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検索対象: 新老人の思想
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1. 新老人の思想

83 新老人五つのタイプ 「アングリー・ヤングメン」とい , フ 世代が話題になったことがある。新老人はべつに怒 っているわけではない。ごが、 力あきらかに不満足であり、そこには一種、反抗的気分が ある。まだ十分に実社会で活動できるつもりでいるのに、強制的に退場させられたと感 じている人びとの不満であり、抵抗の気分である。 自分がどのグループに属するか、またはまったくあてはめられないかを、苦笑しなが ら考えてみるのも一興だろう。 タイプ < 肩書き志向型 定年で退職したあとも、いろんなことにかかわって、さまざまな肩書きをもつ人びと。 六十 会社をやめてみて、はじめて社名の影響力の大きさを実感するのは当然のことだ。 歳を過ぎれば、重要なポストに選ばれるエリートは別として、大多数はふつうの人にな る。それがどれほど不便なことかは、現役時代にはほとんどわからない。名刺に肩書き

2. 新老人の思想

57 「高齢者層」ではない、「老人階級」である かって六〇年安保改定のとき、国会議事堂をとり囲んだ数限りない若者や学生たちは、 すでに「老人階級」に属する。そして今の若者たちは、一般にデモやストライキには恠 関心である。だからといって、決して今の政治や社会のあり方に対して冷淡であるわけ ではない。 組織とか、団体で行動するとかいったタテ型の運動がしつくりこないのだ。私のよう な老人でさえも、デモ行進のときにくり返されるシュプレヒコールは苦手である。リー ダーが、スローガンともいえない変なフレーズを叫ぶ。皆がそれに合わせて同じ一一一一口葉を くり返す。しかし、ではどうすればいいのか 現実の政治や経済を動かしている実力者たちの感覚の一つに、 「その時にはオレはもう死んでこの世にいないんだから関係ない いう本人も気づいていない心情があるように思われる。将来、国債が紙クズにな ろうと、使用済み核燃料がどれほどたまろうと、その時はオレはいよい、 と無意識に感 じていればこその現状である。 「未来の子供たちのために」 にカて

3. 新老人の思想

140 恐るべき急激な高齢化に、国としてどう対応するか、そこをみつめているのだ。 いつのまにやら中国も高齢者社会になってきた。インドもそうだ。以前は老人国家と いえば、すぐにスウェーデンとか、ノルウェーとかを連想したものである。北欧の白夜 の公園のべンチに、ひっそりと坐っている老夫婦の姿を思い描く。高度福祉社会とは、 そういうものたというイメージがあった。 エネルギッシュに高度成長を続ける新興国も、高齢社会に突人す 今はそうではない。 るのである。 私の周辺でも、六十代、七十代で親の介護の問題を抱えていない人は少い。すでに普 通なら自分が介護をうける年頃になりながら、まだ勝手に生きるわけにはいかないので ある。 不がいう二十一世紀の新世界とは、そういう世界のことだ、医療制度が充実し、技術 ということが当り前になって も進歩することで私たちは長生きする。やがて人生百年 くるのかもしれない。 そんな社会を、人類ははじめて体験するのだ。これまで「生き方」といえば、せいぜ カカ

4. 新老人の思想

147 元気で長生きの理想と現実 周囲にまでその退行ぶりが反映することに気づく。 いんうつ しものである。しかし、陰鬱 若者のなかに老人が囲まれて、共に笑顔でいる風景はい、 な高齢者たちのあいだに、ぼつんと若者がいる様子を想像すると、ため息が出てくる。 政府のインフレ政策が、はたして日本再生のきっかけになるかどうか、まだその辺は わからない。 しかし、社会の高齢化は、はっきりわかっている未来である。二〇一二年 これが七十三歳になり、八十三歳が最大 現在、人口のビークは六十三歳であるらしい 人口になる日が、遠からず確実にくるのだ。未知の新世界とは、そういう社会のことだ。 人類全体にとっても未体験ゾーンである。 一部のプルジョア階級と、多数の無産者階級が対立する社会を、かっての革命家たち しオいま、少数の若者と、大多数の老人が対立する社会がせりあがってこよ は思い描 うとしているのだ。 前に『下山の思想』という新書を出したとき、こういう批判があった。 「オレたちの未来を暗いものとして語らないでくれ。自分たちは高度成長の時代に、さ

5. 新老人の思想

142 じ登る力と気力のない者は、これはもう仕方がない。 やっと全員がその高い木の枝の各所にしがみついたところで、若者たちが力を合わせ て木をゆするのだ。 大きく枝がゆれるたびに、枝にしがみつく力のつきた老人たちが、パ ラバラと木の実 のように地面に落下してくる。気を失ったり、 死んでしまう者もいるだろう。 最後まで木に抱きついてがんばり通した者たちは、その村に残ることができる。登れ なかった者や、落下した者たちは、密林に捨てられる。 残酷なようだが、、 妙に説得力のあるお話のような気がした。社会とはそういうものだ ろう。ナラヤマは世界中のどの国にもある場所だ。それが近代福祉社会では、表向き公 然とさらけ出すことができずに、処理されているのである。 それだけではない。高齢者の医療と介護には、おどろくほどの社会的支出が必要だ ある意味で、それは大きな産業でもある。子供や若者を育てることよりも、はるかに多 くの公的支出がそこに向けられることになる。 「老人を処分せよ ! 」

6. 新老人の思想

社会的にも活動意欲をおさえることができない。 いま七十歳の人は、あ 二つ目は、百歳社会の未来に不安と絶望感を抱いていること。 と三十年を生きなければならないのだ。その最後のシーズンが、どれほど悲惨なものに なるかを、すでに知ってしまっている。 実際に自分が親の介護の経験をもつ人もいるだろう。そしてこれから先は、誰もが適 当に、穏やかには死ねないことを知っている。認知症か、アルッハイマーか、寝たきり カンか、いずれにせよ悲参な将来は確実なのだ。 か、孤独死か、。 死んで宇宙のゴミとなる前に、生きながら社会のゴミになる長寿の未来。 神に召される、とか、浄上へ迎えられるとか、そんな深い宗教観を抱いて生きている 人は、たぶんそう多くはないだろう それでいて、新老人にはエネルギーがある。体力と気力はあっても、未来への展望が ない。悲惨な末期高齢者の季節が待ちうけているとも予感している。 といった。今では人生は百年と見なければならない。国と産業界は、 昔は人生五十年、 徹底的な健康長寿国民を育成するために全力をあげている。

7. 新老人の思想

要するに社会の余計者だ 世間の見る目も冷たい。 この国の財政が大変なのは、社会福祉制度が充実しすぎてい るせいだ、などという。後期高齢者や、要介護老人のお世話で予算がいくらあっても足 りないと説く学者もいる。 たしかに百歳以上の長寿者が、現在なんと五万人以上、その八割が寝たきり老人だそ うだ。しかもその数は年々増加の一途をたどるらしい 。きんさん、ぎんさんが人気者だ った時代とは大ちがいである。 そんななかで、妙に元気な老人が増えてきたというのは、社会にとってはたして吉か、 凶か。 先頃も満八十歳になられた大スター、岸惠子さんが官能的な小説を発表して話題にな くろやなぎてつこ こはらそ - ついちろ - フ 代 時 った。黒柳徹子さんや、田原総一朗さんもフル回転で活躍中である。スキーヤーの三浦 の ゅ - フいちろう じゃくちょ・つ 雄一郎さんは、史上最高齢でエヴェレスト登頂に成功した。瀬戸内寂聴さんにいたっ ては、超人的な活躍ぶりである。 あたりを見回すと、そんなスー ー高齢者は、どの分野にも無数にいらっしやる。し

8. 新老人の思想

きょむ 今は、それはない。「浄上」もなければ「地獄」もなく、 ただ無限の虚無が口をひら いて広かっているだけだ。 これでは、人は死ねない。死は不毛であり、なんとか引き延ばしたいタブーである。 そして近代のヒューマニズムは、命の持続を無条件で肯定する。医療も、薬剤も、介護 も一つの産業である。こうして、「逝けない」社会がどこまでも増殖していくのだ たいどう 胎動する新老人たち ろこっ というのは、露骨な言い方をす 長寿、長命が世間から祝福された時代は過ぎた。老人 れば、今は社会のお荷物である。 人生五十年といわれた時代では、五十歳を過ぎれば老人ごっこ。 オオ今なら七十歳あたり から老人とみなすのが世間の常識だろう。 私は現在八十一歳である。堂々たる老人だが、今後の道のりはきびしい。現在、八十

9. 新老人の思想

139 元気で長生きの理想と現実 百歳社会の後半生を見据えて かって新大陸発見の旅、というものがあった。世界に冒険者たちが果敢に挑戦したの である。 やがて地球上に未知の世界がっきると、こんどは人類は宇宙をめざす。 しかし世界の経済がガタガタになって、宇宙への挑戦もひと休みとなった。 だが未知の新世界は、人類の目の前にある。誰もがそのことに気づきながら、目をそ らせて、まともに考えようとしない。 二十一世紀の新世界とは、高齢化社会の出現ということだ。 そのトップを走るのは、当然このニッポン国である。目下、百歳以上の長寿者が激増 中だ。やがて右を見ても左を見ても、きんさん、ぎんさんばかりになるだろう。 世界中がかたずをのんで日本を見守っている。経済大国再登場への期待などではない。

10. 新老人の思想

145 元気で長生きの理想と現実 れて長生きする。それが、かっての私のイメージだった。しかし、今はちがう。 高齢者だからといって、周囲の善意に頼って生きるわけにはいかない。自分の面倒は 自分でみる。しかし、それができなくなったときは、一体どうすればいいのか ? 円高だ、円安だとかいう議論は、根本的な社会の問題だろうかデフレもインフレも、 みぞ・フ わかりやすい話だ。しかし、未曽有の高齢社会が目前に迫っていることにくらべれば、 根本的なテーマではない。 人間は何歳まで生きるべきだろうか。 コ目然にまかせよ」という亠尸がきこえる 「病むときは病むがよし。死ぬときは死ぬがよし」という声もきこえる。しかし、「老 いる国」をどう考えるのか思いむところではある ゴウタマ・ブッダは、八十歳まで生きた。 二千五百年も前の古代インドとしては、画期的な長命だったといえるだろう。わが国 で平均寿命が五十歳をこえたのは、敗戦後のことではなかったか。 きせき 当時のインドの衛生事情、生活水準からすれば、奇蹟的な長寿である。