流行歌 - みる会図書館


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1. 新老人の思想

とみ などと『お富さん』の歌を、子供たちまでみんな口ずさんでいた。大ヒット曲である。 当日、会場の外からでも公演の様子をうかがおうと、町の映画館まで出かけていった。 とえはたえ これがもう大変な騒ぎで、十重二十重に映画館をとり囲んだ観衆のために、まったく近 づくことができない。せめてスビーカーから流れる歌声でもきけないものかと思ってい たが、それどころではなかった。戦後、一時期の流行歌手の人気たるや、今では想像も つかないほどだったのである。流行歌は、まさに流行の頂点にある世界だったといって それから五十有余年、今はもう流行歌という一一一口葉さえ色あせてしまっている。ヒット 曲は沢山あるらしいが、世間に流行してはいないのだ。老いも若きも、国民こぞって口 ずさんでこその流行歌である。一部の熱狂的なファンの人気を集めているだけでは、流 行とはいえま、 現在、流行しているものといえば、ますスマートフォンだろうか。「ダッコちゃん」 「フラフープ」どころの話ではない。国民みなスマホといった雰囲気である。しかも、 これは一国の流行ではなく、全世界で五十億以上の携帯が使われているというのだから

2. 新老人の思想

160 も円仁に憧れた時代もあったようだ。 この人はマルコ・ポーロの旅行記をはるかにしのぐ優れた紀行日記を残したことで知 られている。 ほ・フいしゅんれい「 : フキ、 『入唐求法巡礼行記』 というのがそれだ。円仁は九世紀後半、中国大陸に渡り、くまなく各地を歩いて詳細 な日記を書いた。そのなかに、当時、仏教がいかに中国に流行したか、そしてやがて強 烈な仏教弾圧がどれほど一世を風靡したかを、つぶさに記している。かって仏教は、一 大流行だったのだ。そしてその流行の大きな反動が流行となる。 き、ん 最盛期、仏教に帰依する人びとは、家の前に机を置き、通行する旅人たちに心ゆくま ーレよ・つじん で精進料理を提供したという。それはまさに世間の流行だったのである。 やがてその流行はすたれ、寺院も荒廃して いく。それもまた流行である。 「不易流行」 フ発想と、また という芭蕉の言葉には、かなり深い視点がある。流行は不易だ 0 逆に不易なるものこそ流行である、という真実がそこにあるように思われる に」っし」・つわ、 亠の - 」カ ふうび

3. 新老人の思想

157 不易と流行のさじ加減 明治、大正のころは、 「はやり歌」 とか、そんなふうにいったのだろう。やがて「流行歌」というよび方が流行り、「流 行歌手」という芸能人たちが出てくる。戦後しばらくは、 「流行歌手」 という職業が、目のくらむようなまばゆさで感じられていた時代だったのだ 私が中学生のころ、町に春日八郎という人気歌手が来演した。会場は、町 ) にただ一つ の映画館だった。 当時、『赤いランプの終列車』という歌が大ヒットして、春日八郎といえば超大スタ ーだった。『別れの一本杉』など、名曲のレバ ートリーも数多くあったべテラン歌手で ある。 八粋な黒塀見越しの松に かすが

4. 新老人の思想

161 不易と流行のさじ加減 政治にも流行がある。法律にも、恋愛にも、生死に関する考え方にも流行がある。 そして、その流行の奥に、不易なる人間の生態がひそんでいる。さしずめ当節は、ス マート、カジュアル、コンビニエンスが流行のべースのように感じられるが、どうだろ 年の始めのためしとて もち いつのまにか正月に餅も食べなくなった。 都市生活者の新年というものは、じつにカジュアルなものである。正月三が日、街を 歩いている人たちの服装を見ていても、ふだんとほとんど変りがない。昔のことを懐し がる気持ちもないが、なんとなく物淋しい感じもする。 かっ - 」・つ そんなことをいっている自分自身も、去年の暮れからずっと同じ恰好である。同じジ ャケット、セーター、同じ靴。 ) 0 ものさび

5. 新老人の思想

人が宗教を意識するとき ホラの効用について せめて憂き世をおもしろく 深沢七郎さんの対談カ 元気で長生きの理想と現実 ナチュラル・エイジングのすすめ 長寿は無条件の幸せではない 百歳社会の後半生を見据えて 人生の去りどき 不易と流行のさじ加減 流行りものとのつきあい方 流行歌とスマートフォン はや 156 III 152 130

6. 新老人の思想

159 不易と流行のさじ加減 凄い スマートフォンと、スマートボムのあいだには、ほとんどわすかな距離しかない。 O やデリバテイプは、さしすめスマートマネーカ 二十一世紀のキーワードは、「スマート 」のような気がする。 流行というのは、なにもファッションや音楽、芸能の世界のみではない。 ある意味で、すべての文物はその時代の流行に左右される。 先日、ある医大に精神科の医師がたの学会に呼ばれて、話をしにいった。、 べつに専門 的な話でなくてもよいから、とすすめられて出かけたのだ ちょうだい その会で頂戴した分厚いパンフレットを読んで、なるほど、医学の世界にも流行とい うのはあるのだな、と思った。「以前はこうだったが最近は新しい治療法、薬品が主流 となっている」といった記述があちこちに見られたからである。薬 し J い , フこし J に関ーレて いえば、最近は「多剤・大量投与」という流れが目立っこともわかった。 医学だけの話ではない。哲学にも、物理学にも、すべての文化には流行があるのだ。 いし、刀′、十ーし てんだい ひえいざん しんらん 慈覚大師円仁といえば、九世紀の傑僧である。天台の僧だが、比叡山にいたころ親鸞 けっ ? て - っ ) 0

7. 新老人の思想

今はダンスといえば、離れて踊る。チークダンスは別として、親しい仲でも距離をお くというのが、最近の傾向であるらしい なまみ 要するに生身の人間がイヤなのだ。体臭も、汗も、息も、体温も、できるだけ感じな いように暮らす時代になったのである。 鍋がダメ、とい , フ 若い人がいる。年配の男たちが、勝手に自分の箸を鍋に突っこむの が耐えられないらしい 私たちの敗戦後の暮らしは、本当にひどいものだった。チューインガムの貸し借りな んぞ当り前のことだった。ロでクチャクチャやっているガムを、「ちょっと貸して」と、 女の子が引きとって噛んだりしたものだ。時代は変る。 流行歌とスマートフォン 最近、あまり「流行歌」という言葉を聞かなくなった。

8. 新老人の思想

154 もまったくしわが出ないゆったりした作りである。ゴージはとことん低く、べントはセ ンターに切ってある。 しささか勇気かいる。なにか奇をてらっ こういう服を着て、最近の街を歩くのには、、 たオー ・ファッションを誇示しているかのように見られかねないからだ。 「不易流行、不易流行」 ささか肩の凝る行為ではある。 と、つぶやきながら、二十一世紀の街を歩くのは、い デモにも流行がある 最近の市民デモは、三三五五、和やかに歩いている形式のものが多い。組合などがや シグザグデモなどという運動量の るデモも、昔のように腕を組んだりはしないようだ。。 多いデモも、あまり見かけなくなった。 ある大学教授が、女子学生をデモに誘った話を聞いた。かなり以前のことである。 「デモにいくんたが一緒にどうかね」 「デモって、あのデモ ? 」 「そうだ。皆と腕を組んでシュプレヒコールなんかを大声で叫ぶとスカッとするよ。鬱 うつ

9. 新老人の思想

152 芭蕉は、 ふえきりゆ - っこ - っ 「不易流行」 こころ・ん とい , フことをいった 芭蕉は俳人だから、もちろん俳句を作る上での心得だろう。 簡単な辞書を引くと、こんな説明がのっている。 〈不易は詩の基本である永遠性。流行はその時々の新風の体。共に風雅の誠から出るも のであるから、根元においては一つであるという〉 要するにどちらも大事、 永遠に変らないものがある。それはたしかだ。 人間の欲、男女の情、人生の期限、すべて千年も万年も変らない。 ー ) よ・つ・ひょ - フろ - フ 生・病・老・死、これも不易である。 はや 流行りものとのつきあい方 ) 0

10. 新老人の思想

不易と流行のさじ加減