判断 - みる会図書館


検索対象: 死体は語る
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1. 死体は語る

見したのである。男は首つり自殺。女は糖尿病があり、解剖の結果、心筋梗塞の病死と判明した。 電話の女のことを思い出し、この事件と対比させたが、時間的に半年のズレがあり、状況からも 別件のようであった。愛するものの死を認めたくない、 いや、死んではいないという精神作用が、 このような行動になるのであろうか。 理解できないような事例は、はかにもある。脳出血で倒れ入院していた中年の男があった。妻は 宗教上の理由から、夫を無理やり退院させ、医療を打ち切り、自宅で他人を寄せつけず、病魔を追 きとう い払う祈蒔などを行っていた。しかし、妻の願いとうらはらに病状は悪化し、はば一週間後には死 亡したようであった。その後、遺体をワゴン車にのせ京都、奈良などの寺院を廻り、夫の安住の地 を求めて埋葬しようとしたが果たせす、数日後東京に戻ってきた。夫の友人が運転し、妻も同乗し てのことであった。その直後、妻は行方をくらまし、友人は困りはてて、警察に届け出たのである。 この行動は何だったのか。私にはわからない。しかし、夫の死体が検視の対象として届けられた 以上、これに対応し行政上あるいは司法上の結論を出さなければならない。 の ら 猿の母親が、死んでひからびたわが子を抱きかかえて、生活しているテレビを見たことがある。 、カ 者生きるものにとって、死を科学的にのみとらえることは、必すしも十分な対応ではないことを思い 殺知らされた。 165

2. 死体は語る

なぜならば、治療に当たった医師は、死因は火傷死とわかるであろうが、どうして幼女の背中に 熱湯がかかったのか、その理由まではわからない。家族や周囲の人の話を聞いて、医師が災害事故 死などと死亡の種類まで決めてしまうわけにはいかない。 やはり他人の秘密に立ち入って調べることのできる警察官の捜査によって、どのような状況、原 因があったかを調査しなければ、彼女の人権は擁護できないからである。 父親が区役所で受理されなかった死亡診断書を病院に持ち帰ってきたので、担当医も気がついた。 すぐに変死の届出がなされた。 監察医は補佐を伴って検案車に乗り込んだ。運転手は都内の地理に明るい。混雑した道を避け、 依頼のあった警察へ急行した。警察官に案内されて、病院の霊安室に入ると、遺体に目礼をした監 察医補佐は、幼女の着衣をぬがせ、ぐるぐる巻きの包帯をほどきはしめた。 立会官の捜査状況を聞きながら、監察医の検死が始まる。火傷を見て驚いた。背中にまるい火傷 があったからである。 母親は取り乱していて、詳しいことは聞き出せないが、ストープにぶつかり熱湯の入ったヤカン 対が落ちた自己過失に間違いないというのだ。それならば熱湯は不整形に背中に散らなければならな の 者 死 状況と死体所見が違うのである。誰かが嘘をついている。監察医の指摘によって、警察は捜査を しなおすことになった。 一一口

3. 死体は語る

重いガスが床面にたまって空気が上に押しやられ、酸素欠乏による窒息を起こすような状況ではな かった。ましてやプロバンは石炭ガスと違って、中毒を起こしにくい。 彼女の顔はうつ血が強く、点状出血が無数に出現し、首には不鮮明な索溝 ( ひものようなもので、 首を絞めた痕跡 ) がかすかに見られた。自殺か他殺かは別として、死因は頸部圧迫による窒息と思わ これまでにわかったことは、夫に愛人がいて、夫婦の仲は冷えきっており、昨夜も、夫は外泊し ていたことなどであった。 状況から、ゴムホースで自分の首を絞め、自殺 ( 自絞死 ) したとも考えられ、また死を確実にする ため、あらかしめガスを放出させていたのであろうとも思われた。 しかし、自絞死の場合、ゴムホースを首に巻き両端を引いて首を絞めるが、やがて意識を失うと、 握っていたホースを手放すことになる。その際、結び目がゆるめば彼女は息を吹き返してしまうが、 手を放しても結び目がゆるまず、首が締まったままであるならば、自絞死は成立する。 る ところが、本件には結び目はなかったのである。この所見から、監察医は自殺を否定し、絞殺の き可能性を主張した。大学の法医学教室で司法解剖をすることになり、結果はやはり頸部圧迫による 生 窒息死と診断された。 者 死 しかし、その手段、方法についてはわからないので、自殺、他殺の両面から捜査は開始された。 ます、夫が疑われ、取り調べを受けたが、彼にはアリバイがあった。その夜は愛人と二人で自宅

4. 死体は語る

腕や膝にも皮下出血などが散在していて、自殺や事故死と考えるよりも、殴る蹴るなどして、海に 突き落とされた可能性が強かった。 とりあえず、殺しということも考慮に入れ しかし、身元は不明でそれ以上の事情はわからない。 て、医務院で司法解剖をすることになった。 できし 死因は溺死であったが、血液の化学的成分を分析すると、淡水による溺死のデータが得られた。 海水で溺れると、海水中の塩分が血液に吸収されてナトリウム、クロールなどが著明に増加するが、 本件では逆に血液は水で薄められ、血中塩分は減少していた。つまり川などで溺れた後、東京湾に 流れついたと考えるべきであった。 そのころ、女の身元も判明した。夫婦げんかの末、夫に殴る蹴るの暴行を受け、彼女は死んでや ると一言いい残して、夜半に家をとび出したという。二日後、東京湾で発見されたが、彼女の家の 裏手は荒川の河口に近 く、ここで入水し大井ふ頭まで約十キロ漂流してきたのだ。殺人事件かと身 構えたが、 入水自殺であった。 発見された現場の状況などにとらわれす、事実を追い続けて真相が明らかになった。死体をくま なく検索して、医学的事実を明らかにし、これをもとに状況などと組み合わせて事件の真相を解明 しなければならない。そのためには、ます死体所見に精通した監察医あるいは法医学者が検死をす ることが朝亠ましい 検死だけで死因がわからなければ、容易に解剖できる監察医制度、あるいはこれに類似の制度を ひざ

5. 死体は語る

相続人 係は死亡届を確認した。死亡時間は夕刻になっているから正式に受理され、彼女は本妻に間違い ないという返事である。 収まりきれない身内の面々は、病院に押しかけた。主治医は内妻に頼まれるまま、死亡時間をす らしたことを認めた。医師は虚偽私文書作成容疑、内妻は同行使、公正証書原本不実記載容疑で警 察ざたになった。 医師は好意的に善意をもって希望どおりにしてあげたので、感謝されることがあっても恨まれる ことはないと思っていたのだろう。あまり罪の意識は感じていないよ、フであった。 ところが、結果は親切があだとなって、遺産相続という争いの原因をつくり、許されざる違法行 為をしたと指摘されてしまった。この事件は大事に至らす解決したが、珍しいケースであったため 大々的に報道され、医師の社会的評価を下落させた。 もっと深刻な事例がある。地下鉄工事中、夜中に地盤が沈下し、民家の下を走るガス管にひび割 れが生じ、生ガス ( 当時は石炭ガスを使用していた ) が家の中に充満して、爆発火災となった。 数軒が全焼した。やっとのことで鎮火したが、その焼け跡から一家五人が死体となって発見され た。両親と子供三人である。 検死の結果、父親と子供三人はあまり焼けていなかったので、充満した生ガスを吸って一酸化炭 素中毒死したものと推定され、母親は黒こげになっていたので、焼死という診断になった。父と子

6. 死体は語る

戸籍は抹消されている。 重要な書類をそう簡単に訂正することはできない。家庭裁判所で略式裁判が開かれ、死亡時間の 訂正理由を裁判官が認めてくれなければならないのである。結局、法的手続きを踏んで母親の死亡 時間は、他の家族と同じ時間に訂正された。 ところが今度は、母側から大反撃を受けたのである。強く主張すれば、死亡時間は動かすことが できるのか。医学とはそんなにいい加減なものかと、攻めたてられた。結局、このトラブルは法廷 に持ち込まれることになった。 もめにもめたこの裁判も、三年後、裁判長の和解勧告により、同時死亡で決着した。 当時、わが国は経済の高度成長期にあり、自動車をもっ家庭が急増した。働き続けた父親は休日 帰りは疲 にイむ間もなく、家庭サービスでドライプに出かけることか多くなった。行きはい ) が、 れているので、つい居眠り運転などから、大事故を引き起こす。即死するもの、救急車の中で死ぬ もの、病院で死ぬものと、死亡時間が違ってくる。最後に死亡したものの側に、遺産相続の権利が 生するために、肉親の間で死亡時間の判定をめぐる争いは絶えなかったのである。 人 中には、人工呼吸器をセットしたまま、死んでいるにもかかわらす、酸素を送り続けて、あたか 相も呼吸し生きているかのように見せかけ、あっちが死んだ、こっちも死んだと周囲の様子を伺い、 最後まで生きたことを確認してから、もう酸素を止めてくださいなどと、医師に指図をする者まで

7. 死体は語る

供は帰らなかった。 しかし、二年四カ月後の七月、ついに犯人を逮捕した。子供は誘拐したその夜のうちに絞殺し、 近くの寺の墓の中に捨て、隠した。自供に基づき、捜査員が墓石を取り除くと、骨壺のかたわらに 変わりはてた子供の死体が発見された。 死後変化がひどく、個人識別もできない状態であった。ただ子供のロの中から、十センチほどの 植物が二本芽を出していた。これがネズミモチである。 墓地での犯行の際、ネズミモチの種子が子供のロの中に入ったのであろう。それから二年と四カ 月後に発見された遺体のロの中で、ネズミモチが発芽していたのである。犯人の自供が嘘ではない ことを、この植物が実証していた。事件の本筋から外れた一粒の種子であったが、事件を振り返る と、実に大きな意味をもっていたことに気がつく。 ひき逃げ事件などでもそうであるが、現場のプレーキ痕、着衣に付着した車の塗料、タイヤマー ク、破損した車の備品の一部などから加害車両を特定することも可能であり、現場検証の重要さが 理解できる。 チ 溺死の場合にも同しようなことが言える。気管や肺に水を吸い込んで窒息するのが溺死である。 モ この水の中には、水中微生物であるプランクトンがいる。溺れている間に水とプランクトンは、肺 ネの血管から体に吸収されて、全身を循環する。その際、プランクトンは肝臓や腎臓などにひっかか る。解剖して、肝や腎などから多くのプランクトンを検出できれば溺死と診断する。 うそ 143

8. 死体は語る

どの部位であろうと殴る蹴るなどの暴行は許されない。 この事件は、司法解剖の結果などを踏まえ裁判官は、錬成の限界を越えるとして七被告全員を有 罪にした。しかし、被告たちは将来性のある青年たちであり、深く反省し大学当局とともに被害者 の家族に詫びて、その許しを得ている。遺族もまた、悲しみを乗り越えて被告たちを許しているの で、執行猶予になった。 最近、同しような事件があった。校則で禁止されているヘアードライヤーを使用したとの理由か ら、教師が生徒に体罰を加え死亡させるという、いたましい事件である。教育的懲戒と無縁の暴行 であるとして、体罰教師に懲役三年の判決があった。教育の場が傷害致死の現場になるなど、許さ れないことである。言っても一言うことを聞かないから、つい手が出てしまう。やられた方は、反抗 的態度に出る。頭にきた教師は暴行をふるう。口論からけんかへとエスカレートし、もはや先生と 生徒という関係ではなくなってしまう。 息子から聞いた話であるが、中学の音楽の先生が生徒への罰として、愛の頬ずりをするというの りである。人一倍ひげの濃い先生が、いたずら坊主を抱きかかえて頬すりをする。やられた生徒はタ 頬ワシでホッペをこすられるようで、痛い痛いと顔をのけぞって笑いだす。クラス全体が爆笑する。 愛すばらしい先生と生徒の関係だ。 動物などの訓練でも決して怒ったりはせす、かわいがり、芸ができると食べ物を与えながらやっ 1

9. 死体は語る

らは、充満した生ガスを吸って死亡したが、母はその間生存し、爆発火災になってから焼け死んだ と考えられた。 そのため、監察医の発行した母親の死体検案書 ( 死亡診断書 ) の死亡時間は、他の家族よりも十分 遅れた時刻が記入されたのである。 検死後一カ月ほどたったある日のこと、父側の遺族が大挙して監察医務院にやって来て、検死を した監察医に詰め寄ったのである。同じ状況下で事故に遭ったのに、なぜ母親だけが十分遅れて死 亡したのか。そのためにわれわれは、大変な損害を被っている。医学的根拠を示せ、と言うのであ る。 この一家は何の過失もなく平穏に暮らしていたが、すさんな工事のために、一家五人の命と家屋 を含めたすべての財産が灰になったのである。 ばくだい 過失責任者は、これらの人々に莫大な損害賠償金を支払わなければならない。支払いを受けるべ き父と子らは先に死に、その際母のみが生きていたので、権利は母に引き継がれる。そして十分後 に、母も死亡した。するとその賠償金の大半は、法律上母側の遺族が受け取ることになる。結婚し て十年足らすの間に、財産の大半は母側へ行ってしまう。 収まりきれないのが、父側の親兄弟である。医学的根拠を示せといっても、この十分差を明確に 区別し、説明することはできない。監察医も困り果てて、死亡時間を父や子と同し時刻に訂正した かった。しかし、発行された死体検案書は戸籍係に受理され、しかも焼死という死の事実によって

10. 死体は語る

死体は病院やお寺などに運び込まれた。死体の損傷は著しく、そのほとんどが身元不明で、とり あえす番号札がつけられ安置された。 翌早朝、監察医務院では、日常業務の遂行者を除く全員が招集され、列車事故検死の特別班が組 織された。時間がたつにつれ、身内が駆けつけて身元は徐々に判明していった。轢過されて手や足 だけとなって発見された人体部分二十数個は、まとめて近くのお寺に安置されていた。警察や消防 の組織だった活動は見事であった。監察医は検死のため、警察官と一緒に病院やお寺に向かった。 列車にはねとばされて頭部外傷を生じたもの、轢過されたもの、そして転覆車両の下敷きになった せいさん ものなど、凄惨をきわめた。サイレンを鳴らした車は、まだ街を走り廻っていた。周辺の居住者は、 昨夜来一睡もできない状態であった。 遺体に腕が欠損している場合などは、遺族は警官に伴われて、人体部分の安置されたお寺に案内 される。係官が遺体に合致する腕を探して、引き渡されるのである。 それから一カ月あまりたって、混乱もおさまりかけたある日のこと、遺族から長い手紙をもらっ 。事故に遭ったのは一人息子である。東北の高校を卒業し、単身上京、二年後、仕事を覚え郷里 に帰り、父と一緒に働くことになっていた矢先に、事故に遭って右大腿部轢断、出血死したのであ 撃る。しかし、轢断された彼の右下肢は発見されぬまま、葬儀はいとなまれたという。 衝 以来、両親は息子の夢にうなされているという。事故に遭った死者はみな、三途の川を渡って行 くのに、息子だけは渡れすに川原を這い廻り、お父さん、お母さんと助けを求めている。その声が