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検索対象: 母 (角川文庫)
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1. 母 (角川文庫)

では面倒みてやるとは言わんかった。 だども、多宣〔二としては、おとなしく引っこんでいる三吾が、どんなにか愛しかったス だべ。ある時、三吾が、水産学校の先生が弾いているバイオリンの音を聞いた。あんまり きれいな音で、ぶったまげた。そして、弾いている人の手を、一生懸命見てたんだべな。 あわ あんまり一生懸命見ているんで、その先生が憐れに思ったんだべな。ちょっくらさわら てやろうと、 「ちょっと弾いてみるか」 と貸してくれた。一緒にいた多喜二は、 C ハイオリンなんか持たされても、弾けるわけ はない ) そう思って見ていたんだって。 ところが、何ちゅうことかね、「サクラサクラ」を、一曲弾いてしまった。むろん、 空少しはつつかかったども、とにかく弾けた。そこでそこにいた者たちがぶったまげて、 騒ぎになった。 章「天才だ」 第「凄い天才だ」 うわさ という噂が、ばっとひろがった。 末松つあんがその話ば聞いて、何か思案していた。そしてある日古道具屋に行ってみた

2. 母 (角川文庫)

192 と思って、わだしもふらふらと入ってみたこともあった。なんて馬鹿な奴だと思うべな。 けどな、一一一吾と二人っきりの、あのちんこい家に朝から晩まで、じーっとしてはいられ んかった。なん・ほ針仕事が好きだからって、一日誰とも口を利かずに縫物してたら、頭ん もも 中は、あの死んだ夜の、でつかい丸太ん棒のようになった多喜二のどす黒い腿だの : : : そ んなものばっかり思い出されて、たまんなくなるの。家にいるよりはまだ、外ば歩きまわ ったほうが、少しは気が楽だ。 しかしまあ、よく気も狂わんと生きてたもんだなあ。何度死にたいと思ったことがあっ たかわからんども、三吾が帰って来て、冷たくなったわだしを見たら、どんなに悲しむべ と思ってな。 ( わだしは多喜二だけの母親ではない ) そう何度自分に言い聞かせたもんだか。 何 ? 夢ば見たかって ? ああ見た見た。夢ば見たどころの話じゃないわね。そうだな あ、多喜二が死んで五年がほどは、多喜二の夢ば見ない日は一日もなかった。寝てもさめ ても、多喜二のことは身に沁みついていたんだなあ。 ちゃぶだいへり 赤ん坊の頃の多喜二が、部屋の隅からって来て、卓袱台の縁につかまって、一人で立 かばん ち上がって、うれしそうににこっと笑った顔の可愛い夢も見た。小学生の多喜二が鞄ばが

3. 母 (角川文庫)

とうとうタミちゃんは、四月には東京に行くことに決めた。それで多喜二は一足先に東 京さ行って、家ば捜すべということになった。金の面でも多喜二が面倒みて、髪結いさん の学校ば出してやりたい思いになったんだべし。二人で世帯も持ちたいと思ったんだべし。 なんだって、かんだって、多喜二だって二十八だもんね。タミちゃんに手もつけず、ずー っと勉強せ勉強せって、まるで学校の先生みたいに、タミちゃんに本ば読ませてきた。タ ミちゃんもそれば喜んで、頑張って勉強してきた。多喜二は、 「母さん、おれ、タミちゃんの生きる姿を見てると、希望が湧いてくる。本当に上を見て 生きる人間っているんだなと、感激する」 って、よく一言ったもんだ。 銀行は馘になったども、本はそくそく売れて、三吾が言ったように、多喜二は日本一人 気のある小説書きになった。わだしは多喜二に、 行 「何しろお前は日本一の小説家だから 尾 章と言ったら、多喜二は笑って、 しつもいうとおり、いっ時も同じ状態ではいないんだよ。今に 第「母さん、この世の中は、、 おれの小説なんか、誰も読まん時がくる」 って言った。

4. 母 (角川文庫)

きとく もんだべか。多喜郎が急性腹膜炎で、危篤だという電報が入った。雨のしとしと降る陰気 な日でね。 電報みて、びつくりこいた。わだしらには、急性の腹膜がどんな病気だかわかんねかっ たども、危篤だと聞いて、親戚の家さ金借りに走った。小樽まで行く汽車賃など、なかっ たからね。 とにかく、わだしと末松つあんは無我夢中で小樽に駆けつけた。汽車ん中でも走って行 きたい思いだった 多喜郎は腹をばんばんに腫らして、肩で息ばしてた。可哀相に、親元離れて、一人淋し く病院の畳の上に寝てたかと思うと、涙も鼻もごっちゃに出た。生きた心地がしなかった。 何としてでも命だけは助けてやりたいと、村の神さんから仏さん、地蔵さんからお不動さ とん、それこそ知ってる限りの神さん仏さんの名ば呼んで、必死になって祈った。 る だけども、祈りは聞かれんかった。多喜郎の傍さ駆けつけて一週間目、多喜郎は、 ふ 「寒い、寒い」 章 と言ってね、それでもわだしと父つつあまの顔を見て、少し笑ったような顔をしたども 第 : そのまま死んでしまった。 足から血が引くようだという言葉があるども、あれは本当だね。死んだ多喜郎の顔ば見

5. 母 (角川文庫)

194 と叫んだ夢も見た。 多喜二の手が、ひょいとわだしの肩におかれて、 「じゃ、行って来るからな」 って、にこっと笑う多喜二にしがみついたら、ちゃんと体があるの。わだしは気がふれ たよ、つに、 「多喜二 ! お前生きてるんだな ! 生きてるんだな ! 夢でないんだなっ」 って、その体に本当にこの手でさわった夢もみた。 さび 「生きていた ! 」と胸とどろかした夢を見たあとは、悲しいの、淋しいのなんていうもん じゃない。三吾に聞こえんように、布団ば頭からかぶって、声を殺してなん・ほ泣いたもん ナカ 起きてる時は、多喜二を思い、眠ってる時は多喜二の夢を見、ほんとに切ない年月だっ たた た。時には、多喜二が警察でぶつ叩かれている夢ば見たり、五寸釘ば足にぶちこまれて、 血が飛び散っている夢も見た。そんなあとは、何とも哀れでな。せめてひと思いに、包丁 だま で刺されて死ぬとか、鉄砲弾丸に撃たれて、すぐにばったり死ぬとか、そんなふうに死な せてくれんかったもんかと、夜の明けるまで、まんじりともせずに、思ったもんだ。 三十年近く経ったこの頃でも、多喜二が玄関から入って来る夢だの、わだしの隣でご飯

6. 母 (角川文庫)

くる・・ 服で思い出したけど、あれは多喜二がなんぼの時だったかね。小学校に入った年か、入 る前の年かね。多喜二とチマとッギが並んで撮った写真があるの。多喜二はちゃんと冴織 はかま ながそで 袴を着てね、チマも黒紋付に袴、ツギも長袖に真っ白いエプロンっけて、うれしそうに写 ってるの。あの写真見たら、 しいとこの坊っちゃん嬢ちゃんと思うべけど : : : 実はね、全 くの馬子にも衣装で、近くの水産学校の校長先生んとこから借りた借着なの。この校長先 生たちが親切な人たちでね、自分の子供さんがたの晴着を、そっくりそのまま貸してくれ てね、写真まで撮ってくれたっちゅうわけなの。多喜一一が死んでから、うちに来た人たち がその写真ば見て、 うそ 「貧乏育ちだ、貧乏育ちだって聞いていたけど、あれは嘘だね。小説の中だけの話だね」 って、がっかりしたように言ったもんだけど、 「なあに、あれは借着だったんだ」 って言ったら、みんな黙ってしまった。借着して写真写す暮らしなんて、人は想像もで きないのね。 多喜二たちの運動会のことを思うと、あの借着の写真ば、多喜二はどんな気持ちで眺め ていたかと : : : 胸が : : : 痛くなるような : : ほら、この写真だ。多喜二は前歯出してうれ まご

7. 母 (角川文庫)

食べてる夢だの、 「タミちゃんところへ行ってくる」 なんて、照れたように笑って出て行く姿だの、月に何回かは見る。 けどな、不思議なもんで、あの惨たらしい死体になった夢や、拷問されている夢は、あ んまり多くは見んかった。笑顔の多い子だったから、夢の中でもニコニコと笑ってること が多いのね。 夢って、いったい何だべな。それでも夢にでも現れてくれれば、そりゃあ泣いたり辛か ったりしても、やつばりほんとうに会ったような気が半分はして、慰められるもんだ。こ さび れ、絶対夢を見ないもんだら、淋しいもんでないべかね。 世の中には、いろんな悲しい思いをしてる人があるべな。そりゃあ、重い病気で死なれ たり、苦しんで死なれたり、自殺されたり、人に殺されたり、海や山で災難に遭ったり、 いろんな死に方はあっても、多喜二ほど惨たらしい死に方をした息子ば持った人は、そう 多くはいないべな。 何だか話が愚痴つぼくなって悪かったね。ふだんわだしは、他の人にも、子供たちにも、 こったら愚痴をこぼしたことはない。でも今日は、ほかならぬあんたさんに、多喜二の話 をしてくれって言われたから、思い切って甘えてみた。

8. 母 (角川文庫)

待 っ て と そ ろ つ と な あ 175 に聞 玄冫 気力 あ何 で鏡小か か料 け理 し少 多持 っ裏 出赤信仲 何ナ い入 の明 る何 小切 知何 っ船けを が つね ら 。す 、ち の船 いそ 察張約着わ察 : fi 并 に重 っ何 い見 て束何親 第六章 あ あ そ た ら と 、さ つ て 彳コ・ つ っ ナこ だ け 、月匈 が り さ 事け店 そ う オど そ ク ) っ店オ は な 船 っ て 男 は オよ 力、 つ オこ そ そ の 代 わ り の 刑 た ち が そ ろ お り そ の て屋そ に 顔 を た っそ料 れ 変 。船壮待 て ロ イ ド 目艮 ソ フ ト ば か ぶ て 待 て ゆ う 束 の つ て つ 多喜二の死 っ る て っ で 屋 理 の し坂用 も 日 の ら ぇ ね ら 知 し て く れ て 多 も し い と ろ が れ カ ; 言 の ス イ だ た も い た 話 だ け 兄 間 に っ て た男や カ : い た だ の をま う を り ロ の ほ う 見 、た り し な が し、 り ば っ ど だ と た 経 ね年た ど十見 う も 関捕馬 ま っ て い た な / し て に も ら ん か つ た 力、 ら ね 鹿 な も ん だ ね 。わ し は も 知 ら ん か た 手 の 察 に ぎ 昼 の 日 の は 。喜 う る か し た そ し て わ だ は 喜 好 き な をま 水 ば 豆 た 来 て 送 ら か 樽 小 と へ る く っ を 餅と オよ が し て し ち く な つ る大て つ縞三そ 着 物 て マ ン ト 行着約 に ロ れ て 多 喜 は 出 の は 辛 し と か ら み ん な 切冫 と か に 多 が の と わ だ し 、ナこ の 壹あ用窓過 ば し て た ひ よ ひ ょ し、 と の ほ う を た り そ ん と た だ か と に 多 喜 が う よ る く て ら か ロ 裏 と よ ひ

9. 母 (角川文庫)

言って、捕えていきなり竹刀で殴ったり、千枚通しで、ももたばめったやたらに刺し通 1 て、殺していいもんなんだべか。警察は裁判にもかけないで、いぎなり殺してもいいも / なんだべか。これがどうにもわかんない。 こんな場合、警察のしたことは人殺しっちゅうことにはならないんだべか。わだしは、 法律っちゅうもんが、どんなふうになってるもんだか知らないけど、警察で悪いとみたス 誰でも彼でも殺していいとは、何としても考えられない。 あの多喜二が死んだあと、わだしはしばらくの間、真夜中にふーっと布団の上に起きト がる癖があったらしいの。今でも三吾がその時のことを話して、 「ひょいと見ると母さんが、すーっと布団の上に起き上がってるの。そして何やらぶつ しゃべ っ喋ってるの。あれは無気味だったなあ」 ってね、よく言ってた。んだべなあ。寝てると思ってたわだしが、すーっと起き上がっ て、ぶつぶつものを言ってたら、こりゃあうす気味悪かったかも知れないわね。 でも、あの頃のわだしは、幽霊みたいなもんだったからね。昼でも、どこ見てるかわか らん目付きしてたべし、急に涙。ほろ。ほろっとこ・ほしたりして、 「どうしたらいいべ」 とカ、 しない

10. 母 (角川文庫)

チマが言った。 「あった ! あった ! あったーっー わだしの指の先に、確かに指輪はつままれていたの。 おかゆ すぐに陸湯で洗ってみた。間違いなくチマが借りた指輪だった。わだしとチマは、風只 場の中で、抱き合って泣いたつけ。なあ、チマ。 見ていた大工さんも、風呂屋さんも、目に涙ためていたつけ。 あきら あれ以来チマは、もともと強い子だったども、滅多なことでは諦めん根性になったね身 あのあと多喜二が言った。 「金持ちなら決してしない苦労を、貧乏人は苦労するんだなあ」 ってね。 はたち ああこん時かね、多喜二はまだ高商に通っていた頃だから、そうだねえ、数えで二十だ った。そうだ、思い出した。多喜二はね、あんたさん、チマの嫁入りの時、ぼっといなく なってしまった。どこさ行ってたと思うかね ? なん・ほ貧乏人だといっても、一応はそ なりに慶義あんつあま夫婦だの、近所の人たちがお祝いに来てごたついていたの。 けどね、多喜二は初め、その部屋の柱に寄っかかって、花嫁姿のチマば、じーっと見つ めていたんだけどね、どうしたわけか、チマが家から出る時は、多喜二の姿が見えんかっ