一九九八年十一月下旬、金策に失敗した私は一ヶ月間の放浪の末、実家に戻ってい 妻は取り立てが来るからと、ひとりで七尾にいるわけにもいかず、私の実家にやっ かいになっていた。私がようやく戻った頃、実家には甥や義弟、そして義兄が集まり 始めていた。 へ「自己破産せえ、仕方ないわ」 兄貴は繰り返し、私に言っていた。私よりひとまわり上、どうしても子供扱いにな る。幼い頃、一緒に遊んだ記憶もない。「お前は駄目な奴じゃ」、頭からそう決め付け 一られていたものだ。 「金を借りれば、まだ何とかなるやろ」 そう言っていたのは義兄だった。もう一人の姉の夫、私の借金の保証人の一人だっ 借金の取り立ては、私がいない間に激しくなっていた。当事者がいないから保証人 しつよ - っ いらた のところへ来る。その催促の執拗さに、みな苛立っていた。 五年前、私は知人に頼まれて、融資八百万円の保証人となっていた。彼は食品製造 やっ
新たに借金をかさねなければならず、保証人の数も増えつづけていった。しかし、金 おりあ 利分の返済が精いつばいというありさま。そこへ折悪しく、税務署からも総額一千万 円におよぶ納税を迫られて、保証人になってもらった親族からは、自己破産せよと突 きつけられた。 悪いことは、ひとつでは終わらない。最低一二つのことが束になって襲いかかってく むね る。著者の場合、三つどころではなかった。まず丹精込めた手作業を旨としていた自 考分の工場が、機械を導入したよその工場に食われ、それから低賃金で大量生産をおこ 行 なう中国の製品に取って代わられた。 著者の工場は見る間に傾いてゆき、友人の借金保証人、自己の借金、そして税金と 代 現いう一二つの返済に迫られるようになる。税金をおさめるために、また方々で三百万、 四百万と借金をかさねた。加えて著者の不運は、ちょうどそうした時期に、妻が癌の 手術を受けたことである。しかも、手術の結果は最悪であった。 早ければ三ヶ月で再発すると医者に冷たく言われ、そればかりか多額の借金を抱え た人間が、いったいこれからどうやって生きてゆけばよいのか 答えはひとっしかなかった。
曲がれば七尾ゃ。 しかし、私はハンドルをきることが出来なかった。能登半島を窓の外、遠く眺めな がら、北陸一二県をいつまでも行ったり来たりしていたのだった。 仕事を見つけんと。 急に田 5 い立ち、職安に寄った。 どこかにアパートを借りないかん。 のぞ 路不動産屋を覗いた。部屋を借りるなら、保証人が必要だと言われた。 の でもそうしたのは、何度もない。 思い付きに近い行動だった。一日のほとんどは車 妻 の中、休んでいるか、走っているか、どっちかだった。ばんやりと目の前の道を走る。 ゅ 同じ道を何度も何度も、繰り返し行く。 ムフ日かけ・よ、つ。 明日かけ・よ、つ 公衆電話を見るたびに、私ははっとした。 連絡だけでもしなければ。 受話器を握り、見つめたこともあった。 でも居場所を言えば、探すだろう。聞いた本人も辛くなるだけだ。借金の件も、片 つら
ざた 「それじゃ、事件沙汰になりますよ」 弁護士はそう忠告していた。 私は何も一言えなかった。保証人になってもらっている、迷惑をかけている、それだ けでも辛かった。穴埋めのため金を借りることを強要すれば、義兄のやっていること ) 、舌もできない。 は恐喝にもなりかねない。しかし、面と向かって意見できなし言 知らないところへ行くか 山妻の世話をしながら、私はそう考え始めていた。 どこかでもう一度、やり直そう。ひとみとふたりで。 私は身の回りのわずかな荷物を、車に積み込み始めた。夜中、ひとりで七尾のアパ ートを訪れ、少しずつ整理した。もう暮らしていないけれど、借金の関係上、完全に 富 、。午される範囲内で、私は必要なものだけポンゴに運んだ。 ーし , 刀ッば。し = = ロ 弓》払、つわけ・によ ) ゝ 「ちょっと用があってな、わしは退院には付き合えないわ」 娘にはそう言い含めておいた。 それからまもなくのことだった。私は再び七尾を後にした。 住居と職を捜す、そのための旅 「迎えに来るから」 127 つら
私は工場の売り上げが、三千万円以下となるよう申告していた。それ以上の場合、 年百一一十万円の消費税がかかるからだった。 さかのば 請求は五年前。、、 リこ遡ってのものだった。消費税が五年分で六百万円。それに伴い、 事 業税一一百万円。そこに保険料百五十万円の滞納分も加わった。毎年払っていれば何と かなる額も、 いっぺんに来たから大きい。 重加算税が課せられ、私は一千万円ほどを税務署に納めなければならなくなった。 ほころ へすべてが綻んだ。 私は三百万、四百万と方々で借金を重ねた。保証人としての借金に加え、私自身も 首がまわらなくなっていった。 自己破産いうたら、自分だけ楽になるようで嫌ゃな。 もうどうしようもないというのに、私はその決心がっかない。田舎のことだ、人門 として認められなくなるような気すらしていた。 とにかく自己破産は嫌ゃ。 金利すら返せなくなっても、私は踏ん切りがっかなかった。 「だいたいな、何でいなくなったんじゃ 親戚の言葉に、私は現実を突き付けられる。私の変なこだわりなど、つまらないこ
の事業を拡大する予定だった。 「店が大きくなれば、そりゃあええことや」 私は気軽に引き受けた。 私は応援したかった。私だって工場をやっている、会社経営の苦労は痛いほどよく わかる。少しでも力になれればと考えていた。手続きが簡単ということもあり、私も 同じローン会社から金を借りた。 路ところが彼の資金繰りは、あっという間に行き詰まる。支払い不能となり、その後、 の と行方をくらませた。 妻 彼に名を貸していたのは、他は年金暮らしの身内だった。取り立ては私のところに ゅ 集中し、穴埋めの必要に迫られた私はさらに借金を重ねた。私の保証人の数は増え続 けるだけだった。 加えて二年ほど前から、私の工場自体が赤字続きになっていた。ひと月一一十万から 五十万円程度だったが、おかげで借金の返済が滞り始める。金利だけが膨らんでいく。 いつのまにか私は、金利分だけ返しているような状態に陥っていた。何のために働い ているのか、私はわからなくなっていった。 税務署から増額更正の知らせが来たのは、ちょうどそんな時だ。
現代の夫婦の道行きは、どこか悲しく残酷に映る。添い遂げるという考えは、いま の時代にはほとんど無意味になったかに見えるが、しかしこの夫婦のように病院へ行 かず、ひたすら放浪をくり返しながら、あたかも失われた自分たちの過去を生き直す ような道行きも、たしかにあるのだった。そこでは妻の癌の痛みさえ、夫とふたりで 生きていることを実感するために存在しているようだ。 路むろん旅に出た当初の目的は、死を受け容れるためのものではなかった。夫は車を と走らせながら、行くさきざきの町で職を探し、妻もまたそうしようと考えていた。っ 妻 まり再生を期した旅だったといえるが、いつも死の影はついてまわる。 ゅ 放浪のきっかけとなったのは、バブル崩壊後、この列島のいたるところでいまなお 起きている悲劇を、著者がもろに被ったからである。著者は小さな縫製工場を経営し ていた。友人の経営者が金融機関から融資を受けるさい、頼まれて保証人になったこ とから、人生に狂いが生じはじめる。友人の資金繰りはあっという間に行きづまり、 支払い不能となって、行方をくらましてしまう。それで矢のような催促が、著者に集 まった。 自分でも融資を受けていた著者は、友人が借りた八百万円とあわせて返済を迫られ、
お父さんへ 路手紙あリがとう。 の ムヾご配しているとは想像もっかないある人が、「そんなに弱いお父さんじゃな 妻 いやろ。絶対、あの人はできる」と言ってくれた日から、少し気持ちが楽になっ ゅ 死 昔から挫よ早い方が良いと言う。 しん なぜなら苦労した人や、どん底を経験したことのある人は、芯のある人間になれ るから。何も苦労した事のない人は毎日、楽な道しか選ばずに、壁にぶつかった 時、何もできない 一九九九年四月七日、福井 140 第五章夏の海辺、死の影
なきがら 私が警察署から出てきたのは、十二月二十二日のことだった。妻の亡骸と共に津幡 時に帰った私はパトカーに乗せられ、そのまま逮捕されていた。 不起訴処分になったのは二十日後のことだ。私はその足で、妻の骨が安置されてい る寺に行った。金沢にある寺だった。静かに手を合わせる。 / 、ようと・つ 喪妻は供養塔に入っていた。寺の好意だった。 人にはいろいろ理由があるんやな。 供養塔を見上げながら、私はそう田 5 った。 先祖の墓に納骨してもらえない人、行き倒れで身一兀が分からない人、そして妻のよ うにまだ墓がない人 : : : 。何人の人が、この中で眠っているのだろう。 「ご主人、見ておやりなさい」 こつつば 住職が言った。私は妻の骨壺を手にとった。 195
妻は公園のトイレに洗曜に行っていた。私はダッシュボードの中から手紙を出し、 ひとり広げた。ひと月前、七尾を出発する際に、娘から手渡されたものだった。 だから、今のお父さんにとっては人生で自分の力を見せられる大きなチャンスだ ね。いきなリ大きす、る壁。でもここで人間としての評価を人からしても、らえる。 のんびリ人生を送る人は何の評価もされず、何の存在感もなく、終わってしまう。 影 だからこそ乗リ越えてもらいたい。 の 死 かえる びんせん 海茶色の封筒に緑色の蛙が描かれていた。便箋のまわりでも、丸い文字を囲むように 夏同じキャラクターが笑っている。一匹ずつ指を当て、その数を数えた。 「プジ・カエル」 十四匹の蛙。その輪の中で、手を繋いだ二匹の蛙の腹にそう書かれていた。 私は妻を待っ間、運転席でそれを眺めていた。 お父さんはもう疲れてしまったかもしれないけど、今から始まるのです。私のお 父さんはどこまでがんばれる人なのか、どこまで耐えられる人なのか。 141 つな