がうもんね。それでもタミちゃんのおかげで、一家は何とか食いつないで、小樽に戻って 来た。いや、高島じゃなくて、長橋っていう所ですよ。父親は、日雇いになって、来る日 も来る日も、朝早くから夜遅くまで、一生懸命働いた。 けど、何しろ子供が多い。父親はくたびれ果てて、もう生きる力もなくなったのかねえ。 何日か・ほゃーっとして、独り言いってたそうだども、とうとう汽車に轢かれて死んでしま った。その踏切がねえ、なんとわだしらのいた店のすぐそばの若竹の踏切だった。これも 何かの縁だべか。そう一一一一口えば、ちょうどその頃、汽車に轢かれた人がいると聞いて、みん なが見に行ったことがあったつけ。 これやあもう、末松つあんより哀れな話だわねえ。末松つあんと言い、タミちゃんのお 父つつあんと言い、しし冫 、目こ会えない人がこの世にはいるものなのね。 しんせき 何べん聞いても、涙の出る話だども、この通夜の席にね、貧乏な親戚が何軒か集まって、 このあとどうしたらいいべという相談になった。タミちゃんのおっかさんは、思いもかけ たまげ ないつれあいの急死に魂消て、しばらくはものも一一 = ロえんようになった。働き手のつれあい に死なれては、明日からどうして食わせていくか、それさえ考える力がなくなった。 そりゃあ無理もないわね。で、親戚の者たちは、 「子供らば誰かにもらってもらうより仕方ないべ」
おんなじものを着せてやりたい、人の食べてる白い米のまんまを、誰にも彼にも食べさせ てやりたい、人の行く学校に、みんな行かせてやりたい、そう思ったのが、どうして悪か ったんだべ。 そうそう、多喜二がよく言っていた話があったけ。 にんとく 昔々、仁徳天皇っていう情け深い天皇さんがいたんだと。お城の上から眺めたら、かま ぼそぼそ どの煙が、細々と数えるほどしか上がっていなかったんだと。それで天皇さんは、国民は みな貧乏だと可哀相に思って、税金ば取らんようになったんだと。したらば、何年か経っ て見たらば、・ とこの家からも白い煙が盛んに立ち昇っていたんだと。天皇さんは大喜びで、 国民が豊かになったのは、わしが豊かになったのと同じことだって、喜んだんだと。 この天皇さんと、多喜二の気持ちと、わだしにはおんなじ気持ちに思えるどもね。天皇 さんとおんなじことを、多喜二も考えたっちゅうことにならんべか。ねえ、そういう理屈 にならんべか。天皇さんば喜ばすことをして、なんで多喜二は殺されてしまったんか、そ こんところがわだしには、。 とうしてもよくわかんない。学問のある人にはわかることだべ カ それはそうと、末松つあんが大正十三年の八月に死んだ話は、もうしましたね。脱腸の 手術なんかで死ぬとは、夢にも思わんかった。多喜一一が高商卒業して、その年の三月から
あれま、慶義あんつあまの話からそれてしまって : ・ 慶義あんつあまは、その後どうにもならなくなって、東京からまっすぐ北海道の開拓曲 に志願して、行ってしまったの。何せ、一か八かの相場の好きな人だから、あっちに相 っていうカ : したり、こっちに相談したりなどしないのね。度胸がいい おたる その開墾に入ったところが、小樽の外れの潮見台という所だった。その頃の小樽とき一 せき らあんた、北海道一景気のいい所でね。でつかい外国の船が、何隻も出たり入ったりし一 たんだと。 この慶義あんつあまの長男坊は、幸蔵といってね。パン屋に住みこみに入った。わだ 1 の住む川口には、パン屋なんてものはなかったから、パンなんてもの、見たこともなか ( まんじゅう た。団子でもない、饅頭でもない、そのパンてものが、想像もっかんかった。ま、言っ とみればハイカラな食べものだったわけね。 さ る幸蔵はね、ほんとはね、最初靴屋に勤めたんだって。この靴だって、わだしら秋田の E 舎に住む百姓たちには、馴染みのないもんでね。そうだべさ、わだしらの履くものは、 章 ぞうり ぜいたく 第草履か藁靴がふつうで、下駄だって贅沢なもんだったからね。 まあそれはともかく、幸蔵は初めは靴屋に住みこんだわけだけど、どうしてだか、。ハ ' 屋に入ってしまった。
すると、トロッコが脱線して、真っさかさまにふり落とされた人もいた。 しかし、わだしも末松つあんも、よくやったもんだと思う。でもね、二人でおんなじト ロッコに乗ってね、わだしだって、急カーブ切るのうまくてね : : : 若かったんだねえ。 せ一日八十銭もらえる。それがうれしかった。末松つあんと一緒に働くのがうれしかった あの、風を切ってトロッコに乗るのが、わだしの気性に合ってたんかねえ。過ぎ去れば、 あんな命懸けのことでも、懐かしいもんだねえ。だけど、懐かしがっているだけで、 んかねえ。 とにかくね、かけそば一杯が二銭としなかった時代だよ。一銭八厘とか、一銭二厘とか ね。そんなぐらいの頃だからね、一日八十銭は大きかった。かけそばを四十人以上にごっ つおうできるわけだからね。ほんとにありがたい出面賃だった。 とま、さっきも言ったようにさ、坂ばころがるように、貧乏になっていく真っ最中の小 るの家に、なんで嫁に来たもんだかね。わだしが十三だの十四だのっちゅう子供だったから 何の考えもなく、お父つつあんやおっかさんの言うとおり、馬橇に揺られて嫁人りしたん 章 うわさ 第だねえ。もしも十七、八になっていたら、小林の家の噂を聞いて、そんなに借金のある家 なら、こりや大変だと、ちょっと考えたかも知れないね。 だけどね、あんた、わだしは貧乏の苦労こそしたけど、末松つあんと一緒になったこを
わだしの辛さをどうしてくれるわけにもいかない。イエスさまだら、この辛さをちゃーん とわかってくれると思うの。死ぬ時には手ば引いて、山路ば一緒に行ってくれるお方だも んね。あんまり下手で恥ずかしいども、作ったというか、書いたというか、鉛筆持ったら こんなのできたというか、ま、そんなもんだ。 あーまたこの二月の月かきた ほんとうにこの二月とゆ月か いやな月こいを、 なきたいどこいいてもなかれ ないあーてもラチオて しこすたしかる あーなみたかてる めかねかくもる これな、ほんとは近藤先生にだけは見せたんだ。したらな、先生、なんも言わんで、海 のほうば見ているの。五分も十分も黙ってるの。
210 え ? この大きい紙さ書いたの誰の字かって ? ああ、これわだしが書いたんだよ。多 喜二が監獄に入った時、手紙書いてやりたくて字ば習ったの。ひらかなばかりだどもね。 それでこの讃美歌も書けたわけ。 この次、近藤先生が見える時まで、そらでうたえるように練習しようと思ってるの。毎 日、これ見てうたってるの。題はね、「山路越えてーっていうんだと。讃美歌は、文句も 節も西洋人が作ったものが多いそうだけど、これは日本人が節も文句も作ったもんだと。 うたってみれってか。あんたがたも一緒にうたうべ。え ? やつばりわだし一人でうた えってか。そうだね、死んだ時一人でうたって神さまの所さ行かねばならんからね。じゃ、 うたってみるか。ちょっとご詠歌に似てるどもね。六番まであるけど、三番までうたって いるうちに、神さまの所さ着くべさ。 やまじこえてひとりゆけど 主の手にすがれるみはやすけし 松のあらし谷のながれ みつかいの歌もかくやありなん
100 ても、人を泣かせる悪い奴がいるなんて、全然思わんかったもんね。 多喜二はね、またこうも言ったつけ。 「毎晩男に体を買われて、つらい思いをしている女が、小樽だけでも何百人もいる。日本 中にはどれほどいることか。女は死ぬほどいやな思いをしているのに、男はそれが楽しみ だ。男にとって女は、単なる遊び道具なのか。人間が遊び道具、冗談じゃない。たった一 度の人生だよ、母さん。その人生を泣いて暮らす女がいる」 そう言って、多喜二はいても立ってもいられんような顔をしたことがあった。もちろん、 たった一度の人生を泣いて暮らすのは、女ばかりじゃない。男だって泣いているもんはあ る。とにかく、タミちゃんを何とか救ってやりたいって、多喜二は家にいるツギにも、た まに顔ば見せるチマにも言うようになった。チマも、まだ見ぬタミちゃんの身の上を思っ て、助け出すことには賛成した。けど、誰も、タミちゃんがどのくらい借金があるか知ら んかった。 そんな頃、ツギが一度、こっそり、わだしにこんなことを言ったことがある。 「ね、母さん。いっか、わたしが果物屋の店に買い物に来た女の人のこと、言ったことあ 、まう買うか、迷っている るよね。女の人が、ひと盛りいくらの安いりんごを買うか、ししを のを見て、可哀相だったって言ったら、兄さん、その人に新鮮な果物を買っても、本当の
とあるせいか、タコたちもわだしらの仲間に思われてね、何とかして助けてやりたいもん だと思ってね、末松つあんに、 「警察に知らせたらどうだべ」 って言ったら、末松つあんは、 「無駄だべ」 と、。ほっりと言っただけ。 「何で警察さ、いじめないようにつて言うのが無駄なの ? 」 って、わだしが怒って聞くと、末松つあんは言った。 「なあ、おセキ。お前もいっかわかるべ。とにかく、子供たちが大きくなった頃には、 しは世の中の仕組みも変わるべ」 ってねえ、あとは黙って何か考えてるの。わだしは何かわからんども、すごくおっかな い気持ちになった。わだしは、警察は殴られてるもんを助けるもんだと思ってた。いじめ られてるもんを、助け出してくれるもんだと思ってた。 あめ せんべい わだしの生まれた家の向かいにいた駐在さんは、飴だの、煎餅だの、わだしによくくれ たもんだ。貧乏なわだしらば、ほんとに可愛がってくれたもんだ。それが警察つつうもん だと信じて育ったから、末松つあんの言うことは、どうも腑に落ちない。腑に落ちない
中古なら安いべと思ったが、末松つあんには高くて手が出んかった。そのことを、末松っ あんは、そっとわだしに聞かせてくれたの。わだしは何げなく多喜二に、 , イオリン買いに、古道具屋に行ったんだと。だども高くて買えんか 「お父つつあんは、く ったんだと って、言って聞かせた。多喜二はそん時、 「ふーん」 と言ったきりだったから、心にとめていたとは思えんかった。 ところが多喜二は、初給料をもらったその日、バイオリンをかついで帰って来た。 ほお みんな飛び上がって喜んだ。三吾はバイオリンを抱きしめて、頬ずりをして喜んだ。そ れば見て末松つあんは、肉の落ちた肩をふるわせて泣いていたつけ。 あん時のうれしかったこと。 ( ああ、生きていてよかった ) わだしは、しみじみと思った。わだしらは貧乏かも知れん。亭主の体は弱いかも知れん。 あたい 人から見れば、何の値もない一家かも知れん。しかし人間生きていれば、こんなうれしい 目にも遇える。そんな喜びはそのあとにも何度もあった。むろん、それを打ち破るあの多 喜二の辛い目にも遭ったども : とにかく、毎日明るく楽しく暮らした家だった。
いたのを、どういうわけだか覚えてるの。 ああ、春も終わりの頃だった。戸締まりして、寝るべと思っていたら、店の戸が何かご とごと音がする。寝巻に着替えようとしていた末松つあんが、客かと思って店の戸を開け てみたらば、若い男が両手を合わせて、わしらば拝んだ。 「助けてください」 その言葉でタコとすぐにわかった。 末松つあんは毎日、土工現場にパンば背負って売りに行っていたから、向こうは末松っ あんの顔ばよく知っている。誰が見ても末松つあんの顔はやさしい顔だ。タコはきっと、 この人なら助けてくれるべと、前々から思っていたのかねえ。 タコの拝む姿を、末松つあんと並んでわだしも見たけど、とにかくすぐに家ん中さ入れ てやらねばと思った。むろんそん時はびつくりして、一瞬、どうしたもんかと、末松つあ んとわだしは顔を見合わせたども、逃げたタコが見つかった時、どんな目に遭うか何べん も聞いていたから、外に突き出すわけにもいかなし 「まずは上がれ ! 」 と引っ張りこんで、家の押入れさ隠してやった。わだしたちの布団はもう敷いてあった から、押入れにはタコの一人や二人かくまってやる余裕があった。