判断 - みる会図書館


検索対象: 死体は語る
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1. 死体は語る

小さなアピール 辺は混乱していた。 しばらくして彼は、留守にした会社が心配になり、急いで引き返そうとした。その途中、大通り を小走りに横断中、タクシーにはねられ死亡したのである。 検死の結果、死亡の原因は交通事故による頭部外傷、死亡の種類は災害死と決定した。ところが 死体検案書 ( 死亡診断書 ) には、従業中か非従業中かの区別をすることになっている。 会社側の説明によると、夜間の宿直勤務は社内の安全確保が任務であるから、野次馬根性で火事 を見に行き、帰り道での交通事故は勤務放棄とみなされるので、非従業中と判断する、という厳し いものであった。 数日後、死亡者の妻が医務院にやって来た。夫は確かに勤務中、会社を抜け出したが、決して野 と申し出たのである。 次馬ではない。非従業中という会社の判断には承服できない、 奥さんの言うとおりである。そう思っても、私の一存で書類の訂正はできないので、労働基準監 督署に相談するようにと説明した。 数カ月後、会社側と争っていた家族から、お礼の電話が入った。それによると、労働基準監督署 は、宿直勤務について、確かに社内の安全確保が任務であるが、近所に火災が発生したような場合 は、火災の状況、風向きなどを観察し、自社への類焼の危険の有無などを判断する必要があるので、 と結論したとい、つことであった。 火事を見に行ったのは勤務の放棄ではない、

2. 死体は語る

嘘 仕事中、棚から工具を降ろそうと踏み台の上に乗ったが、足場が悪かったため前のめりに転倒し た。はすみがついて倒れ、床にあった石ノミがわき腹に刺さってしまった。すぐ病院に収容され、 開腹手術が行われた。小腸に小さな刺創があって、腸内容がもれ、治療をしたが経過はおもわしく なく、腹膜炎を起こして六日目に死亡した。 医師は、災害事故による急性化膿性腹膜炎と診断して、死亡診断書を発行した。業務中の事故で あるから、労災保険の適用になるので、事故の確認をとるため警察に届け出た。捜査の結果、事故 の発生状況に間違いないと判断された。 しかし、このケースは単なる病死ではない。石ノミが腹に刺さって腹膜炎を起こした外因死であ つまり、臨床医の るから、監察医制度のある地域では監察医の死体検案を受けなければならない。 死亡診断書ではなく、監察医交付の死体検案書になるのである。 翌日、検死をする手はすになった。その夜、警察に、 との匿名の電話が入った。検死、解剖の結果と合わせ、厳しい調査をしたところ、同僚と口論け んかとなり、果物ナイフで刺されたことが判明した。臨床医はもちろん、警察までだましていたの が妻の言いなりに脳溢血、病死という死亡診断書を交付していたら、事件は闇に葬られていたであ ろ、つ。 「本当は、けんかで刺されたのだー 179

3. 死体は語る

植物状態患者というのは、脳の周辺部がダメージを受けて、意識はなく昏睡状態になっているが、 中心部すなわち植物神経系 ( 自律神経 ) の中枢にはダメージがないので、生きるための最低限の機能 は保たれている。つまり深い眠りと同じ状況と田 5 えばよいわけで、寝ていても心臓は拍動し、呼吸 もし、消化、吸収なども行っている。いわば植物的な生き方をしているのである。 アメリカにカレン事件というのがあった。一九七五年、二十一歳のカレン嬢は友人の誕生パーテ ィーで酒と睡眠剤を飲み、意識不明となった。以来半年以上も昏睡状態を続けた。人工呼吸器を取 り付け、生命を維持したが、主治医から回復の見込みはないと宣告された。 両親は不自然な方法で死を延ばすより、装置をはすして神の御心に任せたいと医師に頼んだが、 受け入れられなかった。両親は判断を裁判所に求めた。しかし、州の高等裁判所は「苦しんでも生 きよ」と判決した。 娘の死を願う両親の真意は十分理解できるが、裁判所がその言い分を認めなかったのは、死の判 定基準があったからである。医学的に脈拍、呼吸、脳波が生の状態にある以上、装置の取り外しは 殺人行為にあたるとして、裁判所が取り外しを許可することはできないと判断したからであった。 州の最高裁判所から条件つきで「尊厳をもって死ぬ ところが事故より一年後、ニュー 権利」を求めていた父親の主張が認められた。医師の同意があれば、カレンさんを生かし続けてい る人工呼吸器を止めてもよいと判定したのである。カレンさんは間もなくセットを取り外されたが、 170

4. 死体は語る

夢の殺人 戦後の混乱期にヒロポン ( 覚せい剤 ) が出回った。習慣性があり、慢性中毒になると幻視、幻聴、 被害妄想などが出現し、そのための犯罪も多発した。 工員もひどい中毒になっていた。ある日、寝ている妻の首を絞め自宅に放火したが、大事に至 らす殺人、放火未遂に終わった。 精神鑑定の結果、強度のヒロポン中毒による被害妄想と診断され、法律上は心神喪失と判定され て、責任能力なしということで不起訴処分になった。 心神耗弱と判断されれば、刑は減刑されることになっている ( 刑法第三九条 ) 。それから十年、は ヒロポンをやめ再婚し、会社に勤めていた。ある日、単車に乗り仕事中タクシーと衝突、下腿骨折 を起こして右足は曲がってしまった。傷害補償金をもらい治療を打ち切ることにしたが、妻は一時 金をもらったあと会社をクビになったら、歩行不自由な人を使ってくれる職場はほかにないと強く 反対した。 貧しかったから、一時金には未練があった。は迷いに迷って精神不安状態になっていた。その 186

5. 死体は語る

出てきたという。何をか言わんやである。 そこで、裁判長はこの事件を契機に、同し状況下で死亡事故が発生した場合、家族間で多少死亡 時間が違っていても、遺産の相続に当たっては、同時死亡と同じに扱うという判断を示したのであ る。以来、わが国ではこの種の裁判は急に減ったと聞いている。 今、注目されている脳死の問題でも、どの時点で死亡とするか論議されているところである。死 亡時間という医学的判断が、利害やその他の理由のために、工作されてはならない。一通の診断書 にも、それなりの重みがあるのである。 100

6. 死体は語る

監察医の行う行政解剖の中には、労災事故に関するものが多々ある。これらは労働基準法によっ て補償されているが、過労などから脳出血や心筋梗塞などで急病死したような場合には、業務内容 と発症の因果関係が不明確との理由で、補償されることはなかった。 また、業務中転落するとか、頭部に打撲を受け、その時点では大したことはなく、仕事を終えて 帰宅したあと、就寝中に突然発作を起こして急死するような場合がある。解剖による死因は、、い肥 りゅう 大を伴う急性心臓死だったり、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血などで、病死と診断される。 しかし、家族は死因が病死であっても、前日の外カ作用に起因する労災事故がらみの死亡であろ う、と主張する。一家の働き手を失った家族にとっては、当然のことである。 勤務中の災害事故死であれば、殉職扱いで労災保険の適用となり、日給の千日分が補償金として 家族に支払われる。労災か否かの判断は、検死や解剖をした監察医が行うものではなく、状況を捜 査した警察官の判断でもない。事業所の経営者が判断したものを労働基準監督署の同意を得て、最 終的に決定されるのである。 小さなア。ヒール こ、っそく

7. 死体は語る

ーダーといわれたある大物国会議員が、首つり自殺をした。しかし、自殺では世 日本のニュー 間体が悪いので病死にしようと工作した事件は、あまりにも有名な話である。関係者の気持ちはわ かるが、そのこと自体が大きな犯罪であるという認識が薄いように思われる。 死亡診断書は、社会的に医師を含めて、単に死亡の原因が記入されている書類ぐらいにしか理解 されていないのだろう。ところが、そうではないのである。関係者は、虚偽の診断書を得るために、 医師に頼み込んだ。それが虚偽私文書作成教唆罪となり、診断書を書いた医師は同作成罪、市役所 の戸籍係にこの診断書を提出した秘書は同行使罪となったのである。 これによっ なぜならば、死亡診断書は医師が判断した死亡原因を記入するだけのものではない。 て戸籍は抹消され、法的にも生きているすべての権利を失うことになり、遺体は火葬埋葬が許され 信る。その他、死亡の種類が自殺か他殺か災害死かなどの区別 ( 警察の捜査による ) によって、生命保 不険や補償などの支払い額が違ってくるからである。また、死亡時間は遺産相続などと密接な関係が あり、診断書の法的、社会的役割は大きい 101

8. 死体は語る

死者の人権を守れ 人生を存分に生き抜いた人には、死んだ後のことなど関心はないかも知れない。周囲の人たちも ただ安らかに葬ってあげたい気持ちでいつばいであろう。しかし、死者の検死や解剖を仕事とする 監察医の立場から、死後の事情について一言、説明を加えたい。 わが国では死んだ場合、ます病死 ( 自然死、主治医が死亡診断書を発行する ) と犯罪死 ( 検事の指揮 下で司法解剖する ) に分けられる。 しかし、その中間に医師にかからすに突然死したり、自殺、災害事故死、あるいは病死なのか犯 罪に関連があるのか不明の、疑わしい死に方がある。これらは異状死体 ( 不自然死あるいは変死体 ) 守として警察に届けられ、警察官立ち会い ( 警察の検視は死体を含めあらゆる状況まで見、調べるので判断 を 権の中心は法律である ) で医師の検死 ( 死体を検査し、死因を調べるので判断の中心は医学である ) が行わ 人 のれる。この異状死体の扱いを制度化したものが、監察医制度である。 死 死体解剖保存法第八条に基づき、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の五大都市において施行され ている。検死のみで死因がわからなければ、行政解剖をしてこれを明らかにし、病死か犯罪死か、 205

9. 死体は語る

安楽死 、犯行当時の状態は心神喪失と言うべきで、刑事責任を受ける能力に欠けると判断された 為であり からである。 また、名古屋高等裁判所での安楽死にかかわる裁判も、同じようなケースである。五十二歳の父 親が病気で苦しみ、医師から身内にはあと一週間の命であると宣告されていた。息子は、父の苦し みを見かねて、牛乳に農薬を入れて飲ませ、死なせてしまった。 一審では尊属殺人として三年六カ月の判決を受けたが、二審では嘱託殺人と判断され、懲役一年、 執行猶予三年となった。 当時、検察側はこの事件は尊属殺人であると主張したが、弁護側は安楽死の立場をとって対抗し た。名古屋高裁は、この問題と真正面から取り組み、安楽死の法的原則ともいえる考え方を示した のである。 曰病人が現代医学の知識と技術からみて、不治の病いにおかされ、死が目前に迫っていること、 苦痛が誰でも見るに忍びないほどひどいこと、国病人の苦しみの緩和が目的であること、四病人 の意識が明らかで意思の表明ができる場合には、本人の真意からの嘱託または承諾のあること、国 医師の手によること、できない場合はうなすける十分な理由のあること、因死なせる方法が倫理的 この六条件をすべて満たすならば、安楽死は容認されるであろうというのだ。 に妥当であること つまり、医師の手によらなかったこと、死なせる しかし、本件では国、因の条件を欠いていた。 方法が一般に苦痛を和らげる方法として認められていない農薬という殺虫剤を使用していることな

10. 死体は語る

ともかく、医師と歯科医師しか交付できな そこまで医師自身も理解していないのかも知れない。 い死亡診断書。虚偽の記載など許されることではない。社会的にも医師という職業は信頼され、こ の業務を任されたのであろうから、それを裏切るような行為があってはならない。そんなことをし ていると、医師全体の信頼を失うことになる。 ある精神病院の入院患者が突然、行方不明となった。二日後、裏山で死亡しているのを関係者に よって発見された。 病院側は、管理責任は免れないと思ってか、警察に変死届をせす尿毒症、病死という死亡診断書 を発行した。 連絡を受けた家族が病院へ来て、このいきさつを知り、不満をぶちまけたため、警察ざたになっ た。院長は調べに対し、患者には尿毒症があったので、これが原因で裏山で心臓衰弱のため死亡し たと判断したから、変死とは考えす警察には届けなかったと弁明した。 入院患者が病院を抜け出し、行方不明になること自体おかしなことである。さらに二日後、山の 中で死亡しているのが発見され、何の不審も抱かすに病死として葬ったのでは、医師としてあまり にも勝手すぎるのではないだろうか。 たとえ病死にせよ、病院から裏山へ、そして死亡と、この過程を明らかにするためにも警察に捜 査を依頼し、不安を取り除く努力をしなければ、もの言わすして死亡した患者の人権は無視されて 102