・もう もうそ - つろ 便りをよろこびて申し候ふ。たびたび便には申し候へども、まゐりてや候ふ らん。 ことししにどしもうそうら ことしはちじゅうさん 今年は八十三になり候ふが、去年・今年は死年と申し候へば、よろづつねに そうら 申しうけたまはりたく候へども、たしかなる便りも候はず。 そうろ しと - っ おもそうら ごじゅうそうろとうしちしやくそうろ さて、生きて候ふときと思ひ候ひて、五重に候ふ塔の七尺に候ふ石の塔をあ し ・も・つそ - つら 、まはところども つらへて候へば、このほどは仕いだすべきよし申し候へば、し こ うそうら げにん そうら はなれ候ひて、下人どもみな逃げ失せ候ひぬ。よろづたよりなく候へども、生 おもそうら そうろ きて候ふとき、たててもみばやと思ひ候ひて、このほど仕いだして候ふなれば、 ・も そうら そうろ これへ持つほどになりて候ふときき候へば、 いかにしても生きて候ふとき、た おもそうら ててみばやと思ひ候へども、 いかやうにか候はんずらん。そのうちにもいかに こ そ - つら おも そうろ もなり候はば、子どももたて候へかしと思ひて候ふ。 そうら なにごとも生きて候ひしときは、つねに申しうけたまはりたくこそおぼえ候 恵信尼消息六 たよ り。よろづ尽しがたくて、かたくてとどめ候ひぬ。あなかしこ、あなかし そうろ 0 そ・つら そ - つら そうら つく そ - つら そうろ そ - っ・り そうろ びん そ - つら も - っ たよ そうら もうそ - つら し そうろ ある。 去年弘長三年 ( 一二六 これのと小黒女房の子ど もたちと思われる。 0 八一九
よるかそうら ごらんえそうら ば、夜書き候へば、よにくらく候ひて、よも御覧じ得候はじとてとどめ候ひぬ。 たそうら びん そ・つ、り おんふみ た また、針すこし賜び候へ。この便にても候へ。御文のなかに入れて賜ぶべく そうろ おお そうら そう、り きんだちおんこと 候ふ。なほなほ公達の御事こまかに仰せたび候へ。うけたまはり候ひてだにな そうろ そうろ そうら そうら ぐさみ候ふべく候ふ。よろづ尽しがたく候ひて、とどめ候ひぬ。 また、さいさう殿いまだ姫君にておはしまし候ふやらん。 かそうろ ごらんえそうら あまりにくらく候ひて、いかやうに書き候ふやらん、よも御覧じ得候はじ。 とき やよいじゅうににちのひ * い 三月十二日亥の時 恵信尼消息 ( 宰相 ) どの そ - つら ひめぎみ つく そうら そうろ そ - つら 亥の時午後十時頃。 八二七
そうろ なり。あまりにくらく候ひてこまかならず候ふ。またかまへてたしかならん便をはりに候ふ「これが最 たそうら * 、、、そうろ 、、、にゆうどうたよ たよ後です」との解釈と、「尾 りには、綿すこし賜び候〈。をはりに候ふ、ゑもん入道の便りそ、たしかの便張に居ります」との解釈と そうら の二説がある。 りにて候ふべき。それもこのところにまゐることの候ふべきやらんときき候へ まゐる底本では上の二字 ひろう そうろ が不明。他に「かかる」「か ども、いまだ披露せぬことにて候ふなり。 へる」等と読む説がある。 * ( 光寿 ) ごぜんしゅぎようくだ またくわうず御前の修行に下るべきとかや仰せられて候ひしかども、これへくわうす御前覚信尼公の そうろ 長男で、後の覚恵法師。覚 はみえられず候ふなり。 如上人の父。 、、、どの そうろ またわかさ殿のいまはおとなしく年寄りておはし候ふらんと、よにゆかしく そうら ねんぶつもう そうろ こそお・ほえ候へ。かまへて念仏申して極楽へまゐりあはせたまへと候ふべし。 きんだちおんこと おおそうら なによりもなによりも公達の御事、こまかに仰せ候へ。うけたまはりたく候 * おととし そうら そうら ふなり。一昨年やらん生れておはしまし候ひけるとうけたまはり候ひしは、そ一昨年やらん生れて : ・一 おも そうろ 昨年は文永三年 ( 一二六 れもゆかしく思ひまゐらせ候ふ。 六 ) にあたり、この年に覚 そうら ・つ めわらわ ひととせおおうんびよう 信尼公の次男唯善が生れて またそれへまゐらせ候はんと申し候ひし女の童も、一年の大温病におほく亡 そうら もうそうろめわらわ としょ ちちごけんにん せ候ひぬ。ことりと申し候ふ女の童も、はや年寄りて候ふ。父は御家人にてむ もう むすめそうろ もう まのぜうと申すものの娘の候ふも、それへまゐらせんとて、ことりと申すにあょに無道けに候ひて非常 冫イ法なようすでありま そうら そうら ぶと - っ づけて候へば、よに無道げに候ひて、髪などもよにあさましげにて候ふなり。 して。 恵信尼消息八 八二五 そうろ わた そうら もうそうら としょ かみ ごくらく おお そうろ そうろ そうら そうろ そうろ たよ
恵信尼消息八 候はず。ただ犬のやうにてこそ候へども、今年になり候へば、あまりにものわ すれをし候ひて、耄れたるやうにこそ候へ。 さても去年よりは、よにおそろしきことどもおほく候ふなり。 あやきぬた * もう またすりいのものの便りに、綾の衣賜びて候ひしこと、申すばかりなくお・ほすりい一説に「すかい」 ま そうろ ときひ と読む。地名と考えられ え候ふ。いまは時日を待ちて居て候へば、これをや最後にて候はんずらんとの る。 とうじ そうら あやこそで 申すばかりなくおほえ候ふ みこそお・ほえ候へ。当時までもそれより賜びて候ひし綾の小袖をこそ、最後の お礼の申しようもありませ おも きぬおもて ん。 ときのと思ひてもちて候へ。ょにうれしくおぼえ候ふ。衣の表もいまだもちて そうろ 候ふなり。 きんだち * かみきんだちおん また公達のこと、よにゆかしくうけたまはりたく候ふなり。上の公達の御こ上の公達覚信尼公の娘宰 相か、長男覚恵法師のこと よ そうろ いちど とも、よにうけたまはりたくお・ほえ候ふ。あはれ、この世にていま一度みまゐであろう。 そうろ みごくらく そうら らせ、またみえまゐらすること候ふべき。わが身は極楽へただいまにまゐり候 はんずれ。なにごともくらからず、みそなはしまゐらすべく候へば、かまへてかまへてかならず。※ ごくら・、 おんねんぶつもう 御念仏申させたまひて、極楽へまゐりあはせたまふべし。なほなほ極楽へまゐ なにごともくらからず・ そ・つ、り すべてのことが明らかにご りあひまゐらせ候はんずれば、なにごともくらからずこそ候はんずれ。 覧になれる。 もう そうろ * びんもうそうろ またこの便は、これにちかく候ふみこの甥とかやと申すものの便に申し候ふみこ巫女か。 そ - つら そうら びん そうら そうら たよ ごくら , 、 そうら そ - つら そうら た ことし そうら そうら そうろ そうろ そうら そうろ そ - つら そ - つら 八二四
そうろ じようそうろ 生候ふとも十年は生くべしと仰せられ候ふところに、なにかと申され、おしおしかへしくりかえし。 ごおうじよう いちねんぞんめいそうろ おお そうろ かへし、生くべしと仰せられ候ふところ、御往生ありて一年存命候ふところ そうろ おお そうろ ぜんぜんじゅうしようにん ほうきよう ひとおお に、法敬にある人仰せられ候ふは、前々住上人 ( 蓮如 ) 仰せられ候ふにあひま いちねんぞんめいそうろ いのちぜんぜんじゅうしようにん うしたるよ、そのゆゑは、一年も存命候ふは命を前々住上人より御あたへ候 そうろ ふことにて候ふと仰せ候へば、まことにさにて御入り候ふとて、手をあはせ、 そうろ ・もう そうろ ぜんぜんじゅうしようにんおお ありがたきよしを申され候ふ。それよりのち、前々住上人仰せられ候ふごと そうろ ふしぎ じゅうねんぞんめいそうろ みようがかな く十年存命候ふ。まことに冥加に叶はれ候ふ。不思議なる人にて候ふ。 ( 一一六五 ) ( 一一六六 ) ごおん しようにん そうろ れんによしようにん * もの 一、蓮如上人、物をきこしめし候ふにも、如来・聖人 ( 親鸞 ) の御恩にてまし物をきこしめし候ふ食物 おお ひとくち おばめ をめしあがられる。 おんわす まし候ふを御忘れなしと仰せられ候ふ。一口きこしめしても思し召しいだされ そうろ うんぬん そうろ 候ふよし仰せられ候ふと云々。 こと * じようじよう むよう つかまっそうろぎみようが 一、事ごと無用なることを仕り候ふ義、冥加なきよし、条々、い そうろ れ候ふよしに候ふ。 そうろ そうろ 蓮如上人御一代記聞書末 おお そうろ じゅうねん おおそうら おお そうろ そうろ によらい おんい ひと もう て おん おお つも仰せら条々それらのこと。 そうろ さにて御人り候ふそのよ うでございます。
( 七 ) たよ そうろ もうそうろ 、、、にゆうどうどのおん ゑもん入道殿の御ことばかけられまゐらせて候ふとて、よろこび申し候ふな去年文永二年 ( 一二六 おお 五 ) 。 り。この便りはたしかに候へば、なにごともこまかに仰せられ候ふべし。あとけ腹下痢と吐き気を伴 った胃腸病かと思われる。 なかしこ。 耄れて : ・もうろくしてど うにもしようが亠めりませ ん。 寅の年のものこの記述か 便りをよろこびて申し候ふ。 ら恵信尼公が寿永元年 ( 一 * こぞ はづき - * は、り さては去年の八月のころより、とけ腹のわづらはしく候ひしが、ことにふれ一八一 l) 壬寅の誕生であ 0 、・ーー諸 0 えそうろ としけ そう、り ることカ半る てよくもなり得ず候ふばかりそ、わづらはしく候へども、そのほかは年の故に ちあるもの血縁関係のあ そうら そ - つら ( 正体 ) ことしはちじゅうろく るものという意味か。 て候へば、いまは耄れてさうたいなくこそ候へ。今年は八十六になり候ふそか 御家人一般には鎌倉幕府 * とらとし し、寅の年のものにて候へば。 から本領安堵された武士の ことだが、ここでは武家に そう、り またそれへまゐらせて候ひし奴ばらも、とかくなり候ひて、ことりと申し候仕えている人というほどの 内、 さぶろう、 ・も - っそうら そうろ にゆうどう そうら 意味であろう。※ ふ年ごろのやつにて、三郎たと申し候ひしがあひ具して候ふが、入道になり候 ょにおだしくうく候ひし もうそうろ にゆうどう たいそうおとなしく落ちっ ひてさいしんと申し候ふ。入道めにはちあるもののなかのむまのぜうとかや申 いておりました者で。「う そうろ * ごけにん ことしとお そうろ むすめ はは * く」を「かく」「うへ」な して御家人にて候ふものの娘の、今年は十やらんになり候ふを、母はよにおだ どと読む説がある。 そうら そうら そうろ ひととせ * うんびようとしし しくうく候ひし、かがと申してつかひ候ひしが、一年の温病の年死にて候ふ。 温病熱病。はやりやま おやそうら そうろ 親も候はねば、ことりも子なきものにて候ふ。ときにあづけて候ふなり。 恵信尼消息七 とし たよ * ほ も・つそうろ そ - つら もう こ そ - つら やっ そうら そうら そうろ そうろ そうろ も - っそうろ も・つ 、 0 ・
恵信尼消息七 もうそうらむすめ 当時ただ今。現在。 いんめつ それまた、けさと申し候ひし娘の、なでしと申し候ひしが、よによく候ひし 大事底本は湮滅して読め とし うそ - つら うんびよう ははそうろ かしらはれものとし ない。ここでは「大事」 も、温病に亡せ候ひぬ。その母の候ふも、年ごろ頭に腫物の年ごろ候ひしが、 ( 重い病気のこと ) とする * とうじ * だいじ もうそうろ むすめひとりそうろ ことしはたち それも当時大事にて、たのみなきと申し候ふ。その娘一人候ふは、今年は二十説に従った。 そうろ そうら いとへ底本では「い」に になり候ふ。それとことり、またいとへ、またそれにの・ほりて候ひしときおと 続く一一字が不明で、他に ほ - っ . し 、、しろ - つも - っそ - つろ も - っそうら 「こく」「さく」「とく」等 法師とて候ひしが、このごろとう四郎と申し候ふは、まゐらせんと申し候へば、 と読む説がある。使用人の ちちはは もうそ - つろ もうそ - つら 名前と思われる。 父母うちすててはまゐらじと、こころには申し候ふと申し候へども、それはい それに京都の覚信尼公の なか * ひと もとへ。 かやうにもはからひ候ふ。かくゐ中に人にみを入れて代りをまゐらせんとも、 かく底本では不明。「か くりさわ もうそうろ く」かと思われる。 栗沢 ( 信蓮房 ) が候はんずれば申し候ふべし。ただし代りはいくほどかは候ふべ 人底本では不明。「人」 そうろ もうそうろ おとこよ * かと思われる。 きとぞお・ほえ候ふ。これらほどの男は世にすくなく申し候ふなり。 すく底本は湮減して読め こそで そうろ こそで また小袖たびたびたまはりて候ふ。うれしさ、いまはよみぢ小袖にて衣も候 よみち小袖「よみち」は ・も・つ * そうろ きそうろ はんすれば、申すばかり候はずうれしく候ふなり。いまはあまり着て候ふもの黄泉。死に装東。 く候底本は湮減して読め おも そうろ ときひ は、最後のときのことはなしては思はず候ふ。いまは時日を待っ身にて候へば。 宰相殿覚信尼公と日野広 びん こそでた おお 、、、にゆ - っ またたしかならん便に、小袖賜ぶべきよし仰せられて候ひし。このゑもん入綱との間に生れた娘で、実 悟の『日野一流系図』に「字 ど・つたよ * さいしようどの 道の便りはたしかに候はんずらん。また宰相殿はありつきておはしまし候ふや光玉」とある女性に当るだ ろうとされる。※ * きんだち そうろ 公達子どもたち。※ らん。よろづ公達のことども、みなうけたまはりたく候ふなり。尽しがたくて そ - つら そ - つら そうろ そ・つら そ - つら も - っそうら かわ かわ そうら ま み つく そ - つら そうら そ - つ、り そうろ そうろ きぬそうら
親鸞聖人御消息一七 ひ しんさだ そうろ ふ。それも日ごろひとびとの信の定まらず候ひけることのあらはれてきこえ候 ふびんそうら ふ。かへすがヘす不便に候ひけり。 じしんばうもう ひ しん 慈信坊が申すことによりて、ひとびとの日ごろの信のたちろきあうておはし そうろ しんじん まし候ふも、詮ずるところは、ひとびとの信心のまことならぬことのあらはれ そうろ て候ふ。よきことにて候ふ。それをひとびとは、これより申したるやうにおぼそれを慈信房が言ってい そうろ そうら ることを。 しめしあうて候ふこそ、あさましく候へ。 これより私 ( 親鸞聖人 ) ひ おん の方より。 日ごろやうやうの御ふみどもを、かきもちておはしましあうて候ふ甲斐もな そうろ ゆいしんしよう そうろ くおぼえ候ふ。『唯信鈔』、やうやうの御ふみどもは、いまは詮なくなりて候ふ そうろ そうろほうもん そうろ せん とお・ほえ候ふ。よくよくかきもたせたまひて候ふ法門は、みな詮なくなりて候 じしんばう ふなり。慈信坊にみなしたがひて、めでたき御ふみどもはすてさせたまひあうめでたき御ふみ立派な書 そうろ そうろ せん ゆいしんしよう 物。ここでは『唯信鈔』等 て候ふときこえ候ふこそ、詮なくあはれにおぼえ候へ。よくよく『唯信鈔』・ の書物のことを指す。 とし ごせものがたり ごらん しん そうら 『後世物語』なんどを御覧あるべく候ふ。年ごろ信ありと仰せられあうて候ひ けるひとびとは、みなそらごとにて候ひけりときこえ候ふ。あさましく候ふ、 そうろ あさましく候ふ。なにごともなにごとも、またまた申し候ふべし。 しようがっここのかのひ しんらん 正月九日 親鸞 せん そうろ そうろ そ - つら おん そうら おん そ - つら も - っそうろ そうろ おお せん そうろか そうろ 七七四
そうら るともやみ、とどまるともやみ候はんず。おなじくは、みもとにてこそをみもとにてこそ : ・親鸞聖 人のお側で、死ぬものなら そうろ おん はり候はば、をはり候はめと存じてまゐりて候ふなり」と、御ものがたり ば死のうと思って参上しま そうら そうろ ごしんじん ぜんどうかしようしやく 1 レこ 0 候ひしなり。この御信心まことにめでたくおぼえ候ふ。善導和尚の釈 ( 散 ひゅ 善義 ) の二河の譬喩におもひあはせられて、よにめでたく存じ、うらやまよにほんとうに。※ なもむげこうによらい なもふか なもあみだぶつ そうろ しく候ふなり。をはりのとき、南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可 しぎこ・つによらい 思議光如来ととなへられて、手をくみてしづかにをはられて候ひしなり。 そうろ またおくれさきだっためしは、あはれになけかしくおぼしめされ候ふとおくれさきだっためし親 さいしょ * いんじよう めつど しい人に死に遅れたり、先 も、さきだちて滅度にいたり候ひぬれば、かならず最初引接のちかひを立 0 て死んだりする例。 そうろ けちえんけんぞく 引接迎えとる。 おこして、結縁・眷属・朋友をみちびくことにて候ふなれば、しかるべく ほうもんもん おなじ法文の門に入りて候へば、蓮位もたのもしくおぼえ候ふ。また、親 も - っそう・り こ となり、子となるも、先世のちぎりと申し候へば、たのもしくおぼしめさ ・もう そうろ るべく候ふなり。このあはれさたふとさ、中しつくしがたく候へばとどめ もうそうろ 候ひぬ。いかにしてか、みづからこのことを申し候ふべきや、くはしくは そうろ もうそうろ ふみ なほなほ申し候ふべく候ふ。この文のやうを御まへにてあしくもや候ふと おお て、よみあげて候へば、「これにすぐべくも候はず、めでたく候ふ」と仰 親鸞聖人御消息 そ - つら そうら こ そ - つら そ - つら そうろ せんぜ そうら そ - つら ぞん て れんい そう、り おん そうろ ぞん そ・つら そ - つら そうろ おや 三五 七六七
ろん みろく またのぼりて候ひし人々、くにに論じまうすとて、あるいは弥勒とひとのほりて候ひし人々上京 もうそうろひとびとそうろ もうそうら した人々。 そうろふみ しと申し候ふ人々候ふよしを申し候ひしかば、しるし仰せられて候ふ文の そうろ そうろ ごらん みろく 候ふ。しるしてまゐらせ候ふなり。御覧あるべく候ふ。また弥勒とひとし みろくとうがくぶん いんにぶん じゅうしじゅうご と候ふは、弥勒は等覚の分なり、これは因位の分なり、これは十四・十五 つきえんまん ようかここのかっき えんまん の月の円満したまふが、すでに八日・九日の月のいまだ円満したまはぬほ もうそうろ じりきしゅぎよう しんじんけつじようばん どを申し候ふなり。これは自力修行のやうなり。われらは信心決定の凡 ぶくらい しようじようしゆくらい いんに と・つが′、 夫、位〔は〕正定聚の位なり。これは因位なり、これ等覚の分なり。かれ じりき たりき じた そうら いんに は自力なり、これは他力なり。自他のかはりこそ候へども、因位の位はひ 親鸞聖人御消息一三 そうろ おおそうろ いちねん せいがんふし がはず候ふと仰せ候ふなり。ただし、「一念するに往生定まりて誓願不思 そうろ おおそうろ そうら いちねん 議とこころえ候ふ」と仰せ候ふをそ、よきゃうには候へども、一念にとど そうろ ごじひっ おんふみ そうろ まるところあしく候ふとて、御文のそばに御自筆をもって、あしく候ふ そうろ れんい おお よしを入れさせおはしまして候ふ。蓮位にかく入れよと仰せをかぶりて候 ごじひっ しようこ へども、御自筆はつよき証拠にお・ほしめされ候ひぬとお・ほえ候ふあひだ、 * おんがいびよう そうら をりふし御咳病にて御わづらひにわたらせたまひ候へども、申して候ふな御咳病せきの出る病気の こと。 そうろ 0 そうら おん ひとびと そうら そうろ おうじようさだ おお そうろ ぶん くらい そうろ そうら 七六四