ。丁寧に聞く耳は持ってい い。たちまち警察署の留置場にぶちこまれてしまった。こうなっては、日本の国鉄を代表する。 リ事務所長五十嵐正氏も、面目まるつぶれである。 留置場の中の彼のあわれな姿を想像すると、それみたことかという思いとともに同情も禁し相

5. 愛しき遺影よ

もわからない。通訳嬢に詰問して、私は狼狽した。自分の顔が恥かしさで赤くなるのがわかっ た。私はまったくとんでもない失一言をしたのである。 私は、正式にコマンタレ・プといったつもりだが、実際には、コとマを逆にして、 Z O ・タレ・プといってしまったのだ。などという日本語を知らないポナンス氏のほう も、当然それに気がっかぬどころか、コマンタレ・プと受け取っていた。 彼女は、令汗をかき、フランス語でど こうなっては、もはや恥かしがっている場合ではない。 , もりながら、コとマを逆にして、間に「ン」をはさむと、日本では、女性のシンポルを意味す る。ムッシュウ・ナカムラは、間違ってそれを犯したのだ、と説明すると、今度は日ごろ謹厳な ポナンス氏が、うんうんとうなずき、た袈裟な身振りをして笑いだすと、再び私の手をし「かり フランスには、暴力をふるったはうが負けという喧嘩のルールがある。だから、喧嘩をする時 には、自ら手を後へまわしてしつかり握り、相手と顔を突き合わせ、罵倒のかぎりを尽す。した がって、日本より相手を侮辱する言葉が多彩かっ豊富だ。 私がちょっと調べたところでも、メルド ( くそっ ) 、フルカン ( 消え失せろ ) 、サリゴー ( 汚い やっ ) 、サロプ ( 売女 ) 、サロー ( 下司野郎 ) 、サロプリ ( チキショウ ) 、ガルス ( あばすれ ) 、 シュ ( うすのろ ) 、スチューピッド ( とんま野郎 ) 、ポルデル ( チキショウ ) 、ベトウール ( 屁こ き野郎 ) 、セルバン ( 腹黒いやっ ) 、ケル・バシュ ( バカヤロー ) 、コション ( 豚野郎 ) 、キャトウ

6. 愛しき遺影よ

「週刊朝日」からは、以前から一、一一回インタビ、ーで面識のあった同姓の中村豊さんと、カ ラマンの佐久間陽三さんが、ツアーに随行取材することになった。 ラオス号出帆の日の、午後七時の夕食の時、 「中村豊さん、これから十一日間は何卒よろしくお願いいたします。お互いにプライバシ かたく守ることにいたしましよう。何しろお宅の『週甲朝日』は週刊誌の中では、いちばん見 と品格のあることでは知られていますからね。安心はしていますけれど : : : 」 と、私はいった。 お互いに、と私はいったけれど、前も 0 て私が調べた情報では、中村、佐久間両氏とも、社 ~ では一穴主義者とまでいわれている堅物だということであった。 取材す . るほ、つと、さ どうも、私のほうが分が悪い。堅物であろうとなかろうと、だいたい、 るはうとでは立場がまったく違う。何もしないうちから、こちらには弱みがあるようなものだ。 しカカわしいところへ行く場合には、かならす二人を誘って、堅物であろう、 よし、それでは、 ) 、ゞ クなかろ、つと、私と同罪とい、フことにしよ、つと、ひそかに一計画した。 スビャ樽夫人のヒジテッを食う 諏船の越年パーティというのは、初めての経験だが、夜十時半から始ま「たダンスは、各国人「 り乱れて、無礼講で楽しいかぎりであった。それぞれが帽子をかり、アゴひげをつけ、ロひ ~ をびんとはり、おばはんが娘の衣裳をつけている。

7. 愛しき遺影よ

動を起こし、相手が〃待ってましたみとばかりに応しるか、半ば渋々受け入れるか、それともは わっけるか、それともタイミングよく両方からロを合わせるという、だいたい四種類が想定され る。 この横丁の道路の真中の場合は、この最後のケースに近い。その時、その場所で、どうしても 両者は同時に、キスをしたい衝動に駆られ、横丁の真中であることを忘れて、おつばじめたのに ち力いない この時も、唯一の目撃者であり、いや、目撃者としては唯一ではないが、立ちどまって観察し ていた教養なき日本人は私だけであった。思いもかけぬ交通妨害に遇って、横丁へ曲がるに曲れ ぬ車のフランス人運転者に、私はたいへん感心した。 中年のフランス人は、車の先端を横丁のほうへ曲げ、静かに停車した。三角窓をあげた。上衣 の右ポケットから、私の好きなジターンの箱を取りだし、一本抜いて、ゆっくり火をつけると、 深々と吸いこんで、煙をはきだした。石井好子の随筆集『巴里の空の下オムレツのにおいは流れ る』ではなくて、『パリの空の下ジターンの煙は流れる』である。 クラクションをけたたましく鳴らし、「道の真中で何してるんだ。 日本ではこうはいかない。 このバカヤロー」とい、つことになる。 声をかけてきた貴女は誰 ? キスといえば、私はひどい目に遇った経験がある。昭和一一十 , ハ年の秋であった。ある土曜日、

8. 愛しき遺影よ

ワイ談に類する助平な話を、書いたり喋ったりするのは、男生の役割である。女生には資格が とはいわないまでも、やめたほうがいい。女性のワイ談は、はしたない。だいいち、美し くない。〃おやじギャル〃と称するすれつからしのが、酔っ払って、たばこをぶかぶかふか しながら、不倫体験を披露したり、社内情事の秘密をあばいたり、上司の性的コンプレックスを 笑いものにしたりするのは、醜悪のみである。 同じことを、男ならしてもいいのかとい、フと、もちろんそんなことはない。ただ、男はそんな ことは断して口外しない。するヤツがいたら、男の飃わにも置けない。 上質のワイ談に限るとして、男ならだれでも有資格者かというと、そうはいかない。なんとい 。昨今はやりの〃ソースつら〃だか〃しようゆっらみだか知らない っても、年輪がものをいう が、世間の常識も、人間の道理もわきまえない青一一才どもが、わけ知り顔に拙劣なワイ談に打ち 興しる図は、笑止千万片腹痛い。若者のワイ談が、呆れるはど拙劣で、たとえようもなく下品で あることは、民放ラジオの深夜番組が実証している。 →右い、っちからワイ談をしてはいけな、 ワイ談の有資格者は、酸いも甘いも噛み分けた年齢 ( 五十歳以上、と まけにまけて、三十五歳以上としておこうか ) の男生に限る。 そこまで絞った上で、さらに三つの条件をみたしていなければならない 第一に、人品骨柄。たとえどんなに人生経験を積んだ高齢者の男性であっても、その人間から にしみ出る味わいがなければ、ワイ談は、ただのワイ談に堕してしまう。 いいたいところだが、大

9. 愛しき遺影よ

できるだけ同じ歩調で ご紹介いただきました中村武志でございます。何か私の肩書がひとっ抜けているようで : 。土地・住宅難解決のための市民運動団体である東京間借人協会の会 もの書きという肩書が : 長とか、その市民運動に行き詰って、土地・住宅政策の抜本的改革を求めて、衆・参両院議員選 挙に立候補し、三度とも落選したという ) 」紹介もありがたいのですが、本日は新郎のお父さまの 関係で、雑誌社や新聞社の方々が大勢お見えになっておられますので、私ももの書きのはしくれ であって、かっては〃目白三平シリーズ〃で多少は売れたこともありますが、それよりもこれか ら何とか生きて行かなければなりませんので、特にもの書きというところを強調して、ご紹介い ただきたかった次第であります。 そうは申しましても、古希を過ぎてからは、開店休業のような状態で、今年はまだ本を一冊も 出しておりません。近著と申しますと、昭和六十年四月喜寿の記念に、『男ヤモメにウジわかす』 という私家本を作りまして、親しい先輩、知己友人に差しあげました。 長い長い結婚披露宴の祝辞 気配りに逆って真実を述べる

10. 愛しき遺影よ

君を売春婦におとしめないためにお金はやらない、 という私の原則は、いつでも、どこでも、 にでも通用するものではない。その都度お金で解決するほうが、得策であり、後くされがない純 合もむろんある。 牧江も少し変わっていた。沢山あげても、大感謝もしなければ、手持ちがなくて、ごくわす亠 でも、ちっとも嫌な顔をしない。そればかりか、向、つから、ものをわだったことは一度もない ) ったい君は、何を考えているんだ、と聞きただしてみたくなる。 夜おそく、丸の内ホテルで仕事をしている私に、牧江から電話があった。何か知らないが、 せききって慌てている声音である。もう二カ月生理がないから妊娠したらしい。中絶をしたい亠 ら、その費用を貸してほしいという。何かの事情で急にお金が必要になったことはたしかだ。 三年前にパイプカットをしている私は、ひそかに彼女をからかった。私は男の子一人しかい宀 いから、ぜひ女の子がはしい。 君が生んでくれれば、こちらで引き取る。女房がうるさいだろよ が、籍はかならす入れる。もう今から店はやめてはしい。 十分な生活費をもちろん負担させて〔 生んでくれた時には、お礼もする。 牧江は、一兀気のない声で、「わかりました」といって電話をきった。 欲翌晩私は店へ行った。牧江は私の顔を見ると、何となく照れくさそうな顔をして、できるだ 娘避けているようであった。パイプカットのことはいわずに、帰りがけに、封筒へ入れたン十万 E をそっと渡した。それ以後、結婚するために、牧江が田舎へ帰るまで、一年以上っきあったが、 お金も贈物もいっさい受け取ってはくれなかった。