人 - みる会図書館


検索対象: 愛といのちと
257件見つかりました。

1. 愛といのちと

「ゼンソクでもないのに、アドレナリンを使っても無意味ですよ。呼吸が苦しいのは神経 で、気管支そのものには、なんの異常もないのだから」と注意されてもいる。だから、もし アドレナリンを使うとなれば、一応、先生のゆるしを得ておきたい。 私は起き出して、一般病棟の大戸をたたいた。この大戸は、男子患者の〃関門〃で、とっ つきの一室が、看護人の詰め所になっている。昼間は七、八人の看護人が事務をとり、夜間 は、三人の看護人が不寝番でつめている。大戸は、もちろん、患者の自由出人りをゆるさ とず、必要の度に、看護人が鍵であけるのだが、それも、内からの合鍵で、外からは絶対にか ちいま見るすきもない の と私は、入院の日に、看護人から 「夜間、何か用があったら、この大戸をたたいて下さい といわれていた。やがて大戸をあけてくれた看護人に、さっそく夫の病状を話し、それを先生 愛に伝えて、適宜の処置を講じてもらいたいと頼んだが、看護人は、 「この時間ではむりですよ。十二時以降、先生は、起きられないことになっていますから」 とがんとして受けつけてくれない。私は、むっとしたが、しかし、まだ病院の様子も、勝手 も不案内な私には、そんなら、自分で先生を起してきますと、言いきるだけの勇気もない。 しっそ、夫のいうままに、アドレナリンを使用し といって、病夫の苦痛は見るに忍びない。ゝ ようかと、多少やけくそな気持ちで病室に戻ってくると、夫は、 「睡眠薬があれば、このまま眠ってしまうのだが : : : 」という。

2. 愛といのちと

んが多過ぎます。そしてまた、あの人よりもこの人がえらく、この人よりもあの人がえらい . し十′ . し いつまで存続す 場合も多過ぎます。それにしてもあなたよ。この評価の仕方は、 るのでしようか 「人間はけつきよく人間だ。みんな平等だ。貴賤貧富の別なんてこつけいだ。」 しいました。ほんとに、人間はけつきよく人間。死ねばみんな土とな あなたは、いつもゝ り、あるいは煙りとなるので。その上となり、煙りとなるまでに、せめて、生きていたこ これが人間共通の望みでしよう。そこである人は富を、ある人は 紙とのしるしをのこしたい。 手 名を、ある人は芸術に執心するのですが、生きていたしるしは、実は残せそうでいて、なか る くなか残孖ません。あなたの場合はどうでしようか。何か残るものがあるでしようか ? お や、残るものとては何んにもないでしよう。けれども、あなたの告別式直後、君はこんな 夫便りをくれました。 「僕は告別式に参列できたのをほんとによろこんでいます。お悔みをいうのが不得手なの で、実は心配しながら行ったのですが、かえって激励されてしまって : : : 。僕たちもがんば ります。犬田先生の志をついで、農民解放のために闘います。」 土を耕す農村青年の胸に、こうしてあなたは生きているのです。あなたの血は、こう [ て、農村青年の心臓に流れ込んでいるのです。 そういえば、私たちの胸にも、ある人の魂が息づいています。しかも、不思議にも、それ 269

3. 愛といのちと

さんは、思いちがいをしてるんじゃないかな。七、八人押しかけたというのも、何かの間違 いじゃなかったの ? 「先生、とんでもない。先生、俺はこの眼で見たんだよ。七、八人で押しかけてきやがっ て、俺の女房を引きたおして、十能の柄を、おまんこに突っ込みやがったんだ。先生だっ て、奥さんにそんなまねをされてみろ、黙って見てはいられめえ ? 俺はそいつらを、片っ ばし殺してやろうとしたんだけど、おやじと、おふくろがきやがって、俺を止めるもんだか とら、とうとう逃げられてしまった。でも俺は、そいつらを見かけ次第殺してやる。女房のお ちまんこに、十能の柄なんか突っこまれて、なんでがまんしてられるもんか。」 の 事務の人たちは、おかしさをこらえるために、みんな横腹をかかえている。 幹雄先生だけが、すました顔で、 愛「でも、森田さん、やたらに人を殺すと、森田さんもただではいられなくなるから、まあ、 よく考えるんだね。」 「だって、先生、俺、あんまりくやしいからョ。俺も、人を殺すと、罪になるのは知ってる から、殺す前には、ちゃんと天皇陛下に、おゆるしをいただくよ。天皇陛下のおゆるしさえ あれば、五人や十人殺しても、なんともあんめえ。」 「しかし、この頃は、もう天皇陛下も、あんまりあてにならないらしいぜ。 ひぎ 「ふーむ、と、男は一、二分、困惑したように膝に眼をおとしていたが、やがて、はっと何

4. 愛といのちと

芸術にまで羽をひろげず、権力者に哀訴するのが精いつばいのところなのだ。それだけに、 私は、あわれを催して、いっそ、森田君自身が、天皇やマッカーサーになるところまで狂え ば、かえってしあわせなのではないかと思った。そういえば、安田徳太郎氏の著書『世紀の 狂人』 ( 岩波新書 ) この書は、フランス精神医学界の革命児、ないしは聖医ともいうべき フィリップ・ピネルの思想とその功績の紹介である に、次のような例が示されている。 「君主であると誇大妄想している三人の狂人が、めいめい俺こそルイ十六世だと信じ切っ とて、ある日のこと、この三人が王権を争い、かなり思い切った言動で、めいめいの権利を主 ち張した。看守長の妻は ( この妻は、精神病者をさばくに天才的な手腕を持っていたそうだ の 筆者注 ) 、三人のうちの一人の狂人を、少し離れたところに呼び出し、厳粛な顔つき で、〈あの二人は、誰が見ても気が狂っているんですよ。あなたは、あんな男と、何のため けんか 愛に喧嘩をするんですか。あなたこそ、本物の十六世だということを、私達は知らないという ごうぜん んですか〉と言った。すると、その狂人は、たちまち傲然と相手の二人を見下してそり身に なり、自分の部屋に引き上げた。もちろん、彼女のきてんは、第二、第三の狂人をも満足さ せた。こうして、それからは、王権の争いはなくなり、三人の仲は円満になった。」 ところで、こうした症状をさして、普通、誇大妄想狂といっているのだが、しかし、この 地上に王権の存在すること自体が、誇大妄想の類なのではあるまいか。そんな妄想狂的社会 秩序の中にうまれ合せた人間こそ、実はい ) し面の皮なのだ。

5. 愛といのちと

俳句とか短歌とかいうと、ともすれば閑人の余技ぐらいにしか思われていませんが ( 特に 単に、自然の風物や、人事に対し、在実 農村人それ自身によって ) 、しかし、作者が、ただ のような傍観的態度でなく、真剣に自分たちの日常生活と取っ組み、そしてそこに、農生活 きはく 革新の気魄を歌い出すというようにしたら、ここにもまた、新たな境地がひらけて行くでは ありませんか。 新しい農民の夢ーーー新社会建設といったような、現在の農民が必然的に持っている夢 と目標をもった土の文学は、あまり、「白い手の人たち」ーー文化人ーーーには喜ばれません。 ち待合だ、映画だ、スポーツだとうかれ騒ぎ、カネ、カネと「ぬれ手に粟 . をゆめ見て狂奔 [ きゅうきゅう の ている人たち、働かずして美食しようと、それのみに汲々としている人たちにとっては、 に汗し、手を泥にすることなどは「真ッ平ごめん ! 、であるように 愛しかし、彼らとて、毎日、何も食わずに生きているわけではありません。いや、反対に、 彼らこそ「熟柿ーをたらふく食っているのです。ところが、その熟柿の生産は、どこの誰で ある力しオし 彼らの一人でも、心から考えているでしようか。 話はとんだところへ落ちましたが、ようするに、われわれの新しい農民文学は、われわれ 農生産者のゆめをーーー現代の農民生活が必然的に内包しているゆめを、カづよく表現する、 というところに、その存在理由があることを、私はいいたいのです。 あわ

6. 愛といのちと

儕男はうなずいて、 「俺は、牛も豚も飼ってるが、おっ母さんの知りたいのはどういう点だね」と、私の顔をみ 「実は、豚のころは、どれくらいで生まれるか知りたいんですがね。」 「あ、豚のころか、それなら、三、 三だ。つまり、種つけをしてから、三カ月と、三週 間と三日でうまれるんだよ。」 「へーえ。そうかね」と、幹雄先生はじめ、事務の人たちも感心した。 ち「俺んとこじゃ、一ペんに十四匹うまれたことがあるよ。しかし、この頃は、あんまり豚に の は張り込まない。百姓仕事に、手がいつばいなもんでな。」 「田畑合せて、どれくらい作ってるの」と、幹雄先生は真顔である。 愛「一町六反。それを女房と二人でやるんだからなかなかせわしいよ。 「ほう。それじゃ、もう親とはすっかり別になったんだな。 「子供さんは ? 「二人になった。 : でも先生、困るんだよ。悪い仲間がいて、この間も、そいつらが七、 八人で押しかけてきやがって : : : 」 男の眼が、急に光り出した。切れ長な美しい眼だが、やはり、どうも並ではない。ではこ

7. 愛といのちと

183 信者を獲得しつつあった、その宗派の一支部長氏、さる富豪に目星をつけ、再三、人会をす すめたが、富豪氏、頑として応じない。 ところがそのうち、その富豪氏の邸宅裏に、毎夜、 幽霊が出るとのうわさが広まった。い うまでもなく、粗末にされた亡霊が、迷い、恨んでの 仕業である。はじめのうちは、子供だましの流言と打ちすてておいたが、ある夜、富豪氏の 家族も、ありありとそれを認めた。そこで、富豪氏は、秘密に警察に連絡、警察では、一 夜、警官を張り込ませ、幽霊氏の出現を待って捕まえてみると、それが一晩六百円で支部長 とにたのまれた信者の一人だったのだ。 ち「白いきものを着て立つだけで六百円。やつばり、この会に入会したおかげで、こんなうま の い儲けができたとよろこんでいましたのに、警察につかまっては、もう今夜から失業ですー とと、足のある幽霊は、ひどくなげいたとか。 愛「あははははは。それはゆかいだ。家のおふくろも、その話で、きっと眼がさめるでしよう よ。」そして平川君は、ちょうどバスの時間だからと席を立った。私は、ていねいに私にお じぎする平川君にいっこ。 「もしこの世に、神さまというえらい存在があるとすれば、それは、あなたのように、大き な手で働いてる人のことですよ。さいせんだの、税金だの、親ゆずりの財産だので、のんき に暮している人のなかに、なんで、神さまがいるものですか。だって、神さまというのは、 人に迷惑をかけない存在ですものね。さいせんをとっても、税金をとっても、財を独占して もう

8. 愛といのちと

ういう人たちは、すでに自己を放棄しているのだから。いわば、流行と習俗への、これは、 ″滅私奉公〃組である。 私は、そんな底ぬけの〃お人好し〃だけは真っ平だ。私は、私のために生きる。私は、自 分を育て、自分を守る。それが、つまり、私が生活しているということなのだ。それなの に、その逆に、生活の習俗や流行が、私を支配し、左右するとしたら、こんなおかしなこと はないではないか。 とそうはいうものの、しかし私は、世の善良な人たちが、流行に引き廻され、習俗ーーー生活 ちの形式ーーーに奉仕させられるのを、あながち、無理ではないと思っている。というのは、私 の たちの生活形式は、歴史のかびを生やすことで、伝統だとか、方式だとか、時には道徳の仮 面さえつけて〃権威化。されてきた、厄介千万なものであるからだ。もしこれがーー形式の 愛権威化がなかったならば、人々も、こうまで滅私奉公的に、自己放棄をしなくてもよかった であろうに。 このことは、結婚にともなう形式を考えただけでも明かになる。世の誰一人として、相愛 の男女が一つ巣にすむことの意義も幸福も知らなくはないのだ。けれども、そのためには ″結婚式。という形式が必要だと、大方の人が信じ切っている。それは、結婚式というその 形式に、一つの権威があるからなのだ。では、その権威はどうしてうまれたか。すでにしる したとおり、実はそれは、歴史のかびなのだが、しかしいったん、権威化されてみると、

9. 愛といのちと

ジとは、すっかりちがっていたことです。私の幸徳秋水は、まっ白いひげを胸まで垂らし た、あから顔のおじいさんでした。 こんなわけで、幸徳秋水の魂は、大和の八歳の少女と、常陸の十九歳の青年に、同じよう に、″人類平等〃の風を吹きこんで行ったのです。 たといその時は、〃大逆″の罪に問われて死刑になっても、人の子の胸にこの思いをのこ した秋水は、やはり、生きていたしるしのある一人です。その意味で、社会的に名はのこさ となくても、あなたもやはり生きていたしるしを持つ一人だと私は思っています。 ちではあのステッキをついて、あの帽子をかむって、きらくに旅をつづけて下さい。 ( 八月一 の 日正午 ) 愛 272

10. 愛といのちと

人々は、もう容易に、その権威からのがれることはできなし ) 。いわば、魔術にひっかかった ようなもので、人は、その形式なくしては、もはや結婚が成立しないような錯覚にさえ落ち こむのである。 しかしまた、こうもいえる。″自主性のない人間は、権威ある形式にたよって生きるしか ないのだ。と。そして、形式に自己を托すとなれば、やはり、より、強い権威をもった形式 が魅力的なのは、理の当然だ。そこで、自主性のない人ほど、歴史の網にこされぬいた 人が経験ずみの、由緒ある形式を尊重することになるのだ。すべてに自主性のとばしい はくだっ ち否、自主性を剥奪された私の周囲の人たちーーー農民も、だから必然に〃保守族。である。 の 「俺たちは、昔どおりに、 かたくさえやってりや、それで間違いはないんだよ。 つまり、ここでは、保守は、道徳とも一致するのである。 愛それなのに、私は、私を無視しては生きて行けぬエゴイスト。生活に現われた限りでは、 礼儀も作法もわきまえぬ、わがままいつばいの野人であり、既成の権威に、全面的につばを 吐きかける不逞の徒である。 夫は、しかし、こうした面では、私のよき理解者であり、支持者であった。だから、私 は、安心していた。けれども、前にも書いたように、夫として積み上げた理性の塔が崩れお ちると、あとには、〃男。の生命の灯だけがもえる。その男とは、ひっきよう男の特権の座 にあぐらをかく、保守的亭主に他ならないのだ。 102