水 - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集1
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1. 現代世界ノンフィクション全集1

護する運命の星はいつもと同じように私の頭の上に燦 然と輝いている。 十分間のうちに二リットル半から三リットルあまり 十三人間の足あと の水を飲みほした、といってもけっして誇張ではない。 このとき、私は一時にこのように多量の水を飲むこと この時、私の心に溢れた感情を記述しようと試みるが危険である、などということは考えだにしなかった。 ことはおそらくむだな試みであろう。この感情は想像しかしこの多量の水によって何らの害を受けるどころ し得るかもしれない、しかし記述することは不可能でか、反対にそれは私の身体内に新しい精力を注いだよ ある。水を飲むまえに私は脈を計った。このとき、脈うなものであった。あらゆる体内の血管と組織とはあ 搏四十九。ポケットからブリキ製の水のみを取り出し、 たかも海綿が水を吸うごとくこの生命の水を吸収した。 水を充たし、そして飲みほした。この水は何と美味だそして弱りはてていた脈搏は数分の後にはすでに五十 ったことか。何人といえども渇きのために死の苦痛に六をかそえるようになった。乾きのためにとどこおっ 瀕したことのない者にはこの味を想像することは不可ていた血行はまったく回復した。枯木のごとくかさか 能である。私は水のみを唇につけーーー静かに、そろそさになりきっていた手も再び人間の手らしくなり、羊 ろと、そして用心ぶかくーー・何回となく心ゆくまで飲皮紙のようになっていた皮膚は湿気を帯び、伸び縮み 記 探んだ。何という味わい。何に譬うべき愉悦。ぶどうか ができるようになった。そして間もなく額に発汗がは ジら搾り出した最善最美の酒ーーあのギリシャの神々のじまった。つまり私の全身はこの生命の水の注入によ 央美酒ーーーといえどもこの水の半ばの味もなかったにちって新鮮な生命を得たのであった。この時こそまった がいない。私の期待は私を欺かなかったのだ。私を守く厳粛な、そして最も希望に充ちた瞬間であったのた。

2. 現代世界ノンフィクション全集1

れた一つの水槽の中味を調べた。それには一日分には 十分な水がまだ残されていた。この水は黄金と同様に 石視されなければならない。もしこのさい、もう一日 九水ついに尽く 分の水をわれわれの所有しているすべての金銭であが ないえたとすれば、われわれは一瞬の躊躇もなくそう 四月二十七日。黎明、われわれは駱駝に元気をつけ したにちがいなかった。われわれはこの最後の貴重な 水を一滴一滴で計る決心をした。もうあと三日間このるためにできるだけのことをした。鞍の一つから中の 水を保存しなければならない。 一日一人につきコツ。フ乾草を取り出してあたえた。彼らはこの飼料をむさぼ 二杯に限るならばそれは可能であった。三日間駱駝にり食べた。食べおわって彼らは次に水をほしがったが、 は一滴の水もあたえることはできない。大のヨルダッわれわれのできることはただ唇を濡らしてやる程度で シュと羊とには一日に一椀だけあたえることができるあった。乾草の後に古いパンと油を少しあたえた。ま が、彼らはそれだけでどうやら凌いでゆけるであろう。た彼らの荷を軽くしてやるために、携えてきたテント カーベット 用の寝台と絨毯とその他あまり必要でない品物を数個 イスラム・べイと私とはそれから眠りに就いた。つい に与えられなかった水をむなしく待ちながら、われわ捨てさることにした。 記れを嘲笑しているように感じられる井戸の周囲に、穏朝の茶を飲みおわるや否や私はただちに進発した。 砂丘は常よりも低い十メートル以下であったので私は 探やかにそして忍耐強く立ち並んでいる駱駝を残して。 ア 一刻も早く出発したい焦燥に駆られたのであった。砂 ア のぞ 丘の中間の窪みから覗いている地層には少しく高低の あることを見出したのでこの辺の砂丘の高度の低いの しの 3

3. 現代世界ノンフィクション全集1

はふく った。それで私はたとえ匍匐してでも、そしてたとえ ムもまた回復した。私は彼らに私の決心を告げた。彼 私のカラヴァンの隊員が倒れても、全力を尽してただらもまた私と同様の決心であった。モ ( メット・シャ 前進するのみと決意を固めた。横になって休息するこ ーは依然として同じ所に横たわり、ヨルチはテントの とはこの極度に疲労陰に仰向けに寝ていた。モハメット・シャーとヨルチ しきっているとき、 は精神混迷状態に陥り、われわれの声に応えることな うわごと 最も強い誘惑であっ くわけのわからぬ譫言を口走っているのみであったが、 た。しかしそうする夜になってヨルチは動き出し感覚を取りもどし、彼の ことは、ただちに、 なかに潜な野獣性が目ざめた。彼は私のかたわらに這 眠り、それからはけ いよってきて拳をふるって調子はずれの脅かすような 日 っして再び醒めるこ声で「水をくれ、水を」と呼び、そしてすすり泣きを 五となき永い深い眠り はじめ、私の前に膝を折って呻きながら少しでも水を 営そしてその中ではすくれるように懇願するのであった。私は彼にたいし水 彎のべての心と身体の苦を盗んで飲んでしまったのは彼自身で、彼はわれわれ 、曇第強死 痛を忘れる眠りに陥 他の一同の全部を合わせたより多くの水を飲んでいる ることを意味してい のであるし、かつ一番最後に水を飲んだのもまた彼で た。この誘惑から私あるから、当然最も渇に耐え得るはすであると語って は決然と立ち上った。 聞かせた。彼は依然としてすすり泣きをつづけながら 日没にいたってイ匍匐して去った。 スラム・ べイとカシ この恐るべきキャンプを立ち去るまえにたとえ幾分 3 9

4. 現代世界ノンフィクション全集1

号のため焚火をした。そして焚火のそばに横たわり静たまりに引きかえし充分の休息をとることにした。し かしカシムは弱りきっていたので私と歩調を合わせる かな深い眠りに落ちた。 ことができず、私自身もまたカシムを助けるほどには 目ざめた時は夜のまさに明けようとする時であった。 焚火の焔は弱くなり、濃い煙が樹林の上に立ちこめて回復してなかったので、私はカシムに後をついて来る 、た。しかしそばに立てかけておいた靴の中の水は一ようにいい残してひとり水たまりに戻り、ふたたび水 滴も減じてはいなかった。一口の水を飲み、明るみでを飲み、また体を洗った。 すぐ見出した足跡をたどってまもなく私はカシムを見次にくるものは飢餓であった。私はこのさい、まず つけた。カシムは私が別れた時と同一の姿勢で仰臥し、人間に会い、食物をもらい受けてイスラムの救助に赴 うつろな眼を見ひらいていたが、私を認めたらしくかき、また残してきた品物の一部を拾ってこなければな らないと考えた。そこで私はカシムをそのままにして すかに「死にそうだ」とつぶやいた。 彼は靴の中に入っているのが何であるかわからない河の右岸に沿って南へくだった。 うなす らしく、私が「水は」と訊ねたとき、頭を動かし肯い 午前九時。激しい嵐が襲来し黄塵の雲は天を蔽った が、そのおかげで暑熱は減じた。砂塵の中をさまよう たのみで再び意識を失いかけた。しかし靴を揺り動か して水の音を聞かせた時、カシムは突然叫び声を上げ、こと三時間ばかりののち再び渇を覚えたので、このま 私のさし出す靴のはしに口を当てたまま一息に水を飲まどこにあるのかわからない次の水たまりまで歩くこ みほし、またたく間にもう一方の靴の端に唇を押しあとの危険を慮り、元の水たまりに一応引き返すことに したが、北に向かって歩むこと半時間ばかりでこのた てていた。 五月六日。カシムの回復経過はまったく私の場合とびは小さな第二の水たまりを発見した。ふたたび水を 同様であった。われわれは協議した結果、もう一度水飲み、嵐の静まるのを待ち焚火の信号をして付近に人 ノ 18

5. 現代世界ノンフィクション全集1

い含塩粘土の薄片の平坦地で、この薄片は少し触れてに対してなぜ私の命令に従って十日分の水を入れてお 2 きつもん もただちに粉々に砕け去るのであった。薄片は同一平かなかったかと詰問した。ところが彼らは水槽の水に 6 面上に横たわるばかりでなく多くの場合数層に重なり関してはいっさいヨルチが処理したので彼に責任があ 合っていた。そしてかかる地表には砂は全然存在せず、ると答えた。で、私はヨルチに命令に違反したことを また草木の跡だになかった。かかる地表が沖積層たる詰ったとき、彼は「砂漠中の湖水の最終のものから再 ことにはいささかの疑いもなく、おそらくは数うべくび地中を掘って水を見出し得る地まではただ四日の行 もないほどの永い年月の間に乾き切ってしまった中央程にすぎないのだからそれで十分やってゆけると思っ アジアの地中海の遺跡であって、その高さの異なる台た」と答えるのであった。ヨルチのこの返答は私の地 地は異なる水準線を示しているものであろう。一般に図に現われているところとまったく一致していた。そ この粘土の地表は二檣帆船の甲板の程度の面積を越えれゆえ私はこの男の知識が今までも正確であったこと ることはなく、絶えることなく連続的に積層運動を続に鑑みいっさい彼のいうことを信頼することにした。 そそ けている砂丘は粘土の地表に砂を灌ぎ、それを覆う傾われわれ一同は一人の例外もなく西にもどると同様に 向にある。 東に進む時は一歩一歩水に近づくことになると確信し 朝になって私は最も恐るべきことを発見した。前日ていたのであった。したがって誰一人として最後の砂 私は水槽中の水がしきりに揺れていることを知ったの漠の湖水の方向に帰ろうという者はいなかった。しか でこの朝私はその原因を確かめるために、水槽の蓋をし後になって考えてみれば、このとき最後の砂漠の湖 開けて中をのそき込んだところが、驚くべきことには水に立ちもどっていたならば、われわれ自身にも、ま 水槽の中の水はわずかにあと二日分を余すにすぎない たわれわれの運命を気づかっていた人々にたいしても ことを見出したではないか。愕然として私は従者一同 いかに多くの損失と悲しみとを避け得たことであった かんが

6. 現代世界ノンフィクション全集1

冂没前にわれわれは一同集まって協議した。ヨルチ ダリヤ はコ 1 タン河は東にわずか四日の行程のところにある と断言した。私が携えていた最も正確なロシア製地図 七砂漠の呪い によればその距離は約百二十キロなので、一日二十キ ロほどの速度をもってすれば六日にして河に達し得る / リヤ ことになっていた。その上ャルカンド河の付近の経験 四月二十三日。この日は酷暑であったが、駱駝は前 に徴してみても河岸から二日の行程の所に至れば、掘日の休息で元気がっき、かくてわれわれは次の休憩の 鑿することによって水を得ることができるに相違ない 前に二七・五キロを進んだ。最初はわれわれの道は湖 であろうと考えた。しかし私は十日の行程にたいして水から南東に延び、馬の形によく似た小さな丘や台地 十分な水、すなわち水槽に半分だけ水を充たすことをの点々とする薄く草の生えている草原上の路であった。 あ懸 命じ、深い砂の中を行く駱駝の疲労を減じるように計一時間半ほど進んだとき、砂は畦のある起伏地帯に入 った。そしてこれだけの余裕があれば、あらゆる危険り、さらに十分ほどで相互に切れ目なく連絡し合って を考慮に人れてもなお安全であると思った。これだけ いる砂丘地にはいった。砂丘の方向は北東から南西に の水があれば六日の間一日に二度ずつ駱駝に十分な水向かい、そのしいほうの側面はすべて南・南西およ を与えることができるのである。私はヨルチとカシムび西に向かっていた。高さは六メートルから七メート 記 探に水槽に水を入れることを命じた。夕方から彼らは交ルで、しばしばそれを越えるには困難なことがあった。 ア 替にこの仕事にあたり、私は鉄の水槽に絶えずこの貴一同はこの砂丘をャーマン・クム ( 憎むべき砂 ) とか ア 央重な液体が注がれる音を聞いた。そして翌朝早く出発チョン・クム ( 大きい砂 ) とかまたイグイズ・クム し得るように荷物は夜のうちにすべて準備された。 ( 高い砂 ) とか呼び、その頂のことをベレス ( 狭い路 ) くっ 3

7. 現代世界ノンフィクション全集1

上空へまいあがったが、危険が回避されるや、またも雨雲におおわれた暗い空を、先をあらそうように、 や前のような隊列をとり、地面ひくくおりてきた。 ばらばらの白っぽい雲が走っていた。それらの雲のヘ 正午ちかく私とデルスウは ( ンカ湖についた。このりは千切れて、よごれた綿のぼろきれのようにぶらさ 淡水の海は今や恐るべき様子を呈していた。その水は がっていた。 泡立って、釜の中の水のようだった。草の生えた沼地「カビタン、わしら、早く帰ろう。」デルスウが言っ を長いこと歩いたあとで、このからりとした水の自然た。「わし、少し少し、心配する。」 現象を見るのは大きな喜びだった。私は砂地に坐り、 じっさい、もう野営地へ帰るべき時だった。われわ 水を眺めた。寄せてくる波には、何かしら人をひきつれは靴をはきなおし帰路についた。藪のところまでい けるものがあった。岸うつ波は何時間でも見ていられって、これを最後と湖を眺めようと、私は立ちどまっ た。つながれて怒っている野獣のように、それは自分 湖上は人気なく荒涼としていた。どこにも帆影一つの岸の中であばれまわり、黄色がかった泡を上方へと なく、小舟一つなかった。一時間ばかりわれわれは岸ばしていた。 辺をぶらっき、鳥を射った。 「水、ましてくる。」デルスウが側流を見ながら言っ こ 0 「カモ、とばなくなる。」デルスウが声に出して言っ こ 0 彼の言うとおりだった。強い風が水をレフウの河口 じっさい、鳥はいっせいに飛ぶのをやめてしまった。 におしつけて、そのため、河は岸から外へはみだし、 それまで地平線にあった黒い靄が突然、上方へあが徐々として平地を水浸しにしつつあった。やがてわれ りはじめた。太陽は今やもう完全に見えなくなってしわれは行く手をさえぎる大きな側流にぶつかったが、 この場所はどうやら私の知らない場所らしかった。デ もや

8. 現代世界ノンフィクション全集1

ならされた駱駝はみずから砂漠中にさ迷い出ることは張り、この水溜りのそばに野営することにした。人 ・犬・羊・鶏、すべては渇きをいやすために水をむ まずないように考えられた。われわれはまた馬の糞と 馬の足跡とを見た。そしてヨルチは野生の馬が砂漠のさぼり飲んだ。この日は暑かったのでわれわれはみな この部分に棲んでいると断言した。私は砂丘の頂上に喉がひどく渇いていた。水は水品のごとく透明でそし こんこん 少しのあいだとどまって北方はるか彼方の蘆の叢に草てあまく、泉から泡とともに滾々と湧き出し長さ八十 を食んでいる動物の群を望遠鏡で観測した。しかしそメートル、幅四メートルぐらいの窪みに注いでいた。 かもしか れが馬であるかあるいは羚羊であるかを判別し得る以この水たまりの水はちょうどわれわれの掘った井戸ぐ 前に彼らはさらに北方に逸走し去って姿を没した。乾らいの深さのところにあるわけであった。すなわちこ の水たまりは四メートルよりは深くなかった。水温は 燥した天色の粘上は奇妙なことには、あたかも灰色の 粘土で作った家屋のように小さな台地や丘陵を形成し午後五時に摂氏二十一度九分であったが、このときの 気温は摂氏二十五度五分であった。水中にはみずすま ていたので、私はすぐそばまで行って調べてみた。 この日犬は何となく騒がしく、数回カラヴァンからしゃ甲虫の種類がたくさん泳ぎまわって、そのあるも 遠く走り去り、あるときのごときは十五分間も姿を見のは岸に上ってくるので鶏が追いかけた。羊の最初の せなかった。そして帰ってきたときには体じゅう濡れ一頭をここで屠殺し、血と屑肉は大に与えた。砂漠中 にいるということを考えれば、この場所の光景はまさ 記鼠になっていたので、彼らはどこかで水を見つけたに に牧歌的な情緒をただよわせていた。 探相違なかった。約一八・五キロばかり進んだ後に偶然 ジ水たまりにぶつかった。私はカシムにその水を味わっ 太陽は塵の煙霧の中に姿を没したがその位置はなお 央てみるように命じたところが、一口飲んで彼は「蜜の水地平線上二十度であった。そして温度は驚くほど急 3 4 ようにあまい」と叫んだ。そこでわれわれはテントを速に下降した。夜の九時までに泉の水温は摂氏十五度

9. 現代世界ノンフィクション全集1

用のテントで私はそれを白楊樹の下に張ることにした。 ートル、深さ一・五メートルを有し、試みにその底を このテントはその中でダヴィドソン中尉がパ ルか掘らせて見たところが一メートル八センチに及ぶや否 らカシガールへの旅路の間に亡くなった由緒づきのや水が滴り出した。水の温度は摂氏九度九分であった ものであったが、よく消毒してあったし、私は別に迷が、この時の大気の温度は摂氏二十四度八分であった。 いろど 信的観念も抱いていなかった。テントの内の地面は彩水はにがく、かっ飲むと胸が悪くなるようなものであ った絨毯で敷きつめられ、その中には私の函類・器械ったが、犬も羊もむさぼるように飲んだ。しかし駱駝 函・写真機および簡素な寝台が置かれた。その他の函には翌朝出発の一時間前まで水を飲ませないでおいた。 や荷物は水槽とともに野天の下に置かれた。他の者は 出発の初めからわれわれは飲料水に関しては極度の 焚火を燃し、その周囲に蹲んで晩餐ーーーライス・。フッ節約をしなければならなか 0 たので、皿洗いや鶏卵を ディングとたくさん持「てきた鶏卵とのーーーの用意をゆでるためや水浴には谿谷から得た水を使用した。モ した。羊は草を食みつつ歩み、鶏は料理鍋からのこぼ ハメット・ヤクプはキャン。フまでいっしょについて来 れものの間を気楽そうに遊んだ。そして大は投げ与えてわれわれにとっては最も歓迎される贈物である新し られた肉をのみこんだ後、砂丘の間をお互いに追いっ い河水を入れた銅製の水いれ二個を寄贈した。カラ 追われつ駆けめぐった。こうしてわれわれのキャン。フヴァンの全員はその水で飽くまで渇をいやしたので、 の光景はまったく一枚の牧歌的な絵であった。 記 われわれの水槽のロを開く必要はなかった。 探キャン。フができると、私のまず第一の関心事はわれ この日は暖かかったが、しかし日が暮れるとたちま われの行手を乢んでいる谿の調査であ 0 た。それはちわれわれは身に寒冷を覚え、上衣を重ねなければな 央北から南に走りチスナツ。フ河の一支流によって生じ今らなかった。夜は死せるがごとき静寂が支配した。テ ろうそく は涸渇しているものにちがいなかった。それは幅六メ ントの垂れ扉を開けても内の蝋燭の烙はけっして震え うわぎ 7 3

10. 現代世界ノンフィクション全集1

考慮に入れ、それぞれに適した処置をとる必要がある。になっているウデへ人の夏小屋が見えた。ところどこ ちょいとでも失策をすれば、ポ 1 トは急流にまきこまろの岸辺では、魚がまだ片づけられていなかった。魚 れ、一瞬にして岩にぶつかり、こわれてしまう。浅瀬をカラスから守るために、土着民は犬をのこしていっ のところでは水はさわぎ立っていて、ポートはゆれ、 た。犬は見張り番を実直につとめていた。翼ある泥棒 そのため平均をたもっことが、い っそう困難である。 たちがあらわれるやいなや、吠えてとびかかり、追っ われわれの場合は、この航行の困難さは、河に流氷が払っていた。 あって、水路が両岸の凍結個所によって狭くなってい あらゆる山間の川のように、イマンにも浅瀬がたく たため、さらに増大していた。氷はわれわれの欲するさんある。そのうちの一つで、シーダートウンとアル ところではなく、ただ航行できそうなところを航行さムウとの道なかばにある浅瀬が最も危険なものとされ せた。このことは浅瀬が河の曲り目にある場合、とくている。そこでは水の音が早くも遠方から聞こえてき に顕著たった。岸の結氷が大きければ大きいほど、水て、河底の傾斜が直接、目にみえる。対岸からは岩山 流はますます急になっていた。 がおおいかぶさっていて、水はその下を泡立ち流れる。 シーダートウンから少し下流のところで、高い古代この岩山はシプキをかぶって、全体が白く凍っていた。 河成段止を見ることができる。この段丘のむこう、河ウデへ人たちはポ 1 トをおさえて、たがいに相談し、 から十キロのところにヤンムウディンザという山がそそれからポートを水に横向けにして、こうして流れの びえている。ウデへ人の話では、中国人がそこでこつまにまに、静かに下っていった。水の強い流れがポー そりと砂金をとっている。 トを岩山の方へ運んでいくと、その瞬間、彼らは巧み 途中、マツアンゴウ、スイファンゴウ、ガダラとい にサオでついて、新しい方向へと脱出した。ウデへ人 う支流がそそいでいて、それらの河口の近くに、空屋たちの目を見て、われわれが大きな危険にさらされて