外傷 - みる会図書館


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1. 死体は語る

これとは逆のケースもある。木工場でトラックから木材を降ろす作業中、ころげ落ちた木材が頭 に当たって死亡したという労災事故を検死した。しかし、外表に死因となるような外傷は見当たら けいずし けいつい ないので、監察医務院で行政解剖をしたところ、首の骨が折れた頚椎骨折、頚髄損傷であることが わかった。 頭に木材が当たって首の骨が折れるようなことは珍しい。頭部打撲によって頭蓋骨骨折を起こし て転倒するから、頚椎骨折は起こさないのが普通である。状況と解剖所見の間に矛盾が感しられた。 警察も再捜査をしたところ、昼休みに会社の階段を踏みはすして転落し、首をひねったことが判 明した。会社側は、残された妻子をふびんに思い、労災事故に置き換えようと、ロうらを合わせて いたのであった。 好意はわかるとしても、労災保険金を不当に得ようとする違法行為にほかならない。監察医は事 実を究明して、公正な社会秩序の維持に協力している。 このような場合、仕事を終えても満足感はなく、ただ重苦しい疲労感が残るだけである。 似たような交通事故を扱ったことがある。就寝中、突然うなり声をあげて息絶えた。五十歳、働 き盛りの大工さんである。解剖の結果、死因は求心性心肥大であった。ところが死亡の一カ月前、 発進した車のそばに立っていて、片足を轢過され中足骨亀裂骨折を起こした。入院こそしなかった が、副木をあて歩行不能で家の中での生活を余儀なくされた。妻と娘は、交通外傷が死因ではない

2. 死体は語る

われた。 陰部も耳と同じように、えぐられ、その周辺に出血はなく、現場にも血液の流出や血痕などは見 当たらない。 また池さんが犯人と格闘したような乱れや抵抗の様子もなく、防御創などもない。 やはり、死後何者かに切り取られたのであろう。その他、下腹部に線状の擦過傷が十数本縦に横 ふぞろ に不揃いに散在している。しかし、外観から死因になるような所見は見当たらなかった。 とりあえす、死因 聞き込みその他捜査状況からも、疑わしい点はなく、殺しの線も出てこない。 究明のため監察医務院で行政解剖をすることになった。解剖室のライトに照らし出された死体には、 監察医をはじめ立ち会いの警察官など十人近い人の眼が集中していた。 胸から腹へとメスが走る。 各臓器はかなり腐敗が加わっているものの、これという病変は見当たらない。ただ肝臓は肝硬変 ずがい があって、アルコール中毒を思わせた。頭蓋も開けられた。しかし、外傷や脳出血などもなかった。 無言のうちに解剖は進んでい 「これだ」 こうとう という監察医の声に、一同の眼はその方向に向けられた。喉頭部の気管の入り口に、クルミ大の 食物塊が詰まっている。カメラのフラッシュがたかれた。 団子のように丸まった食物塊をピンセットでほぐしながら観察する。マグロのブッギリのようで あった。これがのどに詰まって窒息したのだ。

3. 死体は語る

昭和四十年五月、ある大学のワンダーフォーゲル部が、新人強化訓練のため、奥秩父縦走コース に出発した。約三十キロの荷物を背負っての山道に、新入生たちは次々にへばって落伍し、先輩に 気合いを入れられ、集団暴行なみのシゴキを受けたのである。 そのため、新入生の一人は歩行不能となった。家族に連絡され、付き添われて帰宅した。家で寝 ていたが、二日後尿量が減少し、胸が苦しいと訴えた。三日目に無尿となり、嘔気、血痰をはき、 呼吸困難となって、五日目に入院したが、時すでに遅く、翌早朝急激な血圧低下から死亡してしま った。全身打撲による外傷性二次性ショックという診断であった。 でんぶ 検死すると、臀部を中心に広い範囲に強度の皮下出血と腫脹がみられた。頭部に損傷はない。素 人考えで、頭には脳があるから殴っては危険だ、臀部は筋肉だけだからと、そこを中心に殴る蹴る のシゴキが加えられたのであろう。 しかし、皮下、筋肉の出血が強度となると、ミオグロビンという物質が発生して腎臓につまり、 徐々に尿が出なくなり、尿毒症となって、腎不全から死に至ることがある。人間を教育するのに、 愛の頬ずり 152

4. 死体は語る

小さなアピール 辺は混乱していた。 しばらくして彼は、留守にした会社が心配になり、急いで引き返そうとした。その途中、大通り を小走りに横断中、タクシーにはねられ死亡したのである。 検死の結果、死亡の原因は交通事故による頭部外傷、死亡の種類は災害死と決定した。ところが 死体検案書 ( 死亡診断書 ) には、従業中か非従業中かの区別をすることになっている。 会社側の説明によると、夜間の宿直勤務は社内の安全確保が任務であるから、野次馬根性で火事 を見に行き、帰り道での交通事故は勤務放棄とみなされるので、非従業中と判断する、という厳し いものであった。 数日後、死亡者の妻が医務院にやって来た。夫は確かに勤務中、会社を抜け出したが、決して野 と申し出たのである。 次馬ではない。非従業中という会社の判断には承服できない、 奥さんの言うとおりである。そう思っても、私の一存で書類の訂正はできないので、労働基準監 督署に相談するようにと説明した。 数カ月後、会社側と争っていた家族から、お礼の電話が入った。それによると、労働基準監督署 は、宿直勤務について、確かに社内の安全確保が任務であるが、近所に火災が発生したような場合 は、火災の状況、風向きなどを観察し、自社への類焼の危険の有無などを判断する必要があるので、 と結論したとい、つことであった。 火事を見に行ったのは勤務の放棄ではない、

5. 死体は語る

しかし、医学的には二人はサディズムとマゾヒズムの関係にあったといわれている。異性を虐待 し精神的・肉体的苦痛を与えることによって、性的快感を覚えるのがサディズムで、その逆がマゾ ヒズムである。 男にサディズムの傾向が強いと、女は少なからすマゾヒズムに傾くといわれる。元来、女性は受 動的であるからマゾヒストが多い。しかし、吉蔵と定の関係は逆で、吉蔵が強いマゾヒスト、定は サディストであったとい、つ。 池さんの場合も、似たような背景が潜んでいるのであろうか。小屋の中は死体の腐敗臭が強烈で、 はいかし まともに息もできない。ウジ虫の徘徊もあって、つばを吐き、ゲーゲーやっている刑事もいる。鑑 識のカメラがフラッシュをたいたとき、小屋の隅にいた一匹の猫が驚いて逃げ出した。現場検証と 並行して、私服刑事の聞き込みがすみやかに行われていた。 監察医の出番である。 いくら慣れているとはいえ、このような現場は苦手である。臭くて、汚くて、たまったものでは ない。それにウジ虫の集団がうごめく様を見ていると、からだ中がザワつくような異常感が走って、 一一口 薄気味悪くなる。しかし、職務上手を抜くわけにもいかない。ゴム手袋をした刑事が、着衣をぬが っ 食せ全裸にする。大変な作業である。 人検死が始まる。頭部に外傷はない。首を締められたような痕跡も見当たらない。ただ右の耳たぶ がギザギザに切り取られたように半分なくなっているが、周囲に出血がないので、死後の損傷と思

6. 死体は語る

小さなアピール このようなケースは、高度な医学的判断が必要となるため、労働基準監督署は解剖した医師に意 ちゅうちょ 見を求めてくる。私たちは過労や前日の外カ作用が、発症を誘発したと思われる場合には、躊躇す ることなく、因果関係は十分考えられるとの意見書を数多く提出してきた。しかし、受け入れられ ることは、ほとんどなかった。 郵便の配達に出かけようと、いつものようにスクーターに乗って出発した。健康で持病もない五 十代半ば、べテランの配達員である。ところがその日、ペンキ塗装のために郵便局の出入り口には 作業用の横木が渡され、足場が組まれていた。その横木は、道路をへだてた前方の民家の塀の高さ にほば一致していたために、横木の存在が配達員の目には、非常に見えにくかったのである。スク ーターに乗ったまま、前額部を強打し転倒してしまった。 幸いへルメットをかぶっていたので、大したこともなく、仕事を続けてタ刻帰宅した。少し気分 が悪いと言って、好きなお酒も一合でやめ、早めに就寝した。 夜中の午前一時すぎ、突然ゥーツとうなり、息遣いが荒くなり、様子がおかしいのに気づいた妻 が、救急車を呼んだが、尸。 司こ合わなかった。 元気な人が、寝ていて夜中に突然死亡するようなケースは、異状死体扱いになり、監察医の検死 を受けなければならない。検死をしても、手にかすり傷程度の外傷しか見当たらす、顔や額に損傷 はなく、頭部にも変化はなかった。内因性急死 ( 病的発症による突然死 ) のように思われたが、前日

7. 死体は語る

ら外れて倒れている。なぜかまな板まで散乱していた。 小笛は男と乱闘の上、絞殺されたのち、首つり自殺のように鴨居にぶら下げられたものであろう との結論に達した。その証拠に前頚部下方の索溝は生活反応が強く絞殺時のもので、上方の索溝は 死後首つり状態にぶら下げたものであるから、生活反応は弱いと、鑑定した法医学者は説明してい この鑑定の是非を三大学の教授に検討してもらうため、再鑑定となった。二つの大学から、やは り偽装殺人であるとの肯定的意見が出されたが、一大学からは自殺で説明がつくという予想外の鑑 定結果が提出された。 それによると、小笛はマル火鉢にまな板をのせ踏み台にして、鴨居から首つりをした。しかし、 完全な宙づり状態にならす、わすかに足が床につくなどの姿勢 ( 非定型的縊死 ) となったため、頚部 圧迫による無呼吸状態から痙攣発作を生し、手足をばたっかせた。その痙攣で襖が破れ、敷居から / 笛の手足の外傷は 外れたり、火鉢やまな板を蹴とばす結果となって、現場は灰だらけになった。ト そのためである。また、頚部の索溝は下方で紐を巻き、首つりをしたが、死の直前の痙攣のため、 論紐が上方にすれたので、上方の索溝は下に比べて生活反応は弱いのだと解説した。 結 る 小笛の死体所見は、非定型的首つりの自殺の際の痙攣発作を考慮すれば、なにも偽装殺人と考え 異なくても、すべて説明はつくというのである。 自殺か他殺かーーー異なる結論に、世間も注目した。 けいれん かもい 201

8. 死体は語る

死体は病院やお寺などに運び込まれた。死体の損傷は著しく、そのほとんどが身元不明で、とり あえす番号札がつけられ安置された。 翌早朝、監察医務院では、日常業務の遂行者を除く全員が招集され、列車事故検死の特別班が組 織された。時間がたつにつれ、身内が駆けつけて身元は徐々に判明していった。轢過されて手や足 だけとなって発見された人体部分二十数個は、まとめて近くのお寺に安置されていた。警察や消防 の組織だった活動は見事であった。監察医は検死のため、警察官と一緒に病院やお寺に向かった。 列車にはねとばされて頭部外傷を生じたもの、轢過されたもの、そして転覆車両の下敷きになった せいさん ものなど、凄惨をきわめた。サイレンを鳴らした車は、まだ街を走り廻っていた。周辺の居住者は、 昨夜来一睡もできない状態であった。 遺体に腕が欠損している場合などは、遺族は警官に伴われて、人体部分の安置されたお寺に案内 される。係官が遺体に合致する腕を探して、引き渡されるのである。 それから一カ月あまりたって、混乱もおさまりかけたある日のこと、遺族から長い手紙をもらっ 。事故に遭ったのは一人息子である。東北の高校を卒業し、単身上京、二年後、仕事を覚え郷里 に帰り、父と一緒に働くことになっていた矢先に、事故に遭って右大腿部轢断、出血死したのであ 撃る。しかし、轢断された彼の右下肢は発見されぬまま、葬儀はいとなまれたという。 衝 以来、両親は息子の夢にうなされているという。事故に遭った死者はみな、三途の川を渡って行 くのに、息子だけは渡れすに川原を這い廻り、お父さん、お母さんと助けを求めている。その声が

9. 死体は語る

機することになった。数十人の死亡者が出ている模様である。検案は午後から、死体安置所に決ま った芝の増上寺で行うことになった。運び込まれた順に遺体にはナンバーが付けられ、検死が始ま ったのは午後の一時ごろである。 犠牲者は三十二人にも達する大惨事となった。初めの十数人は飛び降り外傷で死亡していた。続 く十人ぐらいは一酸化炭素中毒死であり、残る三分の一の人々は黒色炭化状態の焼死体であった。 高層ビルの窓から身を乗り出して火熱を避け、必死に救いを求めたがかなわす、ついに火炎にあ おられて飛び降り死亡した、あの映像は脳裏に焼きついて離れない。 一方、ホテルの中では煙の中を逃げまどい、一酸化炭素中毒で倒れた人もあり、火元に近い人た ちは識別もできないほど、真っ黒こげの焼死体になったのではないだろうか。 出勤前にテレビを見ただけで詳しいことはわからないが、運び込まれた順に検死をしているだけ で、火災のものすごさが手に取るように理解できた。検死後、黒こげの九体は検事の指揮で司法解 剖になった。 また、一酸化炭素中毒と思われた中の一女性を監察医の判断で、行政解剖することになった。理 段由は火傷が少ないうえ、死斑も一酸化炭素中毒特有の鮮紅色の度合が弱いこと、加えて彼女が倒れ のていたかたわらにハンドバッグがあり、その中のパスポートには国籍台湾、妊娠三カ月との記載が 生あったからだ。 死体の外表から、妊娠しているかどうかの区別はできかねたし、死因究明と個人識別をする意味 117

10. 死体は語る

死者との対話 私は医者になったとき、何科を専攻しようかと迷った。 おかしな話であるが、医学部に入るときは、無我夢中でただ医者になれさえすればと、それだけ を願っていたが、いざ卒業しインターンを終え、国家試験に合格してみると、さて何科を専門にし て自立したらよいのかわからなくなっていた。 へき地で医者をしていた父は、何科の区別など全くない何でも屋であった。肺炎、結核、腸チフ ねんざ ス、捻挫、骨折、切り傷のほか、中耳炎、トラコーマ、はたまたお産まで昼夜の区別もなく、地域 の患者は何でも診なければならなかった。重症者は、遠くの町の病院に送り込めばよい。いわば野 戦病院のような感しであった。 そんな環境の中で育った私には、医者が一つの科だけを専門としなければならないなどとは考え られなかった。しかし、医学を知るにつれ、一つの科でさえマスターするのが大変なのに、オール マイティーに患者を診るなどありえないことがわかってくると、悩みは深刻であった。 内科は外側から患者を診察して、中の病気を予測し、治療をするので難しい。重箱の外側を触っ