真っ黒に日焼けした年配の人が言った。 「こうや、こう掬うんや。そのほうが身体が疲れん」 その人は、私よりいくぶん年上に見えた。ヘルメットの下、顔には皺が深く刻まれ ていた。 ショベルカーの、低く重いエンジン音が唸っている。土埃が舞い、視界か利かない。 がれき 足場は瓦礫の山。タオルで被った自分の口から、荒い息が漏れているのがわかる。炎 路天下、遮るものなど何もない。 とまた、夏がやってきていた。私は住宅の解体作業の現昜にいこ。 妻 スポーツ紙の求人広告で見つけた仕事だった。 ゅ まで 〈日払寮完備歳位迄 : ・ 糸かい文字が枠いつばいに詰め込まれた、小さな広告だった。 〈運免優細面急募〉 私は追い立てられているような気がした。 娘のところにいるのが辛くなって、家を出ていた。自然と、身体が氷見に向かった。 氷見の漁港、そこで手を合わせたい。気が付くと、七尾線に乗っていた。 羽咋、宝達、津幡、高岡・ : しかし、氷見線に乗り換えることは出来なかった。 204 おお からだ しわ
頃、その山を見て育った。小学生の時には遠足で登った記憶がある。 「宝がいつばい採れるゆうてな、それで宝達山いうんや」 幼い時分、誰かからそう聞いたことがあった。昔は金や銀を掘っていたという。薬 草も自生しているそうだ。私は妻にそんなことを説明しながら山道を行った。 曲がりくねった坂道は狭かった。生い茂った葉がワゴン車の横を擦る。黄色い葉、 つる 赤茶けた葉、蔓が飛び出しては、窓を押し付けた。時折、ふもとの景色が小さく覗く。 路右に左に日本海が煙って見えた。 の 広い駐車場で車を降り、そこから歩く。三百六十度、遮るものはない。ただ近くに 妻そび 聳える電波塔が邪魔に思えた。 ゅ 展望台の手前に神社があった。妻とふたり手を合わせる。 「ひとみ、ここにはな、ト ノ学生の時よう来たんや。それ以来や」 私は妻と歩いては、その方角の眺望を楽しんだ。日本海を眺めた後、反対側まで行 き、立山連峰を望んだ。 「ええ景色やな」 吹き渡る春の風は気持ち良かった。頬を撫でて過ぎて行く。 「見えるか、ひとみ。ほら、立山や」 146 のぞ
113 光そ 禾ムフ ム私 注れ小私 は度 兀が 初 安落仕従は貯 ロロ由 は員 で納 、め つ出 どが子を夫中あ難 て利 、供励や 年 ん陥 いや は 辛 ッ仕 才包 い工 の賃私回 。な れ製 や が出支 彳足の は婦 わ員 の服 ばた がめ 彳者し が作 効業 が が単 い純 仕早 げ製 取れ同私少賃次 は そ っ 得 し の事な を の袋理 社 を る 重 れ じ T ン ャ は造受 も 宝始た ロロ ま で 作 り ア イ ロ ン を か る 値 札 を 工 は る 、仕狭服ま い い場オ で そ ほ 富 の いち事業大 だ っ 人 よ つ 箇 所 も な も 短 士 し け わ 山 は の か み給か を 、捻お しつ そ ん な と る し た 丈 ん ん ろ つ や が求な こ経め工り れ い た は 払業良 と に な つ て き 上 た か 営 に り は れ な か っ た り や で ら 。ん と な る ロロ く ル タ ス の 行 だ さ り 小 は 占 ら場切彳 さ た て 張 は
病室で、妻にその一一言だけを伝えた。 「絶対やよ : : : 」 妻は言った。私は頷いた。 預金通帳は弁護士に預けたままだったが、手元には六十万円の現金が残っていた。 ふた月ほどが経ち、全財産は減っていた。しかし、十一月三日付けで従業員は解雇、 工場は閉鎖としたから、彼女たちには労働基準監督署から金がいっている。救済金だ 路った。 の いずれにせよ、これからは節約せんとな。 妻 私は自炊を決めた。米を買い、ガスコンロとキャンプ用の食器を購入した。食器は ゅ みそしる なべ 臨鍋の役目も兼ねたもの。米を炊き、野菜ばかりの味噌汁を作る。まな板はいらない。 段ボールの上で野菜を切る。釣り用のナイフが車にあった。 公園でひとりそうしていると、恥ずかしい。人目が気になる。車の中でするわけに もいかず、段ボ 1 ルで調理用の囲いを作った。風を遮り、これは重宝した。 始めた頃はカレーを作ったこともある。でもこれは手間がかかったので、その後、 しなくなった。余った米は握り、翌日用にした。野菜はキャベッひと玉あれば数日も ぜいたく ーで太巻きを買う。一本あれば、一日暮らせた。少しの贅沢は った。雨の日はスー 128
ざた 「それじゃ、事件沙汰になりますよ」 弁護士はそう忠告していた。 私は何も一言えなかった。保証人になってもらっている、迷惑をかけている、それだ けでも辛かった。穴埋めのため金を借りることを強要すれば、義兄のやっていること ) 、舌もできない。 は恐喝にもなりかねない。しかし、面と向かって意見できなし言 知らないところへ行くか 山妻の世話をしながら、私はそう考え始めていた。 どこかでもう一度、やり直そう。ひとみとふたりで。 私は身の回りのわずかな荷物を、車に積み込み始めた。夜中、ひとりで七尾のアパ ートを訪れ、少しずつ整理した。もう暮らしていないけれど、借金の関係上、完全に 富 、。午される範囲内で、私は必要なものだけポンゴに運んだ。 ーし , 刀ッば。し = = ロ 弓》払、つわけ・によ ) ゝ 「ちょっと用があってな、わしは退院には付き合えないわ」 娘にはそう言い含めておいた。 それからまもなくのことだった。私は再び七尾を後にした。 住居と職を捜す、そのための旅 「迎えに来るから」 127 つら
「すぐ手術したほうかいし。 医者は言、つ。 「相当、痛みがあるはずですが . 妻はずっと我していたのだった。私が留守の間、病院へ行くことになるのが嫌だ ったからだと言った。 「やつばり手術ということになれば、七尾のほうが安心やな」 もら 路紹介状を貰い、私たちは早々に七尾に戻った。 の 精密検査の結果、妻は手術をすることになった。 妻 心配いらん、悪いところをとるだけや」 ゅ 私はそう声をかけ、妻は手術室へ消えていった : その日から私は忙しかった。親族会議の結論通り、自己破産の手続きのため弁護士 と相談を始め、合間をみては病室を訪れていた。 義兄は連日、私を連れまわしていた。金策のため方々をまわり、頭を下げる。私に 融通した金だけでも回収したいのだった。甥も言っていた。 「貸した分だけでも、何とかならんかのー しかし自己破産を決めていながら、それ以上借金することは出来ない。 126
私は必すそう答えたものだ。 この一週間前、妻は検査のため福井の病院にいた。 顔色が悪すぎる。 金策に失敗し七尾に戻った私は、妻の様子が気になっていた。疲れとるだけかもし ため れん、まあ念の為ゃ。自分にそう言いきかせ、私は妻を病院に連れて行った。 もし入院とい、つことになると、七尾からは通い。 つらい。住まいもいっそ←倡井にしょ 山うかなどとも考え、身の回りの荷物も少し車に積んだ。 福井には妻の姉もいる。ちょうどいいじゃないか。そこで仕事が見つかれば、それ もいい。七尾にいるよりそのほうが気も楽だ。私はまだ妻の病状を楽観していた。 富妻はそれまでに、病気らしい病気に催ったことがなかった。ただ一年ほど前から具 合が悪いことは、私も知っていた。風邪をひいても治りが遅い。多少、貧血ぎみ。仕 事も休みがちだった。 「一度、診てもらったほうがええよ」 私は言ったことがある。ロ臭がする。妻は歯医者に行った。もちろん、歯は何とも ない。そのまま、うやむやになっていた。 福井の病院でレントゲンを撮ると、影が出た。 125 カカ
たばこ ホームレスのひとりが煙草の吸い殻を拾っていた。真っ黒な手で摘まみ、火を点け みんな事情があるんやろな。 けんおかん しかし私は、不思議と嫌悪感は覚えなかった。 「ホームレスより、少しいいだけの生活、か」 口にして、何だかおかしくなった。苦笑して息を吐く。 路 あん時も、そんなことを言っとったな。 旅 ひそ の 私は一一度目のひとり旅を思い返していた。それは妻の手術が終わった頃から、密か 妻 くに考えていたことだった。 死 「お母さん、悪いとこ、とれたよ」 妻は術後の経過もよく、こころなしか顔色も良くなったようだった。 「はよう、退院できるとええのにな」 七尾の病院。べッドに横になった妻は、繰り返しそうロにしていた。自分の病気の ことを質問するわけでもない。 「大丈夫や、お母さんは若いんやから、すぐや」 124
たど る。私たちは十 , ハ年前の社員旅行の思い出を辿っていた。 記意では近くに善光寺があるはずだ。そういえばあの時、境内で写真も撮ったじゃ ないか : 私たちは隣町の甲府に移り、善光寺を参拝した。 「善光寺いうたら、長野にもあるな」 参道を歩きながら妻に言った。 山「長野のほうが有名やねー 「ほんならひとみ、明日は長野へ行くかー 途中、甲府駅に立ち寄る。駅前の広場にホームレスが見えた。 富段ボールで作った家、そこで三人の男が座り込んで話していた。離れたところには 若い男、髪が伸び放題だった。 妻は駅のトイレに行った。私は妻を待っ間、じっと彼らを見つめていた。 最悪の場合、わしもああなるんやろか。 自分の姿がだぶる。そんなことを想像する。 マンをやっとればよかったんや。 あのままサラリー 思い返し、溜め息をつく。 123
「ひとみ、石和温泉は知っとるよな」 静岡から清水を抜け、私は妻に聞いた。 「前に行ったわ」 妻はすぐに答えた。 「前の工場の旅行や。沙織もおったやないの」 妻も覚えていた。私たちは五二号線を北上した。 そび 路切り立った山々が両側に聳えていた。クリーム色の車体を鈍く反射させ、富士川の みのぶ かじかざわますほ の 向こうを身延線が行く。富沢、中富、鰍沢、増穂 : : : 。山に囲まれた渓谷の道は続 ) 妻 ゅ 臨「オッサン、ここや」 妻が一軒の旅館を指差す。 「ここの旅館に泊まったわ 「そうや、そうや」 私も見覚えがあった。遠くから見て、すぐに間違いないと感じていた。車を降り、 あたりの路地を歩く。 おお ふえふきがわ 赤茶けた山並みを、厚ばったい雲が覆っていた。近くには笛吹川が静かに流れてい 122