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検索対象: 母 (角川文庫)
189件見つかりました。

1. 母 (角川文庫)

と言われた。この時ばかりは多喜二も、珍しくむっとしたと言っていたがね。わだしは 慶義あんつあまに、とにかく感謝しているの。 そりゃあねえ、慶義あんつあまは金持ちだよ。末松つあんの兄さまだよ。先祖伝来の田 畑やら家をなくしたのは慶義あんつあまだよ。だから少しぐらい助けてもらって、ありが たく思うなって、人は思うべけど、慶義あんつあまだって、失敗したくて失敗したわけで をなし、・ すいぶんと苦しい思いをしたんだべし、わだしは、子供たちがそれそれ世話にな ったこと、ただありがたいと思っている。 とは言っても人間だねえ。何もうちの多喜二ば、店員同様にこき使わんでもいいのにな んて、つい思ってしまったりしてね。もし働かずに、ただ学資をもらっていたら、その金 はお恵みだもんね。人間滅多に、ただで金なんか出してもらってはならんわね。たとえ年 むく がいかなくても、働けるだけ働いて報いなければ、そりや乞食というもんだ。 ち 立考えてみるとね、小樽に住んでいる者でも、みんながみんな、商業学校だの、中学校だ の、女学校だのに進むわけではないのね。なん・ほか中学に行きたいとか、女学校に行きた 章 あきら 第いと思った子供もいたのね。みんな諦めて働きに出たのね。それば思うと、やつばりあり : こいと、つくづく思うんですよ。 まめい チマもね、女学校に行きながらよく働いた。秋になるとね、近所の豆炒りエ場が忙しく あに

2. 母 (角川文庫)

118 だしは同じ貧乏人の仲間だ ) って、思ったことはない。 タミちゃんは、あん時、自分は多喜二の嫁さんになれる女じゃないって、はっきり思っ たにちがいない。高商を卒業した多喜二には、。ヒアノを弾ける学校出のお嬢さんがちょう あきら としいと、諦めたにちがいない。人間って、知らんうちに、人の心ば淋しくさせているも んなんだねえ。 それでも、タミちゃんは次の日もにこにこして、ご飯炊きしたり、掃除したり、流れ木 拾いに行ったりして、ほんとにくるくるとよく働いた。多喜二も、小説が思うように進む と言って、喜んでいた。けど、うまくいけばいくほど、一日も早く東京に行って、向こう で小説書きになりたいと思っていたようだった。 「母さん、おれが東京に行ったら、タミちゃんば頼むな」 と、タミちゃんのいる前でも一言うようになった。多喜二としては、東京で食べられるよ うになったら、タミちゃんを嫁に迎えるつもりだったかも知れないのね。だどもタミちゃ んは、わだしにこう言っていた。 「多喜二さんは、わたしがここにいたら、東京に行きづらいかも知れないわね」 「そんなことあるもんか、何ば遠慮してるの」

3. 母 (角川文庫)

れたの。わだしが嫁入りした小林の家の、すぐ近くの駅前に建っていた。わだしはそれを 見て、何とも一言えん気持ちだった。あの小林の家は、わだしが十三の時に嫁に行った家だ からね。まだ子供のわだしば、末松つあんはめんこがってな。字は読めんくても、一度だ って馬鹿にしたことはなかった。よく小説を読んでいた。あの末松つあんの血が、多喜二 わらぞうり に流れていたわけだ。多喜二は、あの石碑の建った辺りば、藁草履はいて走りまわってい たもんだ。わだしと末松つあんが、工事場のトロッコさ乗って汗ば流してた時、多喜二は 何べん現場までわだしらば見に来ていたべ。 そう、あそこは多喜二の生まれた場所だ。多喜二の小っちゃな胸に、父親と母親がトロ ッコ押しをしている姿が、どんなに映ったもんだべか。きっと、たびたび思い出していた んでないべか。今はもう聞くすべはないども、多喜二が監獄に七カ月も入れられた時、あ の生まれ故郷の夢ば見なかったとは言えないべ。思い出さんかったとは言えないべ。何せ 貧乏村だった。あの辺一帯は貧乏だった。十五、六の娘たちは売られていった。父親につ れられて、自分の親きようだいばふり返りふり返り、売られて行った姿ば、多喜二は死ぬ までに何べん思い出したことだべか。 まさか、その故郷に、自分の石碑が建つなんて、想像もしなかったべな。あの多喜二の 最期はむごたらしくて、末松つあんは何も知らんで死んでよかったと思ったけど、あの村

4. 母 (角川文庫)

でもねえ、時代というのかねえ。あの時代は、村全体がだんだん貧しくなる一方の、 りぎれん時代でもあったのね。それまではね、貧しい農家は、みんないろいろ手内職を 1 ていたもんだったの。それがね、東京辺りから、どんどん安い品物が村々に入って来たか うちわ ら、団扇作る内職なんかも、立ち行かんくなってしまった。 うそ にしん ちょうどその頃ね、北海道では鰊景気に湧いていた。嘘かほんとか、北海道の浜には市 が押し寄せてきて、こんまい子供でも、手づかみで鰊ば取ったっちゅう話だった。 秋田から北海道っていう所に行くには、なんせしよっぱい海を渡って行かねばならない ふところ ずいぶんと遠い所の気持ちがしたども、それでも鰊場さ稼ぎに行けば、何十円か懐に入 て帰って来られる。そう言って男たちは、北海道さわれもわれもと稼ぎに行くようになっ 荒海渡って北海道に行く気になれん者は、近くの山の造材に雇われて、ひと冬家さ帰っ て来んかった。それでも、無事にひと冬終わればよかったども、時々怪我する者が出てね その頃、 「怪我と弁当は手前持ち」 って言ってね、親方は見舞金一銭くれるわけでなし、怪我した者は充分に医者にかかる っえ わけにもいかず、一生足ば引きすって歩くようになったり、杖をついても歩けんようにな

5. 母 (角川文庫)

ぜん ったり、そりゃあ惨めなもんだった。 今考えると、どうしてあんなにひどい扱いを受けたもんだか。怪我した者も、怪我した 自分が悪いみたいに、ちんこくなって、医者代くれだの何だのと、言い出す者もなかった。 中には恥を忍んで、医者代ば親方の所に借りに行った者も、たまにはあったらしいけど、 「怪我と弁当は手前持ちだ ! 」 と怒鳴られて帰って来るのがおちでね。今みたいに健康保険があるわけでなし、まあひ どい世の中だったもんだった。 あれはまだ、長男の多喜郎の生まれない明治二十六年頃だったと思うがね、青森から大 おうう 館までの、奥羽本線の工事が始まったの。そして、大館から秋田までの鉄道工事が、川口 でめんちん で始まったらね。何せあの頃で出面賃が一日八十銭というの。貧乏人にとっては、大変な 銭こでね。男も女もみんな張り切って日雇いに出たもんだ。 ああ、仕事かね。それがさ、危ない仕事で、トロッコ押しが主な仕事だったの。のたの たトロッコば走らせるわけにいかんべさ。トロッコに土ば一杯積んで、線路の上を走って 行く。そのトロッコが山を削った曲がり角を、勢いつけて走って行く。その時、急ブレー キをかけてね、うまくカーブば曲がって行かねばならん。これがむずかしかった。下手を

6. 母 (角川文庫)

三星の慶義あんつあまのところさ走って行って、こうこうこういうわけでございますと、 よっぽど言ってみるべかと思った。しかし、おいそれと返せる金ではない。返しもできん 金を借りることは、わだしらにはできんかったもんね。 したらどうしたらいいべ。あん時は頭を抱えた。そしてふと考えついた。んだ ! 簀の 子をくぐって、指輪はとうに流されていたと思っていたけど、万が一、流し溝の先に落と し口か何かあって、いったんはその箱のようなところに、お湯がたまる仕掛けになってる んではないべか。もしそうだら、指輪は重い物、落としロの底に沈んでいるかも知れん。 さ、そう思ったら、指輪が風呂屋の落とし口にあるような気がして、一軒置いて隣の、 大工さんの家に駆けこんだ。大工さんは、 「さてなあ、風呂屋が承知するか、どうかなあ」 ひ′」ろ と、手を組んで考えていた。が、日頃可愛がっていたチマの一大事ということで、とも かくも、一緒に札幌まで行ってけさった。大工さんと、わだしとチマの三人で、がったん がったん汽車に揺られて、札幌まで行った時の心配といったらなかった。 札幌に着くと、まっすぐに銭湯さ行った。風呂屋はわだしらの話を聞いていたが、造り つけのものを剥がされたり、壊されたりするのは迷惑だと、にべもなく断った。そして、 「お湯はじゃんじゃん流れていくんだからねえ。そったら小さな指輪、沈んでいるとは思

7. 母 (角川文庫)

「まさか、目と鼻の先に逃げこむ間抜けもあるめえさ」 あき 末松つあんが、呆れたように言った。わだしは、あん時ほど末松つあんが頼もしく思わ れたことはなかった。だってねえ、顔つきがちっとも険しくならんのね。ちっともびくび くしておらんのね。 「それもそうだな」 棒頭が納得すると、末松つあんはわだしの顔みて、こう言ったのね。 「ああ ! おセキ、したらばさっきの走ってった足音、あれタコだったんたべか」 わだしは大きくうなずいた。胸がまたドキドキした。棒頭が殺気立って、 「何足音 ? それ、どっちさ行った ? 」 と声ば、うわずらせた。わだしは左のほうば指さして、 「はい、あっちのほうさ、駆けて行ったようだったね、ね、あんた」 おおうそ と、大嘘ついた。 「おおう ! あっちか 2: じゃ、朝里のほうだな」 疑う様子もなく、棒頭は手下の者と一緒になってすっ飛んで行った。朝里のほうばなん ・ほ追っかけたって、追いつくわけないわね。うちの押入れの中にいるんだもの。 けど、どうして人間、あんなに簡単に人の言葉ば信ずるもんだか。押し問答してると、 あさり

8. 母 (角川文庫)

110 顔に輝きが出てきた。体にも力が漲ってくるように見えた。が、そのうちに、店にパンを 買いに来た近所のおかみさんが、わだしに声をひそめてこう言った。 「こんなこと言っちゃなんだけど、お宅の兄さん、奥沢のほうに女ば囲ってるって聞いた けど : わたしはそれを聞いてびつくらこいた。あわてて手を横にふって、 そりやちがう。独り者の多喜二が女など囲うわけないべし」 「とんでもない ! って言ったら、 「ああそうかい。したら、兄さんの嫁さんかい。えらいきれいな人だっていうじゃない と、独り合点して、よかったよかったと、帰って行ったのね。わだしは、 ( こりやまあ、どうしたもんだろう ) と思ったが、次の日別の人が来て、 「おばさんおばさん : : : 」 と、同じことを聞きに来た。タミちゃんは器量よしだから、街の中におけば目につくが 田舎におけばなおのこと、ばっと評判になった。多喜二に言うと、そのことは多喜二の耳 にも入っていたらしく、 のー みなぎ

9. 母 (角川文庫)

しんせき 親戚ば頼って行った先が、函館のほうの森っていう町だった。どういうわけだか、貧工 人の親戚というものは、貧乏な者が多い。タミちゃんの家とどっちこっちの家だ。そこ《 文無しの九人家族がころけこんたわけだから、どうなるかは目に見えているわね。こっ、 は懐かしくて頼りにして行ったが、十五のタミちゃんを頭に、ごしやごしやとたくさん ( ちやわん 子供がころがりこんだ。ものを食べるにも茶碗もないような有様。子供たちは、 「腹減った」 「腹減った」 につ と騒ぎ立てる。それでも、ひと月余りは何とかかんとか凌いだが、もうこれ以上は二 さっち も三進もいかなくなった。 そこで「背に腹は変えられず . というかね、器量よしのタミちゃんに目をつけた周旋〕 むろらん に勧められて、まだ男のことも何も知らないタミちゃんば、室蘭の店に売ってしまった。 でも十五の子供だからというので、初めは客を取らせなかったというけど、親たちはタ、 ちゃんば売った金がなくなると、やれ誰が病気だの、誰が怪我をしただのと、金をせび , 手紙をよこす。その金を主人に都合っけてもらえば、タミちゃんの借金が増える。で、 ミちゃんは無理矢理客を取らされることになってしまった。 可哀相に十五やそこらの娘がねえ。わだしも十三で嫁になったども、売られたのとは、 はこだて しの

10. 母 (角川文庫)

おんなじものを着せてやりたい、人の食べてる白い米のまんまを、誰にも彼にも食べさせ てやりたい、人の行く学校に、みんな行かせてやりたい、そう思ったのが、どうして悪か ったんだべ。 そうそう、多喜二がよく言っていた話があったけ。 にんとく 昔々、仁徳天皇っていう情け深い天皇さんがいたんだと。お城の上から眺めたら、かま ぼそぼそ どの煙が、細々と数えるほどしか上がっていなかったんだと。それで天皇さんは、国民は みな貧乏だと可哀相に思って、税金ば取らんようになったんだと。したらば、何年か経っ て見たらば、・ とこの家からも白い煙が盛んに立ち昇っていたんだと。天皇さんは大喜びで、 国民が豊かになったのは、わしが豊かになったのと同じことだって、喜んだんだと。 この天皇さんと、多喜二の気持ちと、わだしにはおんなじ気持ちに思えるどもね。天皇 さんとおんなじことを、多喜二も考えたっちゅうことにならんべか。ねえ、そういう理屈 にならんべか。天皇さんば喜ばすことをして、なんで多喜二は殺されてしまったんか、そ こんところがわだしには、。 とうしてもよくわかんない。学問のある人にはわかることだべ カ それはそうと、末松つあんが大正十三年の八月に死んだ話は、もうしましたね。脱腸の 手術なんかで死ぬとは、夢にも思わんかった。多喜一一が高商卒業して、その年の三月から