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検索対象: 新老人の思想
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1. 新老人の思想

161 不易と流行のさじ加減 政治にも流行がある。法律にも、恋愛にも、生死に関する考え方にも流行がある。 そして、その流行の奥に、不易なる人間の生態がひそんでいる。さしずめ当節は、ス マート、カジュアル、コンビニエンスが流行のべースのように感じられるが、どうだろ 年の始めのためしとて もち いつのまにか正月に餅も食べなくなった。 都市生活者の新年というものは、じつにカジュアルなものである。正月三が日、街を 歩いている人たちの服装を見ていても、ふだんとほとんど変りがない。昔のことを懐し がる気持ちもないが、なんとなく物淋しい感じもする。 かっ - 」・つ そんなことをいっている自分自身も、去年の暮れからずっと同じ恰好である。同じジ ャケット、セーター、同じ靴。 ) 0 ものさび

2. 新老人の思想

185 豊かさについて考える いうものは、いつまでたってもおぼえない。同じ字を何百回、いや何千回となく電子辞 書で確認しながら原稿を書いている。 そういえば、最近、原稿用紙というものを置かない文房具店が増えてきた。四百字詰 めの原稿用紙を使う客も当節あまりいないからにちがいない 私は二十代のころ、一時期、業界紙のカメラマンもやっていた。 6 x 6 のローライ と、新聞社用のスビグラを使って走り回っていた。ストロポをつけたスビグラを持って いるだけで、どこの役所も自由に出人りできた時代である。 最近、大新聞の記者で、インターヴューの写真も撮る人が増えてきた。一枚か二枚の 顔写真を撮るのに、わざわざ写真部の人をつれてくる必要もないということだろう。ポ ケットからコンパクトなデジカメをひょいと出して、 「じゃあ、一枚お願いします。念のためもう一枚。はい、ありがとうございました」 でインターヴュー終了。 そのうち、ケータイで撮られるようになるかもしれない。あまり簡単だと、インター ヴューをうけた感じがしない。 つい世間ばなしふうにカジュアルな話題になりがちだ。

3. 新老人の思想

189 豊かさについて考える 「 : フ亠ョ。け 出版文化のたそがれを語る人は少くないが、『内村剛介著作集』を出している恵雅堂 出版や、月曜社のような出版社が存在していることをどう思っているのだろうか あいたあきら 間章から阿部薫へ、そして鈴木いづみへと連想が広がって いく。そして間章の対立項 っちとりとしゆき としての平岡正明。友人としての土取利行。 かってカジュアルでない時代というものがあった。間章が文中であげる作家たちの十 人に一人も私は読んでいない。 しかし、対独協力者として戦後無視された作家たちの何 人かは、間章の文章に引きずられて知ることになった。間章があげていたのは、モーリ ス・プランショ、レ ノイ日フェルディナン・セリーヌ、ロべール・プラジャック、ドリ ュ・ラ・ロシェレ、、、 ホリス・ヴィアン、エトセトラ、エトセトラ 間章は難解オ ご、という伝説があるたしかにそういう文章も多い。しかし、アルヾ ト・アイラーについての本を書くためにニューヨークを訪れたときの〈ジャズ紀行〉な どは、どこにも難しいところはない。むしろ彼のいうところの「ホモ・ヴィアトール ド ) よじよ・フ ( 旅する人 ) の抒情さえ感じさせる平明な文章だ。ィースト・ヴィレッジの土取利行の アパートを訪れたときの文章など、古いラグタイムの音楽をきくようなしささえ感じ かおる

4. 新老人の思想

リ 4 おのれの美貌が出家の邪魔になると感じて自分の顔を焼こうとしたこともある。そんな 人もいる。べつに偉いとか偉くないとかいうことではなく、人間のタイプの間題だろ こ、フ ) フンクル もう聞く人の耳にタコができるくらいに私が永年いいつづけてきた話 ( の『夜と霧』のエビソードがある。強制収容所ではもちろんのことながら、生きるだけ でも大変だった。しかし、極限状態でなくても、生きることは大変である。さらに最近 では、人間が無理やり生かされるという状況が出てきた。 長寿社会というが、本当にすべての人が長く生きることを望んでいるのだろうか私 の実感からすると、七十歳を過ぎたころから、人は一般に生きることに疲れを感じはじ よろこ めるものだ。恵まれた環境で、日々生きることに歓びと生き甲斐を感じている人はいい。 しかし、現実の問題として、人間という動物の自然な生存期限は、はたしてどれくらい のものなのか 生きることに疲れる、というのは、当然のことながら身体的なものだ。しかし、その ほかに精神的な疲労もある。俗に「お迎えがくる」などと一言うが、そろそろこの世にお びぼう 力、

5. 新老人の思想

155 不易と流行のさじ加減 な気分も吹っとんじまうぞ」 「エーツ、いやだー、知らない人と腕組んだりするんですかー。絶対いかなーい 知らない人と腕を組む、などということが想像もっかない時代になったのだ 男生用化粧品の広告などを見ると、サラサラ、スッキリ、などとやたら強調している。 あぶら 要するに脂つぼいのが駄目であるらしい。ギトギト、べタベタ、がタブーなのである。 横浜からの東横線の車中で観察していると、シートに坐る客たちが、十センチくらい 両側を空けて坐っている。もちろん午後のゆったりした車内だが、体やお尻を密着させ るのがいやらしい 他人と少し距離をおいて、というのが当世の流行なのだろうか。当然、市民デモも、 スクラムを組んだりするのは流行らないわけだ。 人の体温を感じる、臭いをかぐ、肌を密着させる、汗に触れる、すべてノーとなると、 Z-u , フい , フ一」ÄJ に . なるのか。 半世紀前、タンゴやスローな曲を踊るときには、下半身をびったり密着させて踊った。 微妙なステップのサインを、体と体で感じつつ踊ったわけである。

6. 新老人の思想

198 「春がい′、」 -*J い , フこの「い 「逝く」 昔は「イク」とは読まずに、「ユク」と発音した。今はほとんどすべて「イク」で通 よ - フせ る。しかし、「行く」と「逝く」では、ずいぶん意味がちがう。「夭逝」などという表現 にも、深い思いがこめられている。 「春が逝く」 といえば、ただ季節が変ることだけではない。なにかが惜しまれて終る、という感じ だ。しかし、季節はめぐるものである。春が過ぎ、夏がきて、秋となり、冬が明ければ 再び春は訪れてくる。 りんね この考え方から、ひょっとして輪廻という思想も生まれてきたのかもしれない。生死 をくり返しつつ無限に続く輪廻。 には、いろんな字が当てられることが多い

7. 新老人の思想

157 不易と流行のさじ加減 明治、大正のころは、 「はやり歌」 とか、そんなふうにいったのだろう。やがて「流行歌」というよび方が流行り、「流 行歌手」という芸能人たちが出てくる。戦後しばらくは、 「流行歌手」 という職業が、目のくらむようなまばゆさで感じられていた時代だったのだ 私が中学生のころ、町に春日八郎という人気歌手が来演した。会場は、町 ) にただ一つ の映画館だった。 当時、『赤いランプの終列車』という歌が大ヒットして、春日八郎といえば超大スタ ーだった。『別れの一本杉』など、名曲のレバ ートリーも数多くあったべテラン歌手で ある。 八粋な黒塀見越しの松に かすが

8. 新老人の思想

209 理想の「逝き方」をめざして などを担当していた 最初、「青年は荒野」という題だったのだが、もっと動きのあるタイトルにしたいと いう意見が出て、「青年は荒野をめざす」となった。 さし、ん やぎゅうげんいちろう 挿絵は柳生弦一郎 にレゅ - フて・つ 途中から題名が伊丹一三の文字に変った。のちの伊丹十三である。 連載がはじまってしばらくして、当時人気のフォークバンド、〈フォーク・クルセダ ーズ〉が歌を出す話が持ち上った。 かずひこ 詞を私が書き、加藤和彦が曲をつけた。なんとなくアメリカ映画『ローン・レンジャ たぶんこんな歌詞だ ー』の主題曲に似た感じの歌だった。はっきりは憶えていないが、 ったと思う。 八ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて さらば恋人よ いたみいちそう・

9. 新老人の思想

187 豊かさについて考える とりあえずだるい体を引きずって仕事をする。ちゃんと病院で診察をうけるべきだと わかっていながら、放置している。この歳になると、抵抗力も免疫力もおとろえてくる のが当然だろう。放ったらかしにして、なんとか回復するのは六十歳ぐらいまでだ。こ のままでは、肺炎とか、いろんな病気を併発して、死ぬことだってありうる。 たんにしょ・フ しんらん などと考えながら、『歎異抄』のなかで親鸞も同じようなことをいってたな、と苦笑 する。 し + りじよ・フ 「地獄は一定」 と、きつばり覚悟はしていても、ちょっと体調を崩したりすると心配になる。このま ま死んでしまうんじゃないだろうかと不安になる、というようなことを親鸞は弟子にも らすのだ そもそも仏教の教えとか、昔の宗教家の言葉が身にしみて感じられるのは、晩年にな ってからのことだ。 六十から七十を過ぎて、ようやく人は自分の死というものをリアル に考えるようになるのである。若い人の仏教論というのは、思想談義であるといってい それはそれなりに論として意義のあることだろうが、切実に「あの世」のことを考

10. 新老人の思想

191 豊かさについて考える 北側の斜面は、急角度に削げ落ちていて、崖つぶちに近づくのが怖いくらいだった。 山頂のあたりが台地になっている。木々はなく、広々とした草原のような地形である。 ちょうど西のかなたにタ日が沈む時間だった。山頂には誰もいない。私は先輩と並ん で、無言で落日の様子を眺めていた。 その時、先輩が唐突に歌をうたいはじめたのだ。その歌は、これまで私が子供のころ からきき慣れていた軍歌や歌謡曲とはまったくちがった感じの歌だった。 おかはるお ならみつえ お - つみとしろ・フ 岡晴夫だとか、春日八郎だとか、田端義夫だとか、奈良光枝とか、近江俊郎とか、そ んな人気歌手の歌とは異質のメロディーである。 先輩の声はともかく、 その曲に少年の私は、しびれるような感激をあじわったのであ 「よか歌たいねえ。どこの歌じやろか」 「これはくさ、イタリアの歌たい」 「イタリア ? なんちゅう歌ね」 かすが こばたよしお