外傷 - みる会図書館


検索対象: 死体は語る
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1. 死体は語る

の頭部外傷を無視することはできない。 病死か労災か。むすかしい判断をしなければならなくなった。行政解剖の結果、直接死因は拡 生心肥大と診断された。それ以外の主要所見として、脳のうつ血、腫脹が強かったが、損傷はなく、 また右後腹膜下に軽度の出血が見られ、転倒の際、右後腹部を打撲したようである。ほかには特別 な変化はなかった。 外傷は致命傷とは考えられないが、受傷後約十三時間という短い時間に、急死している事実を考 えると、頭部外傷による脳の形態学的変化は少ないけれど、機能的変化が生し、心臓機能に悪影響 を及ばしたことを否定することはできない。形態学的変化は、解剖によって確認できるが、機能的 変化は解剖所見に現れないので断定することはできない。解剖医として求められた意見書には、 「本人には、従来から拡張性心肥大があった。日常生活に支障はない程度のものであったが、 前日の頭部打撲により、生体に変調をきたし、心臓発作を起こして急死したと思われる。した がって、解剖による直接死因は、拡張生心肥大という病死であるが、これは外傷に誘発された 死亡と考えられる と記載した。このケースは、どう決着したのか、その後連絡がないのでわからない。 会社の宿直勤務中、近くに火災が発生した。宿直者は仮眠の床を離れて、二ー三〇〇メートル れた火事の様子を見に行った。消防車、。、 ノトカー、救急車、それに大勢の人だかりができて現場周

2. 死体は語る

る あ で 弁 と大見出しで報道されていた。 雄 はやる心を抑えながら検死をすると、首から胸、腹へと果物ナイフのようなもので刺創が二十数 者 無残な姿である。 死カ所もあり、出血多量で死亡していた。 よく見ると、首や胸の刺創五 5 六カ所には、出血を伴った生活反応 ( 生前の外傷 ) があるが、その りに一日前の足どりから捜査したところ、左利きのサンドイッチマンを逮捕することができた。目 撃者のいう自己転倒の数時間も前に、酔って同僚にからみ、殴打され路上に転倒、受傷していたの である。 酔いと頭部外傷の症状が重なって、はた目には酒臭いので酔っぱらいとしか映らない。ふらふら しながら、プラカードを持って街角までやって来て、目撃されたように転倒したのであった。本当 の致命傷は、その数時間前のけんかである。けんかの現場は加害者と被害者の二人きりで、加害者 はロを閉ざし、被害者は死亡。目撃者はいなかった。しかし、この事件は死体所見が、目撃者同様、 事実を語ってくれたのである。 このように、行政解剖によって殺人事件を発見することもある。監察医の仕事は、遺体を含めて 残された資料を検討し、生前の状態から死に至るまでの経過を解明する。新聞に 「主婦メッタ刺しー 「強盗か」

3. 死体は語る

遺体を前にして監察医と立会官のディスカッションが続いた。積極的な殺しの線はなかったので、 とりあえす警察官立ち会いで行政解剖をすることになった。頭部にメスが入り、頭蓋が開けられる と、左側頭部に亀裂骨折があって、そこに脳硬膜外血腫二〇〇グラムが見られた。死因は疑いもな 脳硬膜外血腫のための脳圧迫であった。右眼窩の皮下出血には小さな骨折を伴っていた。手拳 のような柔らかい物体が、そこに強く作用したのであろう。そのため、男は左後方に倒れ、左側頭 部を骨折し、徐々に出血して脳硬膜血腫を形成し、死に至ったのである。 最初は、頭部の打撲傷とその痛みだけであるから、大したケガでもないように見える。ところが、 頭蓋骨に亀裂骨折などがあると、二 5 三時間後血腫が五〇グラムくらいたまってくる。すると、そ の分だけ脳は圧迫されてはろ酔いと同じように、歩行がふらっくのである。飲酒している場合は酒 臭いので、ふらっき歩行は、酔いの症状と重なって区別はつけがたい。それまでは普通の行動がと れるから、帰宅して寝てしまうなど、現場から遠く離れていることが多い。半日くらいたっと、血 腫の量も増えて一五〇 5 二〇〇グラムに達し、死亡する。 そのときには一夜は明けているから、酔って帰ってきて寝たが、朝起こしに行くと布団の中で死 んでいる、というようなわけで、急病死のようでもあり、死亡原因は皆目わからない。よしんば、 頭部外傷であったとしても、時間と足どりをさかのばっての捜査は難航する。 男の血腫は凝血で、一日くらい前のものと推定され、保護所での受傷は否定された。生前男が暴 れ、わめいていたのは泥酔だけのせいではなく、脳外傷のためでもあった。結局、解剖所見をたよ

4. 死体は語る

かと解剖医である私に、不満を訴えた。 外傷は生命に直結するようなものではなかった。しかし大工さんは請け負った仕事が遅れ、エ期 に間に合わなくなるとせかされ、イライラしていた。また、交通事故も相手が知人であったから、 警察へ届けていないので補償もないという。死んでしまった今、家族は途方に暮れていた。 とりあえす事故を警察に届け、その事実を証明してもらうこと。そして自動車保険会社に補償を という意見書 請求する。さらに、死因は病死であるが、交通外傷が死亡に決して無関係ではない、 を私が作成し、できる限り努力をしてみることになった。 解剖すれば心肥大という形態学的変化はわかるが、肉体的、精神的ストレスがあったかどうかは 機能上の問題なので、解剖してもっかめない。したがって、交通外傷が心肥大にどのような影響を 及ばしたかは不明である。影響があったと考えるのが正しいのか、影響なしと考えるのが正しいの カ はっきりした医学上の所見がないので、論議は五分と五分である。 とすれば人間は過去の病歴を背負って生きているので、交通外傷とそれに伴ういろいろなストレ ルスが、本人の病的素因である求心性心肥大に悪影響を及ばし、心臓発作を誘発したと考える方が、 ピ関係なしとするよりも正しい判断であるとの意見書を提出した。 ア か 6 裁判では、保険会社は事故から一カ月もたって外傷は治りかけているので、ストレスがあるとは 考え難いと反論してきた。 確かに外傷は治りつつあったが、骨折によって行動は極度に制限され、生活は動から静へと急変

5. 死体は語る

このいきさつを病院の一室で院長と立会官から聞き、死因と思われる頭部外傷は、街で倒れたと きのものか、それとも酔っぱらい保護所で生じたものかを考えながら、検死を始めた。 死斑も死体硬直も中等度である。眼窩結膜下に溢血点はない。舌は上下歯列の後方にある。 しゅちょう 異常所見としては、左側頭部頭皮に鶏卵大の腫脹があり、毛髪を分けて観察すると、軽度の打撲 傷があって、マーキュロが塗布されている。右眼窩は淡青藍色に腫脹し、皮下出血を生じていた。 また、ロ唇粘膜には小さな挫創があった。 警察では大事をとって、検視官を現場に派遣し、念入りな捜査と検視をすませていた。外傷に対 しては、泥酔のために倒れたものとの見解をとり、目撃者である靴屋の店員ほか二名の証言までと って裏づけていた。 なるほど、頭部外傷は酔って倒れてもできるだろう。しかし、顔面の外傷は眼窩という顔の中で かんおう は一番陥凹した部分であり、路面に倒れたとするならば額部や頬部、鼻の先端あたりの突出したと また泥酔者が転んだとするならば、手 ころに擦過傷ができるのが普通で、眼窩に外傷は生じない。 あ足や膝などにも擦過打撲傷があってもよさそうだが、そこに外傷はない。納得がいかない。 弁着衣を見せて欲しいと言ったが、酔っぱらい保護所で着換えさせられていて、服はそこになかっ た。刑事さんの話では、泥土などの付着はなく、そんなに汚れてはいなかったという。 者 死 とくに、右眼窩の皮下出血には擦過傷を伴っていないので、路面などの転倒ではなく、上較的 らかい物体の作用が考えられ、手拳などによるナックルバンチの方が、死体所見に合致する。 ひざ

6. 死体は語る

させられた。さらにエ期遅延のいら立ち、外傷に対する無補償、一時的にせよ減収などがあって、 本人の精神的ストレスは外傷とは逆に、日がたつにつれ増大していたと考えるべきであろうと私は 証言した。 事故から四年目、私どもの主張は入れられすに裁判は終わった。ところが最近、業務上の肉体的 負担などから、脳や心臓の発作を誘発して病死したような場合でも、労災として認定する方向に基 準は緩和されることになった。小さなアピールの積み重ねが実ったのである。救われる弱者の喜び が聞こえてくる。

7. 死体は語る

と私に語りかけたのである。 「ああ、わかります。二ー三日時間をください。警察と協力して犯人を捕まえますから」 と私はおじさんに、答えた。 「よろしくお願いいたします」 とおじさんは一一一戸フ。 そのはすである。おじさんの顔の擦過傷をよく観察すると、ギザギザの形をしたタイヤマークに なっている。疑問を一掃するためにも、行政解剖の必要があった。解剖所見から考えられることは、 都電から転倒した際、頭部が安全地帯から少しはみ出した。転倒の外傷は、致命傷ではなかった。 次の瞬間、そこを通過中の自動車のタイヤの辺縁が、おじさんの顔面をかすめ、右後頭部はコン ク丿ト路面か安全地帯の辺縁に強く圧迫擦過されて、頭髪を含めて頭皮の剥脱が生じ、その際の 圧迫によって頭蓋骨骨折、脳挫傷が生し、即死したものと考えられた。 都電から転落したという目撃者の証言に間違いはなかったが、その直後の一瞬の出来事には誰も る 気がっかなかったのである。 て き解剖により、死因は転倒外傷ではなく、タイヤによる圧迫外傷と断定された。結果として、ひき 逃げ事件となった。警察の捜査により、三日後、犯人は逮捕された。停留所前の駐車場に入るべく 者 死大きく左折したライトバンの右後輪の辺縁が、転倒したおしさんの顔面に作用したのであった。

8. 死体は語る

っすりと寝込んだところを、ゴムホースで絞殺された。ガス自殺のように偽装して、 女はホテルに戻ったのである。男は寝ていて、このことを全く知らなかったという。 犯人は絞殺の痕跡を考慮せす、ガスを放出して置けば、ガス自殺になるだろうと考えてやったと いう幼稚さであった。素人ならともかく、専門家を欺くことはできない。 最近の犯罪は、テレビ、雑誌など豊富な知識を導入し、わからぬように、捕まらぬようにと考え て、犯行に及ぶものが多い。悪事はすべてそうであろうが、とくに生命保険金殺人事件などは、冶 安のよい国内での犯行は難しいと考えてか、国外に出て、しかも目撃者のいないような所で、事故 を装って殺そうとする。 ハンマーで殴打したのでは、 ロス疑惑、マニラ邦人殺人事件などは、その代表的ケースであろう。 殺人がはっきりしてしまうので、転んで頭を打った過失事故にしようなどと工作しても、専門家が 見れば転倒外傷か殴打外傷かの区別は容易である。 る 生きているものは、そう簡単には死なない。死ぬには医学的にも、社会的にも相当な理由、原因 て し力に完全とはいえ、生から死への移行に必す無理、矛盾が潜 がある。ましてや殺人ともなれば、、、 生 はんでいる。そこから事件は発覚し、解明されていくものである。 死 私は朝、新聞が配達されるとます三面記事を見る。いろいろな事件が載っているので、その日の 事件の概要をつかむことができるのである。ある朝、

9. 死体は語る

気な人が突然死するようなことがある。周囲の人も家族も、あるいは本人自身も、恐らく納得のい かない死亡であろう。病死なのか災害死なのか、あるいは自殺か他殺かと、考えれば疑惑は残る。 その疑問に答え、もの言わすして急死した人々の人権を擁護するのがこの制度である。以来、この 道にのめり込んでしまった。 借金の取り立てに行き、借用人と交渉中に、取り立て人が急死したケースがあった。二人きりで の押し問答に疑惑がないとは言いきれない。検死後、監察医務院で行政解剖したところ、心筋梗塞 であった。交渉中、興奮して心臓発作を起こしたのである。 また自動車を運転中、同乗者に、「プレーキのききが急に悪くなった。おかしい」と語りつつ電柱 に衝突してしまったという事故があった。同乗者は軽い外傷であったが、運転者は意識不明のまま、 収容先の病院で間もなく死亡した。検死の結果、死因になるような外傷はなく、スピードもさほど 出ていない。 納得のいかない交通事故であったから、行政解剖したところ、左の脳出血であった。そのため右 下肢の動きが悪くなり、プレーキを踏めなかったのだ。本人はそれをプレーキのききが悪いとしか 理解できなかったから、同乗者にそう話をしたのである。誰もがプレーキ故障の事故と思ったが、 実は脳出血という病的発作のためであった。 監察医制度があって、このような突然死あるいは不自然死の原因が明らかにされるから問題はな い 6

10. 死体は語る

いるのも、そのためである。 隣の台では、一週間ほど前に交通事故で入院し、肺炎を併発して死亡した中年の男の解剖が行わ れていた。死因は交通事故によるものか、それとも単なる病死か、監察医の死因決定が被害者と加 害者の利害に直結する。 ときどき、カメラのフラッシュがたかれる。重要な解剖所見を記録に残すためであり、また後日、 補償問題などで裁判ざたにもつれ込んだ際の証拠になるからである。 もう一体は、洗濯中の主婦が急死したというケースである。 監察医の勤務は検案 ( 検死 ) 当番日と解剖当番日があり、ほば交互に年中無休で行っている。一日 平均二十件近い変死があり、五台の検案車にそれぞれ監察医、補佐、運転手の三人が分乗し都内を 検死して廻る。その中で、検死によっても死因がっかめないケースは、遺体を医務院に搬送し、解 剖当番の監察医が行政解剖を行って、死因を明らかにする。一日平均六 5 七体が解剖されている。 病死、外傷死、中毒死、災害事故死、あるいは自殺、と解剖のケースは多彩である。ときには、 行政解剖中に殺人事件を発見することもある。 脂肪太りの老人は、心臓の栄養血管である冠状動脈に強い硬化があって、心臓も肥大していた。 けいぶ 大動脈の硬化も強い。頭蓋が開けられる。しかし、外傷や死因になるような病変はない。頸部にも 異常はない。 解剖中に警察から電話があって、立ち会い中の刑事にその後の調査結果が知らされた。