考え - みる会図書館


検索対象: 母 (角川文庫)
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1. 母 (角川文庫)

も、末松つあんという人は、考えなしにものを言う人じゃない。でたらめを言う人じゃな 本をいろいろ読んでいた人だからね。だからわだしは、何かわからんども、わだしに わからんことがこの世には隠されているんだなあと、わだしはわだしなりに思った。 けどなあ、こんな話も忘れられん。ある時発破の爆発で、一ペんに崖崩れが起きて、タ コがたくさん死んだんだって。そしたら、その死んだタコたちは、一つ穴に・ほんごぼんご と投げ入れられて、棒っこの一本も立ててもらえず、あの若竹の崖の下に眠っている。そ んな話聞いたら、どうにもタコが哀れでならない。出稼ぎはたいてい東北の貧乏百姓だべ でめんちん し。向こうで、いいだけ貧乏で苦労して、北海道さ行ったら、一日三円の出面賃がもらえ るって、喜んでやって来て、悪い周旋屋にだまされて、タコに売りとばされて : ねえ、あんたさん、売られたタコが悪いんだべか。故里に帰れば、父親もいるべし、母 ぜん 親もいるべし、女房、きようだいもいるべし、みんながいっ銭こ持って帰って来るかと、 首長くして待っていたって、いつまで経っても帰って来ねえ。まさか、一つ穴に、とうに 葬られていたなんて、誰が思うべ。ねえ、可哀相でならね。わだしは、タコが毎日棒頭に 怒鳴られながら、首ば垂れて働きに行く姿を見ただけでも、なん・ほ涙がこぼれたもんだか。 あれは大正何年頃だったべか。五、六年頃だったと思うけどね。多喜二が十かそこらの 子供だったからね。暗あい晩だった。店の戸締まりをする時、星が三つ四つ雲間から出て

2. 母 (角川文庫)

どうして悪い考えだったんだべか。あんなひどい殺され方をしなければなんないほど、そ んなに多喜二の考えは悪い考えだったんだべか。わだしには、多喜一一が何を書いたか知ら んども、多喜二はわだしの腹を痛めた子た。わだしが育てた子だ。あの子がどんなにわだ しら親やきようだいに優しくしてくれたか、親切にしてくれたか、よっく見て来た。カラ スの鳴かん日はあっても、あの子が、 「母さん、無理するな」 「三吾、頑張れよ」 「父さん、体疲れてないか」 だの、優しい声で言わんかった日は、一日もなかった。 三吾が洋品店に住みこんでいた時だって、多喜二は銀行の帰りに、ビスケットやら、お もしろそうな本やら、何回も買ってきて、 「頑張れよ」 と、声をかけてやっていた。ああ、それはもう話したかね。とにかくそんな多喜一一が、 貧乏人を助けたいって考えたことが、そんなに悪いことだったべか。人が着てるものと、

3. 母 (角川文庫)

166 してからは、一だんと家に帰って来ることがなくなった。三吾は素直な優しい息子で、 「母さん、あんまり心配するな。あんちゃんはあんちゃんの考えに従って、きちんと生き てるわけだから」 って、よく慰めてくれたよ。けどなあ、わだし東京さ出て来る時、これからは小樽にい た時と同じように、多喜二と楽しく話ができる、毎日顔ば見れる、と思ったわけだからね。 それが、いったん家を出ると何日も何日も帰らない。案じられてならんかった。 ( 今夜はどこの友だちの家にころがりこんだやら ) ( 今夜はどんな木賃宿に眠っているんだべか ) ( いやいや、また豚箱にぶちこまれているんでないべか ) と、心の安まる暇がないの。夜中に、玄関でがたっと音でもすると、多喜一一が帰って来 たのではなかべかと、もう心臓どかどかして飛び起きるの。そしてね、 ( 小説なんそ、もう書かんでもいい。日本一の小説家だなんて言われんくてもいい。朝晩 しゃべ 一緒におまんま食べて、冗談ば喋って、蓄音機の浪花節でも聞いて、みんなでぐっすり眠 りたいもんだ ) ってね、なん・ほ思ったもんだか。 多喜二はね、眼鏡かけたり外したり、帽子かぶったり脱いだり、ちょっといい服着たり

4. 母 (角川文庫)

156 って、いつもの優しい笑顔で言ってくれた。 多喜二は東京の中野という所に家を借りた。多喜二の仲よしの斉藤次郎さんがその頃中 野に住んでいて、多喜二はタミちゃんが行くまで、一緒に住んでいたの。そして近所に多 喜二の住む家ば捜してくれたんだって。ああ、斉藤さんかね、多喜二とおんなじ小樽高商 ば出て、よく絵など描いて、多喜二とは話の合う友だちでね、考えも同じでなかったんだ べか。だからわだしは、安心して多喜二ば東京に出してやれたの。 わだしの心づもりでは、来年か再来年には、タミちゃんとの間に子供が生まれて、先ず はお産扱いにわだしが東京に出ていかねばならんかも知れんと、思ったりしていた。 多喜一一は小樽を出る前から、 「八月二日の父さんの七年忌には帰りたいと思っている。おれの好きな西瓜でも冷やして 待っててくれ」 って言ってたもんだから、七月の末には近所の八百屋ででつかい西瓜ば買って、いっ帰 って来てもいいように、井戸の水で冷やしていたの。けど、八月二日になっても、三日に なっても多喜二は帰って来ない。すると三吾がね、 「帰って来てからまた買ったっていいべや。その西瓜食べてしまうべ」 すいか

5. 母 (角川文庫)

れることには、限りがあるだろ。女の人が可哀相だと思って、金を持っていたら一回はり んごを買ってやれるわな。だけど、その人が店に来るたびに買ってやるわけにはいかんだ ろ。おそらくその女の人は、一年も一一年も、いや三年も五年も、ひと山なんぼのりんごし か買えないんしゃないか。そしてなツギ、小樽の町には、その女とおんなじように貧しい 人は、数え切れんほどいるんだ。いや、それどころか、りんごなんて、腐ったりんご一つ さえ買えん貧乏な人がたくさんいるんだ。金を持っている人が、その人たちに毎日毎日買 ってやっても、追っつかんほど貧乏な人はごしやごしゃいる。ッギがなん・ほ優しい心でそ の人にりんご買ってやったって、残念ながら何の解決にもならんのだよ」 ってね、多喜二は腕ば組んで暗い顔をしていた。言われてみれば、なるほどそうだとわ だしも思った。 「そんだら多喜一一、どうしたらいいんだべ」 とわだしが言ったら、多喜二はね、 「だからね、母さん、貧乏人のいない世の中ばっくりたいと、心の底から思って、おれは 小説を書いている。おれの友だちの島田正策なんかも、貧乏人のいない社会をつくりたい って、一生懸命勉強しているんだよ」 ってね、そりゃあ優しい顔をしていたつけ。けどなあ、そんな考えがお上から見たら、

6. 母 (角川文庫)

すると、トロッコが脱線して、真っさかさまにふり落とされた人もいた。 しかし、わだしも末松つあんも、よくやったもんだと思う。でもね、二人でおんなじト ロッコに乗ってね、わだしだって、急カーブ切るのうまくてね : : : 若かったんだねえ。 せ一日八十銭もらえる。それがうれしかった。末松つあんと一緒に働くのがうれしかった あの、風を切ってトロッコに乗るのが、わだしの気性に合ってたんかねえ。過ぎ去れば、 あんな命懸けのことでも、懐かしいもんだねえ。だけど、懐かしがっているだけで、 んかねえ。 とにかくね、かけそば一杯が二銭としなかった時代だよ。一銭八厘とか、一銭二厘とか ね。そんなぐらいの頃だからね、一日八十銭は大きかった。かけそばを四十人以上にごっ つおうできるわけだからね。ほんとにありがたい出面賃だった。 とま、さっきも言ったようにさ、坂ばころがるように、貧乏になっていく真っ最中の小 るの家に、なんで嫁に来たもんだかね。わだしが十三だの十四だのっちゅう子供だったから 何の考えもなく、お父つつあんやおっかさんの言うとおり、馬橇に揺られて嫁人りしたん 章 うわさ 第だねえ。もしも十七、八になっていたら、小林の家の噂を聞いて、そんなに借金のある家 なら、こりや大変だと、ちょっと考えたかも知れないね。 だけどね、あんた、わだしは貧乏の苦労こそしたけど、末松つあんと一緒になったこを

7. 母 (角川文庫)

は目と鼻の先にあるからね。汽車が入ってから多喜二は、大急ぎで汗ば拭いて、ワイシャ ッば着て、背広に手を通して、家を飛び出して行くの。多喜二が構内ば走って汽車に飛び 乗ると、汽車は小樽のほうさ、シ = ッシ = ッと出て行ったもんだった。 ええ ? なんで多喜二が餅ば搗いたって ? 誰でもそう思うわね。多喜二は小樽の拓銀 さ勤めていた。銀行で一日一杯働くんだから、出がけに餅など搗くことなど要らねべと、 誰もが思うわね。 でもね、うちはパンやら大福餅を売っていたからね、毎朝ひと臼餅ば搗かねば、間に合 わないの。三吾の店だし、三吾のほうが若いし、本当なら三吾が餅を搗けばいいわけだべ し。でも、多喜二は三吾に、その餅搗きをさせたくなかったのね。な。せかといったら、三 吾の手はバイオリンを弾く手だ、重い杵など持って餅ば搗いたりしたら勘が狂う。そした ら、三吾は決していい。ハイオリンの弾き手にはなれないべってね。多喜二はそんな弟思い ち 立の兄貴だった。 章本当にねえ、自分だって毎日銀行さ行って、一日一杯働いて帰ってくると、飯もそこそ 第こに小説書いて、夜中までごそごそ起きているというのに : : : 。餅搗くために、それだけ 早く起きねばならないわけだからねえ。私は、わが子ながら偉い奴だと、なん・ほ思ったか わからん。 きね

8. 母 (角川文庫)

あん時、もし多喜郎が死なんかったら、わだしら、小樽には渡る気はなかったかも知 ん。んだども、あの病院の部屋で死んだ多喜郎の姿が目に浮かぶと、何だかまだ多喜郎 さび 一人淋しく、あの病院のあの部屋で、死にそうになっているような気がしてね。可哀相一 可哀相でならんかったの。 わだしは多喜郎のそばにいるつもりで、半病人をつれて、子供たちと、一家を引きつ」 て、小樽さ移り住むことに決心したの。慶義あんつあまも、 「小樽さ来い、小樽さ来い。パンこ売ってでも、小樽だば生きていける」 にぎ なんていうもんだから、わだしも本気になったわけね。ま、一度小樽の賑わいば見て たこともある。慶義あんつあまの繁昌ぶりを、ちらっとでも見て来たっちゅうことも、 だしば決心させたかも知れないね。 わず わだしは、前にも言ったとおり、嫁入り前から、僅かな客だども相手にして、そば屋。 かご かぼちゃ るたこともある。嫁っこになってからも、毎年、豆だの、南瓜だの、人参だの、野菜籠ば北 負って、 章 第「ええーー南瓜」 「ええーー大根」 などと呼ばわりながら、大館の町さよく野菜売りに行ったこともある。人に物売って、 おおだて

9. 母 (角川文庫)

114 か電球を明るいのと取り替えでもしたように、うちん中が今までより明るくなったような 気がした。 春になると、三吾やッギたちは、毎年のように海べに流れ木ば拾いに行ったもんだ。タ ミちゃんのいたそん時も、三吾やッギたちが、流れ木ば拾いに行く。家の裏に築港駅の構 また 内があってね、そこの構内の線路ば何本も跨いで、海べまで行く。打ち上げられている流 れ木を、それそれが拾い集めて、縄で括って背負って来る。 するとね、あんた、それと知ったタミちゃんが、うちの娘らと一緒に、線路ば跨いで浜 まで行くの。うちの子らは、山木の店にいて水仕事ひとっしなかったタミちゃんが、流れ 木拾うのを見てびつくらこいて、 「いいから、 ととめるども、タミちゃんは、 「わたし、みんなと一緒にこんな仕事をするの楽しい ? って、人の心融かすみたいな、あったかーい笑顔見せるもんだから、ますますうちのツ ギたちはタミちゃんば好きになってね。 ええ、わだしが店でお客さんの相手ばするから、タミちゃんはご飯の仕度までしてくれ

10. 母 (角川文庫)

たら、足がざわざわとして、カが脱けた。 「多喜郎 ! 多喜郎ー と、ゆすったって、叫んだって生き返らん。多喜郎のだんだん冷たくなっていく体ば抱 きしめて、わだしも死んでいくような気持ちだった。 ・ほんやりしていた末松つあんが、不意に叫ぶような大声を上げて泣いた。あんな悲しい 目に遭ったのは、わだしには生まれて初めてだった。 はあ、忘れもしない、明治四十年の十月五日のことでした。人間、生きるって、大変な つら ことだねえ。それよりもっとひどい死に方をした多喜二のことを思うと : : : 生きるって辛 いもんだねえ わだしら夫婦は、多喜郎の骨箱ば抱えて、川口さ帰って行った。もう末松つあんもわだ しも、話す気力さえなくなった。飯食う元気さえなくなった。 そのうちに末松つあんも、長い間の心労に加えて、多喜郎の悲しい死に遭って、すっか り半病人になってしまった。 ええ、末松つあんって、そりや、優しい人だったからねえ。 破産ですっかり心臓を弱め、百姓仕事で身体をすっかりいため、多喜郎でがつくりやら れ、もうすっかり参ってしまったのね。