別院・教堂本願寺の直属寺院として、全国に別院四八、教堂二一があります。 りんばん 直属寺院の住職はご門主さまですが、輪番や主管が常駐して代務をつかさどって おります。主要な地にある別院には、その教区の教務所が併設されております。 財団法人「若人の広場」協会健全な青少年の育成をめざし、自然に恵まれた海 辺や山に「青少年センター」を開設して運営する事業を進めています。すでに能 登と富山にセンターを設け、各種団体の宿泊研修などに好評を得ています。詳し くは京都市下京区堀川通花屋町下ル・本願寺派宗務所一一階の京都事務所まで。 同和教育センター同和教育振興会が設けたセンターで、同和問題についての研 究資料をととのえ、研究集会や研修などが行われている。本願寺会館北どなりに その分室があります。 その他の施設医療施設「あそか診療所」社会福祉施設「母子寮」更生保護施設 びやくこう 「白光荘」などがあり、福祉と社会奉仕にあたっております。 わたしの教団
教団の活動 この変革のはげしい現代社会に対応して、わたしたちの教団は、教学の振興、 寺院機能の振興、人材の養成、社会教化の基本方針にもとづいて、教化伝道のた めの活動はもちろん、社会的な活動のための財団法人、人材育成のための学校法 きようせいほ・こ 人、学術研究のための施設、矯正保護や社会福祉の事業、医療施設など多方面に わたって活動しております。 御同朋の社会をめぎしてー基幹運動の目標と方針ー このわたくし一人のために、法はとかれ、阿弥陀如来は本願を誓 0 てくださっ しんらんいちにんため たと受けとめる、「親鸞一人が為」という姿勢を、み教えを聞くわたくしたちは、 なにより大切にしなければなりません。
一八八 ところが、現実の私たちの教団は、「われら」の視点を忘れがちであります。 「あいつら」、「こいつら」、「誰ら」と対立したり、差別する世界でなく、「わ おんどう・ほう れら」と呼びあえる開かれたあたたかい人間関係で成立する世界が、御同朋の社 会です。 まことの念仏を多くの人たちに伝え、御同朋の社会を開いていかれた親鸞聖人 の生き方に学ぶ私たちにとって、御同朋の社会の実現をめざして力をあわせてい く以外にすすむべき道はありません。 きかんうんどう そこで、基幹運動 ( 門信徒会運動・同朋運動 ) は「御同朋の社会をめざして」 の目標のもとに推進しています。 要は、この目標をかかげることによって、「親鸞一人」という姿勢とともに、 親鸞聖人の「われら」の視点をとりもどし、念仏者が、念仏者としての使命をは すいこう たしていこうとするものであり、教団が、教団としての社会的役割を遂行してい よう いちにん
一九〇 現実の問題を踏まえてみ教えを聞かないと、頭だけの聞法になります。また、 現実の社会に働きかける伝道でなければ、きれいごとの建前の伝道になります。 中でも、差別問題は御同朋の社会をめざす私たちが、避けて通ることのできない 問題です。 ( 4 ) 教団のあらゆる組織をあげ て、運動をひろく展開しよう。 仏教壮年会、仏教婦人会、仏教青年 会をはじめ、教団のあらゆる組織は、 「御同朋の社会をめざして」という目 標のもとに、運動を推進するための組 織です。 み教えをよろこび、一人ひとりが、
こうとするものであります。そこでこの「御同朋の社会をめざして」という運動 目標を達成するために、四つの運動方針をかかげました。 ( 1 ) 御同朋の社会の実現をめざして、運動を強力にすすめよう。 私たちの教団の場合、一人ひとりが、思い思いにすすんでいく傾向が強か 0 た ために、一人ひとりが努力しているわりには、教団の動きとして大きな力とな 0 てこなか「たのです。教団の一人ひとりが目標を充分に確認して、運動すること が何より大切です。 ( 2 ) 一人ひとりが自ら教えに学び、運動の推進者になろう。 ただ話を聞くだけでなく、自らの問題を通してみ教えを聞くことによ「て、み 教えが身につきます。み教えを身につけて運動する一人ひとりになろうというの がこの運動方針です。 ( 3 ) 全員が聞法・伝道し、差別問題に積極的にとりくもう。 わたしの教団 一八九
ら、戒名とはいわないのです。 院号 〇院とは、 : カんらいお寺のことですが、そこに住居した人に、その院の名をつ おくりな けた号が院号でした。現在では、教団の護持につくした人や、社会のために こうけん 貢献した人におくられる敬称として、用いられています。 過去帳 〇人がなくなったら法名、俗名、命日等を位牌でなく過去帳に記入しておきま す。過去帳は礼拝の対象ではありません。な。せなら、真実の教えを聞き、本願
ややもすれば、教えを伝えることは本山や僧侶だけの役目のように思われ、 徒は受け身になりがちでした。聖人のお心にてらして考えれば、ほんとうの伝道 のあり方は、信者が信者をつく「ていくという、いわゆる全員伝道の姿勢であり ます。門信徒一人ひとりの積極的な参加によ「てのみ、わたしたちの教団は新し い未来の時代に即応した動きをはじめることができ、一人ひとりの心の奥深く、 真実の法がしみとおり、躍動する念仏社会が実現していくのであります。 この本来の姿勢で伝道にかかわってくださる人が、門徒推進員です。 そうりよ
・・第新 真宗教団連合 しんらんしようにん 親鸞聖人を宗祖とあおぐ宗派が全国に 要十派あります。一般に真宗十派と呼んで おります。 座聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十 出 、、年を記念して、この十派は真宗教団連合 宗 派を結成しました。その目的とするところ は、相互に連絡提携して時代に即応する 真 教化活動を展開し、社会の不安と混迷を 救い、世界平和の進展と人類永遠の福祉 に貢献しようとするものです。その真宗 一一〇四
第、、、」、、を。」数にありますが、なかでもつよくわたくしの わずら おろ 心を煩わすのは「むさぼり・怒り・愚かさ」 とんよ ~ 、 の三つであります。貪欲のために、どれだけ ( 、多くの人がみずから苦しむだけでなく、家族 や他人を泣かせていることでしよう。怒り どんなに社会を住みにくいものにしてい ることでしよう。正しい道理を知らぬ愚かさ のために、どれだけ無益なことに精力をついやしてきたことでしようか。 ばんのう がしゅう この三つの煩悩の源をさらにさぐっていけば、ついに我執につきあたります。 つねに自己を中心にして物事を判断し、何でも自分の思うとおりになることを望 しやくそん んでやまない、 はげしい自我拡大の欲求が我執であります。こうして釈尊は、苦 悩の病源をあきらかにされました。 がしゅう
して、古代社会における最後の政権を担当 いっと した平家も、減亡の一途をたどるのであり ます。このように騒然とした生きにくい時 / 、′代に成長された聖人は、九歳になられた養 おじりりつなきよう 和元年 ( 二八一 ) の春、伯父の範綱卿につ しようれんいん じえんそうじよう 得れられて東山の青蓮院をたずね、慈円僧正 と′、 2 こ ばうしゃ 人の坊舎であわただしく得度の式を受けら はんねん = 一一朝をれ、名まえも範宴とあらためられました が、おもえば人生の、悲しい業縁をになっ ての出家でありました。 親鸞聖人の生涯とその後 そうぜん ごうえん