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検索対象: 死体は語る
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1. 死体は語る

親子鑑定 女性の社会への進出がめざましい反面、わが国でも欧米なみに離婚が増えたり、性意識の乱れと ともに親子鑑定なども年々増加している。 むかしの親子鑑定は、大岡越前守の裁きに代表されるように、科学的決め手がなかったから、人 などに訴えざるをえなかった。 フランスでも、私生児が生まれると、その母たる女が父親を決める権利があったそうである。女 は自分と関係のあった何人かの男の中から経済的にゆとりのある男を、当然父親として選ぶことに なる。金持ちのプレーポーイたちは大いに困ったという。 今日では、血液型の遺伝形式が詳細に研究され、また形態学的な遺伝形質についても研究が進ん しようもん で、指紋、蹠紋、人類学的生体計測、産婦人科学的考察などを総合して、鑑定が行われるようにな 定 鑑っている。主に法医学者が鑑定をしている。 親 血液型の遺伝形式が合わない場合は、親子の関係は完全に否定されるが、血液型が合っていて肯 定する場合には、父権肯定の確率を算出して判断している。近い将来、染色体の研究などが進み、

2. 死体は語る

経験したことはないだろうか。一過性 ( 一時的 ) ですぐにおさまってしまうから、気にしない人が多 。しかし、これこそが心臓異常の初期のサインなのである。この時期に専門医の精密検査を受け、 治療を含めて生活環境を整えるべきなのである。 その他、心臓に悪影響を及ばす要因に肉体的・精神的ストレス、寝不足、飽食、肥満などがあげ られる。 以前は警察官と歯科医は短命であるといわれた。警察官は仕事柄過労、不眠に加え精神的緊張の 度合が高く、歯科医は一日中立ち仕事で心臓に負担がかかるなどの理由があげられ、長生きできな い職業といわれた。しかし、現在はこれらを改善し、汚名を返上している。 真偽のほどはわからぬが逆に、今一番長生きしているのは服役者であるという。規則正しい生活、 低カロリー食、 心配ごとがない、などがその理由である。 ードなスポーツを とすれば、長寿の訣はおのすとわか 0 てくる。中高年にな 0 たら、安易に ( 始めるのは考えものだ。ます専門医の診察 ( スポーッドクターによるメディカル・チェック ) を受け、 食事を含めた生活指導など総合的なアドバイスを受ける必要がある。その上で、自分の体に合った 運動を徐々に行うのが、健康管理上きわめて重要なことであろう。 監察医は臨床医ではない。しかし、多くの解剖結果を要約し、死者からの警告として、生きてい る人に同じ誤ちを繰り返さないよ、フ、伝えることも仕事なのである。 け 196

3. 死体は語る

させられた。さらにエ期遅延のいら立ち、外傷に対する無補償、一時的にせよ減収などがあって、 本人の精神的ストレスは外傷とは逆に、日がたつにつれ増大していたと考えるべきであろうと私は 証言した。 事故から四年目、私どもの主張は入れられすに裁判は終わった。ところが最近、業務上の肉体的 負担などから、脳や心臓の発作を誘発して病死したような場合でも、労災として認定する方向に基 準は緩和されることになった。小さなアピールの積み重ねが実ったのである。救われる弱者の喜び が聞こえてくる。

4. 死体は語る

裁判長は束ねられた封筒の中から、無選択的に十通を取り出し、別の医大の法医学教授に、血液 無論、洗面 型の鑑定を依頼した。相手方の有力な証拠物件を逆手にとった、巧妙な反撃であった。 具セットごと三本の毛髪も同時に鑑定に出された。裁判の成り行きは、鑑定いかんにかかっていた。 親子の区別はきわめて論理的で、血液型が遺伝形式に適合していなければ否定される。法廷でも この医学的判断によって、裁かれるのは当然である。 ところが、アメリカでのチャップリンの親子鑑定は違っていた。企画、演出、監督、そして主役 の俳優から音楽まで、彼一人で器用にこなし、今なお世界中の人々の感動を誘う名作を次々に発表 とはいえ、その彼もこと女性に してきたチャップリンは、まさに偉大な天才的芸術家に違いない。 関しては、まことにだらしなかったよ、つである。 どうせい 一九四三年、彼は以前同棲し一緒に映画をつくっていた女優から、子供の認知をするよう訴えら れた。血液型の検査で、チャップリンは O ・型、女優は・ Z 型、子供は・ Z 型であった。 式血液型から親子関係は適合していたが、式血液型からは、 O と << の間からの子供は 生まれないので、医学的にチャップリンは、その子の父親ではなかったのである。ところが、裁判 定 鑑ではその事実は無視されて、子供の父親と認定され、養育費として毎週七十五ドル、弁護士料五千 親 ドルを支払うよう命じられた。 日本と違って、アメリカは陪審員制度による裁判である。一世を風靡したチャップリンの生活、 ふうび

5. 死体は語る

の頭部外傷を無視することはできない。 病死か労災か。むすかしい判断をしなければならなくなった。行政解剖の結果、直接死因は拡 生心肥大と診断された。それ以外の主要所見として、脳のうつ血、腫脹が強かったが、損傷はなく、 また右後腹膜下に軽度の出血が見られ、転倒の際、右後腹部を打撲したようである。ほかには特別 な変化はなかった。 外傷は致命傷とは考えられないが、受傷後約十三時間という短い時間に、急死している事実を考 えると、頭部外傷による脳の形態学的変化は少ないけれど、機能的変化が生し、心臓機能に悪影響 を及ばしたことを否定することはできない。形態学的変化は、解剖によって確認できるが、機能的 変化は解剖所見に現れないので断定することはできない。解剖医として求められた意見書には、 「本人には、従来から拡張性心肥大があった。日常生活に支障はない程度のものであったが、 前日の頭部打撲により、生体に変調をきたし、心臓発作を起こして急死したと思われる。した がって、解剖による直接死因は、拡張生心肥大という病死であるが、これは外傷に誘発された 死亡と考えられる と記載した。このケースは、どう決着したのか、その後連絡がないのでわからない。 会社の宿直勤務中、近くに火災が発生した。宿直者は仮眠の床を離れて、二ー三〇〇メートル れた火事の様子を見に行った。消防車、。、 ノトカー、救急車、それに大勢の人だかりができて現場周

6. 死体は語る

カレン事件 自発呼吸を取り戻し、その後十年間も生き続けた。つまり彼女は睡眠剤中毒から、植物状態患者と なっていたのである。 この事件は、脳死と植物状態の違いを一般人にも、わかりやすく説明できたケースであった。死 にかかわる問題が、医学的にも法律的にも高度な判断を要求される時代になり、日本も脳死をどう 扱うか、考えなければならない時期にきている。 171

7. 死体は語る

世の中には、どうにもやりきれない事件というものがある。先天性水頭症で知恵遅れの重症身体 障害者の息子をかかえた老夫婦が、自分たちが死んだら、この子はどうなるのかと、行く末を心配 して施設に入れようとしたが、両親がそろい経済的に余裕のある場合は、無理であると断られた。 赤ん坊同様に、親の保護がなければ生きられないその子を残して、親は死にきれない。そのため の相談であったが、 両親がそろい経済的に余裕があるからという理由で、断わるのでは、親の不安 に少しもこたえていない。子を思う親の気持ちが、全く理解されていない。あるジャーナリストは、 「福祉とは〃安心〃であるーと言ったが、まことに適切な表現である。その人にとって心の安らぎ こそが、本当の福祉であろう。 父親は心労から不眠症、ノイローゼとなり、ついに妻の留守に知恵遅れの息子を絞殺し、自分も 睡眠薬を飲んで自殺を図ったが、帰宅した妻に発見され未遂に終わった。 この事件は結局、無罪となった。理由は、息子と自分がいなければ、妻は老後を安楽に暮らせる と深刻に考え、衝動的にわが子を殺し、自分も死のうとした。是非善悪を弁別する判断を失った行 安楽死

8. 死体は語る

医学と法律 きとう 悪魔を追い払うと病は治ると信じられていた時代には、祈薦がなによりの治療であった。現代で は科学的に病態が解明され、医学的に精度の高い治療がなされるようになっている。しかし、これ と並行して、神や仏に回復を祈願しようとする気持ちは、今も変わりはない。 昭和三十二年のことである。発狂した少女の体にタヌキがいると、祈蒔師が線香護摩八百束を三 時間にわたってたき、祈した。縛られて祭壇に置かれた少女は、熱気で摂氏四十度にも及び死亡 した。 この事件は憲法第二十条、信教の自由で許されるか、遺棄罪かで論議されたが、最高裁は行為は 反社会的で、信仰の自由は犯罪を構成するような宗教活動まで許していないと判断し、傷害致死罪 律を適用した。病を治そうとしてやったのであろうが、医療とは程遠い出来事であった。 だんしよう 法 戦後、性風俗が乱れ、東京に男娼が横行したころの話である。彼らの中には睾丸、陰茎を切除し 学 医て女性のように形成手術をしたものがいた。このような手術は医療とは言えないとされ、わが国で は医師法違反になることが明らかとなった。 ′」ま 1 ろ 5

9. 死体は語る

カレン事件 医療が発達してくると、思わぬ論議が出てくるものである。脳死という状態がまさにこれであろ ールしているが、脳の神経細胞は他の細胞と異なり、 う。脳はすべての器官に指令を出してコントロ 再生能力がないので、一度破壊されると、修復補充されることはない。 この脳の機能が全体的に永久に停止した状態になったとき、死は目前であるが、人工呼吸器を取 り付け、強力な治療を続けると、死ぬべき人が死なすに呼吸し、心臓は拍動して生きた状態が持続 する。当然意識はなく、ちょうど昏睡状態のまま十日ぐらいは延命できるという。 しかし、絶対に生き返ることはない。途中でこのセットをストップさせれば即、死ということに なる。 件 人工呼吸器が脳の指令に代わって機械的に肺に酸素を送り、呼吸をさせている。いわば機械に管 ン理された状態での延命術なので、本質的には死と同じであるから専門医はこれを脳死と呼んでいる。 レ カ だから、生きた体に死んだ脳などと、表現されたりもする。このような生き方は、死んでいる人に 治療しているようなもので、医療とは言えないという人もいる。植物状態患者とは違うのである。 169

10. 死体は語る

画像には反対側の右眼内側の鼻のつけねに腫瘤があった。 さらに、モナリザの右手の親指と人差し指のつけねが丘状に盛り上がっている。ダ・ビンチは左 利きで、親指と人差し指の間に画筆を持って絵を描いていたので、その部位にペンダコのような盛 り上がりができたのではないだろうか。 AJ い、つの そして、胸の乳房のふくらみが女性にしてはやや下がりすぎているような気がする である。 この四点からダ・ビンチは鏡に向かって自分の顔を女性に見立てて描いたものではないかと推理 したというのである。驚きであった。私は、絵についての知識はない。科学的にこれを立証できな いかという相談なのである。 奇抜な発想にとまどいを感した。確かに個人識別ではあるが、絵に描かれた人物像の識別である。 ーインポーズを応用してみるのも面白いと 法医学的検査の対象にはならないが、遊びとしてスー 考えた。結局、テレビの番組として取材に応することになった。早速、図書館でモナリザとダ・ビ ンチのひげのある自画像をコピーしてきた。 絵の大きさが違うので、顔や大きさを計測して同じ大きさに調整していった。 でき上がった二枚の絵を重ね合わせて、電灯の光にかざして驚いた。画像はほば一致し、ひげの ナ モあるモナリザがほほえんでいたのである。 違和感はなかった。ただそれだけのことである。類似性があるといっても絶対的なものではなく、 17 ろ