機することになった。数十人の死亡者が出ている模様である。検案は午後から、死体安置所に決ま った芝の増上寺で行うことになった。運び込まれた順に遺体にはナンバーが付けられ、検死が始ま ったのは午後の一時ごろである。 犠牲者は三十二人にも達する大惨事となった。初めの十数人は飛び降り外傷で死亡していた。続 く十人ぐらいは一酸化炭素中毒死であり、残る三分の一の人々は黒色炭化状態の焼死体であった。 高層ビルの窓から身を乗り出して火熱を避け、必死に救いを求めたがかなわす、ついに火炎にあ おられて飛び降り死亡した、あの映像は脳裏に焼きついて離れない。 一方、ホテルの中では煙の中を逃げまどい、一酸化炭素中毒で倒れた人もあり、火元に近い人た ちは識別もできないほど、真っ黒こげの焼死体になったのではないだろうか。 出勤前にテレビを見ただけで詳しいことはわからないが、運び込まれた順に検死をしているだけ で、火災のものすごさが手に取るように理解できた。検死後、黒こげの九体は検事の指揮で司法解 剖になった。 また、一酸化炭素中毒と思われた中の一女性を監察医の判断で、行政解剖することになった。理 段由は火傷が少ないうえ、死斑も一酸化炭素中毒特有の鮮紅色の度合が弱いこと、加えて彼女が倒れ のていたかたわらにハンドバッグがあり、その中のパスポートには国籍台湾、妊娠三カ月との記載が 生あったからだ。 死体の外表から、妊娠しているかどうかの区別はできかねたし、死因究明と個人識別をする意味 117
で解剖しなければならなかった。警察もそれを望んでいた。すべての検死が終わったのは、夕方の 五時ごろである。 翌朝、彼女の行政解剖が監察医務院で警察官立ち会いで行われた。外表の火傷の範囲は狭く、ま た生活反応も弱いので、この火傷は死因にはならなかった。気管には黒いすすがべっとりと付着し、 火災の中で呼吸し生存していたことが裏付けられた。化学検査で、血中一酸化炭素へモグロビンは 七五 % にも達していた。いうまでもなく、死因は一酸化炭素中毒である。 そして、子宮には四カ月半の男性胎児を宿していた。。ハスポートの女性にほば間違いなかった。 二日後、台湾から家族が日本にやって来た。その人たちは、なぜわれわれ家族の承諾もなしに解 剖をしたのかと激怒した。宗教上あるいは思想上の違いであろうか、解剖をことのほか嫌うのであ る。行政解剖の法的根拠から説明した。 しかし、死んだ人が生き返るわけではないし、死んだ人を再び殺すようなむごいことをする必要 はないではないかと反発した。法律上は家族の承諾なしに行えるが、行政官として私たちは、なぜ 解剖をするのかを十分説明したうえでことを運んでいる。家族の気持ちはわかるが、なにも好き好 んで解剖をしているわけではない。死者の生前の人権を擁護するために行うもので、遺族の納得を 得たうえで解剖しているのが現状である。 この場合は、彼女の身元は不明であったし、。ハスポートの女性であるか否かの識別が必要であっ たから、解剖を拒否すること自体、無理なのである。 118
警察官に案内されて、マンションの一室に入ったとき、まだ部屋の中はガス臭がたちこめていた。 当時は石炭ガス ( ) を使用していたので、現在の天然ガスと違い、生ガスを吸うと一酸化炭素 中毒から死の危険につながった。あまり苦痛を伴わず安易にできる自殺と思われてか、睡眠剤に次 いで多い手段であった。 ドに、男と女の頭だけが見える。掛け布団の赤い花模様が、事件を象徴しているかの ダブルべッ ようであった。長いゴム管が女の口元まで引き込まれている。布団をはがすと、ピンクのネグリジ 工を着た女は横向きに、浴衣の寝巻きを着た男は仰向けになって死んでいた。心中のなまめかしさ がただよっている。 現場の状況は、逐一鑑識係のカメラにおさめられる。監察医の検死には、風情も情緒もない。た だ二人が、なぜこういう結果になったのかを冷静に観察し、死因が何であるのかを医学的に解明し、 死亡時間の推定などを行うのである。 このような仕事をしているので、初体面の人は、珍しい医者もいるものだと思うのか、 「死体を検死したり、解剖して気持ち悪くないですか」 と、よく質問されるのである。 中 即座に、私は、 坂 赤「生きている人の方が恐ろしい」 と、答、疋ることにしている。
そのときのやりとりが面白い。病気を治したいから医者にかかるのと同しで、女になりたいとい う強い願望のために手術をしたので、この手術は違法ではないと反論していたのである。 俗にフタナリ ( 真性半陰陽 ) の場合は、両性を持っているので、本人の希望により、睾丸を除去す れば女性になり、卵巣を除去すれば男性になれる。しかしそれと違って、奇形でも何でもない健康 な男性の体から、睾丸などを除去し、あたかも女性のように形成するのは、たとえ本人の希望であ っても、わが国は医療とみなさないのである。 ところが、法律で禁じられても、希望者は遠く海外に飛び、手術可能な国で形成してくる始末で ある。法律そのものではなく、法の精神が理解され、生かされなければならないのにと、歯がゆく 思、フのである。 赤坂で、失恋した女がガス自殺をした。遺書もあり、「彼は、私を捨ててほかの女と結婚してしま った」という、いわばありきたりの失恋自殺であった。 一酸化炭素中毒特有の鮮紅色の死斑が出現し、死因は明らかであった。検死を終え、いざ死体検 案調書 ( 臨床医のカルテに相当する ) を作成しようと死者の住所、氏名などを立会官から聞き、記載し ていたところ、名前は男なので 「名前ですよ」 と念を押すと、立会官はニャニヤしながら、「先生、男なんです。とりあえす、何も言わずに先生 リ 6
相続人 係は死亡届を確認した。死亡時間は夕刻になっているから正式に受理され、彼女は本妻に間違い ないという返事である。 収まりきれない身内の面々は、病院に押しかけた。主治医は内妻に頼まれるまま、死亡時間をす らしたことを認めた。医師は虚偽私文書作成容疑、内妻は同行使、公正証書原本不実記載容疑で警 察ざたになった。 医師は好意的に善意をもって希望どおりにしてあげたので、感謝されることがあっても恨まれる ことはないと思っていたのだろう。あまり罪の意識は感じていないよ、フであった。 ところが、結果は親切があだとなって、遺産相続という争いの原因をつくり、許されざる違法行 為をしたと指摘されてしまった。この事件は大事に至らす解決したが、珍しいケースであったため 大々的に報道され、医師の社会的評価を下落させた。 もっと深刻な事例がある。地下鉄工事中、夜中に地盤が沈下し、民家の下を走るガス管にひび割 れが生じ、生ガス ( 当時は石炭ガスを使用していた ) が家の中に充満して、爆発火災となった。 数軒が全焼した。やっとのことで鎮火したが、その焼け跡から一家五人が死体となって発見され た。両親と子供三人である。 検死の結果、父親と子供三人はあまり焼けていなかったので、充満した生ガスを吸って一酸化炭 素中毒死したものと推定され、母親は黒こげになっていたので、焼死という診断になった。父と子
生きている人は、痛いとかかゆいとか、すぐに文句を言う。そして何よりも死ぬ危険があるので、 私にとっては、生きている人を診るよりは死体の方がはるかに気が楽なのである。 死体がこわいとか、気持ちが悪いという感覚は、医学を志したときからすでに持ち合わせていな かったような気がする。 べッドの二人を全裸にして、死体をくまなく観察する。手足の関節に軽度の硬直があり、背中に は鮮紅色の死斑があった。まだ死体には、ぬくもりがある。死後、五ー六時間、たっているようだ。 二人は疑 ガス中毒の死斑は、鮮紅色をしているので、赤褐色の他の死因とはすぐに区別はつく。 いもなく一酸化炭素中毒死であった。そのとき、女の枕の下から二通の遺書が発見された。一通は 母親宛であり、あとの一通は何やら男の名前が書いてある。 どうきん 警察官の調べが進むにつれ、遺書の宛名の男というのは、女とここに同衾し、死亡している男で あることがわかって、びつくりした。一体どうなっているのだ。 ・ツドの中で死んでいる 遺書を遺して自殺するのはわかるとしても、なぜその男が自殺した女のヘ のであろ、つか。 以前、似たような事件があった。アバートで一人暮らしの女がガス自殺をした。届けを受けた警 察では、事実の確認と型通りの捜査をすませ、明日監察医の死体検案 ( 検死 ) があるから、それまで 現場をそのままにしておくようにと、家主に頼み鍵をかけて部屋の出入りを禁止した。
ワーテルローの戦いに敗れたナポレオンは、セントヘレナ島へ流され一八二一年に死亡した。当 ひそ がん 時、胃癌で死亡したといわれていたが、二十数年前、ナポレオンの毛髪から高濃度の砒素が検出さ れたため、毒殺説が出された。それによると、フランスのモントロン伯爵が、ナポレオンの復活を 恐れて殺したのではないかとの推測になっている。 砒素はその昔、毒薬の王といわれ大きな役割を演じていた。無臭、無味、少量で毒性を発揮し、 他人に感知されにくい薬物であったから、当然であったろう。急性中毒の場合は、嘔吐や下痢が激 しく、脱水症状から、痙攣を起こし数時間のうちに死亡する。コレラに非常によく似た症状でもあ とうつう った。粘膜や皮膚からも吸収され、慢性中毒になると、多発性神経炎から疼痛、下肢の麻痺、皮膚 の発疹などが現れる。 毛 わが国でも、昭和三十年、西日本を中心に、人工栄養児に限ってやせ衰えが目立ち、貧血となっ の 髪て発熱し、発疹や皮膚に褐色色素沈着が現れ、死亡するなどの奇病が続出した。調査の結果、粉乳 製造の過程で砒素が混入したことがっきとめられた。有名な森永ドライミルク事件がこれである。 髪の毛 けいれん 107
砒素は肝臓などのほか、骨や毛にも沈着する。今でこそ、砒素の使用は厳しい制限がしかれてい るが、十九世紀当時は薬、化粧品、塗料などに幅広く使われていた。とくに壁紙に塗られた砒素が 気化して、中毒するケースが多く、死亡した人もあったという。ナポレオンの部屋にも、バラの花 模様の壁紙が貼られ、砒素が使用されていた。 最近ナポレオンの毛髪が再検査された。それによると、砒素はごくわすかで、アンチモンが多量 に含有されていることがわかった。十九世紀には、アンチモンも薬として多用されていたから、毛 髪から検出されて不思議はなかった。したがってナポレオンが砒素に冒されていたとしても、軽症 で致死量になるはどのものではなく、毒殺説は否定された。 二十数年前の分析技術では、砒素とアンチモンの区別が十分ではなかったため、高濃度のアンチ モンを砒素と判断して、毒殺説が出てきたのである。結局、ナポレオンの死因はふり出しに戻った。 一本の毛、しかも一七〇年も前の歴史上の人物についての論争であることを思うと、科学のすば らしさはともかく、英雄なればこそであり、興味は尽きない。 毛髪からどんなことがわかるかというと、ます、人獣毛の区別をする。人毛であるとなれば、発 生部位、性別、年齢の推定、毛髪の損傷 ( パーマをかけているか否かなど ) 、散髪後の日数推定、抜去 毛か脱落毛か、脱毛の原因、血液型、毛髪の微量含有物質など、かなりのことがわかるので、個人 識別をすることも可能になる。 だから、たとえば食べ物の中に自分の毛髪を入れ不衛生だと食堂をおどすようなことがあったと 108
、弓、というのは、飲酒の経験を積んだか否かによるもので 酒に強い人と弱い人がいる。強いとカ弓し はなく、先天的要因によることが最近わかってきた。 体の細胞の中にアセトアルデヒド脱水素酵素という物質がある。この酵素が活発に働く人と、働 きの弱い人が、生まれつきの遺伝で決まっている。酵素活性の強い人が酒を飲むと肝臓でアルコー ルはアルデヒドに分解され、さらに酢酸と水に分解されるので酔わない。活生の弱い人はアルデヒ トの分解が不十分で、血液中にアルデヒドが出回り、酔いの症状が現れる。 前者は酒を飲んでもあまり酔わす、酒のうまさがわかってアルコール依存症になる傾向がある。 後者は飲酒を重ねても、それほど強くはなれない。 飲酒経験の浅い若者がコンパなどで、先輩から飲め飲めとすすめられるまま、ロあたりがよいの で短時間に大量飲むと、あとでアルデヒドが分解されす血中に多量出回り、急性アルコール中毒症 から心不全をきたして急死するなどの危険が起こる。 多量の飲酒 ( 四合以上 ) を毎日続けていると、肝臓は脂肪肝から肝線維症となり、やがて治ること アルコール依存症 192
夢の殺人 戦後の混乱期にヒロポン ( 覚せい剤 ) が出回った。習慣性があり、慢性中毒になると幻視、幻聴、 被害妄想などが出現し、そのための犯罪も多発した。 工員もひどい中毒になっていた。ある日、寝ている妻の首を絞め自宅に放火したが、大事に至 らす殺人、放火未遂に終わった。 精神鑑定の結果、強度のヒロポン中毒による被害妄想と診断され、法律上は心神喪失と判定され て、責任能力なしということで不起訴処分になった。 心神耗弱と判断されれば、刑は減刑されることになっている ( 刑法第三九条 ) 。それから十年、は ヒロポンをやめ再婚し、会社に勤めていた。ある日、単車に乗り仕事中タクシーと衝突、下腿骨折 を起こして右足は曲がってしまった。傷害補償金をもらい治療を打ち切ることにしたが、妻は一時 金をもらったあと会社をクビになったら、歩行不自由な人を使ってくれる職場はほかにないと強く 反対した。 貧しかったから、一時金には未練があった。は迷いに迷って精神不安状態になっていた。その 186