175 豊かさについて考える じしゅ - っ ねんぶつ われた時宗の祖である。世俗の一切を捨て、僧侶の世界とも絶縁して、踊り念仏を庶民 にひろめた人物だっこ。 いんとん 〈捨てる〉とか、〈隠遁する〉とかいうと、世間から身を隠すことのように思われる。 かっ・」・つ しかし、実際には〈隠遁〉は、当時の流行でもあり、すこぶる恰好のいい行為でもあっ た。〈隠遁者〉は、世俗の人びとの憧れの的だったのである。 捨てたつもりが、新たな人気を集める。世の中というのは、思うにまかせぬものだ 捨てることは、また別の意味で世間の注目をひくパフォーマンスでもあった。 私たちは生きている限り、すべてを捨て去ることはできない。死後にのこる名声もあ る。汚名もある。だから捨て方にも、さまざまなスタイルがあった。 おう・ド ) よ - フ 自分の死を予告して、往生を人びとの眼前に示すことが、流行した時代もある。何月 何日、どこどこで往生をとげるとアナウンスして、世間の注目を集めた。いわば自死シ ヨーである。 土に生きながら埋められるとか、火の中に身を投じるとか、いろんなやり方があった。 ぎっしゃ 大勢の人びとがそれを見に集まるのだ。宮中の位の高い女性たちも、牛車をつらねて見 4 の - 」か ? て - つり・よ
144 の国だけではない。全世界の国々がいずれ直面する難間だろう。 現在、五万人をはるかにこえる百歳以上の長寿者の、八十パーセントが寝たきりで、 要介護の状態にあるという。私たちには錯覚があるのだ。元気で長生き、は理想であっ て現実ではない。 マスコミは特別に元気なお年寄りをビックアップして紹介する。その 背後に、海の底のような深い世界か広がっていることを直視しようとはしない。 人生の去りどき 医学が進歩すればするだけ、人びとは長生きする。医療制度が充実すればするほど、 寝たきり要介護の高齢者が増える。 八十歳になったときの私のひそかな決意は、人の世話をうけないで生きる、世間さま に迷惑をかけないように努める、というものだった。 赤ん坊は周囲の人びとに世話されて育つ。そして老人は、同じように周囲に大切にさ
とみ などと『お富さん』の歌を、子供たちまでみんな口ずさんでいた。大ヒット曲である。 当日、会場の外からでも公演の様子をうかがおうと、町の映画館まで出かけていった。 とえはたえ これがもう大変な騒ぎで、十重二十重に映画館をとり囲んだ観衆のために、まったく近 づくことができない。せめてスビーカーから流れる歌声でもきけないものかと思ってい たが、それどころではなかった。戦後、一時期の流行歌手の人気たるや、今では想像も つかないほどだったのである。流行歌は、まさに流行の頂点にある世界だったといって それから五十有余年、今はもう流行歌という一一一口葉さえ色あせてしまっている。ヒット 曲は沢山あるらしいが、世間に流行してはいないのだ。老いも若きも、国民こぞって口 ずさんでこその流行歌である。一部の熱狂的なファンの人気を集めているだけでは、流 行とはいえま、 現在、流行しているものといえば、ますスマートフォンだろうか。「ダッコちゃん」 「フラフープ」どころの話ではない。国民みなスマホといった雰囲気である。しかも、 これは一国の流行ではなく、全世界で五十億以上の携帯が使われているというのだから
「それは各人各様さ。基準など決められるわけがないだろう」 反論されても仕方がない。しかし、少くとも、かっては「人生五十年」という 応のメドがあったのだ。そして世間の誰もが、そのことを共通の了解として受けとめて いたはずである。 今は、それがない。 九十歳以上の長寿者が、いまはたしてどのように過ごしているかさえも、よくわから ないのである。テレビなどに取りあげられるのは、常に超元気な老人ばかりだ。 級 いま高齢者に対する風当りは、つよくなる一方である。医療費も、年金も、介護も、 階 咾見直しが進められている。しかし、それらの社会的負担が、大きなビジネスの対象にな っていることも事実だろう。それらの予算で食っている世界もまだ少くないのだ で 六十歳の定年を、六十五歳まで延長しようとする動きがある。すでに実施している企 層 齢業も少くないようだ。 しかし、六十歳に達した社員をラインからはずし、給与をさげて雇用するというのは、 ならやま はたしてどうだろうか。これは社内の楢山送りではないのか
113 これからの人間カ 考えてみると、いわゆる「お説法」というのも、上質な「ホラ」の一種かもしれない。 極楽浄上の話も、地獄の話も、実際には誰もいったことのない話なのだ。 古来、宗教は人びとに「真実のホラ」を語りつづけてきた。それを聞く人びとは感動 しんこ - っ し、一一一一口仰にみちびかれる。「おもしろさ」とともに、「ホラ」には「ありがたさ」が必要 なのかもしれない。 地獄、極楽というイメージが庶民大衆のあいだに定着したのは、平安時代ではないだ ろうか。もちろん、極楽とか地獄とかいう世界への関心は、それ以前からあった。 しかし、世間の人びとの頭に、具体的な絵図として登場するには、しばらく時間がか かる げんしん そこに登場したのが、源信という人物 えしんそうずげんしん 恵心僧都源信。 平安中期の学僧である。 のちに親鸞も学ぶことになる比叡山の横川に住んでいた やまと もともとは大和の二上山のふもとに生まれた人だ 0 せつぼう ひえいざんよかわ
160 も円仁に憧れた時代もあったようだ。 この人はマルコ・ポーロの旅行記をはるかにしのぐ優れた紀行日記を残したことで知 られている。 ほ・フいしゅんれい「 : フキ、 『入唐求法巡礼行記』 というのがそれだ。円仁は九世紀後半、中国大陸に渡り、くまなく各地を歩いて詳細 な日記を書いた。そのなかに、当時、仏教がいかに中国に流行したか、そしてやがて強 烈な仏教弾圧がどれほど一世を風靡したかを、つぶさに記している。かって仏教は、一 大流行だったのだ。そしてその流行の大きな反動が流行となる。 き、ん 最盛期、仏教に帰依する人びとは、家の前に机を置き、通行する旅人たちに心ゆくま ーレよ・つじん で精進料理を提供したという。それはまさに世間の流行だったのである。 やがてその流行はすたれ、寺院も荒廃して いく。それもまた流行である。 「不易流行」 フ発想と、また という芭蕉の言葉には、かなり深い視点がある。流行は不易だ 0 逆に不易なるものこそ流行である、という真実がそこにあるように思われる に」っし」・つわ、 亠の - 」カ ふうび
71 新老人の時代がきた 「新老人の会」というグループかあるそうだ。 ひのはらしげあき 百歳をこえてなお現役で活躍されている日野原重明さんが立ち上げられた会だという。 二〇〇〇年にスタートして、今では海外にまで支部をもつ大きな組織であるらしい この会では、七十五歳からを新老人、それ以下六十歳までをジュニア会員とよぶそう 六十歳をこえた歳で「ジュニア」とよばれるのは、ちょっといい気分だろう。 しかし、 いま私が「新老人」として扱おうとするのは、それとは少しちがう人びとだ。 年齢でいうなら六十代から八十歳代まで。 いま世間を騒がせている暴走老人、迷走老人が、ほぼこの範疇にはいるだろう。九十 になればもう超老人である。 この新老人世代が最近おだやかではない。なにかアナーキーな胎動をも感じさせる。 しかし、それら新老人の生態は必ずしも一様ではない。 一様ではないが、 共通したも のがある。 一つは、まだエネルギーがあること。定年をまぢかにひかえていようと、 退職後であ ろうと、精神的、肉体的なエネルギーがのこっている。人生においてリタイア感がない。 はんちゅう
きょむ 今は、それはない。「浄上」もなければ「地獄」もなく、 ただ無限の虚無が口をひら いて広かっているだけだ。 これでは、人は死ねない。死は不毛であり、なんとか引き延ばしたいタブーである。 そして近代のヒューマニズムは、命の持続を無条件で肯定する。医療も、薬剤も、介護 も一つの産業である。こうして、「逝けない」社会がどこまでも増殖していくのだ たいどう 胎動する新老人たち ろこっ というのは、露骨な言い方をす 長寿、長命が世間から祝福された時代は過ぎた。老人 れば、今は社会のお荷物である。 人生五十年といわれた時代では、五十歳を過ぎれば老人ごっこ。 オオ今なら七十歳あたり から老人とみなすのが世間の常識だろう。 私は現在八十一歳である。堂々たる老人だが、今後の道のりはきびしい。現在、八十
139 元気で長生きの理想と現実 百歳社会の後半生を見据えて かって新大陸発見の旅、というものがあった。世界に冒険者たちが果敢に挑戦したの である。 やがて地球上に未知の世界がっきると、こんどは人類は宇宙をめざす。 しかし世界の経済がガタガタになって、宇宙への挑戦もひと休みとなった。 だが未知の新世界は、人類の目の前にある。誰もがそのことに気づきながら、目をそ らせて、まともに考えようとしない。 二十一世紀の新世界とは、高齢化社会の出現ということだ。 そのトップを走るのは、当然このニッポン国である。目下、百歳以上の長寿者が激増 中だ。やがて右を見ても左を見ても、きんさん、ぎんさんばかりになるだろう。 世界中がかたずをのんで日本を見守っている。経済大国再登場への期待などではない。
218 ちょ - つど あたりが丁度いいころだと思うのだが、これには不満の声が多いにちがいない。では、 少しサービスして、 「人生八十年」 し」、亠 9- るか。 いや、そこまで世間に配慮することもなさそうだ。精々、 「七十年から八十年の間」 しゅ・つもく といったところが、衆目の一致するところだろう。 オオこれは努力のたまものでもなく、世間に必要とされたせ 私自身は八十一歳によっこ。 いでもない。たまたま運がよかっただけの話である。大きな交通事故にもあわず、重い うれ 病気にもかからす、馬齢を重ねることとなった。そのことを、必すしも嬉しいとは思っ ていない。 心の中で、「逝きどき」を失したような気分もある。 ぎいち 藤本義一さんは七十九歳で亡くなった。西を代表する文化人として、一時代を画した お 人だ。その死を惜しむと同時に、「逝きごろ」を鮮やかに示してくれたという感動もお ぽ , んる せいぜい