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検索対象: 父・丹波文雄 介護の日々
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1. 父・丹波文雄 介護の日々

と参加してくださり、主催者としては感無量でした。しかし、すべてが終わったあと は、ほんとうに寂しい気持ちになりました。 父は文壇ゴルフの先駆者的存在であったばかりでなく、日本の戦後のアマチ = アゴル フ普及にもひと役買っていたようです。父がゴルフを始めたのは一九五五年、五十一歳 のときでした。私たちにも当然のようにゴルフを教えてくれましたし、一時は夏の軽井 沢で、父、母、私、弟の家族四人でプレイしたこともありました。もちろん、文壇ゴル フの草分け、そして「丹羽学校ー校長として、多くの作家の方たちに手ほどきをしてき た父ですが、功労が文壇に留まらないのは、ゴルフに関する著書のおかげです。『ゴル フ・丹羽式上達法』を始め、『ゴルフ談義』などの著書を通し、大勢のアマチュアの 方々に勇気を与え、励まし、奮い立たせてきたのです。 母は途中でゴルフをやめてしまいましたが、私は今も、父に劣らすゴルフが大好きな 主人とともにプレイを楽しんでいます。主人に教えられて、田中義久著『ゴルフと日本 人』 ( 岩波新書 ) を読んで、父のゴルフ界での位置づけを初めて知りました。父は、広 くアマチ = アゴルフの世界でも有名な人物だったのです。田中さんは「戦後のゴルフブ ームには三つのエボックがある。そのうちの第一次が一九五八年から六二年、第二次が 154

2. 父・丹波文雄 介護の日々

に行ってくれて、なんとかなったのですが、息子からは、 「母親が人がいいから、ほんとに息子はこんな苦労をするー と言われました。私だって、世の中には人をたます悪徳商法がたくさんあると、知っ てはいるのです。そんな誰にでもわかるような、だましのテクニックにのる人なんて、 いるのかしら。そう思っていたのです。まさか、私がひっかかるなんて。そのあと、主 とコンコンと 人と息子から、家に持ってくるものは絶対にイエスと言ってはいけない、 言われました。どこかポカンと抜けているところがあるのです。でも、この性格のおか げで、老人介護も気楽に明るくできるのではないかとも思います。 私の夢は、孫たちにお料理を作ってあげること。孫たちから、 「おばあちゃんのところに行ったら、今日は何を食べられるかな」 と、楽しみにしてもらえるような、そんなふうなおばあちゃんになりたい。 父は、五十年前に、妻の祖母をモデルに『厭がらせの年齢』という、老人問題を扱っ た小説 を書きました。日本文学界で初めての試みだったこともあり、大変な評判になっ たそうです。男も女も、誰もがいっかは「厭がらせの年齢」になるのです。これは誰も 184