桂子 - みる会図書館


検索対象: 父・丹波文雄 介護の日々
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1. 父・丹波文雄 介護の日々

ように受け入れることができるのかもしれません。 父は状態が悪くても、何も認識できないときでも、私のことだけはよくわかるようで した。「桂子よーと言うと、すぐに「おお、桂子かーと喜んでくれるのです。それが最 近はときどき、どう言っても私がわからないときがあります。よほど具合が悪いときな のかもしれません。 あるとき、丹羽の家に行きましたら、「おまえは誰だ」と言うのです。「桂子よ。桂子 じゃないのーと何度言ってもわかってもらえず、「帰れ。帰れつ - とすごい剣幕で怒鳴 るのです。そんなときには、「どうしてわからないのーなどとネチネチ粘らず、「あら、 ごめんなさい。失礼しました」と退散します。こんなことが二度ほどあったのですが、 考えてみたら、二度とも外出先から直接、丹羽の家に寄ったときでした。ドレスアップ して帽子をかぶっていたのです。昔は私がおしゃれをしていると、父はとても喜んでく れたものでした。それが、今はよそゆきの装いだと、まったく知らない人に見えるのだ とわかりました。それからは、まず自宅に帰り、普段着に着替えてから父のところに行 くようにしています。 いっ頃からでしようか。こんなふうに父の調子がおかしくなるときには、目つきが変

2. 父・丹波文雄 介護の日々

さった : : : 。僕のイメージの中には、そんな先生しかないんですよ。だから、ただただ そう思うと辛かった。桂子ちゃんは小さいときから知っ 驚きでした。あの先生が : ているものだから、『桂子ちゃん』なんて言ってますけど、あの頃、先生の病気につい て話したり相談できたのは、桂子ちゃんしかいませんでした。極秘事項だったんですか ら。『婦人公論』に桂子ちゃんが発表するまでは、友達にも話しませんでした。ですか ら『婦人公論』が出たとき、記事を読んだ会社の人から『大変だったな』と言われたり もしました そうなんです。人に隠していることの苦しさったら、ありませんでした。この頃は、 清水さんと二人で、周りに障壁をはりめぐらし、決して父の病気のことがもれないよう、 必死でくい止めているような時期でした。 私は父がどこに行くのにも、くつついて行きました。外では片時も目を離さずに、父 のことを見まもりました。一見ごく正常。でも、ときどきへンなところが出てくる。そ れがいつ出てくるかわからないのですから、厄介きわまりない。私から見ると「おや つじつま と思うことがときどきあるのですが、他の方はまったく気がっかれない。辻褄が合わな いようなことがあってはと、私はハラハラのしどおしでした。人がどう見ているかなど、

3. 父・丹波文雄 介護の日々

父・丹羽 介護の日ミ・、 父・丹羽文雄介護の日々丿。本田桂子 本田桂子 9 7 8 41 2 0 0 2 6 9 6 6 IIIIIIII ⅢⅢⅧ刪 II 1 9 2 0 0 9 5 01 2 0 0 1 本田桂子ほんだけいこ 料理研究家。作家・丹羽文雄氏の長女 結婚後、アメリカ各地に年、バリに 5 年の 海外生活を過ごす。現在は、月 1 回自宅で 料理サロンを開き、ユニークな料理を教えている I S B N 4 ー 1 2 ー 0 0 2 6 9 6 ー 5 C 0 0 9 5 \ 1 2 0 0 E 定価ー 中央公論新社

4. 父・丹波文雄 介護の日々

月に一度はホームから母を連れ出して、実家で父に会わせたり、また、父を連れ出し て母に会いに行ったりしています。二人が会っても、父は母のことがまったくわかりま せん。会うと必ず「よろしく」と、握手するのが習慣になっています。父は母のことを 必す「誰だ」と聞きます。 「お母さんじゃないの。桂子のお母さんで、お父さんの奥さん」 と一一 = っと、 「桂子がそう言うんじゃ、そうだろう」 と、初めて納得するのです。母は、 「悲しいわねえ。六十年も連れそったのに、どうしてわからないのかしら」 と嘆きますが、こればかりはどうしようもありません。 父と母の今 146

5. 父・丹波文雄 介護の日々

引退静かなる収束へ 考えたこともありませんでしたが、事情を 知らな」周囲からは、「一」 0 年にな 0 ても、 イ - . ~ 亠あ 0 桂子ちんは , , ザ「なんだなあ」 なんて思われていたようです。父も私がっ ーをの いて歩くことに違和感はなかったようで、 第貨そ = 一、何の疑問も感じてはいませんでした。なに ~ ッ雄しろ、この頃は母も面倒くさがって、一緒 野に出歩くことをしませんでしたから、桂子 ししぐらしに田じ 灣を、一はカ来てくれて、ちょうど 端 右っていたのでしよう。 2 「長年楽しみに参加していた講談社主催の 「のゴルフの会も、今回で引退させようと病を 隠して出席。 朝象 / コ 父はいわゆる文壇ゴルフの先駆者的な存 いを諟一第腎嶽在でした。軽井沢で毎年開いていた「丹羽

6. 父・丹波文雄 介護の日々

本田桂子 父・丹羽文雄 介護の日々 中央公論籵

7. 父・丹波文雄 介護の日々

最近は、少しポケ方が進んできたようで、時間軸がおかしくなってきています。私が 前日に行こうが、一カ月行かないでいようが、わからなくなっていますし、姪と姪の子 どもを間違えたり、人の区別もだんだんわからなくなってきています。先日も、娘の千 晶に「あなた、千晶に似てるわねえ」と、感心したように言っていました。 あれほど、食べることにこだわりをもっていたグルメの母ですが、おすしを目の前に おいて、私が「ちょっと待ってね。お醤油とってくるからーと、言ったにもかかわらす、 その数秒が待てなくて、もう手を出して食べてしまったり、デザート用のケーキがそば においてあると、おすしとケーキを交互に食べてしまったり、ギョッとするようなこと も平気でやるようになりました。娘の千晶は「ここまで、ひどくなっているの」と、大 ショックを受けていました。 この頃、母は私が行くと、 「私は桂子だけはわかるのよ。桂子がいてくれるから、ほんとうに安心だわ と、言ってくれます。すっかり変わってしまいました。 「あなた、この頃かわいい」なんて言ったりもする。「えーっ、 いったいどうしちゃっ 144

8. 父・丹波文雄 介護の日々

荒木幸史さんのやさしい愛に満ちた作品を装画として使用させていただきましたこと、 厚くお礼申し上げます。 一九九七年四月吉日 本田桂子 198

9. 父・丹波文雄 介護の日々

常楽仏さまのようになった父 「桂子、おまえね。酒を飲んで失敗した人は大勢いる。私がここまで来れたのは、酒を 飲まなかったからだ。酒はからだを悪くするばかりじゃなく、女性は容貌まで悪くな る」 途端に、私は「子ども」になってしまいました。思わず、背筋がシャンとなるような、 昔のままの父のお小言でした。 : ホケているとばかり思っていた父が、いったいどうした のでしよう。 丸つきり、昔のままの父でした。この父のこわさ。主人よりこわい父が、 このときだけでしたが甦ったことは、私にはなんともうれしい経験でした。 107

10. 父・丹波文雄 介護の日々

の上。ポケのまっただ中にいるわけですから、私としてはどうしても大蔵省の仕事を渡 すわけにはいきません。これを知った母は逆上。母の背後で、あることないことを吹き 込む人まで出てきて、さらに拍車がかかり、多少の妄想も加わって、とんでもない事件 に発展していきます。 なんと、私が母から訴えられたのです。 実はある時期から、母が非常に多額のお金を銀行からおろすようにと要求するように なりました。 「そんなにたくさん、何に使うのー と聞いて , も、 「私のお金をどう使おうと、私の勝手でしよう。桂子に言われることないわー と怒るのです。 からだが不自由で外出もままならない人が、月に何百万も必要なわけはありません。 しかし、母は強硬に「金よこせ」コール。どうしたものかと途方にくれて、精神科の主 治医に相談しました。 「金額の大小は別として、よく起こる問題です。しまい忘れて、捨ててしまうこともあ