子供 - みる会図書館


検索対象: 愛といのちと
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1. 愛といのちと

112 出してある菓子は、勝手にとって食べてはいけないということも教えられているから、そば で見ていても、とって食べることはしない。 ところが、家の子供は、お客がきても、頭一つ 下げないで、出してある菓子はさっさと取ってたべる。俺は、まったくはずかしくなる。ち っとは、子供の将来も考えて、しつけをよくしたらいいじゃないか。」 「馬鹿 ! 。と、私は、大声にどなり返したいところだった。しかし、それでは、解決どころ か、つまらぬ混乱におち入るばかりだ。それで、憤然たる思いをおしころして、 「私は、私なりに、子供の将来を考えているからこそ、あんたがよそで見てきたような子供 ちのしつけ方はしないんです。なるほど、よそでは、あんよも出来ないような赤ちゃんにさ の え、ちゃんと、お行儀というのを仕込みます。でも、赤ちゃん自身、それが人間の礼儀作法 とだと、果して知っているでしようか。お客さまに〃いらっしゃい〃と挨拶しなければ失礼だ 愛と知って、それを言ってるでしようか。おそらく、どこの子供も、ただ教えられたから、そ のまねをしているに過ぎないのです。その意味を知らずに、教えられた芸をまねるのは、猿 廻しの猿のすることですよ。そんな猿芸の子供を、親も客もいっしょになって、おりこうさ んだの、お行儀がいいのとほめるのは、その子供をますます猿あっかいしていることで、子 供からすれば、大きな侮辱じゃないですか。私の子供は、私ににて、面はまずくても、これ でもちゃんとした人間の子供ですからね。私は猿じゃなく、将来、社会に役立つ人格をもっ た人間をめざして、しつけをやって行くんです。まあ、だまって見ていてごらんなさいよ。

2. 愛といのちと

この子は、今はあんたのお客さまに頭を下げて、おりこうさんとほめられる〃社交家。では ないけど、知恵がつくにつれて、ほんとうの人間としての礼儀作法をわきまえた〃社会人。 になるんだからーーー」 夫も、はじめのうちは、私に劣らず、憤然たる思いでいるらしかったが、やがて「ふー む、それも、そうだな」と妥協して、 「でも、菓子のことは困るよ。あれは、何とかならぬものかな」という。私は、解決の目途 とがっきそうなのでほっとして、 ち「それなら、わけないですよ。今後一切、来客にお茶菓子を出さぬことにすればいいんです の ついでだからいし から ) ますけど、子供がお客に出したお菓子を欲しがるのは、それ は、お行儀が悪いんじゃなくて、ごく自然じゃないですか。もし、ふだんから、東京中の有 愛名店の名菓を、ごっそりそろえて子供にあずけておいてごらんなさい。子供は、お菓子にあ きあきして、お客に出したちゃちな和菓子なんぞ見向きもするものですか。ところが、ふだ ぜいたく ん、手製のうどん粉焼か、贅沢なところでキャラメル一箱ぐらいだから、子供はたまの来客 に出した和菓子を珍しがって、とびつくように手を出すんですよ。だから、それをやらせた くなかったら、東京中の名菓をたらふく食わせるか : : : でも、あんたの経済力では、それは 絶対に不可能だからーー・さしあたり、来客に何んにも出さないことにきめるんですね。もと 113 もと、プロレタリアで、農民解放運動に挺身しているあんたが、来客に餅菓子なんか出そう

3. 愛といのちと

116 もなかった。第一、国家の祝祭日そのものに疑惑を持ち、そんなものに追随することに侮辱 を感じる。それは、明かに、支配者への奴隷的屈従だ。 ・ : 多くの人々は、長い間の歴史的 習慣から、あるいは圧迫から、人間的な良識がマヒしてしまっていて、あらためて祝祭日の 意義を検討することもなく、ただただ盲従しているのだろう。 それはとにかく、自分たちのそのような生活態度が、やはりそのまま一つの反抗 ( レジス ということは、なんとも名状のし タンス ) として子供に伝わっていたーー・・・無言のうちに とがたいものを自分に感じさせる。」 ち の 日の丸の旗を持たず「君が代」を口にせぬ両親を、しかし、子供たちは、どのように受け 取っているだろうか ? ある時、ふとそこに不安を感じた私は、その時、小学五年になって 愛いた長男に、 あきら 「家では、国旗を立てないけど、章は、学校で何かいわれないかえ」ときいた。長男は、 「なんにもいわれないよ」と答えたが、 「そう。そんならいいけども。」私が少し信じかねるようにいうと、長男は、勢いこんで、 「何かいわれても、僕、かまわないよ。だって、母ちゃんは、いつだって正しいんだも その母への絶対の信頼感は、今も長男の胸にあるらしく、せんだって発熱した時も、医者

4. 愛といのちと

人院ーー持続睡眠療法 ( 住井 ) 「僕は、外へ出ると妙な気がするよ。だって学校へ行けば、びんびんした元気な先生が と、 勢いるし、汽車に乗れば、そこにも元気なおやじがいつばいいるんだもの。僕は、。ハ。、 とうものは、いつも病気で寝てるものだとばかり思ってたから、世間の元気なおやじさんたキ ちを見ると、これでも、家に帰ればパパなのかと思って、ほんとに、へんな気がするよ。」 の 中学へ通いはじめて間もなくのこと、次男が私の耳にささやいた。私は、 " 発見した真 いいたげな次男の深刻な表情に、思わずふき出しそうになったが、し に戸迷った〃とでも 愛し同時に身を切るような〃あわれさ。にとりつかれて、笑うことなどできなかった。 とい , つものは、ゝ じっさい しつも病気で寝ているものと観念するまでに、子供は子 なりに、どんなに苦しんできたことか。子供はーー・・わけても男の子は、父親と遊びたわむ るのが、何よりも幸福なのだ。ところが、大正九年、盲腸炎と腹膜炎で入院、翌十年から” ンソクの発作に苦しみはじめた夫の闘病生活は、この時、すでに二十と二年。だから、十一 歳の次男としては、寝ているパパしか知らないといっても、あえて誇張ではなかったので ~ る。

5. 愛といのちと

111 ためいき すると、病人は小さく溜息をついて、 「お前は、俺を知らないんだよ。いや、俺はふだん、俺というものをかくしていたからな。 俺は、お前をどう思っているか、ロに出していったことはないし、形の上にもあらわしたこ ) 、かたい。ゝ しうことも、行うこともできなかったんだ。でも、日記のどこかには書いておい たはずだから、家へ帰って、それを見てくれればわかるよ。俺は、ほんとに、お前といっし ょに暮せて、こんなしあわせはないと思ってるんだ。」 とあるいは、ほんとうなのかもしれぬ。けれども私には、それがまともな夫の心情とは、ど ちうしても受け取れなかった。というのは、どんなにあまくしても、私は自分に、「良妻」の の 点数がつけられなかったからだ。 はんりよ と しかし、そんな私を、もし、ほんとによき伴侶と、夫が心の底から思っているなら、まさ 愛に夫は私に同化したことになる。 たとえば、子供の育て方や、ものの教え方にしても、はじめのうち、私たちの間には、相 当意見の食いちがいがあり、そのため何べんか争った。 長男は大正十二年の春生れだが、たしかこの長男が三歳の頃だったと思う。夫はある日、 / ハ」 ) っこ 0 ′木ー , し十 / 「お前は、さつばり、子供のしつけということを知らない。 よその子は、三歳にもなれば、 来客には、ちゃんと両手をついて〃いらっしゃい″と挨拶することを知っているし、お客に

6. 愛といのちと

囲んじてゆだねられようか。 私は時折り夢を見る。夢を語るのは、痴人のたぐいとか。しかし、私はあえて語る。 : 気がつくと、私は故郷 ( 大和の農村 ) の家にいる。とたんに、私は居たたまれない苦 ~ におちこむ。病気の夫は、どうしているだろうか。月 、さい四人の子供 ( 四人の子供はいっ設 不思議に長男が小学生で、末子の次男は三、四歳である ) を抱えて、めしも炊けずにいる一 きまっている。そんな夫をおいて、なぜ自分だけ郷里に遊びにきてしまったのか。私は、 吸切れがするほど苦しくなる。そしてあわてて帰り仕度をするが、駅までは遠い。大阪を ~ ちるか、京都に出るか・ ・ : : うすやみの中を、私は走りつづける。五分おくれると、一汽車お の くなる。何でもかんでも、あの汽車に乗りこまなければ・ : ところが、その汽車は、私の 車を拒むように発車してしまう。たまには、乗りこむこともあるが、夢は、そのあたりで亠 愛める。 さめて見るとーー・夫はたいてい枕もとの注射道具を引き寄せようとしているのだ。私は、 今のが夢であったことのよろこびで、思わず夫の背をなでる。 「しつかりしなさいよ」などと言いながら。しかし、その実、しつかりしなければならぬ は、自分だということを、私はもちろん知っている。 ついでにもう一つ 強いゼンソク発作。それに痙攣。大あわてに、アドレナリンを、あるいはカンフルを注

7. 愛といのちと

中で、太郎と一切れの甘藷も分け合う決心をしました。四人の子供たちが、私の決心をどん なによろこんでくれたか。子供たちは、私以上に″愛犬家みでした。 まれ ところで太郎が、世にも稀なスピッツの名犬だと知ったのは、それから三カ月ほどたっ て、もと陸軍の獣医だった知人が訪ねてきてのことでした。それまで、犬を飼ったことのな い私たちは、犬については何の知識も持ち合せませんでしたから。つづいて、東京からやっ てきたあなたの友人が、 おまっ 紙「犬田家に過ぎたるものが二つあり、枝垂れ男松にスピッツ太郎」とざれて、私たちを笑わ せましたつけ。けれども太郎は、そのまま無事平穏に私たちと生活を共にするわけにはいき くませんでした。太郎は、ぬすまれました。でも、今ここで太郎物語をはじめてはきりがない ので、これはいずれ別にペンをとることにします。しかし、この際省くことが出来ないの けいれん 夫は、太郎の死後約一時間、あなたが猛烈な痙攣発作を起して意識不明におち入ったことで す。私はその発作が、あるいはそのままあなたを死に誘い込むかもしれないと覚悟して、じ っとあなたを見守っていましたが、幸い三十分あまりで、あなたの意識は回復しました。し いっそう幸いなことに、その後のあなたは、全然痙攣発作を起さず、今年の三月に は、雑誌『キング』に、″ノイローゼ患者の手記〃を寄せるほどになり、さらに、『フランス 革命』の訳文も、三百枚あまり浄書するなどして、大いに自信を強くしたようでした。こと に六月はじめ、共同執筆でこの書をまとめる企画が、講談社の出版局で取り上げられた時、 しだ

8. 愛といのちと

196 ときどき腹を立てて、女房や子供をなぐりつけるくせ悪の百姓が、先日、私にこんなこと を言った。その百姓には、女房や子供をなぐりつける自分の気の強さと、飼い主の無法なむ ちに抵抗する牛のそれとが、実は同じように見えて、まるで質がちがうということが理解で きないのだ。私から見れば、百姓が思っているその気の荒さは、実は荒さではなくて病的な ゆが 歪みーーーすなわち、神経症の一種であり、飼主のむちに抵抗する牛のそれは、生きんとする ものの自然の強さである。こうなると、百代日本に生きた人間は、二代目の朝鮮牛よりも、 ずっと哀れな、取柄のない、腰ぬけ野郎ということになるのだが、それにしても、日本には、 ちなんとその腰ぬけ野郎が多いことか。いや、厳密にいえば、自分を含めて、全日本人が腰ぬ の けなのだ。 ヒステリー小母さんは、いわばその腰ぬけの、一つのサンプルに過ぎない。私には小母さ 愛んのあの笑いの底に、こんな言葉が横たわっていそうな気がする。 「代々、代々、貧乏百姓でいじめぬかれてみろよ。人間は、誰だって、こんな風に変質する ハ母さんに酷似している そういえば、私の周囲の小母さんたちも、なんとこのヒステリー」、、 ことか。昨日も八十二になる近所の老婆から私は聞いた。 「俺は、ちっとタ飯が不足らしいとみると、むりにも一、二杯、よけいに食ってやるんだ よ。風呂も、あとの奴らがぬるくて困るように、わざと水を入れてやるんだ。だって、奴ら

9. 愛といのちと

210 しかし、狂気における人間的驕慢の至上例は、あえてフランスの狂人にまっこともないよ うだ。われわれの国にも、神武この方、新興宗教の教祖諸君を含めて、実に数え切れないほ あらひとがみ どの現人神がいましますではないか。 それはともかく、ことの序に、もう一例だけ引用させていただくことにする。 「一人の宣教師が彼の熱烈な講釈と地獄の責苦の巧な描写で、迷信深い葡萄作りの百姓をお どかした。そのあげく、百姓は自分は明らかに地獄の火の中に落ちねばならぬと信じ込み、 と自分の家族を救い、家族の者に殉教の勝利を享けさせることばかり考え続けた。聖徒の生涯 ちの愛読が、彼にこの殉教の、最も誘惑的な光景を想像させた。そこで、彼はまず、自分の妻 ちゅう の を犠牲にしようとした。ところが妻は、運よく夫の凶手からのがれることができた。彼は しちょ 躇することなく、年弱な二人の子供を殺した。彼は、子供たちに永遠の生命を与えるつもり 愛で、二人を犠牲に捧げたわけなのだ。彼は裁判所にひつばり出され、その未決の間にも、自 しよく」い 分と一緒にいる一犯人を、やはり贖罪の目的で虐めつづけ、とうとう、その発狂が証明され て、ビセートル監獄への終身懲役が宣告された。 あお ところで、長い監禁の隔離生活は、彼の空想を煽るに役立ち、彼は、自分は裁判官に死刑 かかわ の判決を受けたにも拘らず、死刑をまぬがれたのは、全智全能だからと誇大に妄想するよう になった。しかし、彼の錯乱は、宗教に関するものだけで、他の事柄には理性を失っている ようには見えなかった。こうして、十年の窮屈な監禁生活を経過して、彼は病院の広間で恢 ささ

10. 愛といのちと

び出した。 「ははははははと、病人は笑っている : 魂のぬけた、白痴の笑いだ。 マネント 「ごめんなさいね。病人は、きっと、あんたの髪がさわってみたかったのよ。 を、とっても珍しがっていたものだから。」 私は、廊下に出て、看護婦さんにあやまった。しかし、おそらく看護婦さんには、私のい ーマネントが珍しいなどとは、あまりにも常識外 う意味が了解できなかったろう。今時、 れだから さて、夫に、「どうして、あんなことしたの。看護婦さんはびつくりして、逃げて行った の じゃないの」というと、 ーマネントにさわってみたかったんだよ」と、気のぬけた表情をしている。ちょうど、 愛蝶やとんばを追いかけていた子供が、それを取りにがした時の顔つきだ。私は、やつばり自 分の推察どおりだったのに苦笑しながら、「でも、看護婦さんは、何をされるのかと思っ て、びつくりするわよ。あんたは、病人なんだもの。」 「うん。」 「だからもう、手を出しちゃだめよ。 「うん。 けれども、正常な思考とは、このところ縁切れの夫である。その返事も、いわば三つ児の