友達 - みる会図書館


検索対象: 淑女失格 : 私の履歴書
20件見つかりました。

1. 淑女失格 : 私の履歴書

梁山泊 先の不幸な結婚の後、もう一一度と結婚することはないと思い決めていた私なのに、 三十歳になってまた結婚をした。結婚に踏み切ったのは、この結婚が私がものを書く ことのプラスになると考えたからである。 先に私はという難解な小説を書く友達のために、自信を失い混舌してしまったと そのが友人から夫になったのである。は私の自信を落ち込ませると同 書いたが、 歴時に、混迷から脱出する力も貸してくれたのだ。 履 の 私は聖路加国際病院をやめて、く自由に呼吸できるようにな 0 たが、私たちの結 私 部婚はナミのものではなかった。私たちは人生を小説に賭けた。はそれまで勤めてい 彼こま親の遺産があって、働か 第た映画会社をやめて、書くこと一筋の生活に入った。 , 。ー なくても食べて行けたのである。

2. 淑女失格 : 私の履歴書

166 私の姉は水泳の達人で、水練教習所では最高の印である「黒帽」を許されていた。 普通は白帽で、それより下は白帽の上に線の入ったハチマキをしめる。 私の家は甲子園の海水浴場に近かったので、夏休みになるとよく海へ行った。とい っても私は泳げないので、泳げるような格好をして砂浜で体操をしたり走ったり跳ん だりしているだけである。 たまに姉がいない時、私は姉の黒帽を持ち出して、それをかぶって砂浜を歩いた。 海に入り、背の届かない所へ行くと危いので、そろりそろりと足で海底を探りながら 進んでいき、肩まで水がくるあたりに立ち止まって友人にこの写真を撮ってもらった。 「沖で立泳ぎしてるよ、つに見えるでしょ ? 」 と別の友達に見せたら、 「ただ漬ってるだけやないのん」 といわれてしまった。しかし頭には黒帽をキリリとかぶっている。

3. 淑女失格 : 私の履歴書

正木先生 私は自分の傷つき易さにヘトへトになった。学校がなぜこんなに辛いかというと、 そこでは私は一人ばっちだったからである。そこには当然のことながら父も母もばあ やもいないのである。幼稚園時代の友達や、近所の友達とはなぜか組が違った。私は わるさ 単身、敵地で怖い先生や悪戯の男の子たちと戦わなければならないのだった。 泣きたいが、泣けなかった。泣けばここでは「泣き虫泣き虫」とされてい者に 歴されるだけであった。泣くことは恥かしいことだったから、私は泣くまいとして頑張 履 のった。泣かないためには涙が出る前に攻撃に出ることだった。 部いうまでもなくその時の私は、そのように筋道を立てて考えたわけではない。い、 第ならばそれは「窮猫を安む」といった心理だったと思う。ある日、私は校庭で突然、 しり あぜ 男の子を突き飛ばした。男の子はあっけなく尻モチをつき、唖然として私を見上げて

4. 淑女失格 : 私の履歴書

いわれたが、 その正義とはどういう正義なのかもよくわからなかった。深く考えもせ すに私は先生やラジオや新聞が正義だというからには正義なのだろうと思っていた。 ろこうきよう 中国大陸の蘆溝橋という所で日本軍が演習をしていたら、そこへ銃弾が撃ち込まれて きた。撃ってきたのは中国側である。向うから戦争をしかけてきたのだ、怪しからん、 という話だった。 「けど、なんで、よその国へ出しやばって行って演習したりするのやろ ? 」 と私は友達に質問したが、友達は、 「さあ : : : 知らん」 というだけだった。その時から私たちの青春は、あまりに長い戦いの泥沼に埋もれ ることになってしま、つとは、夢にも田 5 わなかった。 かんよう 私の母校である甲南高等女学校は「淑徳を涵養」するのが目的の学校だった。どち らかといえば学問よりも礼儀作法や質実であることに重点が置かれていた。「甲南の 生徒であることの誇りを持て」といわれ、何かというと「甲南の生徒たる者は」とか 「甲南の恥」だとかいう言葉が先生や上級生の口から出てくるのであった。

5. 淑女失格 : 私の履歴書

合評会 私の小説は「文芸首都」に掲載された。昭和一一十五年十一一月号である。私が書いた ものがはじめて活字になったのだ。それによって私は「会員」から「同人」に昇格し 女学校卒業以来、友達といえる人は一人もいないままに過してきた私は、ここで 沢山の文学友達を得た。それまで三茶書房の古本を相手にただ読み、書くだけの生活 だった私の中に、どっと文学論や芸術論がなだれ込んできた。同人会というとたいて 書 歴いよ掲載された小説の攻撃的批判に終始する。合評会は悪口を浴びる場と心得ていな 履 のければならなかった。 部合評の後では酒になった。清酒を買うほどの金はないから、いつも焼酎である。文 まかな 第芸首都は経費を同人費で賄うという建前だったが、同人費をまともに払う人は少ない ので ( 何しろみんな貧乏 ) 自然、保高先生の負担になる。先生はそれを当然のことの

6. 淑女失格 : 私の履歴書

142 ) ことばかり考えて、 しかし私はそれを聞かすに家を建てた。丘の上の見晴しがいし 電気も水もないことを忘れていたので、一人で電柱を十本も立てねばならなくなった。 ル引く ) 予算が狂って金がなくなり、二階は天井なしという家 ( 水道は五〇〇メート になってしまった。 遠藤さんのいった通り、海から吹き上げる強風で屋根が飛ぶ心配 があるというので、家を鎖で巻いて、鎖の先に石塊をつけて土中深く埋めるという騒 ぎだった。金は一文もなくなり、家具も買えない。 友達はみな心配しながら呆れている。遠藤さんだけが面白がって喜んでいる。 「なにしとんのや、君は : と実に嬉しそうだった。 遠藤さんがそういって笑うと、なぜか私は妙薬を飲んだように後悔が消えて気持が 明るくなる。遠藤さんと一緒に自分の失敗を面白がるという気持になっていくのであ る。面白がって、天井のない家に私は十年住んだ。 友達の中には私が年中、物を盗まれたり欺されたりしているのを見て心配し、真剣 にお説教をしてくれる人がいる。しかし私はどんな同情や説教よりも「ただ面白が る」遠藤さんによって慰められる。

7. 淑女失格 : 私の履歴書

言葉はいつも私の頭を素通りしてどこかへ消えて行った。 今でも私は計算に弱い。私はこれまで盗まれたりされたり、損ばかりして来て、 今尚、損をしつづけているらしい ( 友達や家族がそういう ) が、その損額も完全に計 算出来ないから、精神状態は常に安らかである。算術が出来ないおかげで、心が安ら か。それならそれでよろしいのではないか ? 負け惜しみではなく私はそう思ってい る。

8. 淑女失格 : 私の履歴書

「ところでオレはいつ出てくるねん ? 」 遠藤さんはいった。 「中学時代の友達がお前、い つ出てくるんや、ちっとも出てこんなというのや。早う 書いてくれよ」 「、つん、書いたげる。今書こうとしてたところよ」 「そうか。褒めて書いてくれよ。立派な人やと書けよ」 「ナンボ出す ? 」 私と遠藤さんは同い年の六十六歳である。これが六十六にもなった男と女がする会 一ⅱか、といわれるだろうか、いっからか私たちはこんなふうになってしまった。年を とるにつれてアホ中学生のようになっていくのは、私のせいか、遠藤さんのせいか 書 歴この答はむつかしい の 私 部 第 はよ

9. 淑女失格 : 私の履歴書

130 私が川上さんにいった「どうしよう ! 」という一言葉には、友達だけにわかる前述ー たようなもろもろの思わくが籠っていたのである。川上さんはべッドの上にアグラ し - ばら かいて、暫く考えてからいった。 「しかし、カネは入るぞ」 あツ、と私は思った。そ、フだ、カネー 私には金が入用だった。私はそれを忘れていた。私の肩に山のようにかかってい 借金。それは直木賞をもらうことによって返していけるのだ ! それで私はいった。 「お受けします」 そういった時、恥かしさとこれからくるものへの不安がどっときた。受けた以上、 私はその場から新橋第一ホテルの記者会見に臨まなければならないのだった。べ

10. 淑女失格 : 私の履歴書

144 「ああ面白かった」 遠藤周作さんはよく、 「君はなんば苦労しても、苦労が身につかん女ゃなア」 という。仕方なく私は答える。 「そうかなあ、エへへ・ 工へへ、と笑うのは、それほど苦労したという自覚がないからで、また苦労した苦 労したと歎くのが嫌いなタチだからでもある。私の周りの人 ( 娘、お手伝い、編集者、 友達 ) の方が私のためになんばか苦労をしている筈だと思う。借金を残して遁走した 夫でさえ、私のために苦労したことが数々あったにちがいない。 この「履歴書」の十二回目に、私が信州伊那の厳寒の中で一一階暮しをし、濡れ縁に バケッと七輪を置いて炊事をしたというくだりがある。そこを新聞で読んだ若い女性 とんそう