見え - みる会図書館


検索対象: 死にゆく妻との旅路
61件見つかりました。

1. 死にゆく妻との旅路

カたい」、よくそうロにした。ティッシュの箱には崩れた文字が並んでいった。すべ てひらがなだった。 「ひとみ : おーろ 妻はすぐには答えられなくなっていた。焦点も隴げだ。 「ひとみ、一度でええから一緒に病院へ行こう。悪いところを診てもらおう。大丈夫 や、きっと、きっと治るから。ひとみはまだ若いんやから」 音妻がわずかに口を動かす。 「も、つええから の 妻はそう答えるようになっていた。 鈴「も、つ、最後になってもいいし そう言ったのは十一月の半ばだったか : 「一緒にいられればいい その一一一一口葉を繰り返すだけになった。 このまま終わらせてやりたい。 私はそう考え始めていた。 「転げまわるくらい痛かったら病院へ行こうな、ひとみ」 185

2. 死にゆく妻との旅路

っことなくほっんとあった。 初めて行く神社だった。車でまわっていて、そこにあることは知っていた。 町の小さな神社は混んでいた。しかし、待たされるようなことはなく、私は人波に 逆らわず、自然に流れのまま進んだ。 その年、私の初詣は静かに終わった。 山「すごいわ、ほら」 長野の善光寺へ向かう道、突然 、、バックミラーに富士山が映った。道路の真上、何 士 も遮るものがない。私は車を路肩に急停車させた。 「こんなところから見えるとは思わんかったな、ひとみ」 富 「ほんとやわ。きれいやなあ、富士山は」 妻も興奮していた。 「昨日は見えんかったからな」 するが 前の日、駿河湾の三保の松原に私たちは寄っていた。 「浜辺から見る富士は絶景やと、聞いたことがあるわ。行ってみようや」 「オッサン、楽しみやねー 133

3. 死にゆく妻との旅路

三月一一十日、七尾を出てからすでに二週間あまりが過ぎていた。広島から東城街道、 いずも 路出雲街道を北へ、私たちは鳥取を目指していた。鳥取で砂丘を見ようと妻と話した。 くらやみ とあたりはどっぷりと日が暮れていた。しかし、泊まる場所が見つからない。暗闇の 妻 中、私と妻は無言のまま、車を走らせていた。 ゅ 臨前方には、私のポンゴのヘッドライトの灯りだけが伸びている。対向車も通らない。 しんとした静寂が深々と私たちを包んでいた。 妻は何も見えはしない窓ガラスの外を向いていた。その横で、私はひとり思い出し ていた。 通り過ぎた風景、忘れられない顔か、フロントガラスの向こうに幻のように浮かん あれは富山にいた時だった。 ヾ」 0 第三章鳥取砂丘

4. 死にゆく妻との旅路

ところが、富士山は曇っていて見えなかった。 これはあかんわ。 三保の海岸も、松は枯れていて寂しいだけのところだった。妻はひとり離れ、海を 見ていた。私は妻を連れてきたことを、内心後海した。しかし、今日は富士山が見え る。しかもこんなにきれいに。 「よかったな、ひとみ」 あきら 路運が良かった。もう富士山を見ることはないかと、私は諦めていたほどだ。妻に見 とせることが出来た、私は感謝していた。 妻 山頂は雪で真っ白だ。青い空が晴れ渡る。私も妻もいつのまにか手を合わせ、富士 ゅ に向かって祈っていた。 にらさきすわ しおじり 甲府から韮崎、諏訪、岡谷、塩尻・ : 翌日、昼に松本を通過する。三月も明日までだ。七尾を出てからの走行距離が、ち ようどこの時二千五百キロを指していた。 五ヶ月ぶりや。 私は前年の十月に金策のため、ひとり長野を訪ねたことを思い返していた。あの時 やみくも は道を闇雲に走るだけで、何の成果もなく長野を去っている。 134 おかや

5. 死にゆく妻との旅路

へ 西 「結局、仕事は見つからなかったわー 自分の士尸が、 = 一一口い訳がましく聞こえた。 「住むところもや」 「どこでもええって」 妻はいくぶん、血色もよくなっていた。 「調子はええんか」 「ええよ」 「ほんとかー 私はまだ躊躇していた。妻は手術後、まだ三ヶ月も経っていない。身体の具合が完 約束した通りに迎えに戻ったものの、私は決 一全に良くなるまで養生したほうかいし めあぐねていた。 「オッサン : 十一歳年の離れた妻は、私をそう呼んだ。 「何や」 「一緒にいられるんだったら、それでええ」 明るい声だった。妻は笑いながらそう言った。

6. 死にゆく妻との旅路

冬 の 「ええ」 雪も降ったやろ。 奥さんやて、かわいそうやないのか 「わかっとりますー じゃあ何で。どうして病院へ行かんかった。 から 「けど、お金の問題も絡んどるし」 金がなかったんか。 あったんか。 「ええ」 い / 、らや。 「十万くらいは持っとりました」 十万持っとったんか。 「けど、それじや足りんと考えました」 しかしな、金の問題やないやろ。

7. 死にゆく妻との旅路

しゅんじゅん 京都から津幡の兄貴の家に向かう。その道すがら、私は相も変わらず逡巡を繰り返 していた。 あが 私はまだ足掻いていた。妻の手術後、仕事と住居を探し、先日まで再び家を出てい かな た。しかし、もうそれも叶わなかった。成果のないままに、妻を迎えに七尾に戻った。 そして今、妻と旅立ったものの、結局こうして引き返している。 やつばり戻って、親戚の世話になるしかないんか。自己破産するしかないんか へ運転席から早春の日本海が見えていた。加賀からは海沿いの道が続いている。私は しおけぶり ハンドルを握りながら、時々海に目をやった。荒波に波の花が舞っていた。潮煙が高 にく上がった。霧のように細かく。 これでええ、これでええんや。ひとみの身体のためにも、病院へ入れたほうが ええ。 金沢に入る。あと十五分も走れば、兄貴の家に着く。私は北陸自動車道を逸れ、金 うちなたまち 沢の隣にある内灘町に入った。 かほくがた 坂の上の道から河北潟が一望できた。穏やかな水面が広がっていた。 あれを行けば津幡や : ます 潟を突っ切って、真っ直ぐにアスファルトの道が延びていた。遠く山影のふもとに、 からだ

8. 死にゆく妻との旅路

けでなく、経営状態が良くないことも妻は知らない。私は悩みを打ち明けない、愚痴 をこばすことすらしなかった。 妻との関係も年に何度かだった。 妻は若かった。ダンス教室などにも通っていたから、私は一時浮気を疑ったことも ある。 それならそれでもええ。 山 私はそれくらいにしか、思っていなかった。事実であっても、かまわない。怒るつ , も、り・、もない 自由にすればええ。 富私はいつだって、そう考えていた : 翌日は一日中、亀岡市内をぶらぶらしていた。「サティ」を見たり、町を歩いたり。 特段、何をするわけでもない。妻とのんびり過ごしていた。 「よく『サテイ』、行っとったな」 「沙織とな」 「そんなに買うもん、あったんか」 115

9. 死にゆく妻との旅路

私は封筒に入った全財産を、テープル越しに妻に渡した。 夜になり、あたりは冷え込むばかりだった。暖房をつけていても、車外から冷気が 近づいてくる。 「お母さん、入ってきたらええ」 禾はいいから、お前だけでも風呂へ入ったらどうか、健康ランドを選んだのはその ためだ。私は何度も妻に勧めた。 路「暖まるから」 の 「ええって」 妻 これからなるべく、節約しなければいけない。仕事も住居もまったく当てがない。 ゅ ぜいたく ささやかな、妻へのサービスのつもり 臨だから初日だけでも、少し贅沢をしてほしい。 だった。 「オッサン : 「何や」 「またいなくなると違うか 妻がほっりと口にした。 「車を離れるのは心配や」

10. 死にゆく妻との旅路

私はそう思い込んでいた。実際は香川の丸亀だったが : 「オッサン、『サテイ』や . パーだった。そこだけ別世界のように、 妻が指差したのは、七尾にもある大型スー こうこう 煌々とライトが降っていた。 「こんなところにもあるんやな」 なっ 「何だか、懐かしいわ 山「ほんとや」 「七尾に帰って来たみたいやわ」 私は車を隣接する立体駐車場に入れた。 富「ちょっと見ていくか、 まぎわ 閉店間際の店内は活気があった。広いフロアに景気のいい音楽が流れ、売り子の声 が響いていた。にしそうに陳列台を見てまわる学生、カゴの中に山のように食料品を 載せている年配の女性、子供の手を引く若い女性。私は妻とゆっくりフロアを歩いた。 妻は洋服を見たり、手に取ったりしていた。私はその後ろをついてまわる。 「オッサン、これ買ってもええかな」 「ええさ、もちろん、好きだったら 107 まるがめ